≪2019/3/8≫
「いいコーチほど選手の記憶に残らない」
と、あの名コーチは言った…
ロッテ投手コーチの吉井理人は、現役時代、今はなき近鉄で野球人生をスタートさせた。1983年、和歌山・箕島高のエースとして夏の甲子園で活躍した後、同年のドラフト2位で入団。プロ2年目には一軍初登板を果たし、4年目に初勝利を挙げるのだが、当時、若かりし頃、「コーチは選手のためになっていない。プレーの邪魔になっている」と感じていた。吉井がその時の思いを語る。
「僕は今でこそ、モチベーション高くコーチをしてますけど、初めは、『最低な職業やな』と思いながらコーチになったんです(笑)。なぜかというと、自分が選手だった時のコーチの存在がすごく嫌だったから。現役を終わって、野球に携わる仕事がほかになかったこともあって、とりあえずやってみよう、という感じで引き受けたんですね。だから、その時のモチベーションはめっちゃ低かったですし、初めはもう、どちらかといえば仕方なしにやってたんです」
2007年シーズン限りで現役を引退した吉井は、その年のオフ、日本ハムの投手コーチに就任した。初めに球団から要請があったのではなく、エージェントが各球団に売り込んだ結果、日本ハム球団から連絡が入った。まして、吉井本人の意向でエージェントが動いたわけではなかったから、「とりあえず」という感覚になるのも仕方なかっただろう。
その当時、早速、秋季キャンプからチームに合流し、コーチとして初仕事を終えたばかりの吉井に、話を聞く機会があった。コーチの存在が嫌だった理由は、その時点で語られていた。
「このままでは、自分が選手の時に『へぼコーチ』と思っていた人のようになってしまう可能性があります。”へぼ”って言い方は悪いですけど、要は、経験でものを言う人。『オレはこうやったからお前もこうやれ。絶対こっちのほうがいいから』とは言うものの、なんでやらないといけないのか、納得のいく説明をしてくれない。それも頭ごなしに言われるから腹が立つんです」
一方で、「名コーチ」といわれる指導者に巡り合ったことも明かされ、「あくまでも選手がベストパフォーマンスをするために助けてあげる、そんな人間関係を保てるコーチを目指したい」と語られていた。
それから10年、コーチ経験を積んだ今、あらためて振り返って、その教えが参考になっている指導者は、近鉄時代の投手コーチだった権藤博、ヤクルト時代の監督だった野村克也だという。とくに権藤は1988年から2年間在任。吉井が抑えとして活躍し始めた時期と重なっている。
「権藤さんは結構、お手本にしているところがあります。迷ったときに聞いたり、権藤さんの本が何冊かあるので読ましてもらったりしてますね。ただ、選手の時に直接言われたことって、とくにないんです。もう『向かっていけ!』しか言われてなかったんで(笑)。技術的なことは一切、言われなかった。『どんどんいけ。向かっていけ。あとはオレが責任取るから』って。本当に、それだけだったんです」
にわかには信じがたい話だが、抑えを務めるレベルの投手には、細かい技術指導の言葉は必要なかった、ということなのか。とはいえ、吉井は87年まで計17試合登板にすぎず、翌88年になって、一気に50試合登板を果たした投手だ。年齢的にもまだ23歳と若く、完全な主力とは言えない。ならば指摘されることも少なくなさそうだが、あるいは、起用法で気づかせるなど、”無言の教え”があったのだろうか。
「起用法は野村さんですよね。ヤクルトでは先発ピッチャーだったので、交替の時期などによって『すごく信頼されてるな』と感じていました。もうこの回で交代か、と思っていたら続投だったり。本当に信頼されていたかどうかはわからないですけど、モチベーションはすごく高まりましたね。その点、権藤さんはコーチでしたから、起用法は最終的に監督が決めることですし、提案もどこまでできていたか……。だから『向かっていけ』と。『マウンドではいつでもバッターに挑戦的な態度でいろ。その代わり、逃げる時はもうサーッと逃げろ』と。つまり、中途半端なことは言わなかったですね」
とすると、現在の吉井が選手たちをサポートしているなか、その場で出てくる言葉は何なのか。言い換えれば、吉井が選手に対して「向かっていけ」だけで終わっているはずがない。
ここで想起されるのが、吉井がとくに大事にする振り返りという作業だ。選手が試合での投球を振り返り、疑問、問題が出たときにコーチは答えを言わず、ヒントを与える程度にして、選手自身で解決する力を身につけてもらう。理想は「選手から話が始まり、選手同士だけで話が進んでいくこと」で、そこにコーチはいない。
権藤と吉井の関係性は、その理想の状態に近かったのではないか。実は吉井が気づかないうちに権藤が巧みにサポートし、技術を向上させていた。が、吉井自身は「自分で成長できた」と思っている。ゆえに言葉としては「向かっていけ」しか覚えていない。「名コーチ」とは、選手の記憶に残りづらいコーチなのか。
「それはそうだと思いますよ。大学院のとき、コーチングの授業の中に<いいコーチに育てられた選手はいいコーチになる>というような回があったんですけども、僕はそうじゃないと思ったんですよ。やっぱり、選手は自分のことしか考えてなくて、いいコーチングされたことなんか覚えてないし、いいコーチはそれを気づかせちゃダメだ、というふうに思ってたので……。だから、その授業ではすごい議論になって面白かったんですけども」
今はロッテ投手陣に専心の吉井だが、現役時代は自分のことしか考えていなかった。権藤に限らず、ほかの指導者からも、そうとは気づかずに成長させられていた可能性はあるだろうか。
「あるかもしれないです。でも、本当のところはわからないです。自分で気づいてやっているように感じているけれども、実は気づかされていることがあると思うので。僕はまさにそこがポイントだと思うんですよ。『自分でやったんだ』っていう感じ、難しい言葉で自己効力感っていうんですかね。『自分はできるぞ』というような、そんな感じを選手が持てれば、モチベーションが上がったり、自信がついたりしていくので。自分でできた、自分でやった、という感覚に持っていくのが、コーチのいちばんの役目だと思っています」
逆説的だが、いいコーチほど、選手から見てその存在は消える――。実際にはいるのに、いない。そんなことがひとつ言えそうだ。
「そうであってほしいですよね。だから僕自身、あんまり『名コーチ』って言われるのは嫌です。まずは今、チームのためにやっていることを極めたいな、と思っているだけで、自分もまだ駆け出しですから」
つづく
(=敬称略)
高橋安幸●文
(Sportiva)
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≪2019/3/9≫
ロッテ・加藤翔平 “攻撃的二番”の座を狙う背番号10/レギュラー争いダークホース
加藤翔平が背水の7年目に燃えている。2月16日、楽天との練習試合(金武)に「二番・左翼」でスタメン出場すると、初回の一死二塁で右中間二塁打、3回無死では右越えソロと楽天・藤平から2本の長打をマーク。前日15日の韓国・斗山戦(具志川)から4打席連続での長打と好調の波を持続させた。
「左打席は福浦さん(福浦和也、選手兼二軍撃コーチ)の打ち方を意識するようにしました。キャンプで最初は二軍だったのでフリー打撃で投げてもらったり、いい感じになってきていると思いますよ」
一番、変わったのは打撃フォームだ。弓を引くように構え、大きく上げた足を素早く下ろす。ボールをつかまえられる体勢を早めに整えることで、速球への対応力が上がった。
井口資仁監督は今季「攻撃的二番」を理想に掲げている。初回に「無死一塁」ができた場合、バントではなく、左打者が引っ張って「無死一、三塁」を作る狙いを持っているのだ。加藤は2月9日の台湾ラミゴ戦(石垣市)を皮切りに、多くの試合で「二番」を任せられている。
外野の定位置争いは荻野貴司、角中勝也の2人が一歩抜け出しており、昨季、定着し始めた平沢大河や2年目の菅野剛士、ドラフト1位・藤原恭大といったライバルがひしめいている。誰もが認める身体能力がありながら、精神面のもろさを指摘され続けた背番号10が、与えられたチャンスをつかもうと死に物狂いで食らいついている。
(週刊ベースボール)
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≪2019/3/11≫
ロッテの新人・藤原が西武・山川に謝った“頭脳プレー事件”の真相
守備の巧さゆえに起きたある“事件”
オープン戦初戦から2戦連続ヒットを放ち、ロッテの高卒新人としては54年ぶりの活躍を見せている藤原恭大外野手(18)。その打撃は評論家たちも「直すべきところが見当たらない」と絶賛する。
「当てに行くのではなく、結果を恐れずにフルスイングしている。それができる精神力、身体の強さ、そしてセンスがある」(スポーツ紙デスク)
しかも非の打ち所のないイケメンだから、営業的な意味でも球団の期待度は高い。
「年始に千葉県内に配る宣伝ポスターにはチームの顔が起用されるのですが、今年は藤原で、新人の起用は初。ロッテは『今年は藤原で勝負』と目論んでいます」(同前)
チーム内では同じ大阪出身で1歳年上の安田尚憲内野手に可愛がられている。安田によると藤原は“天然系”。
「学生時代はテレビを見ず、野球中継も見ていないので、当然知っているはずの現役選手の名前を出しても分からず、変な感じのやりとりになったりする(笑)」(ベテラン記者)
選手としては走攻守の三拍子が揃い、負けず嫌いな性格だ。「脚にも自信がある」と強気で、好走塁を見せると「アウトでもいい。1本、見せとこうと思った」と記者が書きたくなるコメントをする。
守備の巧さゆえに起きたある“事件”とは?
守備の巧さも目立つが、そのため、ある“事件”が起きた。2月23日の西武との練習試合。3回、センターの藤原は右中間に飛んだヒットを捕ると、一塁走者の山川穂高が二塁を回ったのを見て、三塁で“レーザー補殺”したのだ。
試合後、藤原が「あえてゆっくりチャージした。走ってくれないかなと思った」と語ると、スポーツ紙各紙は“頭脳プレー”と大きく報じる。ところがその後、コーチから相手に失礼だと怒られ、山川に謝りに行かされたという。
「以来、取材に慎重になり、『話したら書かれますよね』とか『それ書くんでしょ?』と警戒するようになった。藤原は山川をハメたと自慢した訳じゃなく、守備もアピールできたというニュアンスで話していたんですけどね。守備でも注目されるなんてイチロー並みで、大きく育つ可能性があるのに、現場が水を差してどうするの? と思いますよ。以前のように気軽に話してほしいです」(前出・記者)
コメント力もある藤原は記者たちの“お口の恋人”。もっと滑らかにお願いしたい。
(文春オンライン)
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≪2019/3/11≫
前年比380%! ロッテ・藤原恭大フィーバーでグッズばか売れの舞台裏
これほどデビュー前からグッズが出た新人は記憶にない。大阪桐蔭高校から千葉ロッテマリーンズにドラフト1位で入団をした藤原恭大外野手である。契約が完了したばかりの昨年12月には「WELCOME!! 藤原恭大選手Tシャツ」販売価格3000円(税込)、「WELCOME!! 藤原恭大選手キーホルダー」販売価格600円(税込)、「WELCOME!! 藤原恭大選手フェイスタオル」販売価格1300円(税込)の3種類を発売。いずれも販売期間1週間でTシャツが1010枚、キーホルダーが1427個、フェイスタオルが1924枚の売り上げを記録した。
藤原人気がもたらした好影響
短期間での申し込み殺到にグッズ担当責任者は「予想をはるかに超える注文をいただき藤原選手の人気と期待の高さに驚きました。どの商品も想定の2倍近い売り上げです。人気のフェイスタオルでも年間で1000枚の売り上げというのが通常ですので、わずか7日の短期間でその倍近くを売り上げたことは凄い事だと思います」と驚きを隠しきれなかった。
年明けにも畳みかけるようにTシャツなどの7アイテムを展開。藤原人気が千葉ロッテマリーンズの商品事業全体に好影響をもたらした。2019年の1月1日から2月28日までのグッズ売上総額は前年の同時期比380%、石垣島春季キャンプでの現地グッズ売り上げも対前年比160%を記録したのだ。
「藤原人気が商品事業全体に好影響をもたらしたのは間違いのない事実。ドラフトでの指名直後より、大変多くの高校野球ファン(特に大阪桐蔭ファン)からの期待値を感じたため、グッズに対するニーズも大きいと判断し商品化を推進してまいりました」(グッズ担当責任者)
千葉ロッテマリーンズではここ数年、EC事業(インターネット販売)に注力しており、特にシーズンオフのEC販売に力を入れている。シーズン中はファンが球場に足を運び、グッズショップにも寄り買い物をするという流れが作り上げられるが、シーズンオフにわざわざ球場のグッズショップに足を運ぶファンは多くはなく、インターネットでの商品展開がメインとなるからだ。これまで物販営業の収入がほぼ試合日に限定された中、EC展開を活発に行うようになり、つねに顧客と接点をもち、収益を得られる構造を作り上げた事になる。その中で甲子園春夏連覇をした大阪桐蔭高校のスター選手として日本中の注目を集めながら入団した藤原選手は大きな貢献をした。
ちなみに千葉ロッテマリーンズのネットでのグッズ売り上げはグッズ全体の売り上げの25%を占めるまでとなり、2018年の前年比でのネットでのグッズ売り上げは170%にアップ。ECサイトは17年に刷新しバナーの表示数を増やし、画面のデザインの向上を図った効果もあり、サイトへのアクセス数は刷新前の1.5倍となり、2018年には「カラーミーショップ大賞・優秀賞」を受賞した。EC会員数は10万人を越えており、この3年間で4万人増加したことになる。
地元自治体も注目 異例のWポスター起用
もちろん人気だけではなく実力も兼ね備えているのが藤原だ。抜群の野球センスに身体能力。まだ高校を卒業したばかりのルーキーとは思えない適応能力で一軍の環境の中、存在感を出している。チームを指揮する井口資仁監督も「実戦型の選手という印象。実戦の中で成長をしていっている。目を見張るものがある」と称賛。さらにファン、メディアの注目を一身に浴びながらも、注目をされればされるほど結果を出す姿に「そういう星の下に生まれた選手」と目を細める。
千葉のスーパースター誕生の予感に地元自治体も黙ってはいない。千葉海上保安部がポスターに起用すると、千葉市消防局もポスター起用を決定。新人では異例のWポスター起用となった。グッズも3月9日には大阪桐蔭高校のチームメート・根尾昂内野手とのコラボグッズ(缶バッジ、フラッグ、キーホルダー、Tシャツ、タオル)が大量販売された。
マリーンズの新たな希望・藤原恭大。そのプロ1年目は新人合同自主トレ、キャンプ、そしてオープン戦の途中。ここからいよいよ本当の第一歩を踏む。1年目でどのような軌跡を歩むのか。そしてその活躍と共にグッズはどれほど展開され、売れていくのか。注目されることをエネルギーに変える若者だけに注目をして見ていただきたい。
梶原紀章(千葉ロッテマリーンズ)
(文春オンライン)
「いいコーチほど選手の記憶に残らない」
と、あの名コーチは言った…
ロッテ投手コーチの吉井理人は、現役時代、今はなき近鉄で野球人生をスタートさせた。1983年、和歌山・箕島高のエースとして夏の甲子園で活躍した後、同年のドラフト2位で入団。プロ2年目には一軍初登板を果たし、4年目に初勝利を挙げるのだが、当時、若かりし頃、「コーチは選手のためになっていない。プレーの邪魔になっている」と感じていた。吉井がその時の思いを語る。
「僕は今でこそ、モチベーション高くコーチをしてますけど、初めは、『最低な職業やな』と思いながらコーチになったんです(笑)。なぜかというと、自分が選手だった時のコーチの存在がすごく嫌だったから。現役を終わって、野球に携わる仕事がほかになかったこともあって、とりあえずやってみよう、という感じで引き受けたんですね。だから、その時のモチベーションはめっちゃ低かったですし、初めはもう、どちらかといえば仕方なしにやってたんです」
2007年シーズン限りで現役を引退した吉井は、その年のオフ、日本ハムの投手コーチに就任した。初めに球団から要請があったのではなく、エージェントが各球団に売り込んだ結果、日本ハム球団から連絡が入った。まして、吉井本人の意向でエージェントが動いたわけではなかったから、「とりあえず」という感覚になるのも仕方なかっただろう。
その当時、早速、秋季キャンプからチームに合流し、コーチとして初仕事を終えたばかりの吉井に、話を聞く機会があった。コーチの存在が嫌だった理由は、その時点で語られていた。
「このままでは、自分が選手の時に『へぼコーチ』と思っていた人のようになってしまう可能性があります。”へぼ”って言い方は悪いですけど、要は、経験でものを言う人。『オレはこうやったからお前もこうやれ。絶対こっちのほうがいいから』とは言うものの、なんでやらないといけないのか、納得のいく説明をしてくれない。それも頭ごなしに言われるから腹が立つんです」
一方で、「名コーチ」といわれる指導者に巡り合ったことも明かされ、「あくまでも選手がベストパフォーマンスをするために助けてあげる、そんな人間関係を保てるコーチを目指したい」と語られていた。
それから10年、コーチ経験を積んだ今、あらためて振り返って、その教えが参考になっている指導者は、近鉄時代の投手コーチだった権藤博、ヤクルト時代の監督だった野村克也だという。とくに権藤は1988年から2年間在任。吉井が抑えとして活躍し始めた時期と重なっている。
「権藤さんは結構、お手本にしているところがあります。迷ったときに聞いたり、権藤さんの本が何冊かあるので読ましてもらったりしてますね。ただ、選手の時に直接言われたことって、とくにないんです。もう『向かっていけ!』しか言われてなかったんで(笑)。技術的なことは一切、言われなかった。『どんどんいけ。向かっていけ。あとはオレが責任取るから』って。本当に、それだけだったんです」
にわかには信じがたい話だが、抑えを務めるレベルの投手には、細かい技術指導の言葉は必要なかった、ということなのか。とはいえ、吉井は87年まで計17試合登板にすぎず、翌88年になって、一気に50試合登板を果たした投手だ。年齢的にもまだ23歳と若く、完全な主力とは言えない。ならば指摘されることも少なくなさそうだが、あるいは、起用法で気づかせるなど、”無言の教え”があったのだろうか。
「起用法は野村さんですよね。ヤクルトでは先発ピッチャーだったので、交替の時期などによって『すごく信頼されてるな』と感じていました。もうこの回で交代か、と思っていたら続投だったり。本当に信頼されていたかどうかはわからないですけど、モチベーションはすごく高まりましたね。その点、権藤さんはコーチでしたから、起用法は最終的に監督が決めることですし、提案もどこまでできていたか……。だから『向かっていけ』と。『マウンドではいつでもバッターに挑戦的な態度でいろ。その代わり、逃げる時はもうサーッと逃げろ』と。つまり、中途半端なことは言わなかったですね」
とすると、現在の吉井が選手たちをサポートしているなか、その場で出てくる言葉は何なのか。言い換えれば、吉井が選手に対して「向かっていけ」だけで終わっているはずがない。
ここで想起されるのが、吉井がとくに大事にする振り返りという作業だ。選手が試合での投球を振り返り、疑問、問題が出たときにコーチは答えを言わず、ヒントを与える程度にして、選手自身で解決する力を身につけてもらう。理想は「選手から話が始まり、選手同士だけで話が進んでいくこと」で、そこにコーチはいない。
権藤と吉井の関係性は、その理想の状態に近かったのではないか。実は吉井が気づかないうちに権藤が巧みにサポートし、技術を向上させていた。が、吉井自身は「自分で成長できた」と思っている。ゆえに言葉としては「向かっていけ」しか覚えていない。「名コーチ」とは、選手の記憶に残りづらいコーチなのか。
「それはそうだと思いますよ。大学院のとき、コーチングの授業の中に<いいコーチに育てられた選手はいいコーチになる>というような回があったんですけども、僕はそうじゃないと思ったんですよ。やっぱり、選手は自分のことしか考えてなくて、いいコーチングされたことなんか覚えてないし、いいコーチはそれを気づかせちゃダメだ、というふうに思ってたので……。だから、その授業ではすごい議論になって面白かったんですけども」
今はロッテ投手陣に専心の吉井だが、現役時代は自分のことしか考えていなかった。権藤に限らず、ほかの指導者からも、そうとは気づかずに成長させられていた可能性はあるだろうか。
「あるかもしれないです。でも、本当のところはわからないです。自分で気づいてやっているように感じているけれども、実は気づかされていることがあると思うので。僕はまさにそこがポイントだと思うんですよ。『自分でやったんだ』っていう感じ、難しい言葉で自己効力感っていうんですかね。『自分はできるぞ』というような、そんな感じを選手が持てれば、モチベーションが上がったり、自信がついたりしていくので。自分でできた、自分でやった、という感覚に持っていくのが、コーチのいちばんの役目だと思っています」
逆説的だが、いいコーチほど、選手から見てその存在は消える――。実際にはいるのに、いない。そんなことがひとつ言えそうだ。
「そうであってほしいですよね。だから僕自身、あんまり『名コーチ』って言われるのは嫌です。まずは今、チームのためにやっていることを極めたいな、と思っているだけで、自分もまだ駆け出しですから」
つづく
(=敬称略)
高橋安幸●文
(Sportiva)
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≪2019/3/9≫
ロッテ・加藤翔平 “攻撃的二番”の座を狙う背番号10/レギュラー争いダークホース
加藤翔平が背水の7年目に燃えている。2月16日、楽天との練習試合(金武)に「二番・左翼」でスタメン出場すると、初回の一死二塁で右中間二塁打、3回無死では右越えソロと楽天・藤平から2本の長打をマーク。前日15日の韓国・斗山戦(具志川)から4打席連続での長打と好調の波を持続させた。
「左打席は福浦さん(福浦和也、選手兼二軍撃コーチ)の打ち方を意識するようにしました。キャンプで最初は二軍だったのでフリー打撃で投げてもらったり、いい感じになってきていると思いますよ」
一番、変わったのは打撃フォームだ。弓を引くように構え、大きく上げた足を素早く下ろす。ボールをつかまえられる体勢を早めに整えることで、速球への対応力が上がった。
井口資仁監督は今季「攻撃的二番」を理想に掲げている。初回に「無死一塁」ができた場合、バントではなく、左打者が引っ張って「無死一、三塁」を作る狙いを持っているのだ。加藤は2月9日の台湾ラミゴ戦(石垣市)を皮切りに、多くの試合で「二番」を任せられている。
外野の定位置争いは荻野貴司、角中勝也の2人が一歩抜け出しており、昨季、定着し始めた平沢大河や2年目の菅野剛士、ドラフト1位・藤原恭大といったライバルがひしめいている。誰もが認める身体能力がありながら、精神面のもろさを指摘され続けた背番号10が、与えられたチャンスをつかもうと死に物狂いで食らいついている。
(週刊ベースボール)
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≪2019/3/11≫
ロッテの新人・藤原が西武・山川に謝った“頭脳プレー事件”の真相
守備の巧さゆえに起きたある“事件”
オープン戦初戦から2戦連続ヒットを放ち、ロッテの高卒新人としては54年ぶりの活躍を見せている藤原恭大外野手(18)。その打撃は評論家たちも「直すべきところが見当たらない」と絶賛する。
「当てに行くのではなく、結果を恐れずにフルスイングしている。それができる精神力、身体の強さ、そしてセンスがある」(スポーツ紙デスク)
しかも非の打ち所のないイケメンだから、営業的な意味でも球団の期待度は高い。
「年始に千葉県内に配る宣伝ポスターにはチームの顔が起用されるのですが、今年は藤原で、新人の起用は初。ロッテは『今年は藤原で勝負』と目論んでいます」(同前)
チーム内では同じ大阪出身で1歳年上の安田尚憲内野手に可愛がられている。安田によると藤原は“天然系”。
「学生時代はテレビを見ず、野球中継も見ていないので、当然知っているはずの現役選手の名前を出しても分からず、変な感じのやりとりになったりする(笑)」(ベテラン記者)
選手としては走攻守の三拍子が揃い、負けず嫌いな性格だ。「脚にも自信がある」と強気で、好走塁を見せると「アウトでもいい。1本、見せとこうと思った」と記者が書きたくなるコメントをする。
守備の巧さゆえに起きたある“事件”とは?
守備の巧さも目立つが、そのため、ある“事件”が起きた。2月23日の西武との練習試合。3回、センターの藤原は右中間に飛んだヒットを捕ると、一塁走者の山川穂高が二塁を回ったのを見て、三塁で“レーザー補殺”したのだ。
試合後、藤原が「あえてゆっくりチャージした。走ってくれないかなと思った」と語ると、スポーツ紙各紙は“頭脳プレー”と大きく報じる。ところがその後、コーチから相手に失礼だと怒られ、山川に謝りに行かされたという。
「以来、取材に慎重になり、『話したら書かれますよね』とか『それ書くんでしょ?』と警戒するようになった。藤原は山川をハメたと自慢した訳じゃなく、守備もアピールできたというニュアンスで話していたんですけどね。守備でも注目されるなんてイチロー並みで、大きく育つ可能性があるのに、現場が水を差してどうするの? と思いますよ。以前のように気軽に話してほしいです」(前出・記者)
コメント力もある藤原は記者たちの“お口の恋人”。もっと滑らかにお願いしたい。
(文春オンライン)
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≪2019/3/11≫
前年比380%! ロッテ・藤原恭大フィーバーでグッズばか売れの舞台裏
これほどデビュー前からグッズが出た新人は記憶にない。大阪桐蔭高校から千葉ロッテマリーンズにドラフト1位で入団をした藤原恭大外野手である。契約が完了したばかりの昨年12月には「WELCOME!! 藤原恭大選手Tシャツ」販売価格3000円(税込)、「WELCOME!! 藤原恭大選手キーホルダー」販売価格600円(税込)、「WELCOME!! 藤原恭大選手フェイスタオル」販売価格1300円(税込)の3種類を発売。いずれも販売期間1週間でTシャツが1010枚、キーホルダーが1427個、フェイスタオルが1924枚の売り上げを記録した。
藤原人気がもたらした好影響
短期間での申し込み殺到にグッズ担当責任者は「予想をはるかに超える注文をいただき藤原選手の人気と期待の高さに驚きました。どの商品も想定の2倍近い売り上げです。人気のフェイスタオルでも年間で1000枚の売り上げというのが通常ですので、わずか7日の短期間でその倍近くを売り上げたことは凄い事だと思います」と驚きを隠しきれなかった。
年明けにも畳みかけるようにTシャツなどの7アイテムを展開。藤原人気が千葉ロッテマリーンズの商品事業全体に好影響をもたらした。2019年の1月1日から2月28日までのグッズ売上総額は前年の同時期比380%、石垣島春季キャンプでの現地グッズ売り上げも対前年比160%を記録したのだ。
「藤原人気が商品事業全体に好影響をもたらしたのは間違いのない事実。ドラフトでの指名直後より、大変多くの高校野球ファン(特に大阪桐蔭ファン)からの期待値を感じたため、グッズに対するニーズも大きいと判断し商品化を推進してまいりました」(グッズ担当責任者)
千葉ロッテマリーンズではここ数年、EC事業(インターネット販売)に注力しており、特にシーズンオフのEC販売に力を入れている。シーズン中はファンが球場に足を運び、グッズショップにも寄り買い物をするという流れが作り上げられるが、シーズンオフにわざわざ球場のグッズショップに足を運ぶファンは多くはなく、インターネットでの商品展開がメインとなるからだ。これまで物販営業の収入がほぼ試合日に限定された中、EC展開を活発に行うようになり、つねに顧客と接点をもち、収益を得られる構造を作り上げた事になる。その中で甲子園春夏連覇をした大阪桐蔭高校のスター選手として日本中の注目を集めながら入団した藤原選手は大きな貢献をした。
ちなみに千葉ロッテマリーンズのネットでのグッズ売り上げはグッズ全体の売り上げの25%を占めるまでとなり、2018年の前年比でのネットでのグッズ売り上げは170%にアップ。ECサイトは17年に刷新しバナーの表示数を増やし、画面のデザインの向上を図った効果もあり、サイトへのアクセス数は刷新前の1.5倍となり、2018年には「カラーミーショップ大賞・優秀賞」を受賞した。EC会員数は10万人を越えており、この3年間で4万人増加したことになる。
地元自治体も注目 異例のWポスター起用
もちろん人気だけではなく実力も兼ね備えているのが藤原だ。抜群の野球センスに身体能力。まだ高校を卒業したばかりのルーキーとは思えない適応能力で一軍の環境の中、存在感を出している。チームを指揮する井口資仁監督も「実戦型の選手という印象。実戦の中で成長をしていっている。目を見張るものがある」と称賛。さらにファン、メディアの注目を一身に浴びながらも、注目をされればされるほど結果を出す姿に「そういう星の下に生まれた選手」と目を細める。
千葉のスーパースター誕生の予感に地元自治体も黙ってはいない。千葉海上保安部がポスターに起用すると、千葉市消防局もポスター起用を決定。新人では異例のWポスター起用となった。グッズも3月9日には大阪桐蔭高校のチームメート・根尾昂内野手とのコラボグッズ(缶バッジ、フラッグ、キーホルダー、Tシャツ、タオル)が大量販売された。
マリーンズの新たな希望・藤原恭大。そのプロ1年目は新人合同自主トレ、キャンプ、そしてオープン戦の途中。ここからいよいよ本当の第一歩を踏む。1年目でどのような軌跡を歩むのか。そしてその活躍と共にグッズはどれほど展開され、売れていくのか。注目されることをエネルギーに変える若者だけに注目をして見ていただきたい。
梶原紀章(千葉ロッテマリーンズ)
(文春オンライン)
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