幕張からサブローネームが消えた…「さびしくなりますね」
ロッテの本拠地・QVCマリンフィールドから、電撃移籍した前選手会長の痕跡は、急速に消えうせつつある。
生え抜き17年目のサブロー外野手(35)が、巨人に交換トレードされると発表されたのは先月29日。1週間が過ぎ、球場に隣接するグッズショップからは、サブローの関連商品が一掃された。
今季から球場内のロッテリア限定で登場した、「サブローバーガー」もひっそり姿を消した。サブローが本塁打を打つと定価より220円安い360(サブロー)円で販売される仕掛けも、わずか一度きりで終わった。
一塁側内野席に設けられていた「サブローシート」は、球団が入場料を負担して引き継ぐが、名称は変更されるという。
昨5日の日本ハム戦は、サブローが去ってから最初のホームゲーム。試合前にはウグイス嬢に対し、「さびしくなりますね…」と気遣う言葉が次々にかけられた。マリン名物の場内アナウンス「サブローーー!」もお蔵入りになったからだ。
それでもチームは5日の逆転勝ちに続き、6日もしぶとく勝利。傷心のロッテファンに、サブローの不在を痛感させない奮闘を見せている。
サブロー改め巨人の「大村三郎」は6日のヤクルト戦(神宮)で、2点を追う9回1死一塁に代打で登場。移籍初打席での初アーチに続く一発が出れば同点だったが、併殺打で最後の打者となった。古巣がサブローのいない未来へ歩き出した今、大村も新天地で居場所を築くしかない。
巨人“サブロー”、第一印象は歌舞伎の女形!?
本格的な夏、プロ野球は今月末でトレードなどによる選手の補強が締め切りです。巨人ではロッテから電撃移籍のサブローこと大村選手がいきなり代打ホームランを打って派手な挨拶をしました。彼には入団以来いろいろな形でお世話になってきたので、今日は思い出を振り返りながら第2の野球人生にエールを送ります。
そもそも1995年、ルーキーの彼を初めて見たときは「本当にプロでやっていけるのかな」というのが率直な印象でした。当時彼は身長こそ181センチありましたが、線がいかにも細かった。おまけに甘いマスクで色が本当に白かったから野球選手というよりは歌舞伎の女形の方が似合うんじゃないかと思えたほど。
彼が4番を打つなんて夢のカケラにも思わなかったし、本人も想像しなかったでしょう。でも実際2005年と10年の日本一は4番・サブロー選手が勝負強いバッティングでチームを牽引していました。
一方で、「バントでもなんでもいい。チームの勝ちに貢献したいです」…。これは巨人入団会見で私が聞き耳を立てたコメントです。バントか、懐かしいな。私の脳裏を2007年12月に台湾で行われた北京オリンピックアジア予選、日本対台湾戦の1シーンがかすめました。1点を追う星野ジャパンは7回無死満塁のチャンス、打席にサブロー。ここで出されたサインはなんとスクイズ。「ピッチャー前に打球が転がった! 三塁ランナー代走・宮本ホームイン!!」。絶叫する私の隣で唖然としていた解説の板東英二さんの表情はいまも忘れません。日本はこの試合10-2で大勝、北京行きを決定。ちなみにこのとき彼は帰国後、ストレスから来る帯状疱疹を患いました。
そんなグラウンドでの姿に加えて、見方が変わったのは選手会長就任後。サブロー選手は時にフロントと、また震災後には球界トップたちを相手に堂々と渡り合いました。そして…先輩であり、私が親しくしている堀幸一氏(ニッポン放送解説者)の引退間際、その行く末を人一倍案じてくれたのもまた彼なんです。
20歳前ずいぶんひ弱に見えた紅顔の美少年は練習だけでなく、さまざまな大舞台を糧に心身ともに大成長を遂げました。
今度は巨人というこれまた大きな舞台上で彼がどんなパフォーマンスを見せてくれるのか。コーチやスタッフからは早くもおなじみの「サブローーーッ」という場内アナバージョンで呼ばれているんだとか。ルーキー時代に「トーンを上げてやってよ」という本人のリクエストにマリンフィールドのウグイス嬢・谷保さんが応えた大ヒット作は活躍とともに語尾が伸びていきました。
東京ドームでは「大村三郎!」とコールされるようですが、ガンガン打つと少しずつ…? なんて進化をひそかに期待しています。頑張れ、サブローーーッ! あっ、文字数を稼いだわけじゃありませんから(汗)。
■松本秀夫(まつもと・ひでお) 1961年7月22日生まれ、東京都出身。早大卒、85年ニッポン放送入社。スポーツ部アナウンサーとして「ショウアップナイター」の実況などを担当。2005年ロッテ優勝決定の試合での号泣実況のほか、数々の名言がある。
ロッテの本拠地・QVCマリンフィールドから、電撃移籍した前選手会長の痕跡は、急速に消えうせつつある。
生え抜き17年目のサブロー外野手(35)が、巨人に交換トレードされると発表されたのは先月29日。1週間が過ぎ、球場に隣接するグッズショップからは、サブローの関連商品が一掃された。
今季から球場内のロッテリア限定で登場した、「サブローバーガー」もひっそり姿を消した。サブローが本塁打を打つと定価より220円安い360(サブロー)円で販売される仕掛けも、わずか一度きりで終わった。
一塁側内野席に設けられていた「サブローシート」は、球団が入場料を負担して引き継ぐが、名称は変更されるという。
昨5日の日本ハム戦は、サブローが去ってから最初のホームゲーム。試合前にはウグイス嬢に対し、「さびしくなりますね…」と気遣う言葉が次々にかけられた。マリン名物の場内アナウンス「サブローーー!」もお蔵入りになったからだ。
それでもチームは5日の逆転勝ちに続き、6日もしぶとく勝利。傷心のロッテファンに、サブローの不在を痛感させない奮闘を見せている。
サブロー改め巨人の「大村三郎」は6日のヤクルト戦(神宮)で、2点を追う9回1死一塁に代打で登場。移籍初打席での初アーチに続く一発が出れば同点だったが、併殺打で最後の打者となった。古巣がサブローのいない未来へ歩き出した今、大村も新天地で居場所を築くしかない。
巨人“サブロー”、第一印象は歌舞伎の女形!?
本格的な夏、プロ野球は今月末でトレードなどによる選手の補強が締め切りです。巨人ではロッテから電撃移籍のサブローこと大村選手がいきなり代打ホームランを打って派手な挨拶をしました。彼には入団以来いろいろな形でお世話になってきたので、今日は思い出を振り返りながら第2の野球人生にエールを送ります。
そもそも1995年、ルーキーの彼を初めて見たときは「本当にプロでやっていけるのかな」というのが率直な印象でした。当時彼は身長こそ181センチありましたが、線がいかにも細かった。おまけに甘いマスクで色が本当に白かったから野球選手というよりは歌舞伎の女形の方が似合うんじゃないかと思えたほど。
彼が4番を打つなんて夢のカケラにも思わなかったし、本人も想像しなかったでしょう。でも実際2005年と10年の日本一は4番・サブロー選手が勝負強いバッティングでチームを牽引していました。
一方で、「バントでもなんでもいい。チームの勝ちに貢献したいです」…。これは巨人入団会見で私が聞き耳を立てたコメントです。バントか、懐かしいな。私の脳裏を2007年12月に台湾で行われた北京オリンピックアジア予選、日本対台湾戦の1シーンがかすめました。1点を追う星野ジャパンは7回無死満塁のチャンス、打席にサブロー。ここで出されたサインはなんとスクイズ。「ピッチャー前に打球が転がった! 三塁ランナー代走・宮本ホームイン!!」。絶叫する私の隣で唖然としていた解説の板東英二さんの表情はいまも忘れません。日本はこの試合10-2で大勝、北京行きを決定。ちなみにこのとき彼は帰国後、ストレスから来る帯状疱疹を患いました。
そんなグラウンドでの姿に加えて、見方が変わったのは選手会長就任後。サブロー選手は時にフロントと、また震災後には球界トップたちを相手に堂々と渡り合いました。そして…先輩であり、私が親しくしている堀幸一氏(ニッポン放送解説者)の引退間際、その行く末を人一倍案じてくれたのもまた彼なんです。
20歳前ずいぶんひ弱に見えた紅顔の美少年は練習だけでなく、さまざまな大舞台を糧に心身ともに大成長を遂げました。
今度は巨人というこれまた大きな舞台上で彼がどんなパフォーマンスを見せてくれるのか。コーチやスタッフからは早くもおなじみの「サブローーーッ」という場内アナバージョンで呼ばれているんだとか。ルーキー時代に「トーンを上げてやってよ」という本人のリクエストにマリンフィールドのウグイス嬢・谷保さんが応えた大ヒット作は活躍とともに語尾が伸びていきました。
東京ドームでは「大村三郎!」とコールされるようですが、ガンガン打つと少しずつ…? なんて進化をひそかに期待しています。頑張れ、サブローーーッ! あっ、文字数を稼いだわけじゃありませんから(汗)。
■松本秀夫(まつもと・ひでお) 1961年7月22日生まれ、東京都出身。早大卒、85年ニッポン放送入社。スポーツ部アナウンサーとして「ショウアップナイター」の実況などを担当。2005年ロッテ優勝決定の試合での号泣実況のほか、数々の名言がある。
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