長期出張中のことを書こう。
時間をやりくりし、文京区小石川の啄木終焉の地を訪ねた。
30年以上前に、小石川の近く、文京区春日町に1年ほど住んだことがあるが、啄木終焉の地が近くにあることはしらなかった。盛岡出身者は「啄木と賢治のことは当然知っている」と東京で知り合った友人たちは思い、何とかそれに応えようと、なけなしのお金で、角川文庫の宮沢賢治「注文の多い料理店」と新潮文庫の「石川啄木集」(上下)を買い、読み始めた頃である。今も、この本は我が家にある。ちなみに「石川啄木集」は29版、「注文の多い料理店」は14版後の開廷版、どちらも当時、超ロングセラーであった。
さて、啄木終焉の地だが、団平坂のそば、小石川図書館の近くの閑静な住宅地の中にひっそりとあったので、探すの難渋した。小石川図書館に寄って、場所を訪ねると、親切に教えてくれ、簡単なチラシも渡してくれた。さりげなく、親切だった。週末には何人も啄木ファンが訪れるのであろう。応対も慣れたものだった。碑の前でしばしたたずみ、最後の時を思った。4月13日、節子夫人、お父さんの一禎さん、友人の若山牧水さんとに看取られて啄木は亡くなった。その時、娘の京子ちゃんは外で桜の花びらと遊んでたという。京子ちゃんはどの辺で遊んでたのだろうか、京子ちゃんを探しにでた牧水さんは、どんな顔で京子ちゃんを見つめただろうかと、想像してみると、私もなんだかこみ上げてきた。