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中国に大国の自信、日本好き初の4割超 「巧虎」大人気

2019-01-14 17:53:33 | 日記

中国に大国の自信、日本好き初の4割超 「巧虎」大人気

 

高田正幸、上海=宮嶋加菜子 2018年12月13日14時46分

 

 中国の対日感情が好転している。10月に安倍晋三首相が訪中するなど日中間の外交関係が改善傾向にあることの反映以上に、構造的な変化が起きているようだ。(高田正幸、上海=宮嶋加菜子)

 

海老蔵さん、伝えたいのは「父と麻央」 団十郎襲名へ

2019-01-14 17:46:17 | 日記

海老蔵さん、伝えたいのは「父と麻央」 団十郎襲名へ

 

星賀亨弘 2019年1月14日12時15分

 2020年に十三代目市川団十郎を襲名する歌舞伎俳優の市川海老蔵さん(41)が14日、八代目市川新之助を襲名する長男の勸玄さん(5)と一緒に東京の歌舞伎座で会見を開いた。

 海老蔵さんは「己の命のかぎり、懸命に歌舞伎に生きてまいりたいと思う所存でございます」とあいさつした。勸玄さんは「父も名乗っておりました市川新之助の名跡を、八代目として相続いたします。どうぞよろしくお願いいたします」と神妙な面持ちで述べた。

 団十郎は江戸時代初期から続く歌舞伎界の重要な名跡で、十二代目は海老蔵さんの父が名乗った。どんな団十郎を目指すかという問いに海老蔵さんは「古典と向き合って歌舞伎の道を歩んでゆくと同時に、新元号になる年に襲名を決めたわけですから、時代に生きていることを多くの方々に感じていただけるような団十郎像を描いていきたい」と語った。五代目団十郎が「祖父や父たちに及ばない」との意を込めて使った俳号「白猿」を付け、市川団十郎白猿を名乗るという。

 

市川団十郎さんからの伝言

2019-01-14 17:33:25 | 日記

市川団十郎さんからの伝言

最後の「勧進帳」

 12年10月の東京・新橋演舞場での公演を前に抱負を語る市川団十郎さん=2012年9月3日【時事通信社】

 歌舞伎座(東京・銀座)の新開場を目前にした2013年2月3日、市川団十郎さんが66歳で亡くなりました。12年11月中旬、団十郎さんに歌舞伎の魅力、新しい歌舞伎座への期待などについて、契約紙の正月紙面用にインタビューを行いましたが、話は歌舞伎にとどまらず、日本人の美意識、文化と経済など広範囲に及びました。大きな視点で歌舞伎と日本文化を見詰めていた団十郎さん。追悼の思いを込め、団十郎さんが歌舞伎界へ、私たちへ残した言葉の一つ一つを紹介します。(取材・構成=文化部 中村正子)

     ※    ※    ※    ※

――2012年10月、団十郎さんは東京・新橋演舞場で屈指の人気演目「勧進帳」の弁慶と富樫を、いとこの松本幸四郎さんと昼夜で交代しながら演じた。「勧進帳」は市川団十郎家のお家芸「歌舞伎十八番」の演目の一つ。団十郎さんと幸四郎さんの祖父、七代目松本幸四郎は弁慶を生涯に1600 回以上演じ、その芸は息子である十一代目市川団十郎、松本白鸚(はくおう、八代目松本幸四郎)、二代目尾上松緑の3兄弟を通して団十郎さん、幸四郎さんに受け継がれた。
 公演前の取材で、「負けていられない」と笑顔で語っていたが、これが団十郎さんが舞台で演じた最後の「勧進帳」となった。

 2人の弁慶の違いを言うのは難しいですけど、私の弁慶は父と松緑おじさんの両方が重なった弁慶になっていると、自分では思っています。ひょっとして、僕の方が荒事(あらごと)系なのかな。高麗屋(幸四郎家の屋号)さんは、また違う行き方なのかなという風には感じました。出どころは七代目幸四郎という私たちのおじいさん。でも十一代目団十郎、白鸚の叔父さん、松緑叔父さんのはそれぞれ違う。これが歌舞伎の面白さなのかなと思いますし、それぞれの解釈、役者としての表現の仕方は違うんだなと感じましたね。一日のうちに役を代わるので、せりふを間違えてないか、結構気を遣いました。後半、さすがにくたびれて、ちょっと体調を崩していました。

 

「市川団十郎」という名の重み

 時事通信社の取材に応じる「市川海老蔵」時代の団十郎さん=1978年11月【時事通信社】

――団十郎さんは1946年に生まれ、53年10月、7歳の時に歌舞伎座で初舞台を踏んだ。

 歌舞伎座が戦後に再開場した時(1951年)、父と母は同棲(どうせい)時代という結構ナウいことでいましたので、私自身があまり表に出ないし、歌舞伎座なんかに行けなかった。歌舞伎を初めて見たのは、確か昭和28(1953)年。松緑おじさんが「蘭平物狂」をやっていて、(いとこの尾上)辰之助君が子役の繁蔵で出ていたのを近所の電器屋のおばさんに連れられて見に行った記憶があります。

 6歳の時に踊りの稽古を始め、初舞台の後は学校が終わると真っすぐ帰って稽古。たまに歌舞伎に出て、楽屋でドタバタ遊んでいました。

――1962年4月、「海老様」と呼ばれた人気役者の父が十一代目市川団十郎を襲名し、江戸歌舞伎の大名跡が約60年ぶりに復活。襲名披露の「助六由縁江戸桜」は、福山かつぎで出演した団十郎さんにとって父との思い出深い演目であり、一つの転機ともなった。

 私が小学生から中学生までは、市川団十郎という名前はなかったので、団十郎というものがどういうものなのか、よく分からなかった。小学校6年生の時に市川新之助という市川家の名前を正式に継がせてもらってから、おぼろげながら分かっていったという状態です。

 父の襲名の時に、今はなくなった湯河原の中西旅館で合宿しました。稽古のテープをかけたりするのを手伝った後、福山かつぎの稽古をつけてくれた。ところが舞台に出ると、箸にも棒にも掛からず、お客様が失笑される。こんなことをやっていちゃいけないなと思ったのが、私としては役者の目覚めというところですね。

 

芸の継承

 成田山新勝寺に向かう参道で、息子の海老蔵さん(右、当時新之助)と海老蔵襲名披露興行の成功祈願のお練りをする市川団十郎さん(千葉県成田市)=2004年4月4日【時事通信社】

――1965年11月、襲名のわずか3年半後に父の十一代目が亡くなり、19歳で後ろ盾を失った団十郎さん。叔父の二代目尾上松緑らに教えを請いながら家の芸を身に付け、69年に十代目市川海老蔵、85年に十二代目市川団十郎を襲名した。

 大きな役で父から直接習ったのは「勧進帳」の弁慶と、「寺子屋」の松王丸だけです。何か役をやるたびにおじさん方のところを回って教えていただき、自分の目に残っている父と重ねながら演じました。

 今、海老蔵には私が教えることもありますが、いろんな方から教わるのが大事だと思っています。結構いろんな方のところへ行って教えていただいているはずですが、ここのところ、心境が変わったのか、今度のお正月(2013年の東京・浅草公会堂「新春浅草歌舞伎」)にやる「勧進帳」は、もう一回さらい直しということで、12月に稽古を付けることになっています。海老蔵も30半ば。自分というものがあるでしょうから、精神的なことを話すと思います。

――市川団十郎家のお家芸は、初代団十郎が創始した豪快で力強い荒事。「童(わらべ)の心で、純真無垢(むく)な心でやれ」と言い伝えられてきた荒事の精神は、現代にも通じるはずだという。

 荒事の根本精神は勧善懲悪。弱きを助け、悪をくじくと言う精神ですね。今の日本は強きにおもねて、弱きをいじめる。我々の先祖がやってきたように、弱い人を助け、悪を懲らしめることは勇気が要ることですけども、荒事の世界ではそれができている。そういう舞台を務めたいなと思います。

 

歌舞伎と日本文化

 襲名披露公演で弁慶を演じる十二代目市川団十郎さん=1985年撮影【時事通信社】

――歌舞伎座での団十郎襲名興行は3カ月間続き、襲名披露は米国でも行われた。2007年にはパリ・オペラ座でも公演した団十郎さんは、国際的な視点からも歌舞伎と日本文化を見詰めてきた。

 日本の文化の中には謙遜の美徳というものがある。それを根本に売らなくちゃいけないんだと思います。日本人が思っている以上に、世界は日本の文化のフィロソフィー(哲学)に何かを感じている。世界に広まった日本のすし文化は、江戸時代の市民が考えた食事ですよね。漫画も江戸時代の黄表紙が根本にある。日本の国土の周りにシェールガスという天然資源が埋もれていると言われていますが、日本の文化も地下資源をいっぱい持っているんですよ。

 海老蔵がやらせていただく映画「利休にたずねよ」(2013年12月公開予定)に私も千利休の師匠の武野紹鴎(たけのじょうおう)役で出ますが、例えば、西洋の人はダイヤモンドのようなキラキラ輝くものに値打ちを感じているのに対して、日本の茶道のわび・さびの世界では、単なる土くれを火で燃やして、表面がガラス状になって、いびつになっているような所に美しさを感じる。秋の紅葉は日本人にとっては生きているけれども、ヨーロッパの人は枯れて死んでいると感じる。そういう日本人の感性を一つの資源としてアピールする必要があると思っています。

――歌舞伎にはそのヒントがあると、団十郎さんは感じているという。

 ヨーロッパには騎士道というものがありますが、歌舞伎の中でも武士道というものが描かれている。そういうものと人間としての生き方、文化というものを歌舞伎を通して外国の方々にもアピールしたい。

 「将軍江戸を去る」という芝居で山岡鉄太郎は、「経済の実力なきところに、権力は存在しない」と言いますが、経済というものの基は文化ですよ。人間が人間らしく生きるつてを作ったことによって、経済が生まれているわけですから。それを我々はもう一回考え直す時期です。そう考えていらっしゃる方がいるから、歌舞伎をご覧になる方が増えているのではないでしょうか。

 

新しい歌舞伎座への期待

 「稚魚の会・歌舞伎会合同公演」で「勧進帳」が上演されることになり、出演者の指導をする市川団十郎さん(左)(東京都千代田区の国立劇場)=2007年8月14日【時事通信社】

――歌舞伎座が建て替え中の3年間は東京以外での歌舞伎興行が増える一方、人間国宝の中村富十郎さん、中村芝翫さん、中村雀右衛門さんが相次いで亡くなった。歌舞伎界は世代交代の時期を迎えている。

 先輩方がいらっしゃらなくなった3年という月日のうつろいを感じます。これからは、ずいぶん違う雰囲気の歌舞伎が出てくるのではないかな。我々の世代もおかげさまでいい年頃になり、せがれたちも30半ばから40。考えてみれば、そういう時代に移ろうとしているのかなと思います。

 古典芸能は年配者がいい芸を見せる世界である一方で、若いピチピチした人の舞台を見て、「あら、きれい」と感じていただける世界でなければ立ち行かなくなる。ですから、これから頑張ろうという人たちの門を開いてあげて、道を妨げないようにしなければいけないと思っています。

 【市川団十郎さん略歴】 1946年8月6日生まれ、東京都出身。53年10月、歌舞伎座で市川夏雄を名乗って初舞台を踏み、58年5月に六代目市川新之助、69年11月に十代目市川海老蔵、85年4月に十二代目市川団十郎を襲名。
 スケールの大きな芸風で、当たり役に「勧進帳」の弁慶、「助六由縁江戸桜」の助六のほか、「仮名手本忠臣蔵」の大星由良之助、「熊谷陣屋」の熊谷直実、「若き日の信長」の信長などがある。「歌舞伎十八番」の継承に力を注ぎ、80年に「外郎売」、2009年には「象引」を復活上演した。
 04年5月、長男の十一代目市川海老蔵襲名披露興行中に白血病を発症。壮絶な闘病生活を乗り越えて、舞台に復帰した。
 07年紫綬褒章。著書に「歌舞伎十八番」「團十郎の歌舞伎案内」「團十郎復活」など。
 12年12月、京都・南座の顔見世興行を途中から休演し、2013年2月3日死去。

 

 

 

 


海老蔵さん「團十郎」襲名へ 7年ぶりに大名跡復活(19/01/14)

2019-01-14 17:31:34 | 日記

海老蔵さん「團十郎」襲名へ 7年ぶりに大名跡復活(19/01/14)

市川海老蔵さん(41)が歌舞伎座で会見し、来年5月に「團十郎」を襲名することを発表しました。6年前に亡くなった父親が名乗っていた大名跡が復活することになります。 ・・・記事の続き、その他のニュースはコチラから! [テレ朝news] http://www.tv-asahi.co.jp/ann/