私の知人所有のしょぼいプロレスマスクコレクション等です。 どうぞ、お暇なら見て笑ってやって下さい。とほほ…

マスカラスのマスクが欲しくテレビ局へ応募
タイガーマスクの四次元殺法に狂喜
休刊した週刊ファイトの元愛読者の彼

【売却済】 OJISAN企画豊嶋製タイガーマスク 本人使用 直筆サイン入 川崎タグ

2018年11月04日 00時57分00秒 | マスクコレクション

本人使用

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【売却済】 OJISAN企画豊嶋製製タイガーマスク 本人使用 川崎タグ

2018年11月04日 00時56分59秒 | マスクコレクション

本人使用

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【売却済】 OJISAN企画豊嶋製 タイガーマスク 伝説 川崎タグ

2018年11月04日 00時56分58秒 | マスクコレクション

OJISAN企画嶋裕司製。

1992年製作の当時の年代物。

絶版黄色粗シングルメッシュ×縁取り黒本皮。

目の裏補強フエルト、十字テープ有、ショートボア。

白タグ(川崎タグ)付。

三代目タイガーマスク直筆サイン入。

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【売却済】 OJISAN企画豊嶋製 スーパータイガー 前期タイプ 本人使用 大阪ラメ

2018年11月04日 00時56分58秒 | マスクコレクション

本人使用

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【売却済】 OJISAN企画豊嶋製 スーパータイガー 中期タイプ

2018年11月04日 00時56分57秒 | マスクコレクション

OJISAN企画豊嶋裕司製。

スーパータイガージムダグ付。

銀ラメ 紫合皮 縁取り1枚物 目の下ステッチ有 裏あて厚めの本革。

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【売却済】 OJISAN企画豊嶋製 スーパータイガー 後期タイプ 本人使用 直筆サイン入 台湾ラメ

2018年11月04日 00時56分57秒 | マスクコレクション

本人使用

平成15年(2003年)12月23日 「Tiger Meeting 2003 」佐山サトル ファンの集いでも着用済。

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【売却済】 旧プエブラ製 ミル・マスカラス 本人使用 旧銀ラメ 鉄チャック

2018年11月04日 00時56分56秒 | マスクコレクション

本人使用

①1980年6月22日、アメリカ・ヒューストンのハーリーレイスとのNWA世界戦の控え室で本人使用。

➁1980年8月21日、全日本プロレス 第2次サマー・アクション・シリーズ ファン感謝デー 本人使用。

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【売却済】 旧プエブラ製 ミル・マスカラス 旧紫ラメ 本人使用 直筆サイン入 

2018年11月04日 00時56分55秒 | マスクコレクション

本人使用

昭和56年(1981年)7月10日 全日プロ「スーパー・アイドル・シリーズ」第2回PWF杯争奪タッグ・トーナメント決勝戦 三条市厚生福祉会館 ミル・マスカラス、ドス・カラス組対リッキー・スティムボード、チャボ・ゲレロで使用 。

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【売却済】 旧プエブラ製 ミル・マスカラス 本人使用 角鼻

2018年11月04日 00時56分54秒 | マスクコレクション

本人使用

昭和58年(1983年)11月29日 全日プロ「'83世界最強タッグリーグ戦」札幌中島体育センター ミル・マスカラス対上田馬之助戦

昭和58年(1983年)12月4日 全日プロ「'83世界最強タッグリーグ戦」福岡国際センター ミル・マスカラス、ドスカラス組対スタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディ組戦で使用 。

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【売却済】 旧プエブラ製 ミル・マスカラス 本人使用 オーバーマスク

2018年11月04日 00時56分53秒 | マスクコレクション

本人使用

1985年10月12日、全日本プロレス ワールド・チャンピオン・カーニバル 大分県立荷揚町体育館ミル・マスカラス、チャボ・ゲレロ組対二代目タイガーマスク、川田利明組戦にてオーバーマスクとして使用され、リング上から観客席に投げられたものです。

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【売却済】 CACAO製 ミル・マスカラス 本人使用 直筆サイン入

2018年11月04日 00時56分53秒 | マスクコレクション

CACAO製 ミル・マスカラス 本人使用済みです。

平成12年(2000年)カカオプランニング著の「ミル・マスカラス写真集」撮影で本人使用。

タグ付き、直筆サイン入り。

 

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【売却済】 アントニオ・マルティネス製 エル・サント 本人使用

2018年11月04日 00時56分52秒 | マスクコレクション

本人使用。

アントニオ・マルティネス縦タグ付。

 

エル・サント

エル・サント西El Santo、「聖人」の意味、1917年9月23日 - 1984年2月5日)は、メキシコプロレスラー、俳優であった。本名はロドルフォ・グスマン・ウエルタRodolfo Guzmán Huerta)。 白銀のマスクマンEl Enmascarado de Plata)というニックネームでも知られた。

エル・サントはおそらくラテンアメリカで最も著名なルチャドール(プロレスラー)であり、メキシコでは伝説的存在として語り継がれている。彼のプロレス界におけるキャリアは40年近くにもわたり、その存在はルチャリブレ(メキシコのプロレス)の枠を飛び越え、人々のヒーロー・正義のシンボルにまでなった。コミック映画の主人公でヒーローを演じ、特に後者は彼の人気と神話の形成においてルチャリブレ以上の貢献を果たした。 2018年にはWWE殿堂のレガシー部門に迎えられている

スターへの道

1940年代はじめに、グスマンはマリア・デ・ロス・アンヘレス・ロドリゲス・モンターニョと結婚し、その後10人の子をもうける。そのうちの一人が、のちに父と同じくルチャリブレの道において輝かしい成功を収めることになるエル・イホ・デル・サントである。

1942年、トレーナーであったヘスス・ロメリ(Jesús Lomelí)が新団体を設立するにあたって、彼に参加を呼びかけた。ヘススは彼に3つのリングネーム候補を挙げた。エル・サント(聖人)、エル・ディアブロ(悪魔)、エル・アンヘル(天使)の3つの中からロドルフォが選択したのは、最初の候補だった。こうして同年6月26日アレナ・メヒコにおいて、「エル・サント」が誕生することとなった。デビュー当初は悪役(ルード)側で戦っていたが、のちに善玉(テクニコ)側へと転身した。新しいリングネームのもと自分自身のスタイル、敏捷さ、技のバラエティに磨きをかけ、その名声を高めていった。

偶像への道

1950年代になると、ホセ・グアダルーペ・クルスという芸術家兼編集者が、サントの漫画を出版するようになる。サントはその中でメキシコの歴史における最高のルチャドールとされ、彼に比肩しうるのは伝説の人物、カリマンだけであった。1950年代後半、プロレスラー兼俳優フェルナンド・オセスの誘いによって、サントは映画界へと足を踏み入れることになる。とはいえ、ルチャドールとしての活動を打ち切ることのない、二足の草蛙状態での俳優活動であった。こうして、映画俳優サントのデビュー作『サント対悪の頭脳英語版』、『サント対地獄人間フランス語版』が完成した。両作とも1958年公開、脚本はフェルナンド・オセスとエンリケ・サンブラーノ、監督はホセリート・ロドリゲスである。ちなみにこれら2作の撮影はキューバで行われ、撮影が終了したのは、フィデル・カストロハバナ入りし、キューバ革命の勝利を宣言した前日のことであった。

 

Wikipediaより

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【売却済】 カサ・マルティネス製 エル・ソリタリオ 本人使用

2018年11月04日 00時56分52秒 | マスクコレクション

カサ・マルティネス製 (タグあり)本人使用。

生地/旧金色サテン(シングル)。

1970年後期~1980年前期に製作、選手により使用されたヴィンテージマスクです。

十字テープは縦のみで左右は生地を直接、縫い合わせてあります。

 

エル・ソリタリオ

エル・ソリタリオEl Solitario、本名:Roberto González Cruz1946年5月25日 - 1986年4月6日)は、メキシコハリスコ州ヤウアリカ出身の覆面レスラー

息子のエル・イホ・デル・ソリタリオプロレスラーである。

来歴

"Othon Banzica" のリングネームで活動していた兄のヘスス・ゴンサレスの紹介により、ジョー・エル・エルモソのトレーニングを受けて1960年に14歳でデビュー[1]。前年に試合中のアクシデントで死去したヘススのリングネームを継承し、覆面レスラーの "Othon Banzica II" として活動していたが、1962年12月にマスカラ・コントラ・マスカラで敗れてマスクを失う。その後、ディアブロ・ベラスコのもとで再びトレーニングを積み、1966年2月にエル・ソリタリオとして再デビューを果たした。

「エル・ソリタリオ」のリングネームは、アメリカの活劇ドラマ『ローン・レンジャー』のメキシコでのタイトル "El Llanero Solitario" から取られており、劇中で主人公が着けていた黒いアイマスクを模した縁取りの黄金色の覆面を被るなど、プロモーターのレイ・プラタによって西部劇ガンマンをイメージしたキャラクターが与えられた。

エル・サントの「エンマスカラード・デ・プラタ」(銀色の仮面)に対する「エンマスカラード・デ・オロ」(黄金の仮面)として、当初はルードのポジションで活動。1967年よりEMLLに参戦、1969年8月にはエル・ラヨ・デ・ハリスコを破ってNWA世界ミドル級王座を獲得、1970年11月にはレイ・メンドーサからNWA世界ライトヘビー級王座を奪取した。1971年はアメリカのNWAロサンゼルス地区にも進出し、国際的なスターとなっていたミル・マスカラスとも激闘を展開している。

1972年7月、日本プロレスの『サマー・ビッグ・シリーズ』に初来日し、ジャイアント馬場坂口征二らスーパーヘビー級の選手とも対戦。同シリーズにはミル・マスカラスも参戦しており、当時メキシコやロサンゼルスでは敵同士だった両者のタッグチームが実現している。ソリタリオ(孤独な男)というリングネーム通り、華やかなマスカラスとは対照的なクールな雰囲気から、日本では「孤狼仮面」なる異名が付けられた[2]

帰国後の1972年12月、パートナーだったアンヘル・ブランコをマスカラ・コントラ・マスカラで破ったことを機にテクニコに転向。翌1973年には最優秀人気選手に選ばれ、以降マスカラスに匹敵する人気を持つ重量級ルチャドールのトップ・スターとなってメキシコのマット界に君臨した。アメリカでもベビーフェイスとして活躍し、ロサンゼルス地区ではジョン・トロスルーク・グラハムパク・ソンなどヘビー級のヒールと対戦している。

1977年よりLLIに移籍し、1979年5月にはLLIの提携ルートで新日本プロレスの『第2回MSGシリーズ』に来日、中盤戦特別参加でリーグ戦には出場しなかったものの、カネックとのメキシカン・コンビで注目を集めた。1981年9月の『ブラディ・ファイト・シリーズ』への再来日では、田園コロシアムにて藤波辰巳WWFジュニアヘビー級王座に挑戦している。

その間の1980年1月にはメキシコシティにて栗栖正伸を破りUWA世界ジュニアライトヘビー級王座を獲得。また、新日本プロレスでもタッグを組んだことのあるアンドレ・ザ・ジャイアントのメキシコ参戦時のパートナーも務め、アンドレとのコンビで2対3の変則タッグマッチも行った。ロサンゼルスやテキサスなどメキシカン人口の多いアメリカのテリトリーにも時折遠征しており、ダラスのWCCWではザ・グレート・カブキキラー・ブルックスなどの主力ヒールと対戦、1982年6月4日にテキサス・スタジアムで行われたフリッツ・フォン・エリックの引退興行にも出場した。

1982年にはUWA世界ジュニアヘビー級王座の初代チャンピオンに認定され、以降もペロ・アグアヨらと抗争を展開した後、1984年5月に第3団体のスペル・リブレスに移籍。1985年12月にはカルロス・エリソンドの主宰する独立プロモーションに登場してドクトル・ワグナーと対戦した。

1986年1月にLLIに復帰したが、3月末にモンテレイでの試合中に腰を強打。歩行困難となる重傷を負い手術を受けるも、施術中に心臓麻痺を起こし同年4月6日に死去。39歳没。

 

Wikipediaより
 
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【売却済】 ラ・サエタ製 エル・ソリタリオ 本人使用 直筆サイン入

2018年11月04日 00時56分51秒 | マスクコレクション
ラ・サエタ製エル・ソリタリオ 本人使用済みです。
 
1970年後期~初期頃に製作、ラ・サエタ氏鑑定済。
 
本人が使用した明確な日時、場所等は不明です。
 
直筆サイン入り。
 
 
 
 
 
 
 
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【売却済】 旧プエブラ製 カネック 旧金ラメ 本人使用 直筆サイン入 

2018年11月04日 00時56分50秒 | マスクコレクション

本人使用

昭和58年(1983年)新日本プロレス 第1回IWGP決勝リーグ戦来日時、持参。
明確な使用日時、場所は不明です。
直筆サイン入り、ひも付き。

 

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