あと1歩前に

あれよあれよというまに50代も通り越し60代に仲間入り。心地よく毎日を送りたい。穏やかな日々が一番です。

すれ違う人の目を見ますか?

2023-09-20 23:06:49 | 日常
すれ違う人の目を見るという人はどのくらいいるのでしょう。
ちょっとググってみたら、「なんとなく見ちゃう」という人と私のように「直接目が合うほどには見ない」という人がいるようです。

私は本当は人と目を合わせるのが、あまり得意ではありません。
ざっくり存在として全体を見ることもありますよ、仲の良い夫婦だなとか、オシャレだなとか、外国からの観光客だなとか、遠くからざっと。
見ていたとしても、どこを見ているかわかる程度の距離からは直接そちらの方は見ないようにしています。

とはいえ一般的に相手と話す時は目をみるということは常識なので、相手がいる会話の時は目を見るし、目力が強くてしんどそうな人の場合にはおでこ辺りを見たりして円滑なコミュニケーションをとるようにしています。
でも内心、動物としては敵意がないことの証明でもあるのでじっと目を見ないのもアリで、むしろそっちの方が自然なのではないかと思ったりもします。

なぜこういうことが気になったかというと、最近ジーっと見られる場面が立て続けに何回かあったからです。
個人的に意味なく相手からジーッと見られるのが苦手なので「怖かったー」とトラウマのように頭から離れないのです。

それはどんな場面かというと、ちょっと郊外の田舎(?)とまではいかないまでも、都心からは離れた少し寂れた地域を車で走っていた時です。
すれ違う前からお年寄りがジーーーーーッと通り過ぎるまで見ているのです。
見られている方にしたら、もはや凝視されているといっても過言ではない位です。
男性の場合が多数ですが、女性の場合もあり、共通してほぼお年寄りでした。
都心であれば、美しい人や若い女性が注目されることもあるでしょうが、私が言っているのは全然違います。

あまりに怖いのでその意味を理解しようと考えてみました。
相手の立場に立って思い返してみると、私の想像はこうです。
「この人はなぜここにいるのか、何の用なのか、困っているのか、何か手助けしようかなど、直接コミュニケーションをとる前提で相手の意思を確認する意味から、目を見て反応を待っている」ということです。
通常の場面では、目を見るということは反応を待っているとも受け取れるからです。
昔は「目は口ほどに物を言う」と言われていて、それが仲間意識を作ってきたのかもしれないと思ったり。
やたらと目を見てくる人は、もしかして気軽にコミュニケーションを取りたいと思っているフレンドリーな人なのかもしれません。

相手の言動を良い方に捉え直し、自分の老後に備えたいと思います。

がしかし、見ちゃう人たちに言いたい「圧が強いんですよ」と。
「その証拠に見ちゃう人たちは見返されること少なくないですか」と。

逆に都心にいる時の、周囲の自分への視線や関心のなさも驚くほどです。
「チラッとくらい見ろよ」と思うくらい見ない。
直接声をかけて視線をこちらに向けさせれば別ですが、普通は全然誰とも視線は合いません。
混雑した人混みでも人を見ず、センサーが付いているかのように人を避けてサッサか歩いていて、あれはあれで凄いですね。

ジッと見てくる人対策、もう少し検討が必要そうです。

※追記
先日車を運転中、向かいから白バイが2台やってきて「うぁカッコイイ」と見ていたら、「何見とんじゃ〜わりゃ〜」と言わんばかりに、前のめりに目を見開いて凝視され返されました。
「いえ違うんです。かっこいいなと思って」とドギマギしながら内心一人で勝手に言い訳しましたが、職業柄怪しい人は見逃さぬということなのでしょう。
最初は私から見ていたのですが、完敗でした。
警察官つよ。
というか私よわ。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 失敗した干し野菜 | トップ | 食パンの薄切り »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

日常」カテゴリの最新記事