スポーツエトセトラ

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千葉県高校出身者・ドラフト指名選手一覧(2014年~2015年)

2020-10-30 08:35:52 | 千葉県高校出身者ドラフト指名一覧
千葉県の高校出身プロ野球選手を振り返るシリーズの13回目は、2014年・2015年です。



緑色は現役高校生、薄い緑色は育成で指名された高校生です。

2014年は育成を含めて3名が指名を受けています。
まず、福田将儀。高校時代は下級生ながらセンバツでは初戦で本塁打を含む2安打、2回戦では4番を任されスリーベースを放っています。
大学では50メートル走6秒0の俊足を生かして、1年春からレギュラーに定着して通算17盗塁をマーク。
プロでは開幕2戦目にスタメンで初出場と期待を受けるも、パワー不足に泣き3年で現役を引退しています。

西野真弘は高校では下級生の頃からトップを任され、2年夏には千葉大会ベスト4に進出。
大学では4年の春秋と2季連続で二塁のベストナインに選出されたほか、
社会人でも1年目からレギュラーを任され、都市対抗では準優勝に貢献しています。
プロでは2年目に正二塁手としてフル出場。身長160センチ台という小柄さを感じさせないプレーが光りますが、
近年はやや故障がちなのが気になります。

育成では高橋慎之介。高校時代は3年夏に5番・二塁として甲子園の土を踏んでいます。
初戦敗退も、最終回では好投手・藤浪晋太郎(阪神)からヒットを放っています。
卒業後はアメリカの大学に留学。投げて140キロ、打ってはクリーンナップを任されるなど
“二刀流”として話題を集めましたが、支配下登録は果たせず2年で引退しています。

2015年は育成を含めて大量8名が指名されました。
最初に指名されたのは加藤貴之。高校時代は2年夏の千葉大会決勝で先発するも序盤でKOされ、甲子園には届かず。
卒業後はかずさへ。いったん野手として登録されるも投手に復帰。
都市対抗や日本選手権などの全国大会でマウンドを踏みました。
さらに、国際大会なども経験し、即戦力の期待を受けてプロの世界へ。
日本ハムでは1年目から先発ローテ入りを果たすなど、主力として活躍しています。

4位では市柏出身の捕手2名が指名されました。
船越涼太は高校時代は遊撃手。中軸を任され、2年の夏には千葉大会でベスト8に進出しています。
社会人で強肩を活かして捕手に転向。4年目には都市対抗でアーチを放つなど、強打の捕手として注目を集めます。
しかしプロでは一軍のカベが厚く、4年間で1安打に終わり現役を引退。古巣の王子に復帰しています。

宇佐見真吾は高校では船越とともにプレー。正捕手としてチームをけん引するも甲子園には縁がありませんでした。
大学では1年秋に正捕手に定着すると、強肩強打を武器に2度のベストナインを獲得。
4年時には大学日本代表に選ばれるまでに成長を果たしています。
巨人では2年目に4ホーマーと打てる捕手として脚光を浴び、
日本ハムに移籍後は積極的に起用されて正捕手に手を伸ばしかけています。

この年の夏、甲子園初出場を果たした専大松戸からは投打の柱2名が指名されています。
5位ではエースの原嵩。恵まれた体格から投げ込まれるMAX148キロの速球に加えて、
打撃センスの高さや俊足も持ち味で、最後の夏の千葉大会は2本のランニングホームランを放つなど、
攻守の中心として活躍し、甲子園出場の原動力となりました。
プロ5年でいまだ一軍登板はありません(2020年10月現在)。そろそろ結果を残したいところですが…。

6位では遊撃手の渡邉大樹。50メートル5秒9の俊足に加えて、
高校通算17本塁打と打力も持ち合わせる大型遊撃手として県大会で打ちまくり、甲子園出場に貢献しました。
プロでは4年目の19年に初アーチをマークしたほか、
20年は代走、守備固めメインながら出場機会を増やすなど、順調に成長しています。

育成ドラフトでは3名が指名されています。
網谷圭将は甲子園には出れませんでしたが、高校通算33本塁打をマークしたスラッガーで
3年春の県大会では140メートルの超特大アーチを放ち、注目を集めました。
プロでは3年間在籍も支配下登録を果たせず退団。のちに社会人のヤマハに入社しています。

大木貴将は高校では1番・セカンドと切り込み隊長として3年夏の県大会では準優勝の立役者に。決勝でも3安打を放っています。
卒業後は大学中退、独立リーグと流浪の野球人生。香川では3年目に首位打者と盗塁王の二冠王の活躍を評価され、プロへ。
1年目に支配下登録され、2年目にはプロ初安打をマークするも19年限りで現役を退いています。

樋越優一は高校3年の夏の千葉大会で5割近い打率を残す活躍で、チームの8強進出に貢献しています。
大学ではMVP1回、ベストナイン2回とリーグを代表する打者として君臨しました。
プロでは三軍が主戦場となり、3年で現役引退。その後は球団職員としてチームをサポートしています。

次回は2016年・2017年にドラフト指名された選手を取り上げます。

千葉県高校出身者・ドラフト指名選手一覧(2009年~2013年)

2020-10-28 09:10:30 | 千葉県高校出身者ドラフト指名一覧
千葉県の高校出身プロ野球選手を振り返るシリーズの12回目は、2009年から2013年です。
豊作だった前の2年間とは一転、この5年間に関しては人数的にはやや物足りない感じですね。



緑色は現役の高校生、薄い緑は育成ドラフトの高校生選手です。

2009年は3名。
小川龍也は高校2年秋に投手に転向。最後の夏は千葉大会5回戦で敗れましたが、
長身のサウスポーでMAX143キロを計測していたこともあり、スカウトから注目される存在でした。
中日では長い下積みを経て、7年目の16年に一軍に定着して44試合に登板。
西武移籍後の19年には55試合に登板し19HPとセットアッパーの座をつかんでいます。

真下貴之は190センチ近い長身から投げ下ろす、140キロ台中盤の速球を武器に3年春はチームを県大会準優勝に導きました。
最後の夏は4回戦の八千代東戦で12回19奪三振の力投も報われず、敗れています。
この試合で勝ってたら、その後の人生も変わったのでは…と思わないでもありません。
AAAアジア選手権の代表にも選出されたものの、プロではわずか1勝に終わっています。

清田育宏は高校時代から投打に好センスの選手として知られ、エース兼中軸として最後の夏の千葉大会はベスト4に進出。
大学3年の秋に野手に転向し、4年春には3本塁打の活躍でベストナインに選出されています。
社会人でも都市対抗に出場。即戦力として期待されたプロではなかなか結果が残せなかったものの、
15年に打率.317、15本塁打でベストナインを獲得。ベテランとなった現在もプレーしています。

2010年は2名でした。
千葉県の高校生では3年ぶりの1位指名となった山下斐紹は、下級生ながら中心選手として09年のセンバツ出場に貢献。
二塁送球1.79秒、50メートル走5秒9、通算35本塁打と身体能力の高さから、この年の高校ナンバーワン捕手の称号を得ました。
プロでは一軍定着が遠く、楽天移籍後の18年に43試合に出場したのが最高と伸び悩んでいます。

もう一人は育成で指名された上野啓輔。高校時代は甲子園とは無縁で、
大学中退、渡米、マイナーリーグ、日本の独立リーグ…と流浪の野球人生を歩んでいます。
190センチ以上の長身に加え、MAX152キロの速球が持ち味でしたが、支配下登録は果たせませんでした。

2011年は3名。
上沢直之は3年春に関東大会ベスト8進出に貢献。最後の夏は千葉明徳・鈴木康平と日没引き分け再試合の壮絶な投手戦を展開しています。
甲子園には縁がなかったものの、MAX147キロの速球と切れ味抜群のスライダー、安定した制球で好投手と評価されていました。
ドラフト6位は低すぎでは、と思ったのを覚えています。それでもプロでは3年目に一軍に定着して先発ローテに加わり8勝をマーク。
18年には11勝を挙げるなど主力投手陣の一角に名を連ねています。

育成組では森和樹。最速147キロを計測する大型右腕として県内では注目される存在でした。
甲子園には手が届きませんでしたが、素質を評価されて育成で指名。しかし、支配下登録はならず3年で現役引退。

2012年は3名。
相内誠は長身ながらバランスのいいフォームから繰り出す速球が武器で、下級生時から県内では好投手として名前が挙がっていました。
最高成績は3年春の県大会ベスト8でしたが、スカウトからの評価は高く、西武から2位指名。
しかし、その年の暮れに不祥事が発覚したため契約に待ったがかかる事態に。
その後もたびたび問題を起こし、一軍では未だゼロ勝と寂しい結果となっています。

井納翔一は高校時代は全くの無名でしたが、大学で素質が開花。4年時には2季連続で防御率のタイトルを獲得し、秋は5勝をマークしています。
社会人でも4年目に台頭し、都市対抗で好投して結果を残し、27歳にしてプロ入りを果たしています。
遅咲きの野球人生でしたがプロでは1年目からローテに定着。ベテランとなった現在も主力投手としてチームを支え続けています。

杉山翔大は高校時代から強肩強打の捕手として、県下で注目を集める存在でした。
主力として2年春から3年夏までチームを5季連続8強以上に導き、関東No.1捕手と呼ばれるまでに。
名門・早大でも1年春からレギュラーに座り、最後の秋は東京六大学史上13人目の三冠王に輝きました。
プロでは4年目に104試合に出場し正捕手目前に迫ったものの、19年限りで引退。第2の小笠原(道大)になれる逸材だと思っていたのですが…。

2013年は高校生ゼロ。大学生がわずか1名指名されたのみでした。
その唯一のプロ入り選手となった高梨裕稔は、高校時代は無名で大学も関甲新リーグと華やかな表舞台とは無縁の存在。
それでも長身から投げ込む勢いのあるピッチングを武器に大学通算26勝をマークして、一躍ドラフト候補に躍り出ました。
プロでは2年目にファームで11勝をマークすると、翌年は一軍で先発に定着。二ケタ10勝を挙げて新人王を手にするシンデレラボーイに。
19年にヤクルトに移籍した後もローテに加わっています。

次回は2014年~2015年のドラフト指名選手を振り返ります。

千葉県高校出身者・ドラフト指名選手一覧(2007年~2008年)

2020-10-26 08:46:02 | 千葉県高校出身者ドラフト指名一覧
千葉県の高校出身プロ野球選手を振り返るシリーズの11回目は、2007年から2008年です。

本日夕方にドラフト会議が開催されます。
本当は今日くらいまでに昨年までの全指名選手を掲載したかったのですが、
諸事情で間に合いませんでした。

今年の指名選手を含めた全選手の調査を、11月中にできればと考えています。

さて1999年以降、プロから声のかかる千葉県高校出身選手が減少傾向にありましたが、
この両年に関しては大豊作となりました。



緑色は現役高校生で指名された選手。
2005年からは高校生と大学・社会人で別々に会議が行われ、逆指名も廃されました。
さらに育成ドラフトもスタートしています。

2007年の高校生ドラフトでは、実に5名の現役高校生が指名されました。
高木晃司らが指名された1986年と並び、歴代最多タイの人数となります。
ちなみにこの年は、史上初めて千葉県からセンバツに複数校(成田、千葉経大付)を代表に送り込んだ年でもあります。

また高校生と大学・社会人に分けて開催されたとはいえ、1位指名4名も最多です。

まず高校生ドラフト。実に5名が指名され、うち2名が1位指名でした。
唐川侑己は甲子園で3試合に登板、防御率0.90と安定した投球を披露。最速149キロをマークしており、
中田翔(大阪桐蔭)、佐藤由規(仙台育英)と“ビッグ3”とうたわれ、ドラフトでは2球団重複の末ロッテへ。
プロ入り4年目には12勝をマーク。その後も先発、リリーフ問わず登板機会を与えられています。

岩崎翔は外れ1位ながら2球団が重複し、ソフトバンクに入団。
長身から投げ下ろす速球が武器で、3年夏にはエースとして甲子園に乗り込み、初戦敗退も150キロをマーク。
千葉の高校生で、甲子園で150キロを出したのはおそらく彼だけです。
プロでは起用方法がなかなか定まりませんでしたが、17年には40ホールドをマークして
最優秀中継ぎのタイトルを獲得し、日本一に貢献しています。

丸佳浩は高校時代から強打者として知られ、高校通算49本塁打をマーク。
身体能力も高く50メートル6秒0の俊足のほか肩も強く、投手としてはMAX144キロを計測。
3年時にはエースとして甲子園のマウンドに上がっています。
広島では4年目に外野のレギュラーに定着すると、13年に盗塁王、17年に最多安打、18年に最高出塁率を獲得。
16年からの広島3連覇に貢献し、MVP2回、ベストナイン5回受賞。
現在は巨人の中軸に座るなど、球界トップクラスの強打者として君臨しています。

山崎正貴は高校時打は岩崎の控えでしたが、最速147キロの速球を評価され甲子園のマウンドにも上がりました。
ポテンシャルを評価されプロ入りを果たすも、一軍での登板は1試合に終わっています。

坂本大空也は甲子園とは縁がありませんでしたが、高校通算55本塁打をマークするなど
千葉県内では左の強打者として知られる存在。プロでは結果を残せず、一軍出場を果たせませんでした。

大学・社会人ドラフトでは3名が指名。
大場翔太は1位指名で6球団が重複と、数字通りこの年の新人の中でも最大の目玉でありました。
高校時代から好投手として知られたものの、最後の夏は準々決勝で金子圭輔(志学館)に投手戦の末1-2で敗れ、甲子園には届かず。
大学進学後は4年春にリーグ新記録の115奪三振をマーク。通算でも410奪三振、33勝を記録するなど東都リーグを代表する投手に成長。
即戦力としてプロ入りも、故障などの影響もあり4年目に7勝をマークしたのが最高成績と期待通りの成績は残せませんでした。

外れ1位で日本ハムに入団した多田野数人は大場の高校の5年先輩。
高校時代からプロも注目の好投手として知られチームを甲子園に導くと、立大では20勝を記録するなど六大学でも屈指の好投手に進化。
しかしスキャンダルに見舞われ渡米。インディアンスではメジャーに昇格して勝ち星をマークするなど流浪の野球人生の末にプロ入り。
日本ハムでは1年目に7勝をマークして即戦力の期待に応えました。現在はスカウトです。

村田和哉は身長160センチ台と小柄ながら、50メートル5秒7の俊足とシュアな打撃で、東都リーグでは打率3割をキープ。
プロでは主に代走や外野の守備固めとして起用されていました。
なお、この年は高校生とあわせて8名が指名されましたが、これもドラフト外合わせて10人がプロ入りした86年に次ぐ数字です。

2008年は高校生と大学・社会人ドラフトが一本化されました。育成を含めて5名がプロ入りを果たしています。
うち3名が千葉経大付出身。00年代の中盤は同校が千葉の高校球界をけん引していたことが分かります。

まず、1位で2球団が重複した松本啓二朗。高校時代は父・吉啓監督との“親子鷹”としても話題に。
エース兼4番の大黒柱として、3年夏には大会ナンバーワン投手のダルビッシュ有(東北)を撃破し、ベスト4進出の立役者に。
大学では1年からレギュラーに定着し、通算105安打をマーク。プロでは即戦力として期待されたものの定位置獲得には至りませんでした。
現在は社会人・かずさマジックでプレー。19年の都市対抗では優勝したJFE東日本に補強されています。

斎藤圭祐は現役組で、MAX145キロの速球を武器にエースとして、08年のセンバツではベスト4入りの原動力に。
プロでは故障の影響もあり、一軍のマウンドに立つことはできませんでした。

井上雄介は高校時代、5番センター兼松本の控え投手。甲子園では中心選手としてベスト4進出に貢献。
大学では投手に専念し、MAX148キロのストレートと変化球を武器に活躍。プロでは1勝に終わっています。

育成ドラフトでは2名が指名。
吉岡興志は100キロを超える巨漢の右腕で、150キロの重いストレートが武器でした。
大学、チームの先輩である久保田智之二世として期待されるも、支配下登録は果たせませんでした。

福元淳史は高校時打は林昌範(巨人)の同期。大学ではレギュラーとして活躍し、
NOMOベースボールクラブでは07年のクラブ選手権で首位打者と敢闘賞を受賞。
プロでは3年目に支配下登録され、ソフトバンク移籍後の13年には一軍で15試合に出場し、引退後はスカウトを務めています。

千葉県高校出身者・ドラフト指名選手一覧(2001年~2006年)

2020-10-06 08:33:59 | 千葉県高校出身者ドラフト指名一覧
千葉県の高校出身プロ野球選手を紹介するシリーズの10回目は、2001年から2006年です。



2001年は3名。
早川大輔は進学校・県立船橋出身。立大へは一般入試で入学し、本田技研では3年連続都市対抗に出場。
00年には新日鉄君津、01年には日本通運の補強としてベスト4に貢献。オリックスでは代走での起用がメインでしたが、
地元のロッテに移籍後にブレークしてレギュラーに定着。現在は古巣・オリックスのスカウトです。

山田憲は00年夏の甲子園で準優勝した東海大浦安で、2年ながら遊撃のレギュラーとして活躍。
しかし、プロでは3年間で一軍出場ゼロでした。

林昌範は高校では夏の県大会ベスト4が最高と甲子園とは無縁でしたが、速球派の大型サウスポーとして期待され、
巨人では2年目に一軍に定着しクローザー、セットアッパーを任されたほか、
日本ハム、DeNAでも貴重な左の中継ぎとして重宝されました。現在は船橋市にある実家の自動車学校に勤務しています。

2002年は高校生2名が指名。
浅間敬太は01年の秋に県大会準優勝。チームを関東大会へと導きました。
最後の夏はベスト8で敗れたものの速球派左腕として注目されプロ入り。
1年目にいきなり一軍デビューも、ケガに泣かされ活躍には至りませんでした。

長田昌浩は甲子園には手が届かなかったものの、高校通算30本塁打、打率4割5分に加え俊足の持ち主として
西岡剛(大阪桐蔭)、森岡良介(明徳義塾)ら、甲子園で活躍した選手と並び称される大型遊撃手としてプロ入り。
しかし巨人の選手層の厚さの前に、一軍ベンチへの定着を果たせませんでした。

2003年は5名。
川島亮は甲子園とは縁がありませんでしたが、大学で実力開花。日米大学野球の日本代表に選ばれ、
アマ屈指の好投手として自由獲得枠でヤクルトに入団を果たしています。
いきなり先発ローテに加わり10勝をマークして新人王を獲得するなど、即戦力の期待に応えましたが、
プロ3年目以降は故障に泣かされ尻すぼみとなったのは惜しまれます。現在はヤクルトのマネージャー。

押本健彦は高校時代は控えでしたが、日産に進むと急成長。03年の日本選手権で2勝をマークして日本一に貢献。
プロでは1年目に7勝を挙げたほか、ヤクルト移籍後はセットアッパーに定着し、
通算111ホールドをマークしています。現在は日本ハムのチームスタッフ。

岩舘学は高校時代から強打の遊撃手として知られ、3年春には主砲として関東大会進出の原動力に。
大学でもすぐにレギュラーに座り日本代表に3度選出されましたが、
プロでは攻守ともにそつがないものの決め手に欠け、一軍定着は果たせず。現在は日本ハムのスカウトです。

金子圭輔は高3の夏の県大会ではエースとして、速球を武器にチームを準優勝に導きました。
プロでは本職の遊撃手で勝負。内野ならどこでも守れる器用さで実働13年間、主に内野の守備固めを任されました。
現在はソフトバンクの広報を務めています。

栗田雄介は高校、大学、社会人と全国大会とは無縁。社会人チームの休部に伴い近鉄のテストを受け入団。
MAX143キロのストレートが武器でしたが、一軍登板は1試合のみ。現在はマリーンズアカデミーのコーチです。
この年プロ入りした5名は、2020年現在で全員、球界に残っていることになります。

2004年は2名。
手嶌智は高校時代から好投手として知られ、2年秋はエースとしてチームを関東大会に導きました。
社会人ではハーレム国際大会の日本代表に選出されており、プロでも即戦力として期待されましたが、
一軍での登板は1試合に終わりました。現在はロッテの広報兼打撃投手として、裏側からチームを支えています。

中村一生は高校時代、夏の甲子園で8安打を放ち準優勝に貢献。大学では通算7本塁打をマーク。
高い身体能力を誇る大型外野手として、中日、オリックスでは主に守備固めを任されました。

2005年、06年はドラフト指名ゼロに終わっています。ドラフト制度開始以降、
2年続けて千葉県の高校出身者が指名されなかったのは初めてと、寂しい結果となりました。

次回は2007年~08年をご紹介します。

千葉県高校出身者・ドラフト指名選手一覧(1997~2000年)

2020-09-18 09:04:31 | 千葉県高校出身者ドラフト指名一覧
千葉県の高校出身プロ野球選手を紹介するシリーズの9回目は、1997年~2000年です。
90年代末から、指名選手がやや減少傾向に入ります。



【1997年】6名が指名されますが、そのうち2名が逆指名と即戦力の期待を受けての入団でした。
安藤正則は高校時代、145キロをマークして3年夏には千葉大会ベスト8進出の原動力に。
野球は高校までの予定で、大学へは一般入試で進んだものの結局野球部入り。150キロ近くまで球速を伸ばしましたが、
投球フォームに問題があり制球が定まらず、プロでは一軍登板ゼロに終わりました。

寺村友和は甲子園とは縁がなく、社会人でも入来祐作(巨人)の陰に隠れていましたが、
素材の良さを評価され地元・千葉のロッテへ。プロではヤクルト移籍後の01年に2勝をマークしたのみに終わっています。

五十嵐亮太は最後の夏は5回戦で県船橋に敗れましたが、地元・千葉では大いに注目された速球派右腕。
プロでは3年目には11勝をマークし、04年には最多セーブを獲得。158キロの直球が武器で石井弘寿(東京学館卒)と“ロケットボーイズ”と称されました。
その後はメジャーやソフトバンクでも活躍。現在もヤクルトで現役を続けています。

木村茂は千葉リーグでは通算22勝をマークし、日米大学野球の代表(千葉で試合があるため特別選出だったと思います)にも選ばれました。
140キロ台中盤の速球が武器でしたが、プロではゼロ勝と活躍できず。

鳥谷部健一は甲子園とは無縁も、高校時代は190センチの長身から投げ下ろすMAX145キロのストレートを武器に、県下屈指の好投手として知られた存在。
メジャーの球団からも注目された逸材でしたが、プロでは03年に挙げた2勝が最高成績でした。

古城茂幸は高校時代は3年夏のベスト4が最高。東都二部リーグでは盗塁王4度、通算35盗塁を記録し俊足を評価されて指名されました。
プロでは左の代打、内野の守備固めとスーパーサブとして重宝され、37歳まで現役生活をまっとうしています。

【1998年】5名が指名されています。
相川良太は高校では1年から三塁のレギュラーに定着。大学では首都でベストナイン3回、首位打者1回とリーグを代表する内野手として活躍。
プロでは主に外野を任され、レギュラーにはあと一歩だったものの06年には11本塁打を放つなどパンチ力のあるところを見せました。

立石尚行は市船橋の甲子園初出場時の主戦投手。NTT関東でもエースとして長年にわたりチームを支え、都市対抗には6度(うち補強3度)出場。
98年の日本選手権では決勝で7失点も、粘りの投球で完投勝利を果たしチームを日本一に導きました。
チームの統合・廃部により29歳と遅いプロ入りを果たしましたが、00年には9勝をマーク。37歳まで現役を続けています。

小笠原孝は高校2年の夏に左腕エースとしてベスト4進出の原動力に。明大では3年春の東大戦で18奪三振をマーク、リーグ通算17勝。
プロでは先発として起用されるケースが多く、08年には8勝、09年には7勝を挙げてチームに貢献しています。

安原政俊は3年夏の東千葉大会準決勝で延長12回完投も成田に惜敗し、甲子園に届かず。
スリークォーターから繰り出される速球とスライダーが武器で、中央学院高初のプロ選手として期待されるも、一軍登板1試合に終わっています。

松比良平太は最後の夏は4番を任され、西千葉大会ベスト8。遠投110メートルの強肩を武器に飛び込んだプロでは4年間在籍も、
一軍出場は果たせませんでした。現在は楽天のフロントの一員としてチームを支えています。

【1999年】下位で2名が指名されたのみでした。
藤崎大輔は高校通算25本塁打、うち3年時だけで13本塁打をマーク。140メートルを超える飛距離を誇るスラッガーも、
一軍出場は果たせず。のちに地元・千葉の明聖高で監督を務めています。

窪田淳は高校時打は長谷川昌幸(広島)の控え。大学4年春にいきなり4勝をマークして、スカウトの注目を集める存在となりました。
プロではオリックス移籍後の03年に1勝をマークしたのが最高成績。

続く【2000年】は、残念ながら千葉県の高校出身者でドラフトに指名された選手はゼロ。
1965年のドラフト制度開始以来では初めてとなる、寂しいケースとなりました。

次回は2001~2006年を予定しています。