お昼は1時がちょうど良い

在宅療養生活で見たこと、思ったこと、を伝えます。

回顧録 13

2015年11月29日 | 回顧録

小学校~中学校の時期が身体的には順調に育ったのとは裏腹に、生活の中身の方はドロドロでした。

 

母のプライバシーにも関わるのでさらっと言うと、一時的に内縁の関係がありました。相手は当時隣の部屋に1人で住んでいた男で、私は当初気が進まなかったのですが、母がすっかり乗り気なので仕方なくという感じで突入です。

 

暫く生活して分かったのは今でいう所の、DV男でした。あ、これはまずい、嫌な事になったなというのが正直なところでした。でも当時は怖くて何もできず、ずるずると生活が続きました。その男は堅気風ですが暴力団員との付き合いもあったようで一般の勤めには行かず、ギャンブルで不安定な生計を立てていました。

 

言葉による暴力は日常的にあり、耳にタコができるほどで、耐性ができた程です。加えて突然の手による暴力。何が気にくわないのか、話をすればわかる気がするのですがそれが出来ない、手を出して自分の意見に服従させないと気が済まないのは辛いことでした。これでは先妻と離婚するのも無理からぬ事だと感じました。

 

そのDV男は自分が軍隊における上官になったつもりなのでしょうか、自分では何もせず「あれをやれ」「これをやれ」と命令ばかり。こっちが嫌な顔をしたり、指図に従わないとすぐさま暴力。たまったものではありません。

 

なにぶんシベリア抑留帰りなので、怖いもの無し、女子供を道具のように扱う帝国陸軍の前線兵根性丸出し(本人だけの性格なのかもしれないですが)で嫌な目に逢いました。

 

ある時は、友達と遊びに行く約束でウチに2人の友人が迎えに来ているその前で、「何だその洗濯物の干し方は!」と罵倒しすぐさま暴力で自分のやり方の正当性を押し付けるので、それを目の当たりに見た友達たちは怖くなって黙ってスッと帰ってしまったのです。以来誰もウチには友達が来なかった気がします。

 

私はこのままではまずい、自分もダメになってしまうと思い、高校入試合格が確定してからその住処を出ることを決意しました。予め母が別の民間のアパート(貸し間)を見つけておいたので、そこに引っ越をする事に決めたのです。

 

若しDVに悩んでいる方がいたら早めの対応がオススメです。ストックホルム症候群にかかる前に手を打つ事が良いと思います。

 

私の場合は高校生なら新聞配達のアルバイトが許可されると聞いていたので、入試発表で合格を確認してから程なくして近くの新聞販売店に申し込みに行き、即決で「明日から来てね」という事で民間のアパート(貸し間)の家賃と高校の学費を払える見込みが出来たのでやれやれといったところでした。

 

多感な青春期なのに何て事でしょう!

 

そのDV男はもう数十年前に鬼籍に入っているので今はホッとしていますが、これ以上思い出すと気が滅入ってしまうので今日はここ迄。

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 回顧録 12 | トップ | 回顧録 14 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。