
新宿駅の焼き蛤みたいな焼き栗。
テクニックがついて初めて見えてくる可能性があることを最近実感している。
例えばチェロのすごくうまい人は、バロックチェロは弾かない。何故か。テクニックがあるのに、それが使えない楽器を使いたくないからだ。音楽性は、テクニックにより高められる。音楽性はあるから、後はテクニックさえあれば、などと人は言うが、私はそれは幻想だと思う。テクニックがあっても音楽性のない人も、音楽学校などにはごまんといるが、その反対はありえない。俳句も同じ。私は、まず言葉(テクニック)ありき、という句作法に疑問があった。しかし帰国して、俳句関係の仕事でギャラを頂くようになって、結果的に言葉エクササイズをさせられ、言葉力を鍛えることが必須となって、夢中でやったら、今になってレベルアップの可能性が見えてきた。
ここからが、キモです。
それまでは、そんな俳句が作りたいとも思わなかった。だが、実際は、思えなかったのだ。テクニックが無ければ、本質が見えてこないのだ。だから、ニックは、アマチュアといえども、松山の生徒に、ボーイングとスケールをプロ並みに厳しくやらせる。結局それしか近道はないから。
そんな俳句が作りたいとは思わない、と思って、人前でも言ってた自分が、今は限りなく阿呆にみえる。orz