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ミセスローゼンの上人坂日記

くりうむと呟く春の雲生るる

   

愛おしさ、恋しさ、懐かしさなどのニュアンスを含んだ韓国語 “くりうむ”に、ぴたりと当てはまる日本語が無いので、そのままひらがなでタイトルになさったとのこと。韓国と日本と二つのふるさとを持つ利惠さんらしくて素敵だ。

国際結婚中の私も日々、「風花」「空蝉」「待宵」「野分」……季語のニュアンスを英語で伝えきれないもどかしさを感じる。

 読み進むうちに、“はんなり”(華やかで、明るく、上品な)という京言葉が自然と浮かんだ。利惠さんの舞踏の句はもちろん、身体の動き、心の動きを詠う句には、“はんなり”としたリズムがある。

“はんなり”だけでは語り尽くせない、素直で深い愛惜を、“くりうむ”というのだろうか。

句を一つ一つ読み解き味わうことで、“くりうむ”という未知の言葉にほんの少し寄り添い、親しむことができたような。


私的に“はんなり”と”くりうむ“な十句。

    牡丹散る心変はりに追ひつけず 
 おとなしく攫はれてをり牡丹雪 
 春宵やなにかを踏みてゐる心地 
 身を折りてくちなしの香に近づかむ 
 髪束ね走る夕立より疾く 
 舞ひ終へて色なき風と添ひ寝して 
 火照る指革手袋に閉ぢ込めむ 
 コムシンは小さきゴンドラ春逍遥 
  (コムシン:韓国伝統の履物) 
 ひとさしを舞ひ寒紅をさしなほす 
 寒紅を濃くす奈落を昇るとき 

私の個人的、圧倒的に好きな十句。   

  春愁や犬の眼人の眼私の眼 

春になるとどこにでも現れるのが春愁の眼であると。おたまじゃくしの眼、だるまさんの眼、ピカソの眼……と続いてゆきそう。
 
   風立ちて彼女を連れてゆく驟雨

 新倉富士浅間神社の桜の下に建つ茜色の李良枝文学碑に刻まれた「サラン、サラム、サルム」の文字は夕日の中で殊に美しい。「夕立」でなく「驟雨」と詠んで、哀しみが降る。  

  机上にて聖書膨らむままに梅雨  

湿気を吸って膨らんだ本、それが聖書であると。梅雨時の人間の煩悩を感じさせる。

   黒日傘踏み入る三解脱門に  

結界を越える人の如き勇敢さ、清浄さ、そして叡智。  

  一本の太き綱請ふ雲の峰  

不思議な取り合わせが、昇龍のような天界へ昇る一本の綱を空想させる。

   置時計かかへて晩夏父帰る  

重い時計を抱いて帰る父の姿に、人生を重ね合わせる。晩夏の季語が挽歌のごとく響く。  

  争ひてハングルさみし鳳仙花  

争う言葉はさみしい。それが母語(mother tongue)でなければなおさら。  

  まなうらに旅始まりぬ日向ぼこ  

夜の床に就いた時にもままある事だが、日向ぼこのまなうらの旅は、茫洋と明るい旅。  

  雪の果見とどけにゆく切符買ふ  

凩の果ては海、雪の果に何があるのか。北野武監督の映画「Dolls」を見て以来、私の「雪の果」はラストシーンの崖。  

   韓瓦反りて寒三日月吊るす  

屋根と言わず「韓瓦」と具体的に、「寒」の音を重ね、三日月を吊るす。このリズム、ファンタスティック! 










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