goo blog サービス終了のお知らせ 

日和山めぐり ~郷土「室積」を見つめる~

旅の再開は2024年度春に開始、中途半端だったゴルフの基礎練習は現在も継続、猛暑や寒さを避けて旅をする予定です。

浜安木

2019年05月08日 | 日和山めぐり(日本海山陰編)

香住から竹野に入る直前に浜安木という小さな集落があります。

そこには北前船主として活躍した宮下家があるということで立ち寄ってみました。

さすがに豪邸です。

宮下家の場所を教えてくれた地域の方が自前の絵手紙の工房を見せてくださいました。

ここに毎週絵手紙仲間が訪れるそうです。

 娘さんが保育士ということでかわいらしい絵も飾られていました。

 小さな集落の中にもキラリと光る場所に出合えてよかったです。


今子浦(柴山)とかえる島

2019年05月07日 | 日和山めぐり(日本海山陰編)

今子浦にも北前船の繋留施設があります。

柴山港です。

今子から見た香住の町並みです。

今子浦の眺望です。

江戸時代に出張奉行所があり田嶋家が執りおこなっていたそうです。

その場所は今民宿になっています。

繋留施設があった千畳敷を歩いてみました。

この場所は香美町マップの表紙にも使われています。

 

カエルに似た島で、北前船で航海に出た男たちが無事にこの地に帰る(カエル)ことを

祈願したと言われています。

干満差は10センチくらいなのでいつでも千畳敷を歩くことができます。

繋留施設はこの千畳敷、双子石、黒島、白石島に見られるそうです。

その後、矢田川温泉で入浴、車中泊先に向かいました。


諸寄港と日和山の眺望

2019年05月07日 | 日和山めぐり(日本海山陰編)

再び諸寄に入りました。

諸寄港と日和山の眺望を楽しみました。

日和山への入口です。

ここが前回わかりませんでした。

 竹やぶになりそうです。

 

海が見えてきました。

右下に以前は畑がありました。

 そのときには日和山への道の手入れも行きとどいていたそうです。

目的地の一つにやっとたどり着きました。

城山園地にも訪れ諸寄の眺望を楽しみました。

 

 

前方に見えるのが日和山です。


居組港の繋留施設

2019年05月07日 | 日和山めぐり(日本海山陰編)

日和山巡りの旅を再開しました。

朝4時に室積をスタート、12時頃兵庫県浜坂町居組港に着きました。

網掛と呼ばれる一帯に150メートルにわたって繋留施設が点在しているということで訪問してみました。

漁港で漁師さんに話しかけられ、居組についてお話しを伺うことが出来ました。

その人のおじいさんの代には、ここから北海道の礼文・利尻島まで船で出かけていたとのこと。

「但馬・廻船史話」にも、鳥取藩の廻米輸送に活躍した居組船頭(他国の廻船の船頭に大勢進出していた居組船頭)など信頼の厚い、腕のいい、進取の気性に富む船頭を輩出している、と記述されています。

高台の龍神堂に行けば港全体が見渡せることも教えてもらい、車で峠の方に上がってみました。

峠から見た居組港の全景です。

左側はが不動山、右側が亀山、2つの山に挟まれた水域が先ほど行った「網掛け」になります。

手前急カーブに見えるのが龍神堂・魚見台です。

龍神堂のある場所が魚見台公園と呼ばれています。

残念ながら雑木が茂って前がよく見えません。

 龍神堂からの眺望です。

ここがおそらく居組港の日和山だったのでしょう。

安本恭二さんの本「但馬・廻船史話」との出会いがなければ居組港を訪れることはありませんでした。


但馬・廻船史話

2019年04月24日 | 日和山めぐり(日本海山陰編)

安本さんの本「但馬廻船史話」を一読しました。

但馬廻船の全体像を知ることができました。

全体像とは

「日和山」「繋留跡」「廻船」「船絵馬」「引き札」「航海誌(図)」「御城米」「竹野・北前館」「香住・海の文化館」などが挙げられます。

「日和山」

諸寄・瀬戸・城崎・竹野浜・香住・三尾にある日和山について詳しく知ることができました。 

「繋留跡」

繋留とは湊に船をつなぐことですが、船を繋ぐ場所と施設には雁木と河岸の二つがあることを学びました。

そういえばこの3月に温泉津の沖泊り港に出かけましたが、鼻ぐり岩と呼ばれる繋留跡が各所にありました。

「鼻ぐり岩」

 

【雁木】

【河岸】では三つの繋留タイプ(棒杭・めぐり・もやい石)が使われていることを学びました。温泉津の鼻ぐり岩はもやい石にあたるのでしょうか?

但馬にはたくさんの繋留跡が残されています。

浜坂町居組港(御城米運搬港)にもたくさんの繋留跡があることも知りました。

次回の旅ではそうした施設も見落とさないようにしたいです。

繋留跡を学ぶことで、そういえば室積にも附属小中学校の実習生宿泊施設海岸下には雁木があることに気付きました。

「宿泊施設」

「廻船」

「廻船の稼働」

「船絵馬」

船絵馬と神社との関わり、船絵馬に込められた思い・願いを深く学ぶことができました。

「引き札」

引き札とは現在では広告チラシにあたるものです。

「航海誌(図)」

航海図から山口県では、日和山がある上関・室積・下関・特牛・阿川・須佐以外に平生港・下松港・福川港・三田尻港・阿知須港などにも北前船が停泊していたことがわかりました。

全国に分布する日和山めぐりに終始する予定でしたが、こうした北前船寄港地を再発見することの大切さも痛感しました。 

「御城米」

今回の旅で、山口県の浜崎港、島根県の宇竜、鳥取県の菊港など、兵庫県の居組港など、御城米を専門に運ぶ北前船の寄港地の存在も知りました。

これも日和山がある寄港地を訪れるだけでは気づかなかったことです。

「竹野・北前館」

「香住・海の文化館」

香住にある海の文化館は見学しました。

竹野にある北前館はこれから見学予定です。

この本から展示物を読み解く視点をあれこれと得ることができました。

入手できたこと、安本さんに感謝!

これを元に「室積の廻船史話」が執筆できるでしょうか。


山陰海岸めぐり・3泊4日の旅を終えて

2019年04月17日 | 日和山めぐり(日本海山陰編)

今回の日和山めぐりは4月11日から19日まで、鷺浦から舞鶴方面までを予定していました。

ところが孫の出産予定日が早まって3泊4日の旅となりました。

今回の旅で感じたのは、2011年に山陰海岸がユネスコ世界ジオパークに認定されたことで観光施設が充実しており、案内所のスタッフのサービスも行き届いていたことです。

日和山めぐりの次は日本ジオパークめぐりかなという気分になりました。

そうしたことから、ジオパーク館を中心に観光施設も魅力的な場所が数多く紹介されています。

 

こうしたことから旅先での所要時間も長くなりがちです。

当初予定していた日和山めぐりは、日本海側から北海道までを網羅する旅で1カ月もあればいいだろうと思っていました。

ところが日和山だけをめぐる旅に収まらなくなってしまいました。

今回の浜坂・諸寄コース・香住海岸コース・竹野海岸コース・城崎温泉コースの場合、ユネスコ世界ジオパーク山陰海岸ということもあり、北前船関連の場所も詳細に紹介され滞在時間も長期になりそうです。

 

 

 

じっくりと、しかもゆったりとした全国日和山めぐりの旅にすることにしました。

今回のように短期の旅、今後は長期の旅を織り交ぜつつ、有意義な旅にしようと思いました。

次回の旅は5月6日 から13日くらいになりそうです。


香美町(ジオパークと海の文化館)

2019年04月14日 | 日和山めぐり(日本海山陰編)

八坂神社の参道を降りる頃に雨が降り出し、開館時間9時過ぎに「香美町立ジオパークと海の文化館」に到着しました。

1階はジオパーク館

2階が海の文化館

ジオパーク館では香美町の魅力が満載、海の文化館では但馬海岸の北前船関連の展示品がコンパクトにわかりやすく展示されていました。

およそ2時間くらい館長さんから、ジオパークと北前船について懇切丁寧に教えていただき、山陰海岸周辺がジオパーク世界遺産、日本遺産に認定された背景も伺うことができました。

 ジオパーク

 

北前船

 

 

柴山港は入江が深いので千石船を曳航するために伝馬船が積まれています。

 

今回の日和山めぐりは4月11日から19日、鷺浦から城崎までを予定していましたが、香住港で中断、急用で室積に戻ることになりました。

12時半に香美町を出発 、大雨の中を夕方7時に無事帰宅することができました。


香美町(八坂神社)

2019年04月14日 | 日和山めぐり(日本海山陰編)

進水は岡見台の側に八坂神社があります。

 雨が少し降り出したので足早に参拝しました。

身近な喜び事で石柱が奉寄進されています。

進水は漁業関係者でしょう。

初老とはかつては40歳くらいの人でしたが、今は60歳または70歳以上をいうことが多いとのこと。

皇室も訪れています。

雨が降り出したので香美町立ジオパークと海の文化館に向かいました。


香美町(香住港岡見台)

2019年04月14日 | 日和山めぐり(日本海山陰編)

平成合併で香住町・美方郡・村岡町が香美町に統合されました。

香住海岸から岡見台を一望しています。

八坂神社の鳥居をくぐり抜けて登ると岡見台です。

八坂神社の側に岡見台はありました。

 

石碑が見えます。

香住にも野口雨情が訪れ作詞しています。

当時野口雨情は各地の風光明媚な場所を訪れ作詞をすることが仕事だったのでしょうか。

たくさんの海岸松が残されています。

松枯れも見られますが、おそらく松の保護育成が強力に押し進められているのでしょう。

香住港側から見た岡見台です。

南波さんの本「日和山」では岡見台が日和山とされていますが、北前船が停泊したのは香住港ではなく入江の深い隣の柴山港だったそうです。

 どうやら岡見台には観天望気の場所ですが北前船の船頭さんは日和山として訪れなかったようです。