政治家「又市征治」という男

元政治記者の私が最も興味を持った政治家、それが又市征治だった。その知られざる人物像に迫る。

自民党本部への「直談判」

2007年06月27日 | Weblog
 又市征治は、昭和62年に成立した「連合」(日本労働組合総連合会)でも活躍する。連合富山の副会長、会長代理、県連合総研理事長なども務めている。

 連合富山は、制度や政策に関する要求書を出していた。主に又市が起案していたその要求書には、県民への福祉制度の拡充が中心だったという。

 そのときの富山県知事は昭和55年から中沖豊という人物が務めていた。
 中沖は自民党公認の知事だった。県議会でも圧倒的多数を占める自民党議員を背景に、富山県は「自民の、自民による、自民のための政治」が行われていた。今でも、富山県は全有権者数に占める自民党員数の割合が全国トップという、超「保守王国」である。

 しかも、中沖と又市は県庁時代からの「仇敵」同士だった。
 中沖はもともと旧自治省の官僚だった。中沖の故郷でもある富山県に出向し、県の総務部長を務めた時期もあった。ところがその時期というのは、県職員の組合で又市が華々しく活躍していたときである。総務部長と組合側は激しく対立した。そのときの県側のトップが中沖であり、攻め手側の急先鋒が又市だった。

 それからしばらくして中沖が初めて知事選に立ったとき、中沖は「又市は、まだいるのか。」と何度も尋ねたと言う。中沖にとって、それほど又市という人物は印象的で手ごわい存在だったのである。

 その又市は、住民の福祉を軽視する自民党県政を正すため、中沖5選がかかる平成8年の知事選を前に、驚くべき行動に出る。

 その日、又市は平河町に立っていた。今から「直談判」を行うためである。
 又市は、自民党の本部に乗り込んだのだ。その「直談判」の相手は、当時の自民党幹事長、加藤紘一だった。
(敬称略)

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