リズ・ブルボーの「五つの傷」を読み始めた。
かなり面白そうな予感。
いままで彼女の本は名書と知りつつも、いまだ読みかけ・・・。
少しづつ読まないと頭で整理できない。本にあるエクセサイズもやらなければ意味がない。わかっていながら遅々として進まず。
でもこの本だけでもまず読破し、自分を見つめ直すきっかけとしていきたい。
五つの傷のうち「拒絶による傷」を読み始めた。
読み進めるうちに、幼い頃に受けた傷について封印された記憶がよみがえり始めた。
リズの本では、心の問題がからだに影響を及ぼすという話しがよくでてくる。
私は背が低い。
そのことも傷と繋がっていると言うことが書かれていた。
体が小さい子はとてもはかなげに見えるらしい。だろうね~。
すると親は過保護になる場合が多い。
その結果、しばしば、「これをやるには小さすぎる。」といわれることになってくる。
そして子供はその言葉を文字通り受け入れるために、からだがちっとも育たない、ということが起こりうるらしい。
したがってこの子にとって愛されるというのは、発育を妨げられるということと同義語になってしまう。
過保護に育てられた子供は、自分が拒絶されたと思い込むらしい。
というのもありのままの自分を受け入れられてないから。
まわりの人はその子のためにできるだけのことをしてあげようとするのに、その子自身は、それによって自分が愛されているとは感じないようだ。
なぜなら、自分に能力がないからそうされると感じるから。
つまり能力の面において自分が拒絶されると感じるから。
これを読んで、ものすごく納得してしまった。
私は両親にとってはじめての子供で、小さいときからたくさんの病気をして心配させてきた。
小学校からずーっと体は小さい方の部類でそのまま小さめの大人になってしまってる。
そして過保護に育ってきたと思う。
小さい頃はしょうがないとしても、ある程度成長してからも母は家事手伝いを子供にさせなかった。
女の子なら、多少はしつけとしてやるべきだろうが、成長した私に母は「どうせ女は結婚したらいくらでも家事をやらないといけないのだから、今はそんなにせんでもいいわ」と言っていた。
そのせいか、主婦となった今、家事が苦痛ですぅ~(苦笑)
いや、人のせいにしてはいけない。
でもしなれてないので、なんだか要領が悪い。
主人の方が、そつなく家を片づけてくれるようだ。(たまにだけどね)
彼はお母さんが働いていたので、幼い頃から兄弟で家の手伝いをよくしていたそうだ。
そしてときどきチクリと言われる。「小さいときお手伝いとかあまりしなかっただろう」って。
うぅっっ!鋭い・・・。
ま、家事限らず、母にはいろいろと干渉されてきた。
でも自分もいろいろと決められないとすぐに母に相談していた。
それが依存体質をも作ってしまったように思える。
そんな私でしたが、家庭をもって母の庇護から離れると、干渉されるのがたまらなくしんどい。
たまに母がわが家に来てあれこれいってくるとすごく腹がたってくる。
母に限らず夫にもそうなのだが、「もう誰も私に指図せんでくれ!ほっといて!私は私のやり方でやるから!!!」という気持がこみ上げてくる。
これって私の傷がうずいているのだろう。
五つの傷は誰にでもあるらしい。
拒絶による傷。
見捨てによる傷。
侮辱による傷。
裏切りによる傷。
不正による傷。
これは時期の早いものから順になっている。
傷を受けるたびに、私たちは裏切られたと感じ、思いこみや怖れに支配される。
そして他者や自分自身から逃げるために、仮面をつける。
拒絶には、逃避という仮面。
見捨てには、依存。
侮辱には、マゾヒスト。
裏切りには、操作。
不正には、頑固。
しかし仮面は傷を隠す絆創膏のようなもの。
傷を受けた指には絆創膏をまくけど、誰かがそこ触れるたびにその傷が痛む。
誰かが愛の思いから傷ついた指をとったとしても、私は「痛い!」と叫ぶ。
それは私が傷を治そうとしなかったから。
そして誰かが指に触れるたびに私は苦しむ。
今日ひとつの傷を明確に認識した。
そして母と同じように我が子に関わっている自分にも気付いた。
この傷を癒すにはどうすればいいのだろう。
まずはこの本を読みすすめたいと思う。
かなり面白そうな予感。
いままで彼女の本は名書と知りつつも、いまだ読みかけ・・・。
少しづつ読まないと頭で整理できない。本にあるエクセサイズもやらなければ意味がない。わかっていながら遅々として進まず。
でもこの本だけでもまず読破し、自分を見つめ直すきっかけとしていきたい。
五つの傷のうち「拒絶による傷」を読み始めた。
読み進めるうちに、幼い頃に受けた傷について封印された記憶がよみがえり始めた。
リズの本では、心の問題がからだに影響を及ぼすという話しがよくでてくる。
私は背が低い。
そのことも傷と繋がっていると言うことが書かれていた。
体が小さい子はとてもはかなげに見えるらしい。だろうね~。
すると親は過保護になる場合が多い。
その結果、しばしば、「これをやるには小さすぎる。」といわれることになってくる。
そして子供はその言葉を文字通り受け入れるために、からだがちっとも育たない、ということが起こりうるらしい。
したがってこの子にとって愛されるというのは、発育を妨げられるということと同義語になってしまう。
過保護に育てられた子供は、自分が拒絶されたと思い込むらしい。
というのもありのままの自分を受け入れられてないから。
まわりの人はその子のためにできるだけのことをしてあげようとするのに、その子自身は、それによって自分が愛されているとは感じないようだ。
なぜなら、自分に能力がないからそうされると感じるから。
つまり能力の面において自分が拒絶されると感じるから。
これを読んで、ものすごく納得してしまった。
私は両親にとってはじめての子供で、小さいときからたくさんの病気をして心配させてきた。
小学校からずーっと体は小さい方の部類でそのまま小さめの大人になってしまってる。
そして過保護に育ってきたと思う。
小さい頃はしょうがないとしても、ある程度成長してからも母は家事手伝いを子供にさせなかった。
女の子なら、多少はしつけとしてやるべきだろうが、成長した私に母は「どうせ女は結婚したらいくらでも家事をやらないといけないのだから、今はそんなにせんでもいいわ」と言っていた。
そのせいか、主婦となった今、家事が苦痛ですぅ~(苦笑)
いや、人のせいにしてはいけない。
でもしなれてないので、なんだか要領が悪い。
主人の方が、そつなく家を片づけてくれるようだ。(たまにだけどね)
彼はお母さんが働いていたので、幼い頃から兄弟で家の手伝いをよくしていたそうだ。
そしてときどきチクリと言われる。「小さいときお手伝いとかあまりしなかっただろう」って。
うぅっっ!鋭い・・・。
ま、家事限らず、母にはいろいろと干渉されてきた。
でも自分もいろいろと決められないとすぐに母に相談していた。
それが依存体質をも作ってしまったように思える。
そんな私でしたが、家庭をもって母の庇護から離れると、干渉されるのがたまらなくしんどい。
たまに母がわが家に来てあれこれいってくるとすごく腹がたってくる。
母に限らず夫にもそうなのだが、「もう誰も私に指図せんでくれ!ほっといて!私は私のやり方でやるから!!!」という気持がこみ上げてくる。
これって私の傷がうずいているのだろう。
五つの傷は誰にでもあるらしい。
拒絶による傷。
見捨てによる傷。
侮辱による傷。
裏切りによる傷。
不正による傷。
これは時期の早いものから順になっている。
傷を受けるたびに、私たちは裏切られたと感じ、思いこみや怖れに支配される。
そして他者や自分自身から逃げるために、仮面をつける。
拒絶には、逃避という仮面。
見捨てには、依存。
侮辱には、マゾヒスト。
裏切りには、操作。
不正には、頑固。
しかし仮面は傷を隠す絆創膏のようなもの。
傷を受けた指には絆創膏をまくけど、誰かがそこ触れるたびにその傷が痛む。
誰かが愛の思いから傷ついた指をとったとしても、私は「痛い!」と叫ぶ。
それは私が傷を治そうとしなかったから。
そして誰かが指に触れるたびに私は苦しむ。
今日ひとつの傷を明確に認識した。
そして母と同じように我が子に関わっている自分にも気付いた。
この傷を癒すにはどうすればいいのだろう。
まずはこの本を読みすすめたいと思う。