ミセスローゼンの道後日記

夏の闇瞼閉ぢれば明るかり


無伴奏バッハを聞けばチェリストの全てがわかるらしい。だが私は、チャイコフスキーのロココヴァリエーションを聞くまではチェリストの全てはわからない、と言いたい。
先日、ニックの弟子の理さんがそれを弾いた。熱演であった。師匠の一番よい資質を受け継いでいる。それは、一音一音、最もよい音色で弾きたい、という欲望があることだ。
音程が決まってるピアノと違い、チェロは一音一音、音程を作ってゆく楽器だ。ヨーヨー・マは、一言で言えば、あなたにとってチェロとは? と聞かれ、interval(音程)と答えた。素晴らしい。弦の表面を弓毛が滑るような弾き方でも音は出るが、到底満足できる音ではない。そんな音を聞くと、私は靴の上から足の裏を掻いている思いがする。弓がたっぷりたわみ、弓の毛が弦をしっかり擦って、初めて、ああ、気持ちよい音、と感じる。おそらくスポーツカメラみたいな物で撮影すれば、奏法によっていかに深い幅の音が生み出されるか否か、科学的に検証できるのではないかと思う。右手の弓加減だけでは駄目なようだ。左手の指の間隔がドンピシャリの音程を押え、しかもビブラートをかけ、右手の弓で深い音色を生みつつ、曲によって様々な音楽を創造する。それがチェリストの仕事なのだ。難しい曲を弾けば弾くほど、音色はおざなりになりがち。ましてロココなんて難曲中の難曲を弾けば、うまく弾きこなす為に音色を犠牲にせざるを得ない難所がある。それが、ロココを聞くまではチェリストの良し悪しはわからないと私が思う所以である。えへん。
理さんは最近ガット弦で弾き始めた。(ガット弦は羊の腸を薄くより合わせた物。ニックいわくガット弦は生身の女、スチール弦はアンドロイド、というくらいのしろもの。これヒューマノイド差別?)ガット弦は、表面を滑る弾き方ではまるで鳴ってくれないようだ。右手で深々と弓を使い、左手は全身全霊で押え続けなければ、どうもよい音が出ないらしい。だから、どちらにしろ理さんは、死に物狂いで弾かされることになる、と私は安心していた。結果は予想どおり! 彼はガット弦に食いつきそうな勢いで弾いた。一音一音が生きるか死ぬかという音だった。助けられず崖から落ちて死ぬ音もあったが、むしろ命綱の無い演奏だと実感できた。目を閉じて最初の数音を聞き私は満足した。それから、汗を流して弾く姿に感動し、生み出される音に身も心も揺さぶられた。一音を聴かせる為に、オーケストラや観客を待たせる事もできるようになった。バレエダンサーやボクサーと同じだけ練習し、同じくらいエキサイティングにパフォームする数少ないチェリストの弟子として、益々精進して欲しい。
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