市町村の人口ランキングが変化するのは当然だか、市町村の面積ランキングも変動がある。合併・編入などに伴うものだ。
日本一面積の大きな市町村は1955年以降長く北海道足寄町 (1408.04平方キロ) であったが、いわゆる「平成の大合併」により、2005年2月1日に岐阜県高山市 (2177.61平方キロ) がトップとなった。静岡県浜松市、栃木県日光市なども大規模な合併が行われ、北海道足寄町は面積は不変だが現在では6位まで下がっている。
一方で、日本一面積の小さな市町村は、2006年3月27日以降現在まで富山県舟橋村 (3.47平方キロ) である。これはそれまで最小だった岐阜県墨俣町 (3.39平方キロ) が岐阜県大垣市に編入されたことによるものだ。その岐阜県墨俣町は、高知県赤岡町 (1.64平方キロ) が2006年3月1日に高知県香南市に編入されて1位になったもので、1位だった期間は1ヵ月未満だった。
高山市はもともとは約139平方キロの市だったが、近隣の9町村を編入して一気に面積が約15倍となった。
この市町村合併の経緯が高山市のホームページに残されている。
高山市 市町村合併の経緯
https://www.city.takayama.lg.jp/shisei/1000058/1005247/1004042.html
1999年の市町村の合併の特例に関する法律の改正 (地方分権の推進を図るための関係法律の整備等に関する法律) により政府による市町村合併が推進され、自治体財政を支える地方交付税の大幅削減が打ち出され、返済の7割を国が肩代わりする地方債「合併特例債」を求め、市町村は次々に合併に動いた。岐阜県・高山市でも検討が進められた。
アップされている中で最も古い2001年9月の「広報たかやま」によると、「合併の方法はもちろん、合併を行うかどうかについてもまだ何も決まっていません」「現在、飛騨地域の市町村の首長や議長、経済団体などによるそれぞれの研究会が組織され研究が行われています」とある。
またこの時点での合併案は以下の3つで、決定した内容 (大野郡の白川村は外れ、吉城郡の上宝村が加わった) とは異なっている。「高山市+大野郡+吉城郡+益田郡」案が実現したら現行の約2倍の面積となっていたことになる。
最終的な合併案による高山市と9町村の比較 (2002年時点) は以下のとおりである。人口・構成・産業・面積だけ見ても典型的な中核市と郊外という構図であることがわかる。
さて2005年の合併から年月が経ち、高山市はどのように推移していったのかを見ていきたい。
日本経済新聞 2019年2月21日 合併で面積日本一、岐阜・高山の光と影(平成と中部)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO41522140Q9A220C1CN8000/
行政改革で財政は安定し、豊かな自然に抱かれた国際的な観光地として人気を集める。ただ山村は人口減少に歯止めが掛からず、なお厳しい地方の現実がそこにある。
小京都とも呼ばれる高山市中心部の「古い町並み」は、平日も散策に訪れる観光客でにぎわう。人口9万人弱の市への観光客は17年で462万人。大合併があった05年より40万人近く増えた。飛騨・高山観光コンベンション協会会長は「旧町村の豊かな自然資源や温泉地が加わり、一体となって高山の魅力が増した」と合併の意義を強調する。
合併後、10市町村で計1250人いた公務員は830人に削減。積極的な行政改革により、負債返済や投資に使う市の積立金は16年に500億円を超えた。「反発もあったが、市財政を安定に導いた。合併は間違っていなかった」
高山市との合併に携わった旧村の元幹部の男性は「恩恵は少なかった。後悔している」と打ち明ける。市中心部のにぎわいに比べ、地域は過疎化が進むばかり。道路も期待したほど整備されなかったという。ただ「社会の需要、時代の流れもあり、合併は仕方なかった」と考える。
市中心部から車で1時間。旧高根村地域の人口は約320人と合併前に比べて半減した。08年には旧村で残っていた唯一の小学校、日和田小が統廃合でなくなった。同小最後の児童は8人。
地域に住む人の半数は高齢者。行政関係の仕事なども減った。
平成の合併、高山市における検証とその問題点
https://www.city.takayama.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/016/229/shiryou2.pdf
合併で指摘されたところは、旧高山市が合併により政治的にも経済的にもしばらくは足踏みすることを余儀なくされるという点であった。
合併以後高山市の財政力は、合併特例による交付税加算や、合併特例債における償還優遇処置なども含めて財政面ではプラスに働き、経常収支比率の低下、実質収支比率の上昇と、安定した財政運営が続けられた。しかし、合併特例の緩和処置が切れると経常収支比率は84.6、実質収支比率3.9(いづれもH30年度決算)と逆転してしまった。 このことは合併後の産業政策や地域振興策が、急激な人口減少化現象などで苦しい曲面を迎えたことや地域内分権の推進や行政内分権の限界が見えてきたこと等により、合併前の懸念が改めて浮き彫りになったと言える。
もう一点人口減少と高齢化の問題は支所地域で特に進んだ問題です。
左の表からは高山市に隣接する地域と、そうでない地域との2極分化が進んでいる事が見て取れます。荘川地域 (79.62%)、朝日地域 (77.89%)、高根地域 (48.19%)、上宝地域 (75.94%) が、この15年余りで人口を20%以上減らしています。
この問題については、単に人口減少の問題と片づけられないのではないかと考える。その要因として、一つには就業の場が高山市に多く集中していることがある。また、役場が支所として再編され、公務の地域への貢献寄与率も低下、そのことが就業人口の減少、総人口の減少、その結果としての高齢化の進行となっているものと考えられる。
やはり合併前に抱かれていた懸念が顕在化し、人口減と経済の停滞の中で有効な手立てがない、というのが実情だ。もちろん国全体で少子高齢化、大都市への人口集中と地方の過疎化が進んでおり、これらは高山市だけの問題ではない。
一方で日本一面積の小さな市町村である舟橋村は、富山県の市町村地図の中でその小ささが際立っているが、富山市に隣接しており、富山地方鉄道の越中舟橋駅があって利便性は高い。
その舟橋村は合併を行わないことを一貫している。
東京新聞 2020年3月2日 「平成の大合併」から10年 いま市町村は
https://www.tokyo-np.co.jp/article/3050
住民自治の精神貫く 富山県舟橋村長・金森勝雄さん
合併を選ばなかった理由の一つは教育です。村には小学校、中学校が一校ずつあります。合併したら学校は統合され、なくなってしまうのではないか。強い危機感がありました。
村内には富山地方鉄道の駅があります。平成に入ってからは上下水道やデイサービスセンター、特別養護老人ホームなどインフラ整備が進みました。ホールや入浴施設を備えた舟橋会館、駅舎と一体化し、蔵書九万冊の図書館も開館しました。施設も整い、合併するメリットがなかったとも言えます。
平成の初めには約1,400人だった村の人口は今3,100人を超えました。1989年から始めた宅地造成の成果です。富山駅から電車で約15分という利便性に加え、子育てや教育の環境が整っていることが人気を呼んで子育て世代が転入し、人口倍増につながりました。
舟橋は教育の村です。学校は特別支援学級にも対応でき、エアコンやエレベーターなどハード面も充実しています。隣接する小・中学校では一貫教育を行い、富山YMCA福祉会が運営する認定こども園では二歳児から英会話を学んでいます。
今後の課題としては、まずは人口の維持です。人口構成の問題もあります。基幹産業である農業をいかに進化させていくかも課題です。情報技術を活用し、農業を近代化させる必要があります。行政と村民が一体となり、住んでよかったと思ってもらえる村づくりに努めていきます。
ポリシーだけでなく、舟橋村が小さいながらも都市部から近く利便性に優れるという稀有な条件が単独での行政を後押ししていることは間違いない。
国全体として、また各市町村にとって何が正しいかを結論づけるのは難しい。少子高齢化という確実な流れの中で今後も自治体再編の動きが起こるだろうが、全体そして個別最適を検討し続けることになるだろう。