
長女は今年二十歳を迎えた。NYの音大の三年生。今年オーケストラの首席チェロになり、今週ショスタコーヴィチの交響曲一番を二回弾いた。二回ともうまく弾け、特に二回目がよかったそうだ。カーテンコールに、指揮者に真っ先に立たされ拍手を貰ったらしい。
彼女が三歳の時、初めて日本の音楽教室へ連れて行った。まず子供と親だけが教室へ入れられ、自由に楽器に触って貰っていいですよ、と言われた。子供達は全員もじもじしてお母さんの膝にくっついていた。長女だけはさっさと歩いてピアノを出鱈目に弾き、オルガン、木琴と叩いて回り、最後に太鼓を打ち鳴らして踊る、という一人舞台を見せた。お母さんがたは、ほら楽しそう、あの子みたいにやってごらん、と口々に子供達を促したが誰もやらなかった。突然先生と薄汚れたピンクの縫いぐるみの犬が教室に入ってきて、さあ一緒に手を叩きましょう! と体験レッスンが始まるやいなや、長女はわんわん泣き出した。縫いぐるみが怖かったのだ。長女はいつまでも泣き止まず、あらあら、というお母さんがたの視線の中、私達はすごすごと退室した。これに懲りず、よくぞ音楽好きに育ってくれたものだ。
今月十八歳になった次女は、二歳の時にNYに連れて行った。姉が現地の幼稚園や小学校に苦労して慣れて行くのをそばで見ながら、楽々と英語を覚えていった。長女がオムツ外しに苦労するのを見ていた次女は、ある日自分でオムツを脱いで、すたすたトイレへ行き用を足した。赤ん坊の頃から手がかからなかった。おなかが空いた時しか泣かなかった。そろそろ離乳食をと思う頃、ふと見ると海老フライをつかんで勝手に食べていた。小学校のミュージカルのオーディションで主役を射止め、アジア人の女の子がピノキオを演じた。センタースクール、ジュリアードプリカレッジ、ブロンクスサイエンス、ICU高校、と行きたい学校に行き、やりたいことをやってきた。友達は100人くらいいるように見える。思えば今、初めて次女が必死に苦労する姿を見ているような気がする。得意な英語ではなく日本語で日本の国立大学を受験するのだ。