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秋篠宮殿下 49歳のお誕生日

2014年11月30日 09時12分11秒 | 皇室

今日、秋篠宮殿下が49歳のお誕生日をお迎えになりました。

殿下、おめでとうございます。これからもお健やかでいらっしゃいますように。

お誕生日の記念会見が開かれ、全文が掲載されています。全部載せるのは長いので気になる部分だけを抜粋して掲載したいと思います。

海外訪問について

皇室の外国訪問については,これは公式と非公式と両方あるわけですけれども,非公式の方は非常に多様なので,とりあえず公式の訪問というものについて少し私の考えをお話ししてみたいと思います。例えば天皇の公式訪問であると,国賓という形がとられることが多いと考えますけれども,皇族の場合には,国賓としての訪問というのはまずないわけです。そうすると国際親善・親善訪問という形になろうかと思います,枠組みとしてはですね。ただこれは,なかなか受け入れる側としても,皇族,しかも天皇でもない皇太子でもない皇族をどう捉えていいかというのは難しいときがあるのかなという気がします。私たちも今まで何回くらいか分かりませんけれども,行った中で向こうの元首の方であったりとか大臣だったりとかとお話をしている中で,今回あなたたちが訪れた目的は観光旅行ですか,というふうに聞かれたことが2回くらいありますかね(妃殿下を振り向かれて)。こちらも観光旅行ではないけれども,かといって単なる親善だけですと主たる目的が見当たらなくて,なかなか答えるのが難しかったことがあります。皇族ですから,外交に携わってはいけないわけです。外交ではない親善,例えば王室がある国ですと,向こうの王室との親善というのはある程度分かりやすいかもしれませんけども,そうでない国もたくさんありますし,もし公式の訪問をするのであれば,例えば外交関係ができてから何十周年であるとか,日本と当該国との何か大きい文化行事があるとか,何か一つの核になるものがあるべきではないかと思います。そうではなくて単に親善ということを目的とした公式訪問というのは,目的が曖昧になりますし,そういうものは余りよろしくないな,というふうに考えております。

これは、皇太子御夫妻へ向けた言葉ですか?皇族の海外訪問は単に旅行でも外交でもないんだよ。しかも貴方達は皇太子と言う立場で国賓扱いで行くんだよ、だからこそ、ちゃんとした訪問をしないといけないんだよ、海外に行きたいと言いながら、行く国を選り好みしたり『あの行事に出れる、あの行事には出れない』と中途半端な事はしてはいけないんだよと言ってる訳でしょうか?

それにしても「貴方達が訪れた目的は観光旅行?」と聞くなんて、相手国も失礼な・・・でも、確かに日本でも「私達のお金で海外旅行してる」と言ってる人もいるのも事実だしな~、難しい所です。

・戦争について

殿下:私が本当に子どもの頃から度々に両陛下から戦争の話を聞きました。特にあれは,1975年でしたでしょうか,まだ復帰から3年の沖縄で海洋博が行われたときには,非常に激しい地上戦になった沖縄の戦争のときの話を,折に触れてというよりも非常に頻繁に沖縄戦の話を聞き,またそれに関連する映画を見たりいたしました。その後も度々に戦争のときの話を聞く機会があり,私たち(両殿下)は,戦争というものを二度と繰り返してはいけないということを強く思ったわけです。ただ,一方で私が子どもの頃にたくさん戦争の話を聞きましたけれども,それをなかなか子供心に理解するというところには,非常に大切なことだということは分かりましたが,きちんと理解するというところには至らなかったと思います。むしろ,そのことを分かるようになったのは,やはり,ある程度大人になってから話を聞くとともに,それに関連する昭和の歴史について戦争に触れているところがたくさんありますので,それに関連する書籍を読んだりしながら,だんだんと理解をできるようになっていったように思います。ただ,そうではあっても私自身,私たち自身がその時代に生きていたわけではありません。終戦後20年たってから生まれています。そのようなことからこういう出来事があったということは分かっても,そのときのその時代の雰囲気というのはどうしてもやはり理解,実際の感覚として分からないところがあります。

妃殿下:天皇陛下が皇太子殿下のときにお話をされた「日本人として忘れてはならない4つの日」には,子どもたちが小さいときから一緒に黙祷(とう)をし,戦争で亡くなった人々のことを静かに思いながら過ごしてまいりました。また,本を読みましたり,戦争を体験した人や専門家からのお話を伺いましたり,関係する場所を訪れたりすることを通して,子どもたちが自然に平和の尊さを感じることができるよう心がけてまいりました。戦争を直接知らない世代の私たちにとって,戦争を体験された方々の様々な思いをしっかりと受け止め,次の世代に引き継いでいくことは容易なことではありませんが,これからも戦争と慰霊について考える時間を大切にしていきたいと思っております。

 

今は戦争があった事すら知らない子供が増えているそうです。私達の学生の頃は8月に一度登校日があって、戦争映画や話を聞く事がありました。今ではそう言った日がないんでしょうか?70年も経てば歴史の勉強としても戦国時代の戦いのような感覚で「日本はアメリカやイギリスと戦い負けました」で終わるんでしょうかね?確かに、今は終戦後に生まれた人が殆どで、話で聞いていても感覚として解らない事もあるでしょうね。でも、伝えていかなくてはいけない部分はちゃんと伝えていきたいと思いますね。

・お子様方について

殿下:次女が大学を中退して,また,新たに受験をして,国際基督教大学に入学するということを決めたわけですけれども,私自身かなり直前までどこの大学に行きたいということをはっきりとは聞いていなかったんですね。ただ,高校3年のときに受験をして,第1志望だったところに入れなくて,そのまま内部進学をして,しばらくいたわけですけれども,当初からまたもう一度環境を変えて勉強したいからということを申しておりましたので,私はごく自然な流れだったのかなと受け止めました。私から特段何かアドバイスをしたということはありませんけれども,もしこのことを言っておいたら,また少し違ったかなと思うのは,第1志望のところに入れなくて,内部進学ができたわけですけれども,そのときに,何を自分がこれからしてみたいか,大学に進学せずに考える1年であってもいいのではないかということを言えば良かったかなと,これはもう後からになってしまうのですけれども,思ったことはありました。

成年皇族としても,そうでなくても,いろいろな機会に開催される行事などに出席してほしいという依頼を受けたりすることがありますが,そういう機会一つ一つを大切に思いながら務めていってくれたらいいなと思っております。

妃殿下:次女の佳子は,中学校・高校にいるときから,今までとは違う新たな環境の中で学びたい気持ちを持っていたように思います。大学に入学した後も,日々,専門分野の勉学に励み,また,お友達にも恵まれ,共に過ごしておりましたが,一方で,自分が考えていたことに向かって進みたいという思いが強くなって,私たちにも相談をすることもありましたが,時間をかけていろいろと考えて今回のような決断をし,一歩をふみ出したと思っております。

娘に対してのアドバイスですが,どちらかというと娘に伝えた言葉になると思いますが,娘がしっかりと考えた上での判断であるならば,目標に向かって努力するようにと話しました。そして,このように学校で学び,知識や経験を深めることができるような環境は,非常に恵まれていることを心得ておくように伝えました。

また,成年皇族として期待することについてお話しいたしますと,娘の佳子は来月二十歳の誕生日を迎え,新年の宮中行事に出席させていただくようになり,また成年として公的な活動に携わるようになります。これからも,日々の暮らしや務めを支えている人が多くいることを心に留め,感謝の気持ちを抱きつつ,様々なことを学び,経験を積み重ねて,若い成年皇族として一つ一つの務めを大切に果たしてほしいと願っております。

一部で囁かれていた、高3で受験して入れなかったと言うのは事実のようです。殿下はそれなら一浪でもして、やりたい事を考える年にしてもいいとお考えだったようですね。

もしかしたら、愛子内親王が学習院に入学し、色々と学習院がかき回された中で佳子内親王や秋篠宮御夫妻にも学習院自体に色々と考える部分はあったのではないでしょうか?

来年からは成年皇族として、今以上に行事に参加されるであろう佳子内親王、本当にこれからが楽しみです。

眞子内親王や悠仁親王にも触れていらっしゃいますが、悠仁親王の昔は野菜の収穫に興味があったけど、今は作っていく過程にも興味を持ち始めていると言う部分が可愛いと思いました。

・昭和天皇や昭和の時代について、また天皇のあり方を悠仁親王にどのように伝えていくか

昭和天皇の思い出ということですが,一つ挙げるとするならば,これは昭和の最後の頃ですね。昭和天皇の恐らく一番最後の生物学の関心事だったと思われるナスヒオウギアヤメというものがありました。ナスヒオウギアヤメというのは,ヒオウギアヤメ,これはアイリスの仲間ですけれども,ヒオウギアヤメの一変種になるわけですね。那須にあるのでナスヒオウギアヤメなのですけれど,昭和天皇の生物学研究所の職員が普通のヒオウギアヤメと違うものがあるといって見付け,恐らく変種だろうということになったのですが,そのアヤメが,果たしてヒオウギアヤメとどういう関係にあるのか,そのことを知りたいとあるとき私に話されました。いわゆる花の形態であるとか,そういうものでないやり方で何か分からないかと,遺伝学とか,生化学ですとか。それで,私がつなぎ役みたいな形になって,財団法人でしたけれども進化生物学研究所という元々は東京農業大学の育種学研究所だったところですが,そこの所長に話をして,ナスヒオウギアヤメのプロジェクトが始まったということがありました。その間,中間的な報告が私の所に来るとそれを昭和天皇の所で説明をするということをしていたのがちょうど1988年でしょうね。春ぐらいだと思うのですけれど。ただ残念ながら,一連の仕事が終わる前に崩御になってしまいまして,その後平成になってからですけれども,できた論文を吹上御所の,昭和天皇のお御(み)影というのでしょうか,写真の前にお供えしたと,そういうことが恐らく一番印象に残っていることかなと思います。

ヒオウギアヤメと言えば、妃殿下の御印です。もしかして、この研究がきっかけで妃殿下の御印がヒオウギアヤメになったのかな?そうだとしたら、素敵なエピソードです。

 天皇の在り方についてというのは,私が余り軽々しく言えるものではありません。もし私が言えるとするのであれば,これは今の天皇陛下が即位20年のときの会見で話されているのでしょうか。象徴としての天皇の在り方を常に考えながら今まで過ごしてきたという趣旨のことを話されていますけれど,恐らくそれは陛下も天皇に即位して,そういうことをずっと常に考えてこられたのだと思います。私がもし天皇の在り方についてということに答えるのであれば,やはり,象徴としての天皇というのは,いかなるものがふさわしいのかということを考える,そういうことにあるのではないかと思いますし,長男にどのように伝えるかということについては,やはり私自身はその立場ではありませんので,陛下が言われたことを長男に,そしてまた長女,次女にも伝えるということになります。

これは難しい質問ですよね?仰るようにお立場的に軽々しく言えるものでもありませんし、だからと言って、将来の天皇の父として伝えていかなくてはいけない部分もある訳で・・・。今、陛下は皇太子殿下と秋篠宮殿下をお呼びになり、色々と教えていらっしゃるそうですが、御夫妻ならきちんと伝えていけると思います。

・インターネットやソーシャルネットワークについて

ソーシャルメディア自体をそれほどよく知らないのですけれども,今,世の中に,ものすごい数の情報があるわけです。例えば,ある所に行って,そこにいた人が写真を撮って,それでもう次の瞬間,ネット上に出ている。私も,時々,車の中でパソコンを開くことがあるものですから,そのときに何となく,何度かあるのですけれども,試しに検索をしてみると,何分か前のものがもうアップされている。すごいスピードで情報が流れるわけです。それに,コメントが付いたりとかしますけれど,だんだん,本当にどこにいても,そういうものがネット上に出てくるというのは,自分自身にとっては,プライベートも何もないなという気はするのですけれども,既にそういうツールがあって,それが普通の社会となっています。ですから,もちろん,非常にいい加減なことが書いてあることもあるわけですけれども,ある意味,致し方ないのかなというふうにも思います。それが良いとも悪いとも申しませんけれども,その一方,子どもたちにどう言っているかというと,これは皇室との関係ということではないですけれども,これだけのたくさんの情報が流れていて,本当の情報もあれば,全然そうでないこともあるわけですね。だから,それを全部素直に鵜呑(うの)みにしていると,全く間違った情報を基に,いろんな自分の考えを展開させることになってしまいますから,そういうことの取捨選択,それから自分の中でその情報をどう理解するかということは大事です。これはソーシャルメディアに限ったことではなく,紙,本とかの媒体でもそうですけれど,そのことは伝えていきたいと思いますし,もちろん,そのことについては,本人たちも分かっていると私は思います。

これは仰る通り、皇室関連のブログを読んでいても、どっちが真実?と思うような事が沢山ある訳で、それを自分の中でどの様に処理するかですよね?御自身も、お立場的に色々とある事ない事書かれている訳ですし、色々と言われている中で、私達もちゃんとどの情報が正しいかを見極めていきたいと思います。

取りあえず、印象に残った部分だけを上げましたが、全文は宮内庁のホームページにも載っていますし、どうぞご覧になって下さい。

こうして読んでみると、皇太子殿下の事務的な文章でなく、ちゃんとした文章だなと感じます。今年の災害について触れられている部分でも、皇太子殿下なら「大きな災害が起きて心が痛む、被災した方々にお見舞い申し上げます」で終わっちゃう部分でも、殿下ならしっかりと災害の内容を踏まえた発言をされています。

皇太子御夫妻があのような状況ですから、皇室の行く末は秋篠宮殿下にかかっていると言っては過言ではありません。秋篠宮御夫妻が皇族としてのあり方をきちんとお示しくださっているからこそ、何とか皇室は繋がっているのでは?と思います。

殿下に寄り添う妃殿下、もう、ラブラブですね~、お部屋でのお写真も、姿勢も良く、ほのぼのしています。机にあるのは松ぼっくりでしょうか?大きな松ぼっくりですね~、あんなに大きいのは見た事ないです。

後、もう一枚、見つけてしまったお写真です。

昭和天皇の御膝ではないですが、同じ椅子に座っていらっしゃる殿下、浩宮ではなく礼宮を座らせた事に何か意味深なモノを感じます。まるで、徳川家康の長幼の序を示した竹千代を自分の席に呼び寄せ、弟の国松を「ここは将軍の座る場所だ、お前はその立場じゃないんだから来るな」と止めた時の様に見えますね。昭和天皇はこの頃から御自身の中で長幼の序は反するけど、浩宮より礼宮がこの場に相応しいと思われていたのでしょうか?と言うのは考えすぎでしょうか?


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