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10/11長崎街道紀行:10日目(塚崎宿から嬉野宿 2001.11.24)

2023-10-11 15:52:11 | 旅日記
  • 1.「JR武雄温泉駅」から東川登町「貴船神社」

 塚崎宿の本陣跡より「西福寺」横の旧道を通り、「嬉野宿」を目指す。「山王神社」を右目に通過すると、11月24日というのに、汗が噴き出てきた。シャツ1枚を脱ぎ又歩き出す。細い旧道を進むと35号線にぶつかるが、そのまま横切り、南西の山側に方向をとる。武雄の特徴がある「御船山」がずいぶん遠くに見えるようになった。

  そのまま直進すると、如何にも古そうな「石橋」に出会った。この橋を渡ると、急勾配の坂道となり、またもや
汗が噴き出きた。この坂道を2,3度小休止をとりながらゆっくりと登って行った。登りつめると、そこは武雄地区
の水瓶となっている「淵の尾水源地」である。昔はここから渡し船に乗り、淵の尾峠の麓まで行くのが正式なルートであったようが、現在は船渡しがないので、そのまま歩行した。左側に暗い「自然道」が待っていた。

 

 

 

 

  少々、薄気味悪く躊躇したが、勇気を出して「自然道」ルートでこの峠を越えようと決心し、中へ入って行った。
暗い自然林の中に細い急勾配の山道が峠へと向かっている。「冷水峠」よりも原始的な自然道である。小さな音にびくつきながら登ること約20分、やっと上方に明かりが見えてきた。頂上につくも、下りは雑草が密生し、出口が見つからない。
 諦めて15分程で元の舗装道に戻り、「川登」を目指す。40分程時間をロスしたので下り坂を足早に歩く。20分程で34号線にぶつかり、しばらくはこの道路を歩く。「東川登小学校前」の信号より右折し旧道に戻りホットする。しかし10分程で又34号線とお友達となり、車と共に耽々と歩く。
 しばらくすると、右側に素晴らしい銀杏のある「貴船神社」が見えてきた。時間を見ると、13時40分となっていた。神社前に「そば屋」があり、昼食をとることにした。

 

 

 

 

 2.「貴船神社」から「下宿」

14時15分に再出発、地図によると、30分位は34号線とお友達のようだ。西九州自動車道、しばらくおいて長崎自動車道のガード下をくぐって、5分位の所に「小田志追分石」を発見この後直ぐに「観光秘宝館」が右手に見えてきた。
秘宝館の裏手に旧道があるはずなのになかなか見つからない。民家の裏側に幅1mにも満たない旧道を見つけホッする。トこの道を進んでいくと、最初は、右手に「田んぼ」、左手は造成地であったが、急に細い「山道」となり、少々薄気味悪い。そのうち、杉林の山道となり、暗くなり、心細くなってきた。20分程経ち、やっと峠を越えると大きな舗装道路となり、しばらくすると、「塩田道との追分(分岐点)」に到達した。

 

 

 

 

 

 

 

  ここから、「下宿」を通り抜ければ「嬉野宿」に達すると思うと元気が戻った。、
15分程で、34号線を横切り、16時に「嬉野宿」の「東構口」に到着した。明日も天気が良いとの情報を得たので、今日は「嬉野宿」に宿泊することにした。そのまま旅籠に行くのも時間がもったいない。

3.「肥前夢街道」見学

  近くに「肥前夢街道」があるので、そこを見学する事にした。「わたや別館」の前の道路を登っていくと、昔の
「砦風の入口」に着いた。2000円の入場料を支払い、中を見学する。「子供だまし」みたいな「展示物」も多いが、
辺りが暗くなってきたので「肥前夢街道」を出て、「旅籠」を探す。

  

4.嬉野宿の模様

3連休であったため、ホテルは満杯となっているようだ。3,4軒断られ、やっと町の中心街で「旅館(通天閣)」を見つけた。

泊まり・朝食付きで4200円という。又、夕食は「手頃で美味しい店」を紹介しましょうと、そのままその店に連れて行く。確に、味も良く料金も手頃であった。食事の後、宿場町の見学をするが、ここ嬉野も武雄と同様、街をあげて宿場町保存の
整備をしているようだ。「旅籠」に戻り、岩風呂にゆっくりつかり、明日のために早々と就寝した。

10/11長崎街道紀行-10日目(塚崎宿~嬉野宿)

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