【12球団番記者が振り返る・ロッテ】伊東監督「まだ最後じゃねえよ」
2月1日、石垣島。「伊東監督は30年でBクラス2度ですが、僕は球団担当6年で3位2度が最高です」と勝ち運がうらやましくてあいさつした。野球殿堂入り、オープン戦首位。華々しく幕を開けた栄光の男の2017年はやがて黒星に彩られ、長い野球人生でワーストの1年になる。
パラデス、ダフィーら新助っ人野手が極度のブレーキ。フロントとも息が合わず、白髪も増えた。それでも、下は向かない。場を明るくするため?会えば記者の乳首を触り、時には尿管結石に耐えて指揮を執った。ちなみに、石の色まで黒かった。また一日 新しい日にすればいい―。マイクを手にすると、来生たかおの「Goodbye Day」に思いを重ねた。
10月10日、仙台。最終戦の節目にスーツを着た私に、Aクラス3度を置き土産に去りゆく指揮官は言った。「バカ、まだ最後じゃねえよ!」。愉快で男前な55歳。伊東勤のユニホーム人生には必ず第3章がある。(ロッテ担当・田島正登)
(報知)
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ロッテ・岡田幸文 再起を懸けるプロ10年目/新年の誓い
この悔しさを忘れることはない。岡田幸文にとってのプロ9年目は屈辱的なものだった。2017年11月には野球協約の減額制限(1億円以下は25パーセント)ギリギリのダウン提示で契約を更改し、「振り返る数字もない。自分の力のなさですね」と悔しさをにじませた。
3月31日のソフトバンクとの開幕戦(ヤフオクドーム)でスタメン出場も無安打。ここからトンネルは長かった。徐々に出番は減り、代打となった。焦り、ゴロを打ってはアウトになる打席を繰り返した。7月10日に出場選手登録を外れると、その後一軍の舞台に戻ってくることはなかった。31試合に出場して40打席無安打。野手のシーズン最長無安打という不名誉な記録をつくってしまった。
シーズン中に取得した国内FA権も「この成績で出るのは納得がいかない部分がある」と行使せずに残留を決断。育成選手からはい上がってきた愛着のある球団で、再起を図ることを決めた。
節目のプロ10年目。「大暴れしますよ、もちろん」と語気を強めるように、懸ける思いは誰よりも強い。外野守備と走塁技術はまだまだ超一流。打撃を向上させれば、レギュラーの座も近づいてくる。
秋季キャンプから金森栄治新打撃コーチのもとで、ボールを引きつけてコンパクトに振り抜く打法の習得に必死だ。そしてプライドを持つ守備での大きな目標がある。「もう一度、ゴールデン・グラブ賞を獲りたい。自信はあります」。2018年、岡田にとって新たな1年が始まった。
(週刊ベースボール)
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前ソフトB大隣、ロッテ入団テストへ 秋山前監督が「空白」の色紙に込めた思い胸に
2017年も残り1日となった。2年ぶりに王者の冠を取り戻したホークスの戦いぶりはまだ記憶に新しい。一方でチームを去る選手も数多くいる。国指定の難病と闘いながらも左の先発としてホークスを支えてきた大隣憲司投手(33)は戦力外通告を受け、11月の12球団合同トライアウトに参加。現時点で移籍先は未定だが、来年2月にロッテのキャンプにテスト生に参加することが決まった。秋山幸二前監督(55)=本紙評論家=の「言葉」を胸に現役続行を目指してトレーニングを継続している。
冷気を含んだ生駒山の山風が、大隣の心を逆に熱くする。奈良県生駒市の近大グラウンド。かつてプロ入りを目指して必死に汗を流した地で、33歳の左腕は体をいじめ抜いている。
「とにかく、今は野球がしたい」。DeNAとの頂上決戦の最中に非情宣告を受け、11月中旬の12球団合同トライアウトに参加。打者4人に対して二つの見逃し三振を奪うなど変わらぬ実力を見せつけた。「自分の力は出せた」。朗報を待ったが、1週間、2週間、1カ月たっても届かない。「引退かな…」。焦りから弱気な言葉も口を突いた。
それでも「このままでは終われない」と自分に言い聞かせた。人生の岐路となる試練を乗り越えてきた男は、折れそうになる心を奮い立たせた。2013年に国指定の難病である「黄色靱帯(じんたい)骨化症」を発症。手術後には復帰が保証できないことを医師から告げられた。背中にメスを入れ、背骨の一部を取り除いた。歩行器を使ってリハビリを始め、14年7月のオリックス戦で422日ぶりの復活勝利を挙げた。
医師の宣告に「もう投げられんかも…」と夫人にこぼした左腕が、前を向いた理由の一つが「同じ病を背負った人に希望を与えたい」との思いだった。14年にはシーズン最終戦で好投し、リーグ優勝に導いた。日本シリーズ進出を決めたクライマックスシリーズ(CS)ファイナルステージ第6戦でも7回無失点の快投。この年限りでの勇退が決まっていた秋山監督から勝利監督インタビューのお立ち台に呼ばれ、顔をクシャクシャにして喜んだ。
病魔に真っ向勝負を挑み、克服した左腕。だからこそ、今度の試練にも立ち向かう。「また、ああいう投球をしたい」。自宅1階の最も目に入る場所には、秋山監督が退団した際に書いてもらった色紙がある。右上に小さく「大隣へ」。左下には小さく「秋山幸二」。中央部分は、空白のまま大きく空いている。
「この部分はおまえの今後の野球人生。自分で考えて迷わず突き進んでいけ」。秋山監督の言葉は3年たった今でも忘れていない。暮れも押し迫った今月下旬、来春のロッテキャンプにテスト生として参加することが決まった。もう一度光り輝くために、不屈のサウスポーが己の生きざまをぶつける。
■秋山氏が大隣へメッセージ「何としても勝ち取れ」
【ソフトバンク前監督の秋山幸二氏】優勝を決めたシーズン最終戦の先発を託し、CSの最終第6戦に中4日で起用したのも「一番勝てる可能性が高いのは大隣」と決断したからだった。彼が自分の力でポジションを勝ち取ったんだ。ただ、体のこともあって、頭が下がる思いだった。先日、新聞でロッテの入団テストを受けることを知って、良かったなと思った。過去を振り返っても仕方がないし、前に進むしかない。来季ユニホームを着られるチャンスが目の前にあるのだから、何としても勝ち取ってほしい。
(西日本スポーツ)
2月1日、石垣島。「伊東監督は30年でBクラス2度ですが、僕は球団担当6年で3位2度が最高です」と勝ち運がうらやましくてあいさつした。野球殿堂入り、オープン戦首位。華々しく幕を開けた栄光の男の2017年はやがて黒星に彩られ、長い野球人生でワーストの1年になる。
パラデス、ダフィーら新助っ人野手が極度のブレーキ。フロントとも息が合わず、白髪も増えた。それでも、下は向かない。場を明るくするため?会えば記者の乳首を触り、時には尿管結石に耐えて指揮を執った。ちなみに、石の色まで黒かった。また一日 新しい日にすればいい―。マイクを手にすると、来生たかおの「Goodbye Day」に思いを重ねた。
10月10日、仙台。最終戦の節目にスーツを着た私に、Aクラス3度を置き土産に去りゆく指揮官は言った。「バカ、まだ最後じゃねえよ!」。愉快で男前な55歳。伊東勤のユニホーム人生には必ず第3章がある。(ロッテ担当・田島正登)
(報知)
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ロッテ・岡田幸文 再起を懸けるプロ10年目/新年の誓い
この悔しさを忘れることはない。岡田幸文にとってのプロ9年目は屈辱的なものだった。2017年11月には野球協約の減額制限(1億円以下は25パーセント)ギリギリのダウン提示で契約を更改し、「振り返る数字もない。自分の力のなさですね」と悔しさをにじませた。
3月31日のソフトバンクとの開幕戦(ヤフオクドーム)でスタメン出場も無安打。ここからトンネルは長かった。徐々に出番は減り、代打となった。焦り、ゴロを打ってはアウトになる打席を繰り返した。7月10日に出場選手登録を外れると、その後一軍の舞台に戻ってくることはなかった。31試合に出場して40打席無安打。野手のシーズン最長無安打という不名誉な記録をつくってしまった。
シーズン中に取得した国内FA権も「この成績で出るのは納得がいかない部分がある」と行使せずに残留を決断。育成選手からはい上がってきた愛着のある球団で、再起を図ることを決めた。
節目のプロ10年目。「大暴れしますよ、もちろん」と語気を強めるように、懸ける思いは誰よりも強い。外野守備と走塁技術はまだまだ超一流。打撃を向上させれば、レギュラーの座も近づいてくる。
秋季キャンプから金森栄治新打撃コーチのもとで、ボールを引きつけてコンパクトに振り抜く打法の習得に必死だ。そしてプライドを持つ守備での大きな目標がある。「もう一度、ゴールデン・グラブ賞を獲りたい。自信はあります」。2018年、岡田にとって新たな1年が始まった。
(週刊ベースボール)
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前ソフトB大隣、ロッテ入団テストへ 秋山前監督が「空白」の色紙に込めた思い胸に
2017年も残り1日となった。2年ぶりに王者の冠を取り戻したホークスの戦いぶりはまだ記憶に新しい。一方でチームを去る選手も数多くいる。国指定の難病と闘いながらも左の先発としてホークスを支えてきた大隣憲司投手(33)は戦力外通告を受け、11月の12球団合同トライアウトに参加。現時点で移籍先は未定だが、来年2月にロッテのキャンプにテスト生に参加することが決まった。秋山幸二前監督(55)=本紙評論家=の「言葉」を胸に現役続行を目指してトレーニングを継続している。
冷気を含んだ生駒山の山風が、大隣の心を逆に熱くする。奈良県生駒市の近大グラウンド。かつてプロ入りを目指して必死に汗を流した地で、33歳の左腕は体をいじめ抜いている。
「とにかく、今は野球がしたい」。DeNAとの頂上決戦の最中に非情宣告を受け、11月中旬の12球団合同トライアウトに参加。打者4人に対して二つの見逃し三振を奪うなど変わらぬ実力を見せつけた。「自分の力は出せた」。朗報を待ったが、1週間、2週間、1カ月たっても届かない。「引退かな…」。焦りから弱気な言葉も口を突いた。
それでも「このままでは終われない」と自分に言い聞かせた。人生の岐路となる試練を乗り越えてきた男は、折れそうになる心を奮い立たせた。2013年に国指定の難病である「黄色靱帯(じんたい)骨化症」を発症。手術後には復帰が保証できないことを医師から告げられた。背中にメスを入れ、背骨の一部を取り除いた。歩行器を使ってリハビリを始め、14年7月のオリックス戦で422日ぶりの復活勝利を挙げた。
医師の宣告に「もう投げられんかも…」と夫人にこぼした左腕が、前を向いた理由の一つが「同じ病を背負った人に希望を与えたい」との思いだった。14年にはシーズン最終戦で好投し、リーグ優勝に導いた。日本シリーズ進出を決めたクライマックスシリーズ(CS)ファイナルステージ第6戦でも7回無失点の快投。この年限りでの勇退が決まっていた秋山監督から勝利監督インタビューのお立ち台に呼ばれ、顔をクシャクシャにして喜んだ。
病魔に真っ向勝負を挑み、克服した左腕。だからこそ、今度の試練にも立ち向かう。「また、ああいう投球をしたい」。自宅1階の最も目に入る場所には、秋山監督が退団した際に書いてもらった色紙がある。右上に小さく「大隣へ」。左下には小さく「秋山幸二」。中央部分は、空白のまま大きく空いている。
「この部分はおまえの今後の野球人生。自分で考えて迷わず突き進んでいけ」。秋山監督の言葉は3年たった今でも忘れていない。暮れも押し迫った今月下旬、来春のロッテキャンプにテスト生として参加することが決まった。もう一度光り輝くために、不屈のサウスポーが己の生きざまをぶつける。
■秋山氏が大隣へメッセージ「何としても勝ち取れ」
【ソフトバンク前監督の秋山幸二氏】優勝を決めたシーズン最終戦の先発を託し、CSの最終第6戦に中4日で起用したのも「一番勝てる可能性が高いのは大隣」と決断したからだった。彼が自分の力でポジションを勝ち取ったんだ。ただ、体のこともあって、頭が下がる思いだった。先日、新聞でロッテの入団テストを受けることを知って、良かったなと思った。過去を振り返っても仕方がないし、前に進むしかない。来季ユニホームを着られるチャンスが目の前にあるのだから、何としても勝ち取ってほしい。
(西日本スポーツ)
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