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ミセスローゼンの道後日記

燕見て空つぽの町歩きけり

朗善先生は幼い頃、誰かが五十五歳の人をミドルエイジと呼ぶのを聞いて「五十五がミドルエイジだから、人はちょうど百十歳まで生きるのだ」と思ったそうだ。
人生の折り返し地点を過ぎて、老後が定まって安心の人もいれば、青年のように何も決まってない人もいる。どちらが幸福かなんていえないが、私は運命に流され(浮船みたいに!)既に後者の道を進みだしてしまったから、そっちを幸福と思うしかない。
朗善先生が、「今は何をなさっているんですか?」と聞かれるたびに、「プライベートで教えながら、次に何が起こるか待ってるところです」と答えるのを聞くと、全く同感する。
離婚してよかったことは、自分の人生を取り戻したこと。またいろんな経験ができること。私の残りの人生を賭けて、朗善先生のことを書く決心をした。彼にスティックして、どこでもジャーマネみたいについてゆき、見聞きしたことを記録して、ロバートクラフトの「Chronicle of a Friendship」みたいな日記文学を書く。
ってことで、今、ペンシルヴァニアの小さな町に来ている。先生がチェロコンテストの審査員をしている。伴奏者や関係者と一緒にこの宿舎に泊まっている。昨夜のディナーで、隣に座った男性は(なんという運命)、ロバートクラフトの友人で、クラフトのレコーディングに参加したこともあるというチェリストだった。その話もっともっと、と聞いているうちに、彼は立ち上がってストラヴィンスキーのレクイエムカンティクルスの指揮真似をしだした。それがそっくりで感動した。
宿舎の窓から見えるウォーターパーク。
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