ちょこっとGUM

今、自分が出来ること。やれること。それを精一杯やっていかなくちゃ!!

コラム備忘録【12/30~12/31】

2020年12月31日 08時15分34秒 | マリーンズ2020
≪2020/12/30≫

ロッテ、マリンで6回終了時にリード展開の勝率が凄かった!?

6回終了時点でリードしていれば…

 13年ぶりに2位となったマリーンズ。本拠地・ZOZOマリンスタジアムでは、35勝22敗3分と大きく勝ち越し、先制点を奪った試合は19勝3敗1分、6回終了時点でリードしていれば24勝1敗、1試合に5得点以上挙げると27勝2敗、1試合に2本塁打以上放つと9勝1敗と、とにかくマリンでは無類の強さを誇った。

 まず先制点を奪った試合から振り返ると、今季ZOZOマリンで初勝利を挙げた6月23日のオリックス戦から10月7日のオリックス戦まで、先制した試合は18連勝。マリンで先制したら負けないという“不敗神話”が、シーズンの最終盤まで続いた。

 その強さを支えていたひとつが投手陣。ZOZOマリンで6回終了時点でリードしていれば、24勝1敗と圧倒的な強さを見せた。7月10日の西武戦、6回終了時点で6-4とリードしていたが8回に同点に追いつかれ、9回に勝ち越しを許し6-7で敗戦。この試合での敗戦を最後に、7月11日の西武戦以降、6回終了時点でリードしていた試合は20連勝でシーズンを終えた。CS進出を決めた11月8日の西武戦も、6-2の7回からハーマン、澤村拓一、益田直也の“勝利の方程式”で逃げ切った。

 “勝利の方程式”と呼ばれる唐川侑己、ハーマン、澤村、益田の4投手のZOZOマリンの今季成績を見て見ると、ハーマンは21試合に登板して2勝1敗、防御率3.43だったが、唐川が19登板、1勝8ホールド、防御率0.52、沢村が14登板、0勝2敗8ホールド、防御率1.35、益田が31登板、2勝1敗4ホールド、18セーブと安定した数字を残した。ちなみに、澤村と唐川がZOZOマリンで失点した登板はいずれも、同点の場面。つまり、7月11日以降6回終了時点でリードしていた20連勝の登板だけに限ると、唐川と澤村は1点も失っていないということになる。

 昨季は守護神・益田の前を投げる投手を固定することができず苦しい戦いとなったが、今年は打線が低調の中、勝ち切れたのも“勝利の方程式”を含めた投手陣がしっかりと機能していたことが大きい。

▼ ZOZOマリン成績
唐川侑己 19試 1勝0敗8H0S 17回1/3 振16 自責1 防0.52
ハーマン 21試 2勝1敗12H0S 21回 振20 自責8 防3.43
澤村拓一 14試 0勝2敗8H0S 13回1/3 振 自責2 防1.35
益田直也 31試 2勝1敗4H18S 31回 振36 自責5 防1.45

▼ ZOZOマリン6回終了時点20連勝で登板した試合成績
唐川侑己  9試 0勝0敗5H0S 8回 振8 自責0 防0.00
ハーマン  8試 0勝0敗6H0S 8回 振9 自責4 防4.50
澤村拓一 10試 0勝0敗7H0S 9回1/3 振15 自責0 防0.00
益田直也 16試 0勝0敗0H11S 16回 振17 自責2 防1.13

打線は!?

 投手陣が安定していることもあり、打線が援護できれば勝利に大きく近づき、1試合に5得点以上挙げた試合は27勝2敗。

 7月28日の楽天戦は壮絶な打ち合いとなった。8回表が終了時点で9-12とリードを許す展開も、3点を追う8回裏に井上晴哉がこの日3本目となる本塁打などで、3点を奪い同点に追いつくと、12-12の9回裏に中村奨吾の押し出し死球でサヨナラ勝ち。マリーンズはこの試合に勝利して以降、ZOZOマリンで1試合に5得点以上奪った試合で1度も負けがなく20連勝。

 和田康士朗がプロ初スタメンでプロ初安打を含む3安打3盗塁をマークした8月16日の日本ハム戦、二木康太が完封勝利した9月14日のオリックス戦、安田尚憲が同点の7回に劇的な勝ち越し3ランを放った10月3日の西武戦、美馬学が移籍後初完投勝利した10月4日の西武戦、CS進出を決めた11月8日の西武戦はいずれも、1試合に5得点以上挙げている。1試合5得点以上あげ、かつ6回終了時点でリードしていた試合の成績は、18勝1敗だった。

 また、ZOZOマリンで1試合に2本以上放った試合は9勝1敗だったが、その1敗が3-4で敗れた11月3日のソフトバンク戦。勝利した9試合はすべて5得点以上奪っている。

 ZOZOマリンで、6回終了時点でリードしていた試合、1試合5得点以上奪った試合の連勝記録は今季終了した時点で、継続されている。来季もZOZOマリンで勝利の瞬間を数多く味わいたいところだ。

文=岩下雄太

(ベースボールキング)

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≪2020/12/30≫

2020年ロッテで驚いたベスト5!藤原、朗希、和田、マーティン、そして一番は!?

 新型コロナで思うような取材ができなかった一年。2020年はロッテ担当としてキャンプ、シーズン、ポストシーズンと例年よりも少し離れたところから見た。個人的にはリーグ優勝、日本一に輝いた05年以来、記者として久々に古巣へ戻った。そこで驚いたことを、1位から5位まで順位づけして独断と偏見で挙げてみた。
 では、5位から!

 (5)藤原のパンチ力
 石垣島の春季キャンプで、松本尚樹球団本部長と一塁ベンチで、「こんなに、いい若手がいると思わなかっただろう」と雑談した。安田、藤原、和田、種市、岩下、小島――。15年前はまだ30代半ばながら、すでに西岡、今江らを発掘した敏腕スカウトだった本部長の言葉には自信がみなぎっていた。

 その中でも、自分が「一番凄い」と思ったのは、藤原のスイングだ。実は18年夏の甲子園決勝「大阪桐蔭―金足農」を現地で取材した。試合前の囲みでは、藤原の隣りを陣取って聞いた。そのときから端正な顔立ち、筋肉質なのに細身なシルエット、プロでも人気が出ると確信した。

 一方で、甲子園で藤原の弾丸ライナーを目の当たりにしたが、プロでは俊足を武器にするのかなと想像した。中距離打者だと思ったのだ。ところが、実際にキャンプでフリー打撃を見たら印象は違った。2月8日の台湾・楽天との練習試合で放った右翼席後方の防御ネットに突き刺した一発で、いずれは30本塁打を狙えると思った。

 (4)佐々木朗が160キロ
 こんなに簡単に出るのか。5月27日のシート打撃に登板。先頭の菅野に157キロを右中間席へ運ばれた。高卒ルーキーが157キロを投げただけでも衝撃的なのに、続く藤岡の初球は160キロを計測。3球目も160キロをマークし、3球三振に打ちとった。

 自分の中ではダルビッシュ、大谷、そして佐々木朗を担当したことは、ちょっとした自慢だ。偶然とはいえ、メディアの中で自分一人だけだからだ。当然、大谷がプロで初めて160キロを投げた試合も目撃したが、入団2年目の6月だった。

 細かなコントロールを気にせず投球できれば、早い段階で大谷の記録を更新しそうだなと感じた。だって、本塁打を浴びた直後に、少し力を入れただけで160キロが出てしまうのだから…。今年、一度も実戦登板できなかったことも逆の意味で驚いたが、潜在能力はまさに末恐ろしい。

 (3)和田のスライディング
 育成から支配下登録された異色のスピードスターは、個人的に実家が近い同郷であることから、特別な親近感を持っていた。そんな経緯もあり、キャンプ中から注目。練習から気になっていたのは、二塁へ滑り込む姿だ。スライディングがベースに近いと感じていた。左利きの和田は左足を伸ばし、右足を畳むのだが、ベースに突き刺さる衝撃が凄まじかった。

 ところが、7月に「和田の盗塁企画」を取材すると、「なるべく強く、ベースの近くでと考えています」と意図したスライディングだと知った。それからは、練習中に一塁からスタートを切ってスライディングせずに二塁を駆け抜けるシーンを見ても、不思議に思わなくなった。スピードを落とさないで滑るための準備なのだろう。ファンの方には、来年は和田のスライディングの強さにも注目してもらいたい。

 (2)マーティンの鬼肩
 今までの記者人生で、一番強肩の外野手は糸井だと思っている。一方で稲葉篤紀によるバックホームの精度も圧巻だった。ストライクが来るから、間一髪でアウトにできるのだ。マーティンは強肩なのに、コントロールも抜群だった。

 二塁に走者がいて右前打が飛べば、かなりの高確率で本塁タッチアウトになった。あの肩だけでもゴールデングラブ賞に匹敵するレベルだと思ったが…、結果は残念だった。ちなみに、球団関係者によると、マーティンがマウンドから投げれば150キロは出るという。そういえば、糸井もプロ入り当初は最速151キロ右腕だった。

 (1)安田の4番起用
 2020年の一番の驚きは、安田を4番で使い続けた井口監督の我慢強さだ。開幕直後、絶不調で安田がベンチを温め始めた頃には、2軍に落とすのではないかと、正直思った。才能ある若手だからこそ、試合で使わないならば1軍に置く意味がないからだ。

 それでも、7月7日に安田が今季1号を放ち、復調気配が漂うと、同21日から86試合連続で4番に置いた。開幕4番だったレアードが腰痛で離脱し、井口監督は「他にいなかった。それならば、安田を育てようと思った」と振り返るが、安田の調子が落ち、チーム成績も下降しても打順は変わらなかった。

 他の指揮官だったら、できなかったかもしれない。事実、安田の今季成績は打率・221、6本塁打である。それでも、結果的には未来の4番候補に貴重な経験をさせながら、2位を死守した。勝利と育成の両立――。言葉にするのは簡単だが、これって限りなく不可能に近いミッションでもある。CS進出が危うくなった時期には、ファンの間でも賛否があったのは知っている。だた、個人的にはチームの将来を考えれば、これだけでも価値のあるシーズンだったと思う。(記者コラム・横市 勇)

(スポニチ)

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≪2020/12/30≫

佐々木朗のデビューに注目、2軍で打率.344の韋駄天も…ロッテの21年ブレーク候補は?

佐々木朗の1年目は実戦登板なし、“雨男”古谷は奪三振率が大幅アップ

 2020年シーズン終盤までソフトバンクと優勝を争ったものの、惜しくも2位に終わったロッテ。リーグ最少の失策、与四球と堅実な野球で接戦を制してきた一方、個人成績で圧倒的な数字を残した選手はいなかった。新型コロナウイルスの集団感染などの不運もあり、最後は自力の差を見せつけられた。

 しかし、2018年ドラフト1位の藤原や2017年ドラフト1位の安田が台頭するなど、育成は着実に実を結んでいる。1974年以来となるリーグ1位での優勝と、2010年以来の日本一を目指す2021年シーズン。井口資仁監督にとっての3年目に、ブレークが期待される若手を取り上げたい。

○佐々木朗希(2年目・19歳)
 高校生最速の163キロをマークし、その一挙手一投足に注目が集まった“令和の怪物”が4球団競合の末に入団。1年目の今季は、3月24日のシート打撃で157キロを投じるなど才能の片鱗を見せたが、1、2軍を通じて実戦登板はなかった。来季は謎に包まれたベールをいつ脱ぐのかに注目が集まる。

○古谷拓郎(3年目・20歳)
 千葉県鎌ケ谷市出身で習志野高ではエースナンバーを背負った地元期待の星。2018年ドラフト6位で入団すると、1年目から2軍で13試合に登板して6勝4敗、防御率5.04の成績を残した。さらに今季は2軍で7試合に登板して2勝2敗、防御率2.97と急成長。奪三振率4.86→7.78と大きく飛躍した。1軍デビューも果たしたがプロ初登板が3度も雨天中止となり話題となった。

本前は奪三振武器に支配下目指す、高部はイースタン2位の打率.344

○本前郁也(2年目・23歳)
 北翔大から育成1位指名を受け、同大学初のプロ野球選手となった。今季は育成での1年目ながら、2軍で11試合に登板して2勝0敗、防御率2.56と好投。特に、9月11日のヤクルト戦では6回で10三振を奪うなど、38回2/3イニングで38奪三振と奪三振能力の高さは目を引いた。みやざきフェニックス・リーグでも149キロをマークするなど急成長中で支配下登録も近そうだ。

○佐藤都志也(2年目・23歳)
 東洋大では東都リーグで4度ベストナインに輝き、大学日本代表の常連にもなった好打者。大学時代は一塁手や外野手も務めたが、プロでは捕手一本に絞ると、今季のオープン戦では楽天・則本昂から一発を放って周囲を驚かせた。1年目は60試合で打率.228だったが代打だけでみると.310。来季は捕手としても結果を残して、正捕手・田村を脅かしたい。

○高部瑛斗(2年目・23歳)
 国士舘大では東都2部歴代最多となる通算129安打を記録した安打製造機。2019年ドラフト3位で指名されたが、2月の練習試合でいきなり右手有鈎骨を骨折。開幕2軍となったがイースタンでは打率2位となる.344をマークした。10月には新型コロナ集団感染を受けて1軍昇格、初ヒットも放ったがレギュラー陣の復帰に伴い抹消。今季は熾烈な外野手争いに割って入りたい。

○山口航輝(3年目・20歳)
 明桜高では高校通算25本塁打を放った未来の大砲候補。2年目の今季は2軍で70試合に出場して、打率.258、7本塁打をマークした。まだまだ粗削りだが、豪快なフルスイングと圧倒的な飛距離にはロマンを感じる。高校時代には金足農・吉田輝星(現日本ハム)とライバルとしてしのぎを削った。1軍の舞台でも名勝負に期待したい。

(Full-Count編集部)

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≪2020/12/30≫

【惜別球人】ロッテ・細川 “捕手一筋”監督でも変わらず

 20代の若手も、40代の大ベテランも、現役を終えた後、さらに長い人生が待っている。今年は上下2回で掲載する年末恒例「惜別球人」の第2回は、パ・リーグ編。グラウンドで発揮したそれぞれの個性を生かすべく、新たな道へ踏み出す。
 引退してすぐ、「監督」と呼ばれるようになった。「まだ全然慣れてませんよ」と細川は笑う。熊本県を拠点とする独立リーグの新球団「火の国サラマンダーズ」の監督に就任。来春から大分の球団や自身の古巣ソフトバンクの3軍などと対戦する。「引退後はボケーッとしようと思っていた」。大好きな釣りざんまいの日々を思い描いていたが、再びユニホームに袖を通す。

 捕手一筋、4球団で19年間のプロ野球人生。10月上旬、ロッテはコロナ禍に見舞われ、2軍は選手の数が足りずに試合ができない期間が続いた。「その時に今までの自分を見つめ直した。野球ができないというのは寂しいことなんだって…」。40歳の秋。引退が頭をよぎった瞬間だった。

 「僕は先輩や指導者の方々、本当にいい人たちに恵まれた」。最大の恩師が西武時代の先輩、監督である中日・伊東勤ヘッドコーチ。引退試合となった11月9日の日本ハム戦では千葉まで駆けつけてくれた。「何か一つでも伊東さんの数字を超えたかった。バントしかないと思っていたけど…」。細川の通算296犠打はプロ野球歴代8位で伊東ヘッドは同4位の305犠打。これだけが心残りだ。

 指導者としての新たなスタート。「一人でも多くの選手をNPBに送り込みたい。監督でも今まで通り“捕手・細川”で。プロで経験した厳しさを伝えたい」。捕手一筋。その姿はずっと変わらない。(鈴木 勝巳)

 ◆細川 亨(ほそかわ・とおる)1980年(昭55)1月4日生まれ、青森県出身の40歳。青森北2年で内野から捕手に転向。青森大を経て01年自由獲得枠で西武に入団。08、11年にベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。1メートル83、103キロ。右投げ右打ち。

(スポニチ)

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≪2020/12/30≫

「想像とは正反対の方だった」 元ロッテ右腕がすべてを打ち明けた吉井コーチの存在

連載「島孝明のセカンドキャリアーBrand New Days―」最終回

 こんにちは、元ロッテ投手の島孝明です。プロ野球の世界に入ってから、投手のみならず野手のコーチも含めて様々なコーチと関わってきました。ポジションごとにコーチが配属されていることはプロならではであり、一線級の活躍を残してきた方々の指導からは、当然学ぶことも多かったです。そんな中でも、吉井理人コーチとの出会いは自分の現役生活においても特別なものであり、また現在の自分を構成する重要な要素となっています。今回は、私と吉井コーチとのエピソードについて書いていきたいと思います。

 私が吉井コーチと初めて出会ったのは2018年の秋季キャンプの時でした。以前、吉井コーチの著書である「投手論」を読んだことがあり、その中でかなり気性が荒いエピソードが書いてあったのを記憶していたことに加えて、日米に渡り数々の活躍を残してきた方ですので、当然厳格な気質を持ち合わせていると予想していたのですが、まもなくしてそれは杞憂に終わることとなりました。

 吉井コーチが合流する当日の朝、チームの慣例として練習前に全体で集合したのち、投手と野手で別れ、その日の練習スケジュールやその他必要事項などが共有されます。それなりに堅い雰囲気で行われていたのですが、投手陣の集合時、吉井コーチが挨拶の中でいきなり冗談を言い放ったことが、強烈な印象として残ったのと同時に、自分の中で創り上げられていたイメージが一瞬にして崩れていきました。

 想像とは正反対の温厚な性格であった吉井コーチは、投手陣との交流を積極的に図り、また野球以外の話題も振ったりと、各々とのコミュニケーションを大事にしているように私の目には映りました。当然私もその1人で、秋季キャンプでは個別の練習メニューの提案、且つその手伝いをして頂いたり、1軍の春季キャンプに帯同しオープン戦を経験させてもらうなど、面倒を見て下さりました。またその後、ZOZOマリンスタジアムで行われたオープン戦で最終回に登板させてもらえたことも、私の僅かな現役生活の中において、今では良き思い出となっています。

 シーズン中では、二軍にいた自分に対して「元気にやっているか」などと気にかけていることを、度々人伝で聞くこともありました。しかしその後、一度も1軍で登板することなく2019年シーズンを終え、球団から育成契約の打診を受けることになるのは、皆様がご存知の通りです。

 育成契約に切り替えるにあたり、一度自由契約となりましたが、10月に行われた宮崎フェニックスリーグには参加することとなりました。練習に取り組みながら今後の進路についても考えていくことになるのですが、通常二軍のコーチ・スタッフだけが参加するフェニックスリーグに吉井コーチも参加することになっていました。怪我なども重なり、なかなか復調の兆しが見えなかった私は試合後の時間を使い、そこでまた一緒に練習を行うようになりました。

決断が正しかったと言えるように……次の会える機会に良い報告を

 フェニックスリーグの日程が終盤へ差し掛かりつつも、未だ決断を下すことが出来ずにどこかモヤモヤしたものを抱えたまま、私はいつものように試合後の練習を終えました。10月の後半であるにも関わらず、宮崎には初夏のような柔らかく暖かい日差しが降り注いでおり、周りに誰もいない私たちだけのサブグランドを、優しく包み込んでいました。

 そこで私は、思い切って今考えていることを全て打ち明けることにしました。野球を辞めて別の道へ進もうと考えていることを伝えると、「他に何かやりたいことでもあるのか」と尋ねてきました。私が英語を勉強したいと伝えると、特段、驚いたりもせず、またそれを否定することなく背中を押してくださいました。

 一方で吉井コーチは、もう一年育成でやりながら次の進路を考えてもいいのではないか、といった提案もしてくださいましたが、新しいことを始める時には迷いが少なくなるよう、退路を絶っておいた方が良いと考え、引退を決断するに至りました。

 1年間だけで終わってしまったのがとても名残惜しく、もっと多くのことを学びたかった気持ちもありますが、巡り会えたこと本当に良かったと感じています。今の自分に出来ることは、この決断が正しかったと言えるよう自分をブラッシュアップしていく他なく、また再びお会いする機会があれば、良い報告が出来ればと思っています。

 今年は変則的なシーズンであったにも関わらず、マリーンズはリーグ2位の成績を残し、日本シリーズこそ逃してしまいましたが、着実に強くなってきていると感じています。しかし、その分、来季にかかる期待も大きなものになることが予想されますが、監督、コーチをはじめとする素晴らしいスタッフと、選手が一丸となってリーグ優勝そして日本一と、歓喜の瞬間を見せてくれると信じています。私も一ファンとして、来季のマリーンズの飛躍を応援していきたいと思います。

 また、今回をもちまして「島孝明のセカンドキャリアーBrand New Days―」の連載も終了となります。拙い文章ではありましたが、私の経験や思いが1人でも多くの人にとって有益となっていること、また僅かながらも何か示唆を与えるものとなっていれば幸いです。最後に、ここまでご覧になって下さった方々へ感謝を申し上げるとともに、今後も引き続き第二の人生を歩む島孝明を応援してくださると嬉しいです。

(島孝明/Takaaki Shima)

(フルカウント)

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≪2020/12/31≫

福田光輝「イチゴ食べたら大きく」/ロッテの言葉1

<ロッテの言葉2020:前編>

ロッテは今季、山あり谷ありのシーズンの果てに2位に躍進した。選手、首脳陣の言葉の数々から2020年を全3回で振り返る。今回は前編。【構成・金子真仁】

 ◇   ◇    

◆「このまま何もせずに終わりたくない」(藤原恭大外野手)

1月7日、浦和での自主トレにて。大阪桐蔭で甲子園春夏連覇を果たし、プロ生活はまだ2年目が始まったばかり。危機感、とも口にした。意外すぎる言葉に高い意識を感じた。



◆「キャンプでは少しでも誰かの目に留まるように」(森遼大朗投手)

1月18日朝、浦和での自主トレにて。育成3年目。雪の中で1人、ランニングに精を出す。朗希フィーバー必至の中、何とか自分も…の思いに満ちていた。



◆「フルーツが好きなので、イチゴを食べたらある程度は大きくなると思います」(福田光輝内野手)

1月31日、石垣島で児童養護施設を訪問。何を食べたら大きくなれますか? の質問に回答。小笑いだったが、優しさと温かさにあふれる答えだった。



◆「結構、僕のうわさが流れるじゃないですか。こういう感じの人だよ、とか。でもたぶん、結構違うと思うんですよ」(佐々木朗希投手)

2月6日、石垣島でのインタビュー。自由な発信をお願いしたところ、23秒間考えた末、こう答えた。実像と虚像。フィーバーの裏で首をかしげていた。

◆「初めて受けるような感覚。速さも質も。強い球だったので腕が張っちゃいましたね。負けないように力が入っちゃうので」(柿沼友哉捕手)

2月13日、田村とのじゃんけんに勝利し、佐々木朗初ブルペンの捕手役に。重厚音を響かせ続けた。

◆「仲悪いとかいろいろ問題もあるかもしれないけど、みんながいて僕がいる、それを感じるいい機会にしてほしい。仲間の大切さを見つめ直してほしい」(井上晴哉内野手)

3月1日、コロナ禍で休校が続く子どもたちへのメッセージ。心優しいアジャらしい言葉だった。

◆「あとは経験と場数。どんな仕事でもそうでしょう? 彼にその時間があるかは分からないけどね…」(大塚明外野守備走塁コーチ)

3月1日、和田の試合後の居残り特守を終えて。育成3年目で近づくタイムリミット。期待と現実を言葉に出した。

◆「なかなか練習できる場所もなかったですし、野球をできるありがたさは、そのままタイガースでやってたら感じられなかったと思う」(鳥谷敬内野手)

3月17日、入団後初の2軍での実戦を終えて。キャンプ終了後にロッテ入団。走塁など実戦で感覚を試していたのが印象的だった。(中編へつづく)

(日刊)
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