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【非売品】 NWA認定北米タッグチャンピオンベルト レプリカ

2018年12月18日 21時07分01秒 | プロレスグッズ
海外製。
全長約1,300mm。
重量約3.1kg。
ストラップ本革。
収納ケース無。
刻印無。
 

北米タッグ王座

NWA北米タッグ王座(エヌダブリューエーほくべいタッグおうざ、NWA North American Tag Team Championship)は、かつて全米各地に存在していたプロレスタッグ選手権であるが、本項では新日本プロレスが管理していたものについて扱う。NWAによる認定とされていた。新日本プロレス初期の1974年から1981年まで、同団体のタッグにおけるフラッグシップ・タイトルであった。新日本プロレスの管理下に入るまでの来歴には不明点が多い。

由来

同王座が日本に初めて紹介されたのは1973年8月、ロサンゼルスオリンピック・オーディトリアムにおいて新日本プロレスアントニオ猪木坂口征二が王者のジョニー・パワーズ&パット・パターソンに挑戦した際である。挑戦者組が勝利するが、3本目が反則勝ちのためにルールにより王者組の防衛となった。これ以前にパワーズとパターソンがアメリカでこの王座を獲得・防衛した記録は見当たらず、このタイトルはこの試合のために創作されたものと見られている。

同年12月に王者組が来日、大阪において猪木&坂口が再び挑戦するが、獲得は逃した。翌1974年6月に新王者のクルト・フォン・ヘス&カール・フォン・ショッツが新王者として来日、猪木&坂口が挑戦するがまたも獲得を逃す。同年8月16日、再びオリンピック・オーディトリアムで4度目の挑戦を果たして王座を獲得した。

ヘスとショッツは、もともとNWF世界タッグ王者として来日する予定であったといわれる。このチームがアメリカおよびカナダでパワーズ&パターソンから王座を獲得した記録がないことから、パワーズ組とヘス組の王座は別物であるとする見方もある。しかし、昭和の時代においてはパワーズ組→ヘス組→猪木組への王座変遷が通説として語られてきた。

また、同王座は「NWA認定」とされてきた。猪木組の王座獲得の時点で新日本プロレスはNWA非加盟であったが、獲得の舞台となったロサンゼルス地区(NWAハリウッド・レスリング)のプロモーターであるマイク・ラベールはNWA会員であり、新日本プロレスへのブッカーも務めていたことから、ラベールによってNWA認定の形をとっていたものと思われている

歴史

アントニオ猪木&坂口征二が獲得してからは、新日本プロレスのタッグにおけるフラッグシップ・タイトルとして王座戦の歴史が重ねられていった。しかし当時の新日本プロレスは外国人レスラー招聘力が弱く、挑戦者もエース級のリーダーに対してパートナーが弱体の即席コンビが多かった。獲得から1年後の1975年8月1日、同じロサンゼルスのオリンピック・オーディトリアムにて、数少ない名コンビの挑戦者であるハリウッド・ブロンドスジェリー・ブラウン&バディ・ロバーツ)の挑戦を受けた試合がノーコンテストとなり、日本で王座決定戦が行われることになる。しかし、猪木は負傷のため出場を辞退、代わって新日本プロレス入団まもないストロング小林が坂口と組み、9月22日に名古屋で決定戦に挑むも敗退、ブロンドスに王座が移るが、10日後の10月2日に大阪で猪木&坂口が王座を奪回している。猪木&坂口の戴冠時の主な挑戦者チームには、ニコライ・ボルコフ&シーク・オブ・シークス・オブ・バグダッドハンス・シュミット&ブルート・バーナードイワン・コロフ&グレッグ・バレンタインなどがいる。アンドレ・ザ・ジャイアントも、ロベルト・ソトトニー・チャールズをパートナーに起用して挑戦した

1976年2月に猪木の王座返上を受けて、2月5日の札幌での決定戦に勝った坂口&小林のパワー・ファイターズが新王者となった。この時代には挑戦者組も充実し、ペドロ・モラレス&ビクター・リベラ、コロフ&スーパースター・ビリー・グラハムなど、アメリカでもタッグとしての実績のある一流チームを相手に防衛戦を行っている。1977年には新日本マットでヒールのトップチームとなったタイガー・ジェット・シン&上田馬之助と抗争を繰り広げた。王座を奪われ、猪木&坂口が挑んだこともあったが、最終的に坂口&小林が奪回している。坂口&小林時代の主な挑戦者チームとしては他にブラック・ゴールドマン&エル・ゴリアスパット・パターソン&ラリー・ヘニングスタン・ハンセン&ザ・ハングマンピーター・メイビア&ヘイスタック・カルホーン、バーナード&キラー・カール・クラップ、上田&サンダー杉山ボブ・ループ&クルト・フォン・ヘスなどが挙げられる

坂口&小林は1979年4月5日にヒロ・マツダ&マサ斎藤に敗れ王座転落、3年におよぶパワー・ファイターズの時代は終焉した。同年6月15日、坂口は長州力を新パートナーに王座を奪回、長州にとっては日本での初戴冠であった。7月6日の初防衛戦において、小林は木村健吾をパートナーに新王者チームに挑んだが、長州に決勝フォールを奪われ敗退した。以降は坂口&長州が2年にわたり王座を堅持し、シン&斎藤、ワイルド・サモアンズアイアン・シーク&スーパー・デストロイヤーなどの挑戦を退けたが[2]、強力な挑戦者チームは多くはなかった。1981年3月20日、会津でのシン&ドン・ムラコとの防衛戦を最後にIWGP提唱に伴って猪木のNWFヘビー級王座等と共に返上、封印された。なお、IWGP構想は当初シングルだけで動いており、IWGPタッグ王座が創設されたのは1985年のことである。

歴代王者

歴代 選手 戴冠回数 防衛回数 獲得日付 獲得場所(対戦相手・その他)
初代 ジョニー・パワーズ&パット・パターソン 1   1973年8月  
第2代 クルト・フォン・ヘス&カール・フォン・ショッツ 1   1974年5月  
第3代 アントニオ猪木&坂口征二 1   1974年8月16日 カリフォルニア州ロサンゼルス、王座返上
第4代 ジェリー・ブラウン&バディ・ロバーツ 1   1975年9月22日 名古屋
第5代 アントニオ猪木&坂口征二 2   1975年10月2日 大阪、王座返上
第6代 坂口征二&ストロング小林 1   1976年2月5日 北海道タイガー・ジェット・シン&ブルータス・ムルンバとのトーナメント決勝戦
第7代 タイガー・ジェット・シン&上田馬之助 1   1977年2月2日 大阪
第8代 坂口征二&ストロング小林 2   1977年7月28日 福岡
第9代 ヒロ・マツダ&マサ斎藤 1   1979年4月5日 東京
第10代 坂口征二&長州力 1 13 1979年6月15日 カリフォルニア州ロサンゼルス、IWGP構想により王座封印

 Wikipediaより

 


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