私の知人所有のしょぼいプロレスマスクコレクション等です。 どうぞ、お暇なら見て笑ってやって下さい。とほほ…

マスカラスのマスクが欲しくテレビ局へ応募
タイガーマスクの四次元殺法に狂喜
休刊した週刊ファイトの元愛読者の彼

【非売品】二代目タイガーマスク 本人着用

2018年08月08日 09時32分06秒 | マスクコレクション

ヒロ&マニア館小林製クリスマスヴァージョン 本人着用済み。 

黒タグ付、本人着用写真、三沢光晴直筆サイン入。

本人が使用した明確な日時、場所等は不明です。

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【非売品】 カネック 本人使用

2018年08月08日 09時25分50秒 | マスクコレクション

サンチェス製  本人使用済みです。 
着用写真、直筆サイン入り。

本人が使用した明確な日時、場所等は不明です。

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【非売品】 イホ・デ・ドスカラス 本人着用

2018年08月08日 09時12分45秒 | マスクコレクション

アラーニャ・デ・プラタ製  本人着用済みです。 
着用写真、直筆サイン入り。

本人が着用した明確な日時、場所等は不明です。

エル・イホ・デ・ドス・カラスEl Hijo de Dos Caras)のリングネームで知られるギジェルモ・ロドリゲスGuillermo Rodriguez1988年6月26日 - )はメキシコプロレスラーサン・ルイス・ポトシ州サン・ルイス・ポトシ出身。

父は飛鳥仮面のニックネームで知られるドス・カラス。兄はドス・カラス・ジュニア、アルベルト・デル・リオのリングネームで活躍し、現在はAAAに所属するエル・パトロン・アルベルト伯父ミル・マスカラスエル・シコデリコ従兄弟シコデリコ・ジュニアがいる。

来歴

幼少時、レスリング一族という家系である事からレスリングに打ち込む。

2001年、兄であるドス・カラス・ジュニアが日本の格闘技団体であるDEEPに参戦する事になり、セコンドとしてドス・カラス・フトゥーロDos Caras Futuro)のリングネームで初来日を果たす。以降、DEEPやPRIDEに参戦するドス・カラス・ジュニアのセコンドとして継続して来日した。

本格的にプロレスラーになる事を志し、ダーク・フェニックスDark Phoenix)のリングネームでトレーニングを開始。

WWE

2012年8月、WWEとディベロップメント契約を交わして入団。傘下団体であるFCWにて、メモ・モンテネグロMemo Montenegro)のリングネームでトレーニングを開始。11月8日、NXTにてビッグ・E・ラングストンとのシングルマッチにてプロレスラーデビューを果たすも一方的に攻められ最後にビッグ・エンディングを喰らいわずか30秒で敗戦。試合後にはラングストンのトレードマークとなっていたアンコールによるビッグ・エンディングをもう一度喰らい5カウントを数えられた。同月28日、エグザビアー・ウッズと対戦。執拗にヘッドロックで捕まり一度はクローズラインを決める場面を見せるが最後にオーナー・ロールを喰らい敗戦した。

2013年7月22日、WWEより解雇となった。

インディー団体

WWE解雇後、エル・イホ・デ・ドス・カラスEl Hijo de Dos Caras)のリングネームを継承。2013年9月6日、プエルトリコの団体であるWWL(World Wrestling League)のWWL Dream Matches Tourに参戦。ミル・マスカラス & シコデリコ・ジュニアと組んでシエン・カラス・ジュニア & マスカラ・アニョ・ドスミル & ウニベルソ・ドスミルと6人制タッグマッチを行うも反則勝利となり、同月8日では再戦を行いプロレスラーとしてのキャリア初の勝利を飾った。

2014年1月、ナウカルパンを拠点とするIWRG(International Wrestling Revolution Group)に入団。7月20日、IWRG Zona XXIにてIWRGインターコンチネンタルヘビー級王座争奪6wayラダーマッチに出場。ドクトル・ワグナー・ジュニアエレア・パークマスカラ・サグラダピラタ・モルガンといった歴戦のオールドスター達を相手に最後は天井から吊るされたベルトを取る事に成功し、キャリア初の王座を戴冠した。10月5日、IWRG Zona XXIにてIWRGレイ・デル・リング王者であるイホ・デ・マスカラ・アニョ・ドスミルと自身が保持するIWRGインターコンチネンタルヘビー級王座を懸けてダブルタイトルマッチを行い、最後にレイネーラを決めて勝利して二冠王者となった。

2015年1月31日、トラルネパントラ・デ・バスを拠点とするUWE(Universal Wrestling Entertainment)に参戦。空位となっていたUWEタッグ王座をエル・イホ・デル・ドクトル・ワグナー・ジュニアと組んでエル・イホ・デル・エレア・パーク & イホ・デ・ピラタ・モルガン、ロス・トラウマス(トラウマ1号 & トラウマ2号)と3wayマッチで勝利して王座を戴冠した。3月1日、IWRG La Rebelion de los Juniors 2015にて2世レスラー達によるバトルロイヤルに出場して最後にイホ・デ・マスカラ・アニョ・ドスミルを脱落させて優勝を飾った。9月12日、プエブラを拠点とするPromociones R.A.に参戦。エル・イホ・デ・エスペクトロ・ジュニア & スティグマと組んで日本人ユニットのラ・フィエブレ・アマリージャ(OKUMURA & カマイタチ & 花岡大輔)と対戦するが無効試合となった。11月1日、IWRG El Castillo Del Terror 2015にてIWRGインターコンチネンタルヘビー級王座を保持するマスカラ・アニョ・ドスミル・ジュニアに挑戦。自身はヴェネノを、マスカラ・アニョ・ドスミル・ジュニアはカニス・ルパスをそれぞれセコンドに引き連れて対戦。試合途中にマスクを剥がされそうになるが耐えきり勝利してベルトを奪取した。

Wikipediaより

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【非売品】 シコデリコ・ジュニア 本人着用

2018年08月08日 08時50分44秒 | マスクコレクション

トムカラス製  本人着用済みです。 
着用写真、直筆サイン入り。

本人が着用した明確な日時、場所等は不明です。

シコデリコ・ジュニアSicodélico, Jr.)のリングネームで知られるアーロン・ロドリゲスAaron R. Rodríguez1976年6月13日 - )は、アメリカ合衆国カルフォルニア州ロサンゼルス出身のプロレスラー

父はエル・シコデリコ、兄はイホ・デル・シコデリコ。伯父はミル・マスカラスドス・カラス。従兄弟のドス・カラス・ジュニアエル・イホ・デ・ドス・カラスもプロレスラー。

来歴

叔父のドス・カラスの指導を受け、1998年1月にメヒコ州ネツァワルコヨトルアレナ・サンフラン・パンティトランでデビュー。メキシコのインディー団体を経て1998年中ごろからAAAを拠点とし、ペロ・アグアヨ・ジュニアらが率いるロス・ジュニア・アトミコスのメンバーとなって活躍した。

2001年CMLLと契約し入団。同年8月にベテランレスラーと若手レスラーがタッグを組んで争うトーナメントであるトルネオ・グラン・アルタナティバオリンピコと組んで出場し、優勝を飾った。しかし、その後大した活躍をすることができず、2003年に退団。2004年1月4日にはハッスルに参戦し、マスカラス一族の一員として来日。ドス・カラス、ミル・マスカラスとタッグを組んでトム・ハワード & ダスティ・ローデス & スティーブ・コリノ組から勝利を飾った。2006年よりIWRG(International Wrestling Revolution Group)に参戦するが、渡米することを決意。同年、アメリカに渡りRCW(River City Wrestling)を経てNWAの加盟団体やChikaraTNAに参戦。

2007年6月、NWA加盟団体のトップレスラーと各国のフリーランサーで活躍しているレスラーたちが集結し、NWA世界ヘビー級王座を争うトーナメントであるReclaiming the Gloryに参戦。一回戦のラフネック・ライアンに勝利するが、続く準々決勝のクラウディオ・カスタニョーリに敗れた。同年7月8日、TNAにてインコグニートとタッグを組み、ジョーイ・ライアン & カール・アンダーソン組、ビリー・キッドマン & ショーン・ウォルトマン組とNWA世界タッグ王座をかけてトリプルスレットマッチで対戦するも奪取に失敗した。

2009年4月、WWEとディベロップメント契約し、入団。傘下団体であるFCWにてトレーニングを積み、リングネームをエスピラルEspiral)に変更。アルベルト・バンデラスとタッグを組んで出場していたが11月にリリースとなった。

WWE解雇後は再びアメリカのインディー団体を中心に活動。同年2月にはNWA世界ヘビー級王者のブルー・デーモン・ジュニアと王座を巡り抗争するが、奪取するに至らなかった。

2012年9月、ZERO1天下一ジュニアに参戦するが2回戦で脱落となった。

2013年4月、WWL(World Wrestling League)にて行われたZERO1メキシコ王座を懸けたフェイタル4wayマッチに出場し、アクセルエル・イホ・デル・レイ・ミステリオオクタゴン・ジュニアと対戦して勝利し、王座を戴冠。

2014年3月、WWLにてエル・イホ・デ・ドス・カラスとタッグを組んでWWL世界タッグ王座を保持するロス・マミートスミスターE & セクシーB)と対戦するが王座を奪取するに至らなかった。

Wikipediaより


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【非売品】 マスクド・スーパースター 本人使用

2018年08月08日 08時36分30秒 | マスクコレクション

TJ製 本人使用済みです。

平成21年(2009年)7月4日 『流星フェスタ新木場ファーストリング マスクド・スーパースター、スーパーストロングマシン組対四代目タイガーマスク、ミステル・カカオ組戦にて本人使用。
直筆サイン入り、着用写真付。










 
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【非売品】 ミル・マスカラス 本人使用

2018年08月08日 08時09分15秒 | マスクコレクション

フリア製 オーバーマスク 本人使用済みです。

平成18年(2006年)6月23日 「UD:FIESTA」後楽園ホール ミル・マスカラス、ウルティモ・ドラゴン、noki-A組対TAJIRI、グラン浜田、浜田文子組戦で本人が着用後、リング上から観客席に投げたオーバーマスクです。

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【非売品】 シコデリコ&ドスカラス 本人着用

2018年08月08日 07時56分15秒 | マスクコレクション

ファンバルデス製 本人着用済みです。 
タグ付、W着用写真、W直筆サイン入り。

本人が着用した明確な日時、場所等は不明です。

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【非売品】 三代目タイガーマスク 本人使用

2018年03月29日 13時02分10秒 | マスクコレクション

ヒロ&マニア館製 トロピカル伝説 三代目タイガーマスク 本人使用済みです。 
本人が使用した明確な日時、場所等は不明です。

着用写真あり、直筆サイン入り。

 

3代目

 1991年、タイガーマスクに酷似した覆面レスラー「キング・リー」と名乗ってメキシコ遠征中だった金本が、新日本の意向を受けて極秘帰国。1992年3月1日、新日本プロレス横浜アリーナ大会で、新日本プロレス設立20周年大会の企画として3代目タイガーマスクがデビュー。当初は記念試合として1回限りの企画の予定だったが、好評なため数度の単発登場を経て、1993年5月3日の福岡ドーム大会で、獣神サンダー・ライガーを相手に正式デビュー。

 

しかし自らが得意とする(あるいは理想とする)ファイトスタイルと、タイガーマスクとして求められるファイトスタイルの差に苦しみ、思うような結果が出せず、1994年1月4日の東京ドーム大会で、ライガー戦後にマスクを脱ぎ捨てた。

 

2016年11月24日、超戦闘プロレスFMW後楽園ホール大会に、3代目タイガーマスク・ティグレ・エン・マスカラードのリングネームで参戦。正体が金本については不明。

Wikipediaより

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【非売品】 シコデリコ 本人着用

2018年03月29日 13時01分38秒 | マスクコレクション

ティファナ製 カレンダリオ・アステカモデル 本人着用済みです。 
着用写真、直筆サイン入り。

本人が着用した明確な日時、場所等は不明です。

 

エル・シコデリコEl Sicodélico)のリングネームで知られるパブロ・ロドリゲスPablo Rodríguez1940年 - )は、メキシコの元プロレスラー

 

ミル・マスカラスの実弟、ドス・カラスの実兄であり、彼らと同じくテクニコ覆面レスラーとして活動したが、キャリア晩年はルードに転じた。長男のイホ・デル・シコデリコと次男のシコデリコ・ジュニアもプロレスラーである。

来歴

兄アロン・ロドリゲス(ミル・マスカラス)の影響で少年時代からボディビルに打ち込み、ディアブロ・ベラスコのジムでトレーニングを積んだ後、1968年ハリスコ州グアダラハラでデビュー。ボディビルで鍛え上げた肉体を武器に、アルゼンチン・バックブリーカーなどの力技を用いるヘビー級のパワーファイターとしてキャリアを積んだ。

1971年6月、マスカラスが主戦場としていたアメリカ西海岸ロサンゼルス地区に登場。マスカラスとの兄弟コンビでキンジ渋谷&マサ斎藤NWAアメリカス・タッグ王座に挑戦し、マスカラスの抗争相手だったジョン・トロスとも対戦した。同年末、日本プロレスに来日し、ボボ・ブラジルザ・ストンパージン・アンダーソンらと共に、年明け1972年1月の『新春チャンピオン・シリーズ』に参戦。「ミル・マスカラスの弟」として注目を集めたが、キャリア不足を露呈し戦績は芳しくなく、期待を裏切る結果となった。

以後、メキシコのEMLLを主戦場にしつつ、1973年からはアメリカ南部にも遠征。ジョージアではパンテラ・ネグラをパートナーに、ボブ・アームストロングシャチ横内ターザン・タイラーブッチャー・ブラニガンらとタッグマッチで対戦。2月27日に行われたジョージア・チャンピオンシップ・レスリング認定のNWAメイコン・タッグ王座決定トーナメントには、ビクター・リベラと組んで出場した。フロリダではロベルト・ソトとのコンビで活動し、クリス・マルコフともシングルマッチで対戦している。テキサス州サンアントニオでは再びマスカラスのパートナーとなり、ロサンゼルスでも抗争したエル・ゴリアス&ブラック・ゴードマンのインターナショナル・タッグ王座に挑戦するも、ここでも戴冠を果たすことはなかった。

その間にはロサンゼルスに居住し、宿敵ゴードマンの夫人の妹と結婚して2児(イホ・デル・シコデリコシコデリコ・ジュニア)をもうけ、1970年代後半にアメリカ合衆国グリーンカードを取得、セミリタイアしてアイスクリーム・ショップを開業した。試合にも時折出場し、1980年にはテキサス州ヒューストンでのWCCWの興行にて、ジノ・ヘルナンデスキラー・ブルックスと対戦している。

事業から撤退後、1984年プエルトリコにて復帰、以降はメキシコシティに戻り、1986年は弟のドス・カラスとタッグを組んで活動、マスカラスを加えたトリオでロス・ブラソス(ブラソ・デ・オロエル・ブラソブラソ・デ・プラタ)との3兄弟抗争も行われた。

1989年ティフアナWWAにてサンドカン&カオスをパートナーに世界トリオ王座を獲得[1][14]1992年にはAAAの旗揚げに参加、当初はテクニコのポジションだったが、エース格のコナンと仲間割れしてルードに転向。以降、コナンとの抗争アングルが組まれマスカラ・コントラ・カベジェラも予定されていたが、競合団体EMLLの妨害でショーは中止となり、彼自身もAAAを解雇された。

当時の彼は体重が125kgにまで増加しており、その後も現役を続けるも古傷の右膝を悪化させ、1996年に引退した。近年はアメリカのサンアントニオに定住し、中古車販売業に携わっている。

Wikipediaより

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【非売品】 ミル・マスカラス 本人着用

2018年03月29日 13時01分14秒 | マスクコレクション

アンヘルアステカ製 ドスカラスとのハーフタイプ 本人着用済みです。 
ファスナー式 着用写真、直筆サイン入り。

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【非売品】 ザ・マスク・オブ・タイガー(初代タイガーマスク) 本人使用

2018年03月29日 13時00分56秒 | マスクコレクション
YN製 本人使用済みです。
➀平成15年(2003年)5月30日 映画「すてごろ」公開記念イベント出演時着用。
② 「紙のプロレスRADICAL №63」取材時着用。
③ 「チェアウォーカーWaWaWa 2003 Vol.14」 取材時着用。















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【売却済】 マスクド・スーパースター 本人使用

2018年03月29日 13時00分25秒 | マスクコレクション
ジョージア製 本人使用済みです。
昭和59年(1984年)から昭和60年(1985年)のWWF参戦時代に使用した物。
本人が使用した明確な日時、場所等は不明です。
証明書、直筆サイン入り(2ヶ所)、管理ナンバー付き。

ビル・イーディーBill Eadie、本名:William Reid Eadie1947年12月27日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。 ペンシルベニア州ブラウンズビル出身。

現役選手時代はボロ・モンゴルBolo Mongol)、マスクド・スーパースターThe Masked Superstar)、デモリッション・アックスDemolition Ax)などのリングネームで活躍した。

来歴

ウェストバージニア州立大学卒業後にハイスクールの教員をしていたが、友人とプロレス観戦に行った際にニュートン・タットリー(ジート・モンゴル)からスカウトされ、1972年12月15日、タットリーがプロモートしていたペンシルベニア州ピッツバーグの興行においてビル・イーディーBill Eadie)名義でデビュー。当初は教員を続けながら時折リングに上がるという状態だったが、1973年よりプロレスに専念するようになり、タットリーのパートナーとしてモンゴル人ギミックボロ・モンゴルBolo Mongol)を名乗り、タッグチーム「ザ・モンゴルズ」で活躍。このキャラクターで1974年4月に新日本プロレスへ初来日している。1976年7月には新日本版アジアヘビー級王座およびアジアタッグ王座の王座決定リーグ戦にもボロ・モンゴルとして出場した。

その後、ジム・クロケット・ジュニアの主宰するノースカロライナNWAミッドアトランティック地区覆面レスラーの "流星仮面マスクド・スーパースターThe Masked Superstar)に変身。グレート・マレンコマネージャーに付けて頭角を現す。1977年3月には新日本の第4回ワールドリーグ戦に来日、坂口征二に敗れたものの優勝戦に進出するなどの活躍を見せた。なお、同リーグ戦にはジート・モンゴルの初代パートナーだったベポ・モンゴルことニコリ・ボルコフも参加しており、両者は公式戦で対戦している。大型外国人対決としても注目されたが、当時はすでにイーディーの方が格上であり、フォール勝ちを収めている。

以降も新日本プロレスの常連外国人選手となり、1978年3月の来日時はマネージャーのマレンコを帯同し、3月30日に蔵前国技館アントニオ猪木NWFヘビー級王座に挑戦。1979年9月6日には福岡スポーツセンターにて、坂口征二の北米ヘビー級王座にも挑んだ。1981年8月6日、蔵前国技館での猪木との「賞金3万ドル&覆面剥ぎマッチ」に敗れて覆面を剥がされたため、同年10月には素顔でビリー・クラッシャーBilly Crusher)と名乗って来日していたが、ほとぼりが冷めるとマスクド・スーパースターに戻った(以後、1984年8月の新日本のパキスタン遠征にもビリー・クラッシャー名義で参加しているが、1981年8月の猪木との覆面剥ぎマッチでは、覆面を剥がされた直後にタオルで顔を隠して逃走するなど素顔を完全に晒していなかったこともあり、ビリー・クラッシャーとマスクド・スーパースターが同一人物であることは公表されなかった)。1982年9月21日には大阪府立体育館にて、藤波辰巳が獲得したWWFインターナショナル・ヘビー級王座の初防衛戦の挑戦者を務めた。

IWGPリーグ戦には1984年から1986年まで3年連続で参加。年末のタッグリーグ戦でもディック・マードックとのコンビで上位に食い込む活躍を残している。また、1985年8月にはスーパー・マシーンSuper Machine)としてマシーン軍団に加入し、アンドレ・ザ・ジャイアントのジャイアント・マシーンとコンビを結成した。スーパー・マシーンは覆面レスラー史上にも稀な「正体も覆面レスラーの覆面レスラー」ということになる。

マスクド・スーパースターに変身後のアメリカマットでは、トップクラスのヒールとして主にNWA南部テリトリーを中心に活躍。ミッドアトランティックではマイティ・イゴールワフー・マクダニエルブラックジャック・マリガンと抗争を繰り広げ、1980年4月にはトーナメント決勝でマリガンを破り、空位となっていたTV王座を獲得。ビッグ・ジョン・スタッドをマスクド・スーパースター2号に変身させ、マリガン&アンドレ・ザ・ジャイアントとの大型タッグ対決も行われた。同年下期からは一時的にベビーフェイスに転向し、リッキー・スティムボートともタッグを組んだこともある。フェイスターン中はポール・ジョーンズをパートナーに、レイ・スティーブンス&ジミー・スヌーカ、スティーブンス&イワン・コロフミネソタ・レッキング・クルージン・アンダーソン&オレイ・アンダーソンなどのチームとミッドアトランティック版のNWA世界タッグ王座を争った。

他地区では、1980年にテネシー州メンフィスCWAに出場、4月28日のミッドサウス・コロシアムでのメインイベントでは、前王者ジェリー・ローラーの返上で空位となっていたCWA世界ヘビー級王座をビル・ロビンソンと争った。1981年にはフリッツ・フォン・エリックが主宰するテキサス州ダラスのWCCWにて、ケン・パテラを破りNWAアメリカン・ヘビー級王座(後のWCWA世界ヘビー級王座)を獲得したとされている。

近年のホームタウンでもあるジョージアGCWジム・バーネット主宰)では1970年代末から1980年代初頭にかけて、トミー・リッチとの遺恨マッチやミスター・レスリング2号との覆面レスラー同士の抗争を展開したほか、スタン・ハンセンとも何度となく対戦している。ハンセンとはタッグを組んだこともあるが、日本において両者の対戦やタッグチームが実現することはなかった。1981年8月15日にはスティーブ・オルソノスキーを破り、前年10月に新設されたNWAナショナル・ヘビー級王座を獲得、翌月の9月12日にはリッチからNWAジョージア・ヘビー級王座を奪取して、ナショナル王座と統一させている。戴冠中の同月22日には、リック・フレアーNWA世界ヘビー級王座に挑戦。翌1982年もリッチやポール・オーンドーフを相手にナショナル王座を争い、GCWのフラッグシップ・タイトルとなった同王座を通算3回獲得した。

1983年下期、グラン・ウィザードをマネージャーに迎えてWWFに登場。ニューヨークマディソン・スクエア・ガーデン定期戦において、10月17日と11月21日の2カ月連続で当時のWWF王者ボブ・バックランドに挑戦、初戦ではリングアウト勝ちを収めている。翌1984年よりビンス・マクマホン・ジュニアの体制下でスタートした全米侵攻にも主力ヒールとして参加し、同年2月10日にはNWAの本拠地であったセントルイスキール・オーディトリアムにて、新WWF王者ハルク・ホーガンの初防衛戦の相手を務めた(この試合は、WWFの全米侵攻第1弾のメインイベントでもあった)。

WWF離脱後は一時ジョージアに戻り、キングコング・バンディと組んで1984年5月6日にロード・ウォリアーズからNWAナショナル・タッグ王座を奪取。同年下期にはスチュ・ハートの運営するカナダカルガリー地区のスタンピード・レスリングにおいて、ニック・ボックウィンクルを破ったとして、同地区で新設されたIWA世界ヘビー級王座のチャンピオンに認定されている。その後はAWAに進出し、ミスター・サイトーの用心棒的なヒールとして、WWFでも因縁のあったサージェント・スロータージェリー・ブラックウェルと抗争した。

1986年の上期はビル・ワットの主宰する中南部のMSWAに出場、新日本プロレスでのパートナーだったディック・マードックと組み、テッド・デビアススティーブ・ウィリアムスジム・ドゥガンらと対戦した(MSWAでは、ジン・キニスキーの息子ケリー・キニスキーがマスクド・スーパースター2号に変身していた)。同年はフロリダ地区にも参戦し、7月22日にレックス・ルガーからNWA南部ヘビー級王座を奪取している。以降は親友でもあるディノ・ブラボーの招きにより、カナダのモントリオール地区で活動した。

マスクド・スーパースター名義としては1976年から約10年間に渡って活躍した。覆面レスラーのギミックは短命に終わる場合の多い米マット界においては異例のキャラクター寿命を誇り、日本マットに定着したザ・デストロイヤーを除くと、ミスター・レスリング1号&2号、ザ・スポイラー(スーパー・デストロイヤー)などと並ぶ、アメリカのマスクマンの代表格だった。

1986年の後半からは前述のマシーン軍団の一員、スーパー・マシーンとしてWWFと再契約。NWA時代のライバルでもあったブラックジャック・マリガン=ビッグ・マシーンも加わり、日本からやって来たベビーフェイスのマスクマン軍団として売り出される。1987年からは再びヒールターンし、覆面を脱ぎ顔面にペイントを施すなど大胆なギミック・チェンジを行い、デモリッション・アックスDemolition Ax)を名乗って大型タッグチーム「デモリッション」を結成。初期はジョニー・バリアント、後にミスター・フジをマネージャーに迎え、相棒のデモリッション・スマッシュことバリー・ダーソウと共にWWF世界タッグ王座を再三獲得した。1990年4月13日に東京ドームで行われた日米レスリングサミットでは、ジャイアント馬場&アンドレ・ザ・ジャイアントの大巨人コンビと対戦している。

1990年下期より体調不良のため試合出場を控えるようになり、デモリッションにはクラッシュ(ブライアン・アダムス)が新しく加入。アックスはスマッシュとクラッシュをコントロールするプレイング・マネージャーとなり、同時期にWWFに移籍してきたリージョン・オブ・ドゥームと抗争を繰り広げた。

WWFを離れてからもデモリッション時代と同じコスチュームとリングネームで活動し、マスクド・スーパースター時代の主戦場だった新日本プロレスにも度々参戦したが、キャラクターの使用権を巡ってビンス・マクマホンとの間で軋轢が生じ、その後はWWEとは絶縁状態である。

引退後はジョージア州の青少年更生施設でカウンセラーとして勤務する傍ら、各地のインディー団体にレジェンドとして単発的に出場しており、2007年にはバリー・ダーソウとのコンビも復活させている。2008年2月29日、ペンシルベニア州フィラデルフィアチカラで行われた6人タッグマッチのトーナメントにはダーソウ&ワンマン・ギャングと "Team WWF" を結成して出場した。

2009年7月、久々の来日が実現。7月4日に新木場1stRINGにて『流星仮面FIESTA』と題された記念大会が覆面MANIAの後援で開催され、7月5日には新日本プロレスの後楽園ホール大会に登場して挨拶を行った。

2011年7月には、少年犯罪者更生に向けてのチャリティー活動の一環として、東京と大阪での引退ツアーが開催された。大阪プロレスの主催による7月15日の『流星仮面Osaka FINAL』では6人タッグマッチで藤波辰爾と対戦。7月17日に新木場1stRINGで行われた『流星仮面FIESTA・FINAL』では、メインイベントの引退試合に初代タイガーマスクとのタッグチームで出場、藤原喜明&ブラック・タイガーVから勝利を収めた。

 Wikipediaより


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【非売品】 ジ・イーグル 本人使用

2018年03月29日 13時00分07秒 | マスクコレクション
IMAI製 本人使用済みです。
本人が使用した明確な日時、場所等は不明です。
直筆サイン入り。

ジョージ・ハインズGeorge Hines1963年6月1日 - )は、アメリカ合衆国出身のプロレスラー。出身地は複数説があり定かではない。身長186cm、体重110kg。

兄はザ・ファンタスティックスのボビー・フルトン

来歴

アマチュアレスリングやフットボールを経験したが、兄の影響もあってプロレスラーを目指す。デビューは1987年のフィデル・カストロ戦。

1992年ジャッキー・フルトンのリングネームで全日本プロレスに初来日。 同年に覆面レスラーであるザ・パトリオットのパートナーに抜擢され、同じく覆面レスラーのジ・イーグルに変身する。

1993年6月2日、ザ・パトリオットのパートナーとして小橋健太菊地毅組を破ってアジアタッグ王座を戴冠する。秋山準菊地毅組に一度の防衛後、9月9日にカンナム・エクスプレス(ダグ・ファーナスダニー・クロファット組)にベルトを奪われる。

1999年、素顔のジョージ・ハインズとして全日本プロレスに来日する。2002年武藤敬司が全日本に入団すると、共にスキンヘッドであった事から武藤と同じコスチュームを着用し、入れ替わり戦術など多彩なコンビネーションを見せ高い会場人気を獲得した。しかし全日本が武藤新体制となってからは現在まで参戦が殆ど途絶えている。

2006年2月に、キングスロードに参戦した。

 Wikipediaより


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【非売品】 サミー・リー(初代タイガーマスク) 本人使用

2018年03月29日 12時59分42秒 | マスクコレクション
YN製 本人使用済みです。
平成17年(2005年)1月27日リアルジャパンプロレス 『レジェンド チャンピオンシップ トーナメント』
第1回戦 対アレクサンダー大塚戦での入場時に本人使用。
証明書、直筆サイン入り(初代タイガーマスクと日付、場所)。













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【非売品】 ドスカラス 本人着用

2018年03月29日 12時59分26秒 | マスクコレクション

アロンカナレス製 赤鳥黒目 本人着用済みです。 
刺繍、着用写真あり。

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