goo blog サービス終了のお知らせ 

日和山めぐり ~郷土「室積」を見つめる~

旅の再開は2024年度春に開始、中途半端だったゴルフの基礎練習は現在も継続、猛暑や寒さを避けて旅をする予定です。

第72番 曼荼羅寺

2019年11月16日 | 日和山めぐり(四国編)

我拝師山 延命院 曼荼羅寺

わずかにも曼荼羅拝む人はただ
再び三度帰らざらまし

縁起によると、創建は四国霊場で最も古い推古四年(596)。讃岐の領主・佐伯家の氏寺として創建され、初め「世坂寺(よさかでら)」と称していました。弘法大師がこの寺を訪れたのは唐から帰朝した翌年のこと。母玉依御前の仏果菩提を祈るためだったともいわれています。唐の青龍寺にならって伽藍を三年がかりで建立。本尊に大日如来を祀り、唐から持ち帰った金剛界と胎蔵界の曼荼羅を安置し、寺名を「曼荼羅寺」に改めました。
また、四国霊場の古い案内書には、樹齢1200年を超す弘法大師お手植えの「不老松」の存在も紹介されています。高さは4m足らずですが直径が17〜18mもあり、菅笠をふたつ伏せたような印象的な姿で県の自然記念物にも指定されていました。しかし、松食い虫に浸食され、平成14年に伐採されています。

曼荼羅寺の近くには「水茎の丘」という丘がありますが、ここに庵を建てて7年余り暮らしていたのが西行法師。この寺に通い、本堂前の平らな石の上でよく昼寝をしていたようで、この石は「西行の昼寝石」と呼ばれ今も同じ場所にあります。また、その横には「笠掛桜」と呼ばれる桜の木も。西行が都に帰る際、同行者が形見にと桜の木に笠をかけたまま出発したのを見て「笠はありその身はいかになりぬらんあはれはかなきあめが下かな」という歌を詠んだそうです。

曼荼羅寺の見どころ

・聖観音立像

観音堂に安置されており、158cmの檜一木造りで端麗な佇まい。平安後期の作。香川県有形文化財。四国88カ所記念切手にこの仏様のお顔が描かれています。

 

・笠松大師

笠松と呼ばれていた「不老松」の幹に刻んだ弘法大師座像。お遍路さんは笠松大師をさすっては在りし日の姿を偲んでいます。

観音堂に安置されており、158cmの檜一木造りで端麗な佇まい。平安後期の作。香川県有形文化財。四国88カ所記念切手にこの仏様のお顔が描かれています

 

・西行の昼寝石(平安時代末期の歌僧・西行がこの寺に通っては昼寝をしていたという石。)



第71番 弥谷寺

2019年11月16日 | 日和山めぐり(四国編)

剣五山 千手院 弥谷寺

あくにんとゆきつれなんも弥谷寺
ただかりそめも良きともぞよき

弥谷寺のある弥谷山は、古来より霊山(仏山)として信仰されたといわれ、日本三大霊場の一つに数えられたとされます。古来より、人々は山々に仏や神が宿ると信じ、その山を霊山(霊峰)と呼び信仰の対象としたとされ、この信仰は、お遍路の元となった、辺(遍)路信仰(へじしんこう)の1つともいわれています。弥谷山の霊山信仰では、『本堂下にある、水場横の洞窟が神仏のせかいへの入口だといわれ、特別強く信仰された。』とされ、霊山信仰を持った修験者により刻まれた摩崖仏が今も無数に点在しています。また、こういった信仰は現在も残され、水場の洞窟に水経木と呼ばれる真言を書いた木札をお供えし、山頂から流れ落ちてくる霊水で、経木を洗い清めるお水まつりが参拝されています。

弥谷寺の見どころ

仁王門から石段を400段(シャトルバス到着ところ)上ったところにあります。石段の脇には岩山や摩崖仏が点在しており、岩壁に埋め込まれたように建てられた堂内部は荘厳な雰囲気をしています。本堂へは、さらに140段上ると岩山に囲まれるように佇んでいます。
現本堂建立前は、本堂裏の岩穴に千手観音が安置され、不動明王・毘沙門の扉(現在、扉は獅子之岩屋で安置される)をはめ、岩山全体を御本尊として信仰されました。また、本堂からは讃岐平野を一望することができます。

・仁王門

 朝7時前に山門に到着しました。

・本堂

本堂からの眺望、下に見えるのが大師堂になります。 

・大師堂

 ・獅子の岩屋

大師堂の奥にあり、獅子が口を開いたかのような岩窟で、弘法大師が学問に励み、帰唐のち寺宝の五鈷鈴を納めれられました。大師像のほか、父君・母君・摩崖仏などが安置されています。

獅子之岩屋は、『弘法大師が9~12歳の頃、この岩屋にて修学(学問)に励まれた』といわれています。

また、寺院創建の頃より、この岩屋の右手奥にある洞窟は経蔵として使われていたとされ、大師はこの経蔵から経典をとりだし、岩屋の窓(明星之窓)からの明かりで、修学に昼夜問わず励まれたといわれています。

岩屋の形が『獅子が咆哮をあげた形に見える事から獅子之岩屋』と呼ばれ、「獅子の咆哮は仏の説法」という仏教の信仰から、この岩屋の前で信心をおこし参拝する事で、『その身につくあらゆる厄災を獅子が食べ尽くし、その身を護る』といわれ、信仰されています。

 ・弥陀三尊磨崖仏(大師堂から本堂へ向かう途中の岩壁にあり、大師が刻んだとされています。

「磨崖仏(まがいぶつ)」と呼ばれ、真言を唱えると極楽往生ができるともいわれます。)

釈迦三尊は「釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩」です

阿弥陀三尊は「阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩」であることを知りました。

交通安全ステッカーを入手しました。


第70番 本山寺

2019年11月15日 | 日和山めぐり(四国編)

七宝山 持宝院 本山寺

もとやまに誰か植江ける花なれや
春こそたをれたむけにぞな

本山寺の見どころ

・本堂

 

・五重塔

四国霊場では竹林寺・志度寺・善通寺とこの本山寺の4ヶ所だけという五重塔 

・仁王門(和様・唐様・天竺様という三つの様式の山門。全国でもほかに例のない、どっしりとした構えの八脚門は国指定の重要文化財です。) 

・鎮守堂(室町時代末期の様式を残す小さな社。桧皮葺き屋根の素朴なたたずまいです。県の指定文化財です。)

交通安全ステッカーを入手しました。


第69番 観音寺

2019年11月15日 | 日和山めぐり(四国編)

七宝山 観音寺
観音の大悲の力強ければ   
おもき罪をも引きあげてたべ

観音寺が第六十八番・神恵院と同一境内にあり、開基も創建の時期や由縁も同じであることは、前項で述べている。ただ、創建されたころの寺号は「神宮寺宝光院」と称した。以来、100年後の縁起からたどる。大同2年(807)、弘法大師は琴弾八幡宮の本地仏である阿弥陀如来像を納めたとき、この寺の第7世住職となって入山したと伝わる。そこで大師は、琴弾山の中腹に奈良の興福寺に倣って中金堂、東金堂、西金堂の様式で七堂伽藍を建立し、その中金堂には本尊とする聖観世音菩薩像を彫造して安置した。さらに、この地に仏塔を建てて瑠璃、珊瑚、瑪瑙などの七宝を埋め、地鎮をしたことから、寺名の神宮寺を「七宝山・観音寺」に改め、霊場に定めたとされている。

観音寺の見どころ

・琴弾宮絵縁起

・最古の落書き

※確認できませんでした。


第68番 神恵院

2019年11月15日 | 日和山めぐり(四国編)

七宝山 神恵院

笛の音も松吹く風も琴弾くも 
歌うも舞うも法の声々

六十八番・神恵院も六十九番・観音寺も琴弾公園内の琴弾山の中腹にあります。2つの札所が同じ境内に存在する、とても珍しい霊場です。

神恵院の見どころ

・本堂 

・巍巍園(ぎぎえん・山の斜面や岩石、流水を巧みに利用した回遊式庭園。第45世大政大僧正道尊和上が造ったといわれ、S51年、土砂災害により大部分を失うが、春にはツツジが美しく咲き誇ることでも有名。)



第67番 大興寺

2019年11月15日 | 日和山めぐり(四国編)

小松尾山 不動光院 大興寺

植ゑ置きし小松尾寺を眺むれば 
法の教への風ぞ吹きぬる

地元では大興寺というより、山号にちなむ「小松尾寺」という呼称が親しまれ、近傍一帯の集落を小松尾と呼ぶ。


大興寺の見どころ

本堂の「七日燈明」

本堂で赤い蝋燭を7日間灯し祈祷していただくもの。

病気平癒、安産、良縁などのご利益があります。

蠟燭にはお願い事が記入されています。 

・仁王門

 

・参道の榧と楠


第66番 雲辺寺

2019年11月15日 | 日和山めぐり(四国編)

巨鼇山 千手院 雲辺寺

はるばると雲のほとりの寺に来て 
月日を今は麓にぞ見る

四国霊場のうち最も高い標高911メートル、四国山脈の山頂近くにある霊場で、「遍路ころがし」と呼ばれる難所とされた。現在は、麓からロープウエーで山頂駅まで登ることができる。住所は徳島県だが、霊場としては讃岐の打ち始めでいわば「関所寺」。

ロープウェイ乗り場からの眺望です。

今回も好天気に恵まれました。

紅葉もまずまずでした。

雲辺寺の見どころ

・乳銀杏

 ・おたのみなす(境内の片隅、奥まったところにある腰掛け。)

 

・毘沙門天展望館(雲辺寺山の四季を360度眺望が楽しめる。)

展望台入口からの屋上階段には八十八カ所のお寺の切り絵が展示されています。

屋上では四国山脈の眺望を楽しみながらの食事風景も見られました。

 

お釈迦様のお弟子さんである等身大の五百羅漢像が境内全域に安置され、参拝に訪れた方を見守っています。

交通安全ステッカーを入手しました。

これまでのステッカーとは違った趣があります。


第65番 三角寺

2019年11月15日 | 日和山めぐり(四国編)

由霊山 慈尊院 三角寺

おそろしや三つの角にもいるならば 
心をまろく慈悲を念ぜよ

江戸時代の俳人・小林一茶が寛政7年(1795)に訪れたとき、「これでこそ 登りかひあり 山桜」と詠まれただけあって、山内は樹齢3、400年の桜が爛漫となる名所である。伊予最後の霊場で、標高は約360m、平石山の中腹にある静かな境内。

大師は不動明王像も彫られ、三角の護摩壇を築いて21日間、国家の安泰と万民の福祉を祈念して「降伏護摩の秘法」を修法されたという。この護摩壇の跡が庫裡と薬師堂の間にある「三角の池」の中の島として現存し、寺院名の由来ともなっている。

三角寺の見どころ

・三角の池

周囲10数メートル、池のなかに三角形の島があり、弁財天が祀られた小さな堂が建っている。

・薬師堂

疣や魚の目が治るご利益があるといわれる。疣は松かさのようにぽろりと落ち、魚の目には蛸の絵を描いた絵馬を奉納して祈る。蛸の吸盤が魚の目を取るという。

 

・延命地蔵菩薩立像(昭和52年再建。高さ7m銅造。)