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【非売品】 4代目IWGPヘビー級チャンピオンベルト 公式レプリカ

2018年12月18日 21時07分05秒 | プロレスグッズ

新日本プロレス 4代目IWGPヘビー級王座 レプリカベルト 

商品詳細

商品名
新日本プロレス 4代目IWGPヘビー級王座 レプリカベルト
メーカー
ジュウロクホウイ
仕様
● 素材:ダイキャストパーツ:亜鉛合金、ホック:鉄、小さい丸パーツの黒い樹脂:エポキシ樹脂、ラインストーン:アクリル、ベルト:牛床革(PU加工)、刺繍入りカバー:ポリエステル
● ベルトサイズ:約132cm前後
●重量:約3kg

 

IWGP

IWGPInternational Wrestling Grand Prix、インターナショナル・レスリング・グラン・プリ、国際レスリング大賞)は、かつて新日本プロレスが開催したIWGPリーグ戦の名称及び同団体が管理するチャンピオンベルトの名称。

概要

IWGPはプロレス界における世界最強の男を決めるという考えの下にアントニオ猪木が提唱したものである。各地域や各々の団体にチャンピオンベルトがある事で真のチャンピオンを決めるべき姿を確立する為の目的で当初の計画では日本で開幕戦を行い、韓国→中近東→欧州→メキシコと転戦して決勝戦をニューヨークで行う予定だったが計画が壮大すぎたことに加え、「プロレス界における世界最強の男を決める」と言うプランから、それぞれの地区で王者を抱えていたプロモーターからの協力も得られず、紆余曲折の末1983年5月6日に蔵前国技館で第1回「IWGPリーグ戦」を開催。第1回「IWGPリーグ戦」決勝のハルク・ホーガン対アントニオ猪木戦におけるハルク・ホーガンのアックスボンバーによるアントニオ猪木の失神KOシーンが有名。第2回「IWGPリーグ戦」でも両者は決勝で戦ったが長州力の乱入によるリングアウトでアントニオ猪木が勝利。

IWGPヘビー級王座に先駆ける形で1985年12月12日にIWGPタッグ王座、1986年2月6日にIWGPジュニアヘビー王座が創立され、本来の目的であったIWGPヘビー級のリーグ戦は1987年の第5回まで行われ、6月12日、第5回「IWGPリーグ戦」を制したアントニオ猪木に初代IWGPヘビー級王者としてチャンピオンベルトが授与された。以降IWGPはチャンピオンベルトの名称として現在まで受け継がれている。

IWGP構想

新日本プロレスの旗揚げ当時、世界最高峰のプロレス団体、最高の権威を持つと言われていたのがNWAであった。このNWAに加盟しなければNWAの世界王者も招聘することはできないし、タイトルに挑戦することもできなかった。しかし、NWA加盟は新日本プロレスにとって高いハードルであった。元々日本のプロレス界とNWAは深いつながりを持っていた。力道山の存命中から、当時の世界王者であったルー・テーズを招聘してタイトルマッチも実現している。日本プロレスは崩壊するまで、NWAの加盟団体であった。NWAは1ヶ国(1地域)に1団体という規定があり、日本はすでに日プロが加盟していたが、ジャイアント馬場が全日本プロレスを旗揚げすると、アメリカ遠征時代の深い関わりから、臨時総会が開かれて加盟が認められている。これに対して新日本は、猪木の知名度がアメリカでは馬場よりも大きく劣ることもあって、ほとんど無視されているような状態であった。閉ざされていたNWA加盟への道を切り開くきっかけを与えてくれたのは、ビンス・マクマホンとマイク・ラベールであった。彼らは独占禁止法を盾に取ってNWAに対して訴訟を起こしてはどうかと提案。こうした経緯もあって新日本は1980年にNWA加盟が認められた。しかしNWAでは実務的な話しかされず、さらにチャンピオンを招聘してタイトルマッチができるのは既存のプロモーターだけという条件も付けられていた。何かと障害があり不自由が多いNWAでの活動に辟易していた新間寿は、ある時お経を読んでいるときにIWGPの構想を思いついた。時を同じくして、猪木から「新間、NWAには入ったけど、チャンピオンは来ない。何かいいアイディアはないか?」という話があり、新間は「簡単じゃないですか。NWAの上にいくやつを創りましょう。創れるか創れないかではなく、創ればいいんですよ」と申し出た

IWGP選手権ルール

  • 試合時間は60分1本勝負。
  • 試合の決着はフォール、ギブアップ、KO、リングアウト、レフェリーストップ、ドクターストップ、反則、ノーコンテストで決まる。いずれの場合も挑戦者が勝利した場合は王座が移動する。
  • 時間切れは引き分け。ただし両者リングアウトは適用せず、試合時間内であれば何度でも再試合とする。
  • 王座保持者は原則としてタイトル獲得後6ヶ月以内に防衛戦を行わなければならない。
  • いずれも対戦者同士の合意があればルールを変更することができる。

IWGP王座

1983年から1987年のIWGPリーグ戦を経て現在の新日本プロレスが認定するIWGP王座は以下の通り。

NEVER王座
封印された王座

 

IWGPヘビー級王座

IWGPヘビー級王座は、日本プロレス団体である新日本プロレスが管理する王座(タイトル)。

 

IWGPは元々は、「International Wrestling Grand Prix」というリーグ戦を意味するものであったが、1987年に開催された第5回「IWGP王座決定リーグ戦」の優勝者であるアントニオ猪木を初代チャンピオンとして防衛戦が行われ、現在まで継承されている。

 

タイトル制定以降、新日本プロレスを象徴する同団体で最も権威のあるチャンピオンベルトとされている。デザインは初代から4代目まであり、初代は1983年の第1回IWGPリーグ戦開催にあたって作成され優勝したハルク・ホーガンが初めて巻き、1997年まで使用されたが、旗揚げ25周年を迎えて一新された。

 

2001年PRIDEのリング上でアントニオ猪木から初代ベルト王者として指名を受けた藤田和之と、2代目のベルトを継承していた第28代王者スコット・ノートンとの間で4月9日大阪ドームで「IWGP新旧ベルト統一戦」が行われ、この一戦に勝利した藤田が2本のベルトを獲得したが、年末に練習中に右アキレス腱を断裂。2002年1月4日、防衛戦が出来ずに2本のベルトを猪木に返上。

 

その後、2代目のベルトを使用していたが、2005年7月11日、通算最多防衛記録を持つ橋本真也が逝去。天山広吉に勝利して再び王者となった藤田が、橋本の功績を称え、橋本家に2代目ベルトを贈呈することになり、新デザインを作成。9月30日にサイモン・ケリー猪木新社長就任披露パーティーにて米国で制作された3代目のベルトが藤田に授与された。10月9日東京ドームブロック・レスナーが獲得。その後、剥奪することになったが返還されることなく、新王者となった棚橋弘至が2代目ベルトを代用。

 

3代目ベルトはその後、IGF旗揚げ興行で新日本とは無関係に行われた防衛戦でレスナーを下したカート・アングルに渡ったが、2008年に第48代王者の中邑真輔がカートとのベルト統一戦に勝利して奪還に成功。3月2日、プロレスリングZERO1-MAX後楽園ホールのリングに上がり、佐藤耕平に勝利。試合後、橋本家に2代目ベルトを贈呈。その後イメージ刷新のため現行の4代目ベルトが制作された。

 

新日本プロレスリング認定の「プロレスリング競技者規約 IWGP各選手権ルール」第2条第1項によって体重100kg以上の選手を対象としている。しかし、2007年2月18日に棚橋弘至の持つ王座に金本浩二が挑戦したほか、現在も体重が100kgに満たない選手の挑戦があるため事実上体重の制限はなくなったと考えられる。

Wikipediaより

 


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