将校は作業に出なくとも良いということが国際法「戦時中に於ける捕虜の取扱法」で決められている事が分かってから、将校は作業は免除され、暇つぶしに絵や謡曲をやる者も現れた。
そのうち絵画の作品展があったので見に行ったが、作品の中に「リババレー作業隊員」という宮本三郎という人の絵があった。汚れて変形した戦闘帽、ヨレヨレの雨外被、半ズボンに膝から下、すねに直接膚に巻いた脚絆、形の崩れて破れた靴、肩からの水筒、雑嚢、髭の中から目だけギョロリと光らせた顔、みんな現実の姿をよくとらえていた。
また誰か知らぬが「光の幻想」と言う作品があった。これも良かった。2人とも絵の専門家ではないかと思った。
兵隊間の話では宮本という人は小さな幕舎をアトリエに貰って、当番がついているとのことだったが、当番なんか付けるのはもっての外だと思ったが、あるいは将校だったのかもしれない。(実は宮本三郎氏は有名な日本を代表する画家でした。子供の私が実際見たのは雑誌の挿絵ですが)
「謡」も流行していたようで、野村隊長の私物箱にも謡曲の本が入っていたのを見かけたことがあった。
そのうち絵画の作品展があったので見に行ったが、作品の中に「リババレー作業隊員」という宮本三郎という人の絵があった。汚れて変形した戦闘帽、ヨレヨレの雨外被、半ズボンに膝から下、すねに直接膚に巻いた脚絆、形の崩れて破れた靴、肩からの水筒、雑嚢、髭の中から目だけギョロリと光らせた顔、みんな現実の姿をよくとらえていた。
また誰か知らぬが「光の幻想」と言う作品があった。これも良かった。2人とも絵の専門家ではないかと思った。
兵隊間の話では宮本という人は小さな幕舎をアトリエに貰って、当番がついているとのことだったが、当番なんか付けるのはもっての外だと思ったが、あるいは将校だったのかもしれない。(実は宮本三郎氏は有名な日本を代表する画家でした。子供の私が実際見たのは雑誌の挿絵ですが)
「謡」も流行していたようで、野村隊長の私物箱にも謡曲の本が入っていたのを見かけたことがあった。
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