ディヴ・ミリガン製。
全長約1,300mm。
重量約5.6kg。
ストラップ本革。
収納袋無。
刻印無。
WWE・世界王座
WWE王座(The WWE Championship) は、アメリカ合衆国のプロレス団体WWEにおける王座の一つである。王座を巡る抗争は番組のメインストーリーとして扱われている。
歴史
王座創設はWWEの前身であるWWWF設立前の1963年1月25日とされる。初代王者はリオデジャネイロでのトーナメントを勝ち抜いたバディ・ロジャースで、決勝の相手はアントニオ・ロッカとされている。もっとも、このトーナメントは実際には行われていない(なお、この前日の24日にはトロントでロジャーズ対ルー・テーズのNWA世界ヘビー級王座戦が行われ、ロジャースが王座転落)。その数か月後、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンにてブルーノ・サンマルチノがロジャースを圧倒的な試合展開で下し、以後約8年間の長きに渡り王座を保持した。
1971年よりプエルトリカンのペドロ・モラレスが新王者となり、イタリア移民のサンマルチノに続くニューヨークのマイノリティのヒーローとして活躍。以後、ショーマン派のスーパースター・ビリー・グラハムやアスリート系のボブ・バックランドが戴冠した。1979年には日本でアントニオ猪木が王座を獲得したが、日本での王座移動の経緯はアメリカのファンに説明されなかった[1]。そのため、猪木の戴冠についてはWWEが認めている時期と認めていない時期があり、公式的には猪木は歴代王者にカウントされていない。しかし2010年の猪木のWWE殿堂入りを機に再び認められる可能性もある。
ビンス・マクマホン・シニアが死去し、ビンス・マクマホン・ジュニアの新体制下でWWFの全米侵攻がスタートした1984年からは、ハルク・ホーガンを主軸とした王座争いに移行。ランディ・サベージやアルティメット・ウォリアーなども王者となり、WWFのファミリー・エンターテインメント路線を牽引した。ホーガンがWCWに移籍した1993年以降は、ニュー・ジェネレーション路線としてブレット・ハートやショーン・マイケルズが王座戦線の主役となった。
1997年、WWFは視聴率争いで一歩リードされていたWCWに対抗するために、これまでのプロレスの常識を覆すソープオペラ調のストーリー、アティテュード路線に切り替える。以降、ストーン・コールド・スティーブ・オースチン、ザ・ロック、トリプルHらを中心とした王座争いがドラマ仕立てで展開され、WWFの会長であるビンス・マクマホンまでもが王者になるということもあった。
2001年12月9日に開催されたヴェンジェンスではWWF王座とWCW王座を統一したWWF統一王座が新設され、クリス・ジェリコ、ザ・ロック、ストーン・コールド・スティーブ・オースチン、カート・アングルの4名によるトーナメントの結果、クリス・ジェリコが初代統一王座を戴冠した。今なおジェリコは「一夜でロックとオースチンを倒した唯一の男」と喧伝されている。
2002年8月25日に開催されたサマースラムでの統一王座戦ザ・ロックvsブロック・レスナーでレスナーがロックに勝利し王座を奪取。当時統一王者はRAW、SmackDown!両方の番組に出ることが可能であったが、レスナーはSmackDown!専属となり名称もWWE王座と改称される。以降はSmackDown!が王座を管轄し、RAWには世界ヘビー級王座が新設され、WWE王座と同等の扱いの王座となった。
2005年4月3日に開催されたWresleMania 21でジョン・シナがJBLから王座を奪取し、6月のドラフトで王座を持ったままRAWに移籍。
2008年開催のドラフトでは、トリプルHが王座を持ったままSmackDown!へと移籍。 翌2009年開催のドラフトでも、トリプルHが王座を保持したままRAWへと移籍。
2013年のTLC戦で、ランディ・オートンが、ジョン・シナとの王座統一戦で制し、名称もWWE・世界ヘビー級王座と改称される。これにより、11年間同じ最高位の王座としてあった世界ヘビー級王座は廃止されることになった。
また、名称はWWWF世界ヘビー級王座、WWWFヘビー級王座、WWFヘビー級王座、WWF世界ヘビー級王座、WWF王座、WWF統一王座、WWE統一王座、WWE世界ヘビー級王座、WWE世界王座などを辿って現在の名称となった。
歴代最多戴冠はジョン・シナの13回(2017年1月29日戴冠時)。
Wikipediaより
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます