風がヴギウギ

自由気ままな風の様に毎日を切り取っていく

親父の自作本・・・青春の詩<耳鳴り>6

2020年11月09日 | 自作本

2回に分けます

<故郷にてよめる> 1

樹々の青い彩が流れ落ちる

深い山峡を通して

黒い八ヶ岳の山容が

何時まで眺めても消えはしなかった

遠く異郷の街々に放浪ひ

そして今 故郷に向かへられた私・・・ ・・・

私の足の下には堅い大地がある

その土の感触のかそけさ

私の中にこみ上げて来るものがある

私の周りでは風が鳴った

栗の木の厚ぼったい葉が揺らぎ

薄の白い穂がさやさやと鳴った

その私の胸には

遙かな少年時代の夢が蘇って来る

私は 懐古主義者

未来はどうあろうと

私は ただ

過去を愛し思い出に幻を追ふ

聖らかな童話の世界

それは私の憧憬(ショウケイ)の光

自然の大きな懐の抱かれ

野兎のやうに気侭(きまま)だった私

清らかな星の瞳に憧れ

そのやうに純粋にならうとした私

-続-

1944年9月末某日

 

※この時期に生家に帰ってきたのか?

安心感と共に翻弄されている自らを

改めて みているようである・・・

かそけさ⇒(「幽し」)光・色や音などがかすかで、今にも消えそうなさま

憧憬(ショウケイ)⇒あこがれること。あこがれの気持ち

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親父の自作本・・・青春の詩<耳鳴り>5

2020年11月08日 | 自作本

<ある男の歌へる> 2

心に些かの安心を得て

僕は朗らかに街を歩きました

本屋でうろうろしてゐると

前のレコ-ド屋のラジオが鳴り出しました

ぼんやりした僕の意識は・・・ ・・・今

愕然として揺り起こされました

ああ・・・何たることでせう

伊太利は降伏したのです

三国同盟の堅い鎖は・・・今

その一環を断ち切られたのです

ああ 盟約は一片の反古と化したのでせうか

かくして 日本は東洋に

独逸は西洋に 孤立したのです

一世の英雄ムッソリ-ニの末裔 ファシスト党の末路は

余りにも哀れではないでせうか

そしてパドリオ内閣は?

もう盟友伊太利は消滅したのです

我々は更に多くの敵と

戦はなくてはならなくなったのです

ああ 条約はすでに反故

誰も他人の手を頼みにしてゐて良いものでせうか

独力・・・ どこまでも独力で

必死の戦を戦ひ抜かなくてはならないのです

正に必死の時です

僕らはやります 頑張ります

神々よ

日本の神々よ 

見てゐて下さい

日本の翔翼(つばさ)が怪鳥共を蹴散らしすのを・・・

友よ 友等よ

相手は強い・・・

必死にならうではないか

最後の光明を得んがために

1943年9月9日

 

親父の千葉在住の疑問ですが 昨日おばさんからコメントが入り

千葉の第二工学部に居たので船橋に住んでいたとのことでした

この詩が書かれた前日・・・

1948年9月8日 イタリア・バドリオ政権は連合国に無条件降伏をした

ドイツはイタリア半島の北部~中央部にかけての支配している

生と死の狭間であるとともに

望みを捨てない気持ちが伝わってくる

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親父の自作本・・・青春の詩<耳鳴り>4

2020年11月07日 | 自作本

<ある男の歌へる>1

※長いので2回に分けます※

この日 耳鳴りのはげしきを覚え

千葉へ行きました

狭い小路を入って

僕は耳鼻科の医院を見つけました

かしましく女学生の会話も耳に入らず

僕は一冊の書物を開きました・・・

船橋聖一 「徳田秋声」

”四八”といふ番号札が手の中で汗をかき始めた頃

僕の番になりました

キツ-イ薬品の臭ひを

僕の風邪引きの鼻は受付けはしませんが

鼻孔や耳へ棒を突っ込まれた時

些(いささ)かの痛みを覚えたのです

そして耳孔と鼻孔は通じてゐるんだ という事を初めての如く意識しました

何故と言って

機械を通って僕の耳の中を風がス-ス通り抜けたのですから

「痛くはないでせうね」 「ええ・・・」

こりゃ 右の耳はいけないなと思ったものです

医者は例の如く自信あり気に言ひました

「軽い中耳炎をおこしたんですね 本来なら痛むのですが・・・

あなたのは軽いですね 痕跡があるますよ

とにかくしばらく通ってごらんなさい 一日おきでも良いですから」

「一日おきにして下さい 試験で忙しいですから」

と僕は慌てて言いました

薬局の窓口で 太っちょの看護婦が 何の感動もない声で診察料を要求します

「二円三十銭です」

僕は蟇口(がまぐち)の軽くなるのを覚えました

-後半は明日-

 

※東大にいた親父が千葉に下宿をしていたのも

キャンパス迄遠いような気がするが・・・

戦争を考えれば 都心より千葉の方が安全だったのか?

いずれにしても解らない

 

船橋聖一 「徳田秋声」⇒ 調べると 舟橋と書くようです

『あらくれ会』同人になり徳田秋声の門下生となっているそうです

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親父の自作本・・・青春の詩<耳鳴り>3

2020年11月06日 | 自作本

<蝉>

-亡友小口兄の霊に捧ぐるの詩-

蝉が鳴いてゐる

渇ききった空気の中で

緑色の帳(とばり)をゆるがせて蝉は鳴いてゐる

その声は あの白い 円やかな ふんわりした夏雲の去来する

炎熱の空を恋ふるかの様だ

縁石に座って

かすかな空気の流れに身をさらしながら

私はその声に耳を傾ける

そして油蝉がジイジイジイと陽を恋ふて鳴きつづける

亡き友よ

私は君の声をその中に探し

そして はぐれてしまふ

君の声は聞こえない

君は遙かな白蓮の匂ひ世界へ旅立ってしまったのだ

明方の筑摩の森にしんしん深く沈んで行ってしまふ

ただ蝉の声だけがかしましく響く

蝉が鳴いてゐる

青いオ-ロラの中を鳴き移り

泣き続け

時の無限にさまよひながら

動かない酷熱の大気を恋ふるかのやうに

昭和20年8月19日

 

※何とも言えない詩である

筑摩出身の友だったのかもしれない

 

帳(とばり)⇒室内や外部との境などに垂らして区切りや隔てとする布帛

筑摩⇒長野県の地名で 昔は「つかま」と読んだが

明治時代以降は「ちくま」と読むことが多いようです 

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親父の自作本・・・青春の詩<耳鳴り>2

2020年11月05日 | 自作本

<ある雨の夜に>

滑油の赤い粘性に耐へて

昇りゆく気泡の速度に

吼え 猛り 廻る

過給器の轟音に

疲れ切った頭を俯向けて

黴臭い下宿に帰ってきた私に

一体どれ程の憩ひがあるをいふのだ

淡墨色の夕暮は 秋のおとづれ

地にすだく虫の音は 命のなみだ

ああ この寂莫たる無窮のなかでは

私は呼吸さへ出来ないのを覚てる

かすかに降りくる 毯栗達のざわめき

遠く耳底にひびく 子ども達の叫びが

真昼の白い幻を

そして

故郷の星のささやきを思はせる

今宵も亦 雨が降って来た

あの憂鬱なメフィストの嘲笑うのやうに

ぴやぴたと ひそひそと・・・

やけにふかす煙草の煙がもつれ合って

無涯の闇に流れてゆく

その紫色の薄衣の流れに

忘れてゐた感傷を引き出してしまふ

故郷・・・ ・・・ ・・・それは 私の生命だ

思い出・・・ ・・・ ・・・それは 私の生命の糧だ

限り無く愛(いと)としきものよ

どうしてかう私の心を弱くするのだ

感傷・・・ ・・・ その甘さは拭はれねばならぬ

私達に望まれるのは 闘志のみ

ひそやかな夜雨の冷たさに

私は再び今の心を取り戻す

さうだ 私の現実

現実の生命をと流れゆくもの

それは戦だ

この闇の彼方に浮く島々の

燃上がる緑を染めて

流さるる同胞(はらから)の赤き血潮

現実は戦のまっただ中

ひそやかな夜雨の冷たさに

亦 新たなる闘志を燃やさう

1944年9月19日

 

※故郷への思いが募っていても

大戦中であり断ち切る強い心を自分にかす 

同胞がどこかの戦場で戦っているからであろう

同じ年代の時

僕らとは まったく違う 時代を生きてきたことは確か・・・

それだけ 日本や同胞への思いが強いのであろう

 

すだく-集くと書く・ 虫などが集まってにぎやかに鳴く

無窮-果てしないこと・そのさま・無限・永遠

毯栗-いがぐり

無涯-限りのない・はてしのないこと

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