府立丹後資料館に展示されていた裂織は、宮津の廻船問屋「元結屋」のものです。
元結製造販売から次第に廻船業、酒造業、糸問屋と手を広げた豪商です。
三上家住宅は平成12年から一般公開されています。
府立丹後資料館に展示されていた裂織は、宮津の廻船問屋「元結屋」のものです。
元結製造販売から次第に廻船業、酒造業、糸問屋と手を広げた豪商です。
三上家住宅は平成12年から一般公開されています。
宮津にも多くの北前船が出入りしていました。
若狭湾の奥まった位置に宮津は位置しているので、風待ちの寄港地ではありませんでした。
北前船風待ちの港は伊根町あたりまでだったようです。
宮津の日和山は日和ヶ丘と呼ばれたおり、線路沿いにある宮津中学校グラウンド横の小山になります。
ここからよく港が見おろせます。
経験上教師は始終多忙、撮影許可をもらうために日和山を理解してもらうなど時間を要すると思われるので、グランド周りでこっそりと素早く撮影しました。
正面に見えるのが宮津の日和山です。
フェンスがあり登れないようです。
天橋立は舞鶴から小樽のフェリーの待ち時間に車で少しだけ立ち寄り、車窓から周囲を見渡しただけでした。
今回はリフトで上からの眺望、砂嘴の松原散策を楽しみました。
智恵の輪は宮津市のシンボルマークになっています。
文殊の知恩院に駐車、砂嘴の南端「天橋立運河」のほとりに「知恵の輪」と呼ばれる石燈籠があります。
輪の中に火を灯して、航海する船の案内にしたものです。現在は運河に並行して置かれていますが、船から灯火が見えるように直角に置くのが本来の向きだそうです。
文殊堂の交通安全ステッカーも入手しました。
お寺なので右側に貼り付けています。
宮津湾の奥の阿蘇海に面した岩滝町にふれあいセンター知遊館はあります。
岩滝町が町制施行80周年記念として北前船の復元模型を造りました。
知遊館の玄関先に展示されているということで見学に行きました。
北前船と裂織は密接に関わっています。
両方の資料が展示されているということで丹後郷土資料館を訪問しました。
スタッフも歴史学・郷土学・考古学3人の担当者がおり充実していました。
スタッフとの語らいから、歴史学は古文書の解読、郷土学は現場にあるモノの観察と住む人からの聞き語りが中心的な仕事であることを再認識しました。
私に説明してくれた歴史学担当スタッフは北前船難破船の研究をしていたこともあったそうです。
郷土史担当スタッフとは都合で話を伺うことができませんでした。
今日最初の訪問先は丹郷土後資料館、開館は9時です。
現在8時過ぎ、ほんの少しだけ天橋立の松原散策後、近くの神社に立ち寄りました。
駐車料金も30分まで無料ということもあり参拝してみました。
松の保護育成の苦労がしのばれます。
とんでもなく立派な神社でした。
いつものように交通安全ステッカーを入手。
常に交通安全祈念と潜在的危険性の意識化に努めたいと思います。
交通安全ステッカーは北前船で言えば航海安全祈願絵馬のような存在です。
伊根は船屋の町として知られた美しい町です。
平成5年放送の朝ドラのロケ地だったようです。
海から船倉集落を見るのがいいということで遊覧船に乗りました。
エサを求めてカモメがよってきます。
車で集落の中を走ってみました。
道沿いからの撮影です。
集落のすぐ上に道の駅があります。
今夜の宿泊先にしました。
これまでの旅の中では一番最高の眺望先での車中泊になります。
浦嶋神社から新井崎神社に向かう途中、海岸線がとてもきれいでした。
イタリアのアマルフィみたいでした。
伊根町の船倉集落に入る手前に新井崎神社があります。
新井崎神社は中国の徐福上陸の地と伝えられ徐福を祀った神社です。
経文岩とハコ岩が見えてきました。
浦嶋や徐福伝説はここだけでなく全国に、北前船の寄港地周辺に残されていると言われています。
伊根町には浦島太郎を祀る浦嶋(宇良)神社があります。
各地北前船の寄港地では浦嶋伝説が残されているそうです。
社務所の方から話を伺うことで浦島太郎とは何か正しい認識を得ることが出来ました。
カメさんの交通安全ステッカーを入手しました。