MZの手下の日記

なんということもなく、このたび、日記を開設しました。昔の文章のいくつかも、すこし手を入れて移しています。

宇野良清先生

2021-04-30 18:48:00 | 徒然なるままに
日本大学の宇野良清先生の訃報に接し、心からお悔やみ申し上げます。

大学院から日大助手を務めた7年間、学科は異なりましたが、先生と同じ実験室を使わせていただき、いろいろと教えを受けました。 定年を迎えられた後も、いち研究者として、PFへ行かれて実験をされていたことなどが思い出されます。

キッテルも、もう少し、ちゃんと読んでおけばよかったと思います。


災害の話

2020-09-14 19:23:49 | 徒然なるままに
はじめに、これまでのさまざまな災害で命を落とされた方々に、心からお悔やみ申し上げます。また、さまざまな災害により、今なお、あるいはかつて、困難な生活を強いられている方々にお見舞いを申し上げます。

2020年の9月のある日、東御の湯ノ丸高原から、鹿沢温泉、新鹿沢温泉を通り、つまごいパノラマラインへ抜ける道を、車で走った。冬はスキー、6月ごろにはレンゲツツジの花が咲く、本来は素敵なコースである。鹿沢温泉、新鹿沢温泉のようなご機嫌な温泉もある。



湯ノ丸牧場を過ぎたあたりから、道は湯尻川沿いの谷筋を新鹿沢へ向かって下るのだが、ふと湯尻川を覘いてみると、土石流がもたらした堆積物によって川が埋められていることに気づいた。また、道路もところどころ崩落しており、山側には地滑りの跡もあり、ただならぬことがあったことが分かる。



昨年の10月は、「令和元年東日本台風」と名付けられた台風19号、アジア名:Hagibis (ハギビス)が長野を襲った。北陸新幹線の車両基地を水没させた台風である。湯ノ丸高原に着くと道端に「旧鹿沢~新鹿沢大型車通行止」の看板が置かれていた。一年近くたって、未だに復旧工事が行われているわけである。そして、多くの人々の努力にも関わらず、完工にはまだ間があるように思われる。



新鹿沢温泉の「鹿澤館」は、昭和の初めに建てられた老舗の温泉宿である。この台風による土石流によって、1階部分が埋め尽くされ、多くの人々の協力によって復旧を目指したが、このたび、元通りに直すことを断念し、解体を決めたとのことである。7月の半ばに、お別れ内覧会が行われたらしい。残念なことである。


台風とは、恐ろしいものである。大地震、大津波、火山噴火などの他の自然災害と比較しても、人間にとって、同じぐらい、いやそれ以上の脅威である。そういう大きな災害と比べると、台風は毎年来る。多い時には年に5回も6回も来る。そして一度の台風で、少なからぬ人が人が被害に会い、不幸な場合には命を落とすわけである。

https://www.data.jma.go.jp/fcd/yoho/typhoon/statistics/average/average.html

ともすると、我々は500年位に一度の大噴火、千年に一度の大津波という想定外の自然の驚異に恐怖を覚える。確かにそれも大事なことで、津波が来るかもと思えば、一目散に高台に逃げる必要がある。また、そういう災害に備える必要もある。しかし、近々千年の間に、被災した人々の延べ人数が最も多い災害は台風ではないだろうか?

そう考えると、治山治水の重要性が改めて感じられるのである。


ほんとうに、引き金は雨だったのか?

2020-05-10 20:45:39 | 徒然なるままに


朝日新聞によると、Natureに次のような論文が掲載されたそうだ。Natureは権威ある雑誌だが、掲載された論文がすべて正しいわけでもないだろうと思うが、少し内容を考えてみたい。


詳しく原文を読んだわけではないのだが、本当にそうだろうか、と思う。2018年のハワイ島のキラウエア火山の、長く続いた噴火活動の最後のクライマックスに、溶岩が住宅地まで達した爆発的な噴火があったことと、2018年は、ハワイ島で平年の降水量の約2.5倍の雨が降ったことは、おそらく事実であろう。

しかし、その雨が多かったことと、爆発的な噴火があった事実との間に、明確な因果律がなければ、雨が多かったことが、問題となる噴火活動をもたらしたとは言い切れないような気がする。たとえ、どのようなシミュレーションで計算したとしてもである。

もし、降水量が多かったことが、火山において一般的に、爆発的な噴火の引き金になるのであるならば、世界中の火山の大噴火は、その地域の雨期との相関があるはずだと思う。しかし、おそらく、そのような相関性は認められないのではないだろうか?データを集めてみれば、ややっということがあるのかもしれないけども、にわかには信じがたい。

そんなことを考えていると、後ろで、そんなことを書くのなら、Natureの原文があるから読んでから書いたら、と声をかけられた。誠にもっともであるが、どうもいまいち気が乗らないので、そのうち気が向いたときに読んで、それから続きを書くことにする。そのときには、180度違う意見を述べるかもしれない。


国立演芸場で円楽と談春を聞く

2019-08-15 12:45:00 | 徒然なるままに
国立演芸場の定席公演を聞きに行った。新宿の末廣亭には、何度か行ったことがあるが、国立は初めてである。今回は連れがいたので、座席が指定できる国立がいいかと思い出かけた。

八月の中席は、国立演芸場開場40周年記念の興行で、仲入り前が談春、トリが楽太郎の円楽という取り合わせである。芸術協会(芸協)の定席で、円楽一門と立川流の噺家が一席、しゃべるということは、一昔前には、想像もつかなかったように思う。

出演した竜楽が、寄席に出る日が来るとは思わなかった、芸協も太っ腹と話していたが、その通りと思う。そのほかには、鯉昇、ナイツ、食い付きには枝太郎、ひざ代わりには、うめ吉で、たいへん面白いラインナップである。当日の演目は以下の通り



鯉昇の「鰻屋」は、やはりよく、竜楽の「そば清」はあっさりとしている。ナイツはやはり、寄席の舞台で見るのが面白く、テレビでは本当の良さが伝わらないと思う。いや、テレビでも十分面白いのだが。

仲入り前の談春の落語はきっちりとした噺だと思う。やはり、この人は噺がうまいと思う。好みかと聞かれると、少し迷うのだけれども、やはりよい。一度、米朝から許されたという除夜の雪を聞いてみたいものだが、そうそう機会はあるまいと思う。

食い付きの枝太郎には勢いがある。うめ吉の俗曲は、なんとなくほんわかとして、江戸の昔に引き戻されるようである。円楽の「藪入り」もよかったが、中盤少しダレたように思う。とはいえ、よく大病から復帰したものだ。

国立の定席は、他の寄席と比べると、演者の持ち時間が長く、じっくりと芸を見せ、聞かせるように思われる。とにかく、満足をして、良い演目を見たと思って家路についたのである。


口上

2008-12-28 00:00:00 | 徒然なるままに
なんということもなく、このたび「Blogger」に日記を開設しました。別に多くの人に見ていただきたいと言うこともなく、あえて声高に言わねばならないことがあるわけでもなく、ただ何の気なしにという適当さです。 

仕事の愚痴が中心の疲れ果てた男の日記になるのか?結晶学の未来を語り、若かりしころの夢をくだくだと語るのか?それとも単なる食事日記に堕落するのか?この先、どうなるものやらと思いますが、しばしの間、お付き合いいただければと存じます。


このたび、gooブログに「MZの手下の日記」を移すことにしました。昔の雑文も、気の向くままに、転載しています。相も変わらず、とりとめもない日記ですが、引き続きお付き合いいただけたら、と存じます。 (2019.3.20)