先ほど『中居正広の【終活】って何なの?~僕はこうして死にたい~』
を観ていました。
自分の生が終わる事を見据えて、受け入れて
残りの人生をどう過ごすか、そしてどう終わらせるか
遺していくもの、人への想い
自分の生き方と逝き方の選択
人の数だけあるのはわかっているけど
あけさんの闘病を見ていた私は
私なら…と考えていた。
今の時点では
治す治療で日々を制限される道は選択しないと思う。
その為に、という訳ではないけれど
私が死んだ後に
私の荷物の整理に周りが困らないように
どうすればいいか、そういう事位は考えている。
それは今、私がお一人様やからと思うけど。
お墓も無くていい、空に散骨して欲しい
棺桶に入れて貰いたいものは纏めておくからとかは弟に伝えてるけどね。
でもこれはまだ
自分がそういう時期ではないという意識があっての事かもしれない。
実際に、目の前に人生の終わりを見据えて生きている人は
その覚悟にしろ、考えにしろ私のそれとは到底違う観点なのかもしれない。
当たり前に生きていること
生かされていること
それを自分自身が活かせているのだろうか。
まだ、私の中で答えは出せていない。
出せない。
を観ていました。
自分の生が終わる事を見据えて、受け入れて
残りの人生をどう過ごすか、そしてどう終わらせるか
遺していくもの、人への想い
自分の生き方と逝き方の選択
人の数だけあるのはわかっているけど
あけさんの闘病を見ていた私は
私なら…と考えていた。
今の時点では
治す治療で日々を制限される道は選択しないと思う。
その為に、という訳ではないけれど
私が死んだ後に
私の荷物の整理に周りが困らないように
どうすればいいか、そういう事位は考えている。
それは今、私がお一人様やからと思うけど。
お墓も無くていい、空に散骨して欲しい
棺桶に入れて貰いたいものは纏めておくからとかは弟に伝えてるけどね。
でもこれはまだ
自分がそういう時期ではないという意識があっての事かもしれない。
実際に、目の前に人生の終わりを見据えて生きている人は
その覚悟にしろ、考えにしろ私のそれとは到底違う観点なのかもしれない。
当たり前に生きていること
生かされていること
それを自分自身が活かせているのだろうか。
まだ、私の中で答えは出せていない。
出せない。