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箕面の森の小さなできごと&四季の風景 *みのおハイキングガイド 

明治の森・箕面国定公園の散策日誌から
みのおの山々を歩き始めて三千余回、季節の小さな風景を綴ってます 頑爺<肇&K>

森の力 GO GO !  (3)

2015-09-03 | *みのおの森の小さな物語(創作短編)

 

森の力  Go Go !  (3)

 

 

 

英和は渋滞で動けない高速道上から、次々と電話を入れていた。

やっと石田さんとケイタイがつながり、桜谷で昼前に二人に出会ったことを

知った。  しかし その後の事は分からない?

見れば、北の箕面方面は真っ黒い雲に覆われ、時々稲光が見える・・・

 

   嵐だ!

 

英和は数年前、瞳と相談して箕面北部の止々呂美(とどろみ)の山中に

300坪程の土地を購入していた。

賢治の為にも、いずれ山の中で生活する事を望んでいた。

何といっても賢治が周囲に迷惑をかけることなく、本人自身が一番好きな

森の中で、あのキンダーガーデンでのように、伸び伸びと遊び暮らせる事が

何よりと考えたからだった。

 

それにもう一つ、賢治には夢中になれるこだわりのものがあった。

それは5歳の時、障害児の美術指導をしてくれていた絵の先生に

個人指導を仰ぎ、その後めきめきと個性を発揮してきた事だった。

そこで家の3帖ほどの物置部屋を改造し、特別の壁紙を貼り、その中で

自由に絵を描かせた。

賢治はそれが気に入ったのか、毎日遅くまでその部屋にこもり、あれこれと

壁面いっぱいに黙々と絵を描いていた。

 

そして8歳の時、絵の先生の薦めもあり、一枚をイタリアの障害者国際

美術展に出品したことがあった。

それがユニークな絵として審査員特別賞を受賞したのだ。

箕面の森の中で体験した自分の心のうちを素直に絵に表現したものとして

高く評価されたようだ。

それ以来、毎年出品するようになり、いつも何らかの賞を受け、昨年は

初めて銅賞を受けた。  

これから銀賞、金賞、グランプリと一歩一歩目指す目標があった。

それだけに森の中に家を建てたら、賢治の絵の部屋をちゃんと作ってやろう

と夫婦で話し合っていた。

それに瞳も、そんな賢治の横で一緒になって絵を描いてきたので、今では

本格的に道具を揃え描き出していた。

だから新しい家をつくったら、賢治の部屋の横に瞳のアトリエも作ろうと

話していた。

英和は退職したら、その新しい家で好きな陶芸をやりたいと思っていた。

その焼き釜を設ける為にも、山の中は適している・・・ と 夢を描いていたの

だが・・・

 

 

前方の車が動き出し、英和はふっと我に返った。

阪神高速・池田線に入ると、アクセルを全開に踏み込んだ。

強い雨がフロントガラスを激しくたたきつける。

  「瞳は  賢治は  大丈夫か・・・?」

 

 

その頃、英和から電話を受けた友達の石田さんらは、支援学校の

連絡網を使い、雨の中を箕面駅に集合していた。

  「ケンちゃんらに何かあったに違いないわ・・・」

 

 

嵐のような激しい通り雨が一段落し、薄日がさしてきた頃・・・

「一の橋」 の前で、急に若い女性らが悲鳴をあげた。

 

     キャー  キャー

 

近くの店の人が頭を上げ、叫び声の方を振り向いた・・・

 

  「あれ!?  あれは あの子は それに・・・ あああ・・・」

 

5分後、店の人の119番通報により、近くにある箕面市消防本部の

救急車が、サイレンを鳴らしながら急いで瀧道を上がってきた。

 

石田さんら5人の友人達は 「きっとケンちゃんらに何かあったんだわ・・・」

と、胸を締め付けられる思いで、救急車の後を追った。

 

英和は箕面駅前ロータリーに着くと、ロックもせずに車から飛び出した・・・

救急車が目の前を上っていく・・・

 

  「何があったんだ?  瞳は  賢治は  大丈夫か・・・?」

 

胸騒ぎが現実に目の前で起こっていた。

 

それぞれの思いで 「一の橋」前に停まっている救急車にたどり着いた時、

皆は目を疑った。

 

  あのケンちゃんが、ぐったりしたお母さんを背負ったまま、

  今にも崩れ落ちそうになりながらも必死に立っている・・・ 

 

二人とも全身泥だらけの格好で、服からその泥水がしたたり落ちている。

 

救急隊員が意識の無い母親を担架に乗せようと、賢治の背中から離そう

としているが、賢治はしっかりと母親をつかんだまま離そうとしない。

3人がかりで 「早く 早く 手を離して・・・ 早く」 と急き立てるが、賢治は

益々力強く母親を離そうとしないでいた。

 

その時・・・

  「ケン  ケン  ケンちゃん  お父さんだよ  

  ケン まさかお前が・・

   ケン お母さんはお父さんが・・・  大丈夫だ  

                        ケン すごいぞ!」

 

賢治は走ってきたお父さんの姿をみるや初めて手を緩めた。

そして涙が次々とあふれるままお父さんにしがみついた・・・

 

  「よし よし よく頑張ったな  もう大丈夫だぞ  ケン すごいぞ

   それにしても すごい・・・ ケン  ケンちゃん  

      ありがとう! 」

 

英和は賢治をしっかり抱いたまま泣き崩れた。

 

やがて救急車は3人を乗せ、箕面市立病院の救急センターへサイレンを

響かせた。

 

 

長時間に及ぶ緊急手術の後、医師からは・・・

  「後30分も遅かったら、命が無かったかもしれません・・・

   大変危険な状態でした  息子さんの大手柄ですよ」 と言った。

 

  それにしても どうやって?  

  どうやってあの広い森の中で母親を探しだしたのか・・・? 

  この奇跡はどうやって成就したのか・・・? 

  それにあのドシャブリの嵐の中で母親を背負い、あの森の長い山道を

  どうやって下ってくる事ができたのか?  

  どうやって  どうやって・・・?  

 

関係者全員が、ただ首を傾げるばかりだった。

しかし 何も喋らない賢治に、周りの皆はただうなづいた。

 

    森の持つ不思議な力だ!   と。

 

 

数日後、瞳の意識が回復し、面会を許された賢治は、父親と共に病院を

訪ねた。

病室の北側の窓からは、箕面の森が一望できる。

 

  「あのケンちゃんが、私の命を救ってくれたなんて・・・」

 

瞳は、嬉しさと感謝以上に、息子の成長振りにポロポロと涙を流しながら

賢治をしっかりと抱きしめた。

 

 「ありがとうね  ケンちゃん  ありがとう・・・」

 

英和はこれを機に早期退職を決めていた。

そしてあの止々呂美の森の中に、新しい3人の家を建てる事をすでに

瞳と話していた。

何度も何度も母親に抱きしめられるたびに、賢治は誇らしげな顔をして

 

   「ゴーゴー  ゴー  ゴーゴー」

 

と 母親との合言葉の声をあげ、周りのみんなを笑わせた。

 

 

病室には、古代ギリシャの医学者 ピポクラテスの言葉があった。

    「自然は全ての病を癒す」

 

箕面の森が太陽に光り輝いていた。

 

 

 

(完)  

 

 


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山少年 (1)

2015-08-13 | *みのおの森の小さな物語(創作短編)

 

箕面の森の小さな物語

         (創作ものがたり  NO-21)

 

 

 

 

山少年  (1)

 

 

 

小学校5年生の高野 真一が、東北の山深い栄宝村から

箕面に転校してきたのは3月下旬の事だった。

 

人口130人ほどの山間にある限界集落ながら、真一の両親

生れ育ったこの村で子育てをするつもりだった。

しかし 村から町へ通じる唯一の村道が未曾有の集中豪雨に襲われ、

何ヶ所で崩落し寸断され、分校のある町まで通学ができなくなって

しまったのだ。

 

両親はいろいろ考えた挙句、やむなく100年以上続いた住み慣れた

村落を離れ、都会に移り住む事を決心したのだった。

それは少し前、最後のマタギとして山の中で猟をして生計を立ててきた

真一の祖父と祖母が相次いで亡くなり、家族は真一の妹 美子と4人

だけになっていた事も後押しした。

 

  「大きいな~」

  「お兄ちゃん すごいね~」

 

真一と美子は初めて見る大都会の様相に目をパチクリさせていた。

TVや本で見て知っているつもりでも、いざ実際に初めての新幹線に乗り、

車窓からみる高層ビル群や初めて見る海もビックリの連続だった。

 

  「速いな~」

  「海ってすごく広いね・・・」

 

二人にとってそれは今までの山奥の世界とは全く違う、別の星に

来たかのような感覚だった。

 

箕面には真一の父 真吾の古い友人 山崎 英次 がいた。

それは30年ほど前、東京に住んでいた英次が 山村留学制度 なるもの

を利用して栄宝村を訪れ、同学年だった真吾と友達になり、その50日間

野山を一緒に過ごした事からお互いに生涯の友となった。

それ以来、英次が大阪に転居した後も何かと交流は続いていた。

そしてあの時の感動が忘れられず、英次は何回か妻と娘の麻里の3人で

栄宝村を訪れていたので、子供達とも交流があった。

 

  「やあ~  来た 来た・・・ 

   しんちゃん  みっちゃん  よく来たね・・・」

 

新大阪駅まで迎えに来た山崎一家が、懐かしむように高野一家を

歓迎のうちに迎えた。

 

英次は箕面山麓の新稲(にいな)に、古いながらも小さな一軒家を借り、

受け入れ準備をしていた。

引越し荷物は・・・ と言ってもごくわずかの量だが、すでに新居に

届いていた。

そして真一の祖父が可愛がっていたマタギ犬のゴンは、明日の別便で

着く事になっている。

みんなが挨拶を終え、新大阪駅の駐車場に出てきた時だった。

 

          ゴー

 

突然、大きな物体が頭上をものすごい轟音と共に通り過ぎた・・・

 

          ワー  ワー  ワー

 

真一と美子はその頭上の物体に頭を抱えて叫んだ。

大阪国際空港へ着陸態勢に入った大型ジェット機が通り過ぎ、下から

見上げるとかなり大きく見えるから、初めて見る二人には、その巨大な

空を飛ぶ動くものにビックリ仰天するのも無理は無い。

麻里はそんな二人の姿をみて大笑いしながら説明している。

 

  「~ だから大丈夫だよ・・・  しんちゃんもみっちゃんも・・・

      あれは飛行機よ   可笑しいわね ハハハハ・・・」

 

と言われても、初めて身近に見る飛行機に二人はまだ怖い引きつった

顔をしていた。

 そしてそれは麻里が初めて栄宝村へ行ったとき、出会った昆虫や

爬虫類に悲鳴を上げたときの裏返しだった。

新御堂筋から箕面へ向かう20分ほどの間、真一と美子は車窓から左右

キョロキョロしながら好奇心いっぱいに外を眺め続けた。

 

 

4月の初め、真一は新6年生となり、新しいクラスのみんなに紹介された。

麻里は隣のクラスだった。

真一は生れ育った山の生活と全てが余りにも違いすぎ、戸惑いを隠せ

なかった。

特にケイタイやゲーム機などは初めて見たので、クラスのみんなからは

早速、別世界から来た宇宙人かのごとく笑われバカにされてしまった。

それは超アナログ社会から、一気に最先端のデジタル社会に放りだされた

ので大きなストレスとなった。

 

やがて両親が案じていた事が現実になった。

あれだけ村では元気に野山を駆け回っていたのに、真一が大阪に来て

塞ぎがちになり、時々涙を拭いている姿を妹が母親に伝えていた。

それは特にクラスの4人ほどのグループから、その方言のある話し方を

からかわれ、ケイタイもゲームもプリクラも知らない事をバカにされ、

それはやがて毎日罵倒され、こずかれ、持ち物を隠され無視されたり

、執拗なイジメへと続いていった。

真一にとってそれは初めて体験する嫌な出来事ばかりだった。

心配顔の母には何も話さなかったが、自分なりに意地とプライドもあった。

やがて村にいた頃の明るさと元気で活発な少年からすっかり変わり、

覇気のない子供になっていった。

 

真一の父 真吾は、昔馴染の英次の経営するビル清掃会社に入社した。

仕事は夜から始まり、朝方までにビル一棟丸ごと清掃することが多く、

昼夜逆転の生活だったから、真一が学校で嫌な事があっても帰宅する

頃にまだ寝ている父親には何も話せなかった。

母親も近くのスーパーでパートで働き始めていたので、帰宅しバタバタと

夕食の支度や、夕方出勤する父の準備、妹の世話など慌しくしているので、

真一が何かを訴える雰囲気ではなかった。

家族全員が毎日新しい生活に慣れるために必死に生きていた。

 

真一はとうとう一学期が終わるまで、一人の友達もできなかった。

それまでイジメとは無縁の村の生活だったから戸惑っていた。

それでも泣きたい気持ちを必死で堪えながら耐えていた。

時々隣のクラスの麻里が、イジメられている真一をみつけ、イジメっ子らに

大声を挙げてくれたが、それ自体 真一にとって恥ずかしいことだった。

 

イジメグループのボス 勇人は、かねてより麻里に好意を寄せていたが、

全く相手にされていなかった。

ところが今年のバレンタインデーに麻里から小さなチョコを一つ貰い、

  「ワー やった  やった!」

と一人はしゃいでいたが、それは料理好きの麻里が自宅で作りすぎ、その

余りをみんなに配ったうちの一つだったのだが・・・

そしてホワイトデーに勇人は一人緊張した面持ちで、場違いのケーキを

麻里に送って一人悦に浸っていたのだった。

  「それなのに なんで真一ばっかりかばうんだよ・・・」

と不満だったが、文句を言って嫌われるといけないので、しばしイジメの

手を緩めていたものの、長続きはしなかった。

 

そして待ちに待った夏休みに入った。

クラスのみんなの話では、夏休みには真一の全く知らないハワイとか

グアムや上海とか海外へ行くのだという人や、ホテルのプールや

海の別荘とかで泳ぐという人やいろんな予定の話が聞こえてくる。

しかし 真一の両親は子供達をどこかへ連れて行くことなど考えも

及ばなかった。

 

真一にとって、都会で過ごす初めての夏休みは、ただ学校へ行って

クラスのみんなと顔を合わせなくていいことに喜びを感じていた。

そしていつしか・・・ 「あの栄宝の村へ帰りたい・・・ 祖父と歩いた山や

森の中で過ごしたい・・・でも帰れない・・・」 そのジレンマに悩んだ。

 

夏休みに入って間もなくの事・・・

真一の住む町の自治会と子供会が、1泊2日のキャンプを予定していた。

それは地域の子供らを中心に、大人も一緒になって家の裏山にある

 「箕面市立教学の森 青少年野外活動センター」 のキャンプ場で、

毎年催されている行事だった。

真一も麻里から誘われていたが、憂鬱でたまらなかった。

それはあのイジメの親玉 勇人とその仲間みんなが同じ子供会で参加

するからだった。

 

そしてその日がやってきた。

当日の朝、真一はお腹をこわし、それを口実に参加しない事を母親に

訴えていた。

しかし、麻里が元気に迎えにきたので、渋々仕方なくリュックを肩にし、

重い足取りででかけた。

 

  「2日間のガマンだ・・・」

 

 

 

(2) へ つづく

 

 


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山少年 (2)

2015-08-13 | *みのおの森の小さな物語(創作短編)

 

山少年  (2)

 

 

 

子供会や自治会の面々は、それぞれ歩いて20-30分ほどで

「箕面市立教学の森 青少年野外活動センター」 の施設に着いた。

 

真一は森の中に入り、少し元気を取り戻したかに見えた。

しかし、オリエンテーションでいろんな説明を受けていても上の空だった。

それは5班に分けられた1班(6人)に、よりによって勇人とその仲間も

入っていたからだった。

  「もう逃げて帰りたい・・・ 2日間も一緒だなんて無理だ・・・」

 

やがて昼食のカレー作りが始まった。

森の中のオープンキッチンなので虫もいっぱい飛んでくる。

そのたびに虫に弱い女の子たちは悲鳴をあげたりしている。

男子は女子に指示されたりして、慣れないジャガイモやニンジンの皮むき

などを手伝っている。

真一はいつ勇人らのイジメが始まるのかと、憂鬱な気分で一人離れ、

森を飛び交う野鳥を眺めていた。

  「オレは鳥になってどこか飛んで行きたい・・・」

その時だった・・・ 

 

  キャー  キャー  キャー

 

女子が叫び声をあげると、男子も声があがりざわついた。

  「何があったんだろう?」

真一が急いで皆が遠巻きにしている小屋の前に行くと・・・

みんなが顔を引きつらせて指を指している・・・

 

  「あそこにいる・・・ 勇人君 男でしょ!  早く何とかしてよ!」

  「オレは・・・アカンね  オレは・・・」

 

真一がふっと見ると、食料を置いてある松の木の上にアオダイショウが

一匹いたのだ・・・

真一は 「な~んだ・・・」 と言うと、そのアオダイショウの首元をひょいと

つかむと、少し先の草むらの中へ逃がしてやった。

 全員がその真一の行為に恐怖も忘れ、ポカンとした顔をして見つめていた。

 

それから皆が真一を見るめが一変した。

おとなしい田舎者ぐらいだったのが、尊敬の眼差しや呆れ顔や、やっぱり

田舎モンやとか、野蛮人やとか好き勝手に言い出したが、すくなくとも

女子達からは頼りになる男子に変わった。

勇人は負惜しみに・・・ 「あいつは野蛮人やから今日からヤバンって

呼ぶぞ!」 と言い出し、いつしか真一にヤバンというあだ名がついた。

 

昼食後はみんなで森の中に入り、自然観察指導員と共に森の樹木や

昆虫、植物、野鳥などの観察をした。

その後は三々五々思い思いに森の散策を楽しんだが、真一が樹木の

名前や食べられる木の実のことや、昆虫を捕らえて名前や特徴を言ったり

、野鳥の名とその鳴き声をしたりするので女子たちの間ですっかりと

人気者になってしまった。

真一は生まれ育った山の地形とは全く違うものの、森の匂いに半年前まで

走り回っていた故郷の野山を思い出し、少し元気を取り戻していた。

しかし勇人とその仲間達には嫉妬心もあってか、すっかり野蛮人扱いされ

疎まれてしまった。

 

夕食後のキャンプファイアーにはみんなで盛り上がった。

その裏で勇人とイジメ仲間はすっかり真一に女子の人気を取られてしまい

腹が立って仕方なかった。 そこで夜にトコトン生意気なヤバンを

やっつける作戦を立てていた。

それは皆が寝てから森に連れ出し、思いっきり殴るけるの計画だった。

 

行事が終わり、各々が班ごとにロッジに入ったときだった。

2班のいるロッジの女子6人から悲鳴が上がった・・・

 

    キャー キャー キャー

 

隣で悪巧みをしていた1班の男子がロッジから飛び出して、

  「なんや なんや・・・」 と、隣のロッジに駆け込んだ。

麻里は入ってきた勇人の腕をつかんで・・・ 

 

  「勇ちゃん 早く 早く何とかして・・・ 気持ち悪いよ!  

   怖いよ!  早くして!」

 

しかし勇人も仲間の4人も後づさりして、誰も何もできずまま固まっている。

 しばらくして外のトイレから戻った真一は、キャー キャー と言って

騒いでいる女子のロッジを覗いた・・・

 

  「あっ 真ちゃんだ!  お願い!  早く何とかして・・・ 早く!」

見ればベットの脇に5-6匹のヤモリがいた。

 

  「な~んだ! 可愛いのに・・・」

ヤモリは村では毎度の光景だし、むしろ家の守り神で家守・ヤモリと

言うのでいい印象なのだが・・・

 

真一は一つをつまむと、近くにいた勇人に ほれっ! と投げてやると、

次いでつまんだヤモリを男子に次々 ほいっ  ほいっ! と

投げ渡した。

急にヤモリをほり投げられた勇人は大の虫嫌いときているので、

腰を抜かさんばかりにビックリ仰天し、部屋の中を逃げ回った。

真一はしばらくそれを遊びとして悪ガキ相手に笑いながらしていたが、

あんまり怖がるので再び一匹ずつ手にとると、外の森の中へ逃がして

やった。

 

  「まったくひ弱な都会人だな・・・」

真一はここへ来て初めて彼らを皮肉った。

森の中では逆に何をされるか分からない恐怖から、勇人とその

イジメ仲間の計画はあっさり頓挫してしまった。

 

翌日の昼前、キャンプは解散となり各々が教学の森を下った。

母親は真一が久しぶりに生き生きとし、田舎にいるときのような顔を

していたのでホッとした。  そして・・・

  「お父さんと相談したけど、これからゴンを連れて箕面の山を歩いても

   いいよ・・・」 と真一に伝えた。

 ゴンは今までは一日一回、真一が家の近くを散歩させていただけだが、

  「ゴンも山の中がいいみたいだからね・・・」 と母親が言う。

 

翌日から真一はゴンを連れ、夏休みの間中一緒に箕面の山々を

歩き回った。

朝早くから宿題を済ますと、母親に作ってもらった弁当を、祖父に貰った

山の道具と共にリュックに入れゴンと共に山へでかけた。 

ゴンも大きく尾を振り日待ちきれない様子で喜んだ。 

それまで老犬で一日中寝ていたが、それが生き返ったかのように元気に

歩き出した。

そして夏休みの40日ほどの毎日、真一とゴンは箕面の山々を歩き尽し、

更に獣道にまで分け入ったりしていた。

 

それは祖父や曽祖父の代から伝統的狩猟文化を継承し

村で代々受け継がれてきたマタギの血筋を引き継いでいるかのごとく、

山や森の中で人一倍よく勘が働いた。

それは短い期間だったが、真一は狩猟のない時期に祖父に連れられ

山の中で実践的に学んだ事が大きかった。

 雪深い山の中で熊やカモシカを追いかけていたマタギ犬ゴンも

老いたりとはいえ、久しぶりに肌で感じる喜びだった。

ゴンは幼い頃からゴン太でヤンチャクレだったので、祖父がゴンと名づけた。

 

そして8月の夏休み最後の土曜日に事件は起きた。

 

勇人とその遊び仲間の4人は、あのキャンプ場での後 各々が家族と

旅行で海やプールなどで夏休みを過ごし、やっと皆が揃ったところだった。

同級生の麻里に思いを寄せる勇人は、麻里とその女友達2人を誘い 

計7人が箕面駅前で待ち合わせをしていた。

 

勇人はあの日以来、真一によってボスの座もプライドもキズ付けられて

いたので、何とか麻里とみんなに自分にも勇気のあること、いい格好を

示しておきたかったのだ。

しかし、今日までそのいいアイデアは浮かばなかった。

 

7人はワイワイ騒ぎながら箕面大瀧まで歩き、その帰り道 唐人戻岩を

過ぎた所の 石子詰口で立ち止まった。  ふっと道の上を見ると  

  <・・・この先、三国峠は・・・猿を自然に戻すため・・・ 通行止めに・・・>

 との看板があった。

勇人は何かきっかけが無いかとキョロキョロしていたが、やっとこれなら

オレの勇気も少しは示せるかな? と皆を誘い、 

  「ちょっとこの上に登ってみようや・・・」 と山道を登り始めた。

勇人にとって瀧道などで野生の猿は見慣れているし、そんなに怖い動物

でもなかったからだ。 

それにいつも大声を出せば猿はすぐに逃げて行ったからだ。

 

少し荒れた道で足場が悪いものの、7人はワイワイと登っていった。

途中 山腹から東の方に遠望できる瀧見場所があり、上方から箕面大瀧の

流れ落ちる雄姿に歓声をあげた。

やがて箕面山頂で一騒ぎした後、もう少し上まで・・・と三国岳まで登った。

しかし、勇人にとって肝心の野生猿が一匹も見当たらない・・・

格好いいところを麻里たちに見せようにも、これじゃ見せ場もないし・・・

 

しばらくして勇人は少し横道へそれた。 

そこには細い獣道がついていたが、勇人はいかにも知っているかのような

顔をして分け入った。

  「勇人君 大丈夫?  私怖いわ・・・ もう帰りましょ!」

麻里が勇人の腕をひっぱった・・・

勇人は麻里に腕を引っ張られて益々得意げに先に進んだ。

  「大丈夫だよ オレに任せておけよ・・・」

倒木が多く、歩きにくい所を勇人が親切に女の子達の手をとり、それが

嬉しくてどんどんと分け入った。

細い獣道の先に山の池が見えてきた・・・

 

  「こんな所に大きな池があるわね・・・」

  「なんや 行き止まりかよ 猿なんかもおれへんな・・・」

 

その時だった・・・ 勇人が何かをふんづけた・・・ と下をみたら動いた・・・

 

  「ワー ワー  ヘビや!  ワー  ワー」

 

勇人は飛び上がらんばかりに驚き、悲鳴を上げて真っ先に逃げる・・・

その後を6人が同じようにして走った。

 

すると少し先でまた勇人の悲鳴が上がった・・・

見れば今度は大きな蜘蛛の巣に頭から突っ込んだようで 

  ワー ワー ワーと大パニックになっている・・・

 

追いついた麻里が思い切ってその蜘蛛の巣を取ってやっているとき、

勇人の目の前に大きな蜘蛛がスルスルと下りてきたので、再びパニックに

なって走り出した。

 そしてまもなくズブズブの池に端の沼に入り、足をとられて勇人は

バターンと泥沼の中に頭から前倒しになり、これでパニックも

ピークに達した。

 何とか6人で勇人の体を起こし引き上げたが、体はガタガタと恐怖で

震え、ボスの姿は見る影もなく失われ、面目丸つぶれになってしまった。

 

その頼りないボスやオロオロする男子を尻目に、素早く行動を起こしたのは

かつて栄豊村で2回ほど過ごした事のある麻里だった。

恐怖とパニックの6人を落ち着かせ、少し高い所に移動すると大きな木の

根元で一塊になって座った。

  「こんな時、真ちゃんがいてくれたら心強いのにな・・・」

麻里の独り言にみんながうなずいた。

 

夏とはいえ、山の夕暮れは早い・・・

いつしか太陽は西の空へ沈み、急に森の中は薄暗くなってきた。

怖さであちこちと走り回っていたので、ここがどこなのか全く分からない。

ケイタイは山の中で<圏外>で全員がつながらなかった。

やがてとっぷりと日が暮れ、足元さえ全く見えない漆黒の闇に包まれて

いった。

7人は真っ暗闇の深い森の中に取り残されてしまった。

 

交互にケイタイのライトで足元を照らしながら、各々を確認し合っていた。

麻里は 「ここで動き回っても危ないだけ・・・ 迷子になったら、そこでじっと

待つこと・・・ と 父さんからいつも言われてきたし・・・」 と皆に言った。

  「でもここにいるなんて怖い! 男子何とかしてよ!」 と別の女子が

勇人らをつっつくが、4人の男子はすっかり怯え小さくなっていた。

 突然 一人の女子が叫んだ・・・ 

 

  「助けて~ 誰か~ 助けて~」 

  

それで全員が一緒になってあらん限りの声を張り上げて叫んだ・・・

しかし こだまもなく ただ シ~ン と森の中は静まり返るだけだった。

 

 

(3) へつづく

 


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山少年 (3)

2015-08-13 | *みのおの森の小さな物語(創作短編)

 

山少年  (3)

 

 

 

その頃、麻里の母親は娘の帰りが遅いし、ケイタイがづっと<圏外>なので

心配になり、麻里の友人宅らに次々と電話をしていた。

  「ウチの娘も・・・」  「ウチも心配していたところで・・・」 

と次々と同じように帰宅せず、ケイタイが繋がらない事が分かった。

  「みんな揃って連絡がつかないってことは・・・? 何があったのかしら?」

このケイタイが当たり前の時代に、いざ突然に繋がらないとなると余計に

心配が増幅し不安がつのる。

 

8時をまわり、異常を感じた親達は自治会に連絡し、警察にも連絡した。

子供会の仲間から7人は箕面大瀧へ行くような事を言っていた・・・ と聞き、

早速 警察、消防団、自治会、父兄などを中心に捜索隊が組まれたのは

夜の10時を過ぎた頃だった。

 

皆は瀧道から派生する山道を次々と手分けして回り始めたが、少し森の

に入ると真っ暗闇で、限られたライトでは到底前へ進む事はできなかった。

各々がハンドマイクをもち、名前を連呼して進むが全く手がかりがなかった。

 「おかしいな? 7人ともどこ行ったんだろうか?  どこか尾根道から

  谷へでも滑落したのか・・・? 」 

とか、最悪の事態が脳裏をかすめる。

 勇人の父親の消防団長は 少し前、白島(はくのしま)で老婆が

山菜取りに山へ入り、道に迷ったらしく翌朝、とんでもない所で亡くなって

いたことや、谷山の東谷で岩場から滑落して亡くなった女性ハイカーの

ことや、ウツギ谷では今から帰る・・・との電話の後で行方不明になり、

夜明けに滑落し亡くなっている所を発見されたり・・・ 

近年、何件かの悪い報せに接していたので余計に心配がつのった。

 

 

その頃 真一は、休日だった父親から 「この夏休みどこへも連れていって

やれなかったので・・・」 と、家族4人で梅田からナンバへと出かけていた。

真一は初めてみる大都市の高層ビル群や街の明かりにビックリしていた。

それに人の多さや店の数、その賑やかさにワクワクしていた。

大阪名物のたこ焼きやお好み焼きなど、本場の味を初めて食べ

感激していた。

家族が初めての大都市大阪を満喫して帰宅したのは、夜の11時を過ぎて

いた。

 

そこへ麻里の父親が飛び込んできた・・・

  「麻里がおらんのや・・・ どこ行ったんかわからへんねん・・・」

ケイタイを元々持っていない高里一家は、この時初めて麻里らが

行方不明になっている事を知った。

真一は横で父親らの会話からいきさつを一部始終聞き終えると、

麻里の両親に頼んだ。

  「麻里ちゃんがいつも着ている服があったら一枚出してもらえませんか」

母親は 「どうするの?」 と言いながらも、いつも家で着ている

カーディガンを真一に渡した。

 

真一はそれをつかむと急いでゴンの小屋の鍵を開けた。

  「ゴン これをしっかりと嗅ぐんだ  麻里ちゃんを探すんだ・・・」

父親らが何か言おうとした時・・・ もう真一とゴンは走っていた。

 

聞いていた箕面大瀧まで走ってきたが、ゴンは何の反応も見せなかった。

  「おかしいな?  一体みんなどこへ行ったんだ・・・?」

真一はもう一度戻りながら、今度はゆっくりとゴンに麻里の匂いを嗅がせ

ながら歩く・・・

石子詰口でゴンの鼻がピクリと動いた・・・

みれば噛んだ後のガムの包みだ。

  「そういえば麻里ちゃんはよくガムをかんでるな・・・ ここだ!」

真一は駆け上がった・・・

 

しかし、一歩森の中へ足を踏み入れると真っ暗闇で何も見えない。

わずかに月の光が差し込むものの全く明かりもなく、足元は一寸先も

見えなかった。

時折 ミミズクが ホー ホー ホー と鳴く以外 シ~ン としている。

真一はゴンの先導でリードを持ち、ゆっくり ゆっくり 一歩 一歩 と山道を

登った。

 

真一は10歳になった時、今は亡き祖父とともに、狩猟期間外に山奥の

マタギ小屋で何日か過ごし、マタギの教えを学んだ事があった。

その時はベテランの祖父がついていたし、マタギ犬のゴンも若く元気だった

のだが・・・

 

 

その頃、恐怖で立ちすくんでいた7人は、少し開けた森の中の

大きな木の下に腰を下ろし、緊張感と疲れで固まっていた。

月明かりに下方の山の池が照らされ、時々池面がゆれる・・・

  「何かいる・・・?」 

池面が輪になって揺れるたびに、月の光が反射して周囲の木々に影が

映り、それはまるで幽霊がダンスをしているかのようで、ますます怖さが

つのる。 

そんな時・・・

 

   ドドドド・・・ ドドドド・・・

 

みんな叫びたい声を両手で押さえ、必死で堪えながら耳を澄ますと・・・

何やら動物達が池に来て、水を飲んでいるようだけど・・・?

この辺にはイノシシも鹿も、テンやタヌキ、狐もいるし、肉食動物も含め、

多くの野生の動物が生息し、夜間に活動しているのだから仕方ない。

 動物達が水を飲むたびに、その池面に小さな波が立ち、それが輪状に

なって広がっていく様も怖い・・・

7人は深い森の中で、次々とヤブ蚊にさされながら、襲い来る恐怖と必死に

戦いながら耐えていた。

 

 

真一はマタギ一族の血と勘、それに生まれ育った山奥で、祖父とゴンで

過ごした体験、そしてこの一ヶ月 箕面の山々をくまなく歩き回り、走り

回ってきた感覚から一歩 一歩 慎重に登った。

時折り 月明かりが木々の間から道を照らすが、ほとんど真っ暗闇だ。

しかし 真一はこの道も2-3回行き来したことがあるので少しは分かる。

やがて三国岳を過ぎた所でゴンが迷い始めた。

 

  「ゴン がんばれ!」

真一は麻里の服を何度も何度もゴンに嗅がせ反応を待った。

しばらくしてゴンは左の獣道に分け入った・・・

倒木が多く、真一は何度も転びながら、やっと前方に月明かりに反射する

池が見えてきた・・・

ゴンはその周辺を何度か歩き回った後、池を迂回するように再び森に

入った。

ゴンの匂いを嗅いだイノシシや鹿などの動物が、時々一斉に音を立てて

走り去っていく・・・

 

真一は麻里たちがこの近くにいることを肌で感じていた。

池を迂回し、細い谷川の流れに出た。

  ・・・ここは後鬼谷のようだな・・・

    岩場も多いし、倒木も多いし、山道も荒れ気味で危ないな

    きっとこの近くにいるはずだ・・・

 

  「麻里ちゃん  麻里ちゃん  麻里ちゃん・・・」

 

麻里ら7人は、どこからかかすかな声を聞いた・・・

 

  「もしかしたら 真ちゃん?  まさか?  ヤバンが・・・」

  「真ちゃん  真ちゃん  ヤバン  ヤバンここや・・・」

 

7人は声の限りに、何度も何度も真っ暗闇の森に向かって、

大声で叫び続けた・・・

 

真一もそのかすかな声を聞いた。

ゴンが大きく吼えた。

リードを引っ張るゴンに真一も続いた・・・

 

  「いた  いた  あそこだな・・・」

 

森の中に差し込んだ月明かりが、7人が固まって叫んでいる場所を

浮き上がらせていた。

 

  「真ちゃんだ  真ちゃん  真ちゃん  お~い ヤバン ここや・・・

   助かった  真ちゃん  ヤバン!」

  「麻里ちゃん 怪我はないか  みんなも大丈夫か?  そうか良かった

   それにしてもよくまあこんな所へ迷い込んだもんだな・・・」

  「真ちゃんありがとう  ヤバンありがとう  ありがとう・・・」

 

みんなが嬉し涙で真一を迎えた。

昼間でもベテランハイカーがたまたま通らねば、出れないような

深い森の中だった。

 

真一はすぐにでも山を下りたい7人を制し、この真っ暗闇の中で行動する

ことは危険なので、朝までここで待つことを説明した。

そして不安でいっぱいだった7人と真一は、歌など歌いながら夜明けを

待った。

真一の存在は、まさに恐怖と漆黒の闇の中で大きな輝く光だった。

 

やがて薄っすらと東の空が明るくなってきた。

  「明るくなったのでさあ出発するぞ・・・ 

            ボクの言う通りにゆっくりだよ」

真一は手順を説明し、ゴンを先頭に全員で立て一列に並び、ゆっくりゆっくり

足元を一歩一歩と確かめるように慎重に歩を進めた。

 

西側に深い谷間があり、下方ではサラサラサラ~ と渓流の音が響いて

くる・・・ 一歩誤って足を踏み外し滑落したら大変な事になる。

真一は何度も後方前方を確認しながら、怖がる一人ひとりに声を

かけながらら後鬼谷を下った。

 

やがて後鬼谷と前鬼谷とが合流する落合谷に下り、一気に森が開けた。

  「ここまできたらもう大丈夫だ  やっと帰れるぞ!」

8人みんなが歓声をあげた・・・ 手をたたく者、涙ぐむ者、全員が安堵の

喜びをかみ締めていた。

 

両方の谷川が合流する所で、全員が泥だらけの体を洗った。

特に頭から沼に突っ込んだ勇人は、全身がパリパリになり、乾いた頭や

顔の泥を拭いながら、余程怖かったのだろう・・・しゃくり声をあげながら

大粒の涙を流していた。 

そんな勇人を、他のみんなが優しく背中をたたいたりして慰めていた。

みんなぐったりしているものの笑顔に満ちていた。

 

みんなの心は一つだった・・・

  「真ちゃん ありがとう  ヤバンありがとう」

勇人は涙を拭きもせず・・・ 

  「ヤバン 今までゴメンな オレらヤバンに意地悪ばっかしてさ・・・ 

   ホンマ ごめんな  それにオレのせいでみんな怖い思いさせて

   しもうて ごめんなさい  それにそんなみんなを助けに来てくれた

   ヤバン・・・ ほんとうにありがとう  オレは  オレは・・・」

そこまで言うと声がつまって泣き崩れた。

 

  「あれ 真ちゃん どうして私の服を持ってるの?」

  「ああこれ  麻里ちゃんが寒いといけないと思ってさ・・・」

  「格好いい!」

 

麻里に好意を寄せていた勇人は真一のその格好良さに一瞬

  「また負けた・・・」 と思ったものの、もう全く対抗心などさらさらなく

なっていた。 それはかつてのイジメっ子全員の気持ちだった。

彼らの中で、いつしかリーダーは頼もしくて格好いい真一へと

変わっていた。

やがて東の空から輝く朝日が差し込み、落合谷を明るく照らした。

 

その時 瀧道から落合トンネルをくぐり捜索隊が上がってきた。

そして先頭にいた警察官が大声でさけんだ。

 

  「いた いた お~い  お~い! あそこにいたぞ  お~い

   みんな無事か?  8人に犬もいるぞ?  

   みんな大丈夫か? ・・・」

 

 

もうすぐ二学期が始まる。

山少年にもやっと心の通う友達ができ、新しい希望の光が

差し込んできた。

 

 

 

(完)

 

 

 ‘15-8-12付 ブログに 山池周辺の実際写真を掲載しています

    ご参照下さい)

 

 

 

 


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真夏の蜃気楼 (1)

2015-07-23 | *みのおの森の小さな物語(創作短編)

 

箕面の森の小さな物語

         (創作ものがたり  NO-20)

 

 

 

 

真夏の蜃気楼  (1)

 

 

 

それは7月下旬の事だった。

朝から暑い日ざしが照りつけている。

 

美智子は、瀧道に新しく開店したと言うモダンなレトロ風のカフェを、

覗いてみた。

<箕面まつり>が始まり、芦原公園では夕方からの催しの準備が、

賑やかに行われている。  

箕面駅前ロータリーでも、明日の箕面パレードの準備などに忙しそうだ。

 

美智子は朝方、夫と息子らが2泊3日のキャンプに行くと言うので、車で

箕面駅まで送ってきていた。

 

  「さあ この3日間 何をして過ごそうかしら・・・

    久しぶりに瀧道でもブラブラ散歩でもして見ようかな~」 と

上ってきたのだった。

毎日 男3人の中で、バタバタと騒がしく暮らしているので、時には静かに

のんびりとカフェで本でも読みましょうか・・・ 

少しワクワクする気分だった

 

箕面の森の入り口に、新しくオープンしたという緑に囲まれたお洒落な

カフェの二階で、美智子はコーヒーを頼むと本を開いた。

新鮮な森の空気を胸いっぱいに吸い込みながら、何年ぶりかで味わう

開放感を満喫していた。

 

夫の谷崎 泰造は45歳、公務員で生真面目・・・ 少しガサツで不器用

ともいえる堅物、家と仕事場を往復するだけで面白みも無く、特別の

趣味も取り柄もなかった。  しいて言えば、二人の息子達と時々キャンプに

出かけるぐらいだった。

 

美智子は21歳の時、母の知人の紹介で谷崎と見合いをし結婚した。

初めて聞く大阪弁に、当初はいつも怒られているようで、相当違和感や

嫌悪感を覚えたものだった。

やがて長男、次男とすぐに生まれ、彼らが17歳、16歳となる今日まで

子育てに追われてきた。

最近は子供達も大きくなり、そんなに手もかからなくなったが、家の中に

大の男が3人、ゴロゴロしていると息が詰まる時があった。

 

しかし、20代 30代と必死に家を守り、子供達を育ててきた満足感は

あったものの・・・ どこか女としても寂しさもあった。

   「もうすぐ30代も終りね・・・ ちょっと早くに結婚しすぎたかしら?

    友人達のように、旅をしたり、恋をしたり、働いてみたり、もっと世の中

    の経験をしてからでも遅くはなかったのかな・・・ 

    後 数年で子供達は親元を離れていくし・・・ 

    そうしたら夫と二人だけになるのね・・・」

美智子は少し冷めたコーヒーを口に含みながら、そんな事を考えていた。

 セミの大合唱が森に響いている。

 

その時だった・・・

そのセミの鳴き音よりも大きな騒がしい話し声が、下の方から聞こえてきた。

美智子が何気なく下を見ると、大きなケヤキの木の下で、一人の背の高い

外人さんが、さかんに何か言っている。

相手の人は、近くの店の主人らしく困った様子だ。

美智子はどこか懐かしい言葉に、ふっと席を立ち上がった。

 

会計を済ますと、下の通りに出てみた。

どうやら外人さんはバックパッカーのようで、大きなリュックに生活道具を

いっぱいぶら下げ、長い旅の様子だ。 そしてさかんに何かを説明している。

店の主人も 「誤解だよ・・・ 親切に言ってるだけなんだけどな・・・」 と

困惑している。

すでに 何事!? と10数人の囲いができていた。

 

美智子の父親は、かつてフランス在住の日本大使館付の料理人だった。

母親は現地の人に、日本のいけ花を教えていた。

そんな両親の元で美智子はパリに生まれ、エコール・マテルネル(幼稚園)

からエコール・プリメール(小学校)、そしてコレージュ(中学校)まで、パリの

学校に通ったので、フランス語会話は全くのネイチィブだった。

しかし 美智子が12歳の時、父親が急逝した。

それでやむなくコレージュを退学し、母親に連れられ、母の実家のあった

横浜に帰国したのだった。

そして、横浜で21歳まで過ごし、母の知人の紹介で見合いをし、大阪の

住人になった。

 

  「もう何年も使ってないけど、フランス語会話なら聞くことも話すことも、

  そう問題なくできるかもしれないわ・・・」

 

囲いの外から二人のやり取りを聞いていると、どうやら大きな荷物をいっぱい

担いで瀧道を歩く外人さんに、店の主人が 「もし大瀧へ行って、

また戻ってくるのなら、店へその重そうな荷物を置いていってもいいよ・・・

 預かってあげるから・・・ 」 と、親切に言ったつもりが、

急に言葉も分からないまま荷物に手をかけられたので、ビックリして

抗議している・・・ という騒ぎの構図だった。

 

    bonjour

 

美智子は前にでて二人の間に入り、流暢なフランス語で店主の趣旨を

外人さんに説明した。

するとその外人さんは ゲラゲラ笑いながら・・・

  「そうだったんですか  ボクはてっきりこの荷物に問題があって、ここを

   通れないのかと思っていました・・・」

その旨を店の主人に通訳すると・・・

  「誤解だよ・・・」

二人は笑顔で握手を交わし、外人さんは店の主人の親切に感激し、

丁寧にお礼を言うと、店の奥に荷物を預かってもらった。

 

  「bonjour  enchant    merci  beaucoup

     lln`y  a  pas  de  quoi

   puis  je  vous  demander  votre  nom?

     mon  nom  est  michiko」

  

  「ありがとうございます 貴方にお会いできて嬉しいです

   私の名前は Jef ジェフ です」

  「私の名前はMichikoよ  これから大瀧まで行くんでしたら、

   私がご案内してさしあげましょうか?」

  「メルシー ボークー 本当ですか それはとても嬉しいです 

   日本の皆さんは本当に親切でとても感激しています  

   ありがとうございます」

  「ドウ エテヴー ヴニュ どちらからおいでですか?」

美智子は気軽に話しかけた。

 

美智子には予想外のハプニングだったけれど、久々のフランス語が相手に

通じた事や、感謝されたりしたことがとても嬉しかった。

  それに今日は一人だし・・・

 

美智子はジェフと並びながら歩いた。

箕面渓流の水の音、セミの大合唱、野鳥飛び交う森の道の先に音羽山荘、

そして梅屋敷の横には涼をいただく清流の饗宴ともいうべき箕面川床が

見えてきた。

箕面川のせせらぎ、心地よい涼しさの中で旬の食材、箕面産ゆずなども

使った美味しい料理をいただくものだ。

ジェフは好奇心いっぱいに、その風情を眺めていた。

 

昆虫館まえから瀧安寺に着くと、ジェフは目を輝かせた。

  「ボクの仕事は建築士で、日本の伝統建築に非常に興味を持ちました。

   実は昨年8月に故郷を出発し、アフリカ、中南米、北米と周り、日本には

   一ヶ月前に着きました。 それから大震災の東北を巡り、東京、松本

   飛騨、彦根、そいて奈良、京都に着いたのが5日前です。

   ここまで各地で見た日本の歴史的建造物や建築美にカルチャーショック

   を受けました。  

    実は恋人を失い、人生の目標を見失ったので旅に出たのですが、

   自分の仕事の目標がこの日本で明確になり嬉しいです。 

   3日後に帰国する予定です。 

   この箕面に立ち寄ってよかったです・・・」

 

  「貴方の故郷はフランスのどちらなの?」

  「ボクは南フランスのエクス・アン・プロヴァンスという人口14万人ほどの

   街です。

   パリからTGVで約3時間、飛行機だと90分ぐらいです。

   ポール・セザンヌが亡くなるまで絵を描き続けていた街ですが

   ご存知ですか?」

  「街は箕面の人口が13万人位だから似てますね。 セザンヌが愛した

   美しい水の都 パリに次ぐ麗しの都ね・・・ 私はまだ行ったことは

   ないけれど、プロヴァンス文化の素晴らしい美しい街だそうね・・・」

 

美智子も自分の生まれた故郷を話した。

  「私はパリで生まれ、育ったの・・・ 家は父が料理人をしていた日本の

   大使館から歩いて15分くらいの所のモンソー公園の近くにあったのよ。

   少し東にあるブローニュの森まで、友達と自転車に乗ってよく遊びに

   行ったわ。  たまには北のモンマルトルの丘まで行って、塔からパリを

   一望したり、テルトル広場では絵を描いている画家の卵さんらとよく

   話したりして楽しかったわ・・・」

 

二人はお互いの身の上話をしながら瀧道を上った。

ジェフはしきりに左右の景観を楽しみながら、それ以上に流暢な仏語を話し

、しかもこんなに優しく美しい女性と歩ける事の方を喜んでいた。

 

美智子は山の道を歩くような靴を履いていなかったので、すこし阪道では

ゆっくりと歩いた。 でも長いジェフの足の一歩に追いつこうとすると2,3歩

歩かねばならず、少しつまずいてよろけた・・・

  「あ-- 危ないですね  大丈夫ですか?  ボクが気がつかなくて

   ごめんなさい  もっとゆっくりと歩きましょう・・・」

そう言いながらジェフは何気なく、自然と手をつないでくれた。

そしてしばらくそのまま二人は手をつなぎながら一緒に歩いた。

美智子は夫とも手をつないで歩いた事など一度も無かった。

それに夫はいつも一人で、先へ先へ歩くタイプなので、ジェフの優しい

心遣いに、胸がドキドキときめいた。

 

箕面大瀧で過ごした後の帰路は、二人ともお互いの事をもっともっと

知りたい・・・ の感情が残った。

 

やがてジェフが荷物を預かっていた店の前に戻り、丁重に感謝の言葉を

店のご主人に述べた。

再び大きな荷物を背負ったジェフは、美智子とともに箕面駅へ向かった。

 

  ・・・何となくこのまま別れるのが辛いわ

               私どうしたらいいの? ・・・

 

それに先ほどジェフと話していたパリー祭りのことを思い出していた。

子供の頃、あのシャンゼリゼ通りでみたパリー祭パレードでみる

消防士達の勇姿に、淡い初恋心を抱いていたものだが・・・

  ・・・似ているわ・・・

美智子は自分の心の葛藤と闘っていた。

駅に着くと、いつしか二人は見つめあったままたたずんでいた・・・

  

  「貴方は今晩どこへ泊まる予定なの?」

  「ボクはこれからニシナリの安い宿を探す予定です」

  「あの釜が崎のドヤ宿と言われてる所・・・?

   それなら・・・ よかったら私の家へ来ませんか・・・ 夫と子供達は

   キャンプに行っていて、明後日までいないので・・・」

美智子は衝動的にそう言ったものの、自分の心に素直に従ったまでだった。

ジェフは突然の申し出に少しビックリしながらも、満面の笑みを浮かべ、

有難く受け入れた。

  

 

谷崎家は、箕面山麓の新しい分譲地にあり、3年前に新築したばかり

だった。 まだ近隣には家も少なく、近所付き合いも余り無かった。

家の駐車場は建物の北側にあり、その裏は山なので人目にはつかない。

美智子は朝方、3人を駅前へ送ってきたワンボックスカーにジェフを乗せ、

自宅に案内した。

 

朝 バタバタと出かけたので、慌てて片付けた。

  ・・・それにしても見ず知らずの人を家に連れてくるなんて・・・

こんなにも大胆な事をしている自分が信じられなかった。

 

美智子は昨年、それまで横浜から呼び寄せ一緒に暮らしていた亡母の

離れの部屋に、ジェフを案内した。

坪庭つきの純和風で、華道の先生らしくお花の似合う清楚な部屋だった。 

しかし、床の間の掛け軸はまだ初春の梅と鶯のままだったが・・・

  

  「きれいなお部屋ですね。 日本を30日ほど旅してきましたが、こんなに

   美しい日本の部屋で泊まれるのは初めてです・・・

   ありがとうございます  貴方にお会いできて嬉しいです

   merci  beaucoup 

       enchante   je  suis  enchante  de  faire  votre 

       connaissance.

 

ジェフは感激しながら、重い大きな荷物を部屋に置いた。

  「今から私 デイナーの準備をしますね。 今晩は家にある食材なので

   あまり期待しないでね。 お風呂が沸いたら知らせますから・・・」

 

美智子はもう自分が自分でないような・・・ 自分の言動に戸惑いながらも、

いつしか別の世界へと入っていった。

 

 

 

(2)へつづく

 


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真夏の蜃気楼 (2)

2015-07-23 | *みのおの森の小さな物語(創作短編)

 

真夏の蜃気楼  (2)

 

 

美智子は大柄の長男がもう着なくなった浴衣を出しておいた。

ジェフが日本の風呂を満喫しつつ、初めて着る浴衣にまごついたり、その

短すぎる丈を気にしながらも、嬉しそうにしている姿に、つい笑ってしまった。

 

料理人の娘だった美智子は、短い時間で何品もの料理を作り、

次々とテーブルに並べた。

  「わー 美味しそうですね。 ボクも何か手伝います・・・」

 

  「夕食前に何かお飲みになりますか?

  よかったらその棚からなにかお酒を出して・・・ グラスもね」

 

美智子の夫はお酒が飲めないので、頂き物の高級洋酒やワインが

沢山棚にあった。

 

  「これはフランスワインの最高級酒ですよ・・・ これでもいいですか?」

  「勿論よ」

 

それから二人は美味しい食事にワインを傾けながら、瀧道での話の続きに

花が咲いた。

美智子のこれまでの人生でこんなにワクワクと心踊り、夢中になって

話せる人はジェフが初めてだった。  そしていつしか青春時代の恋人

どうしのように、時を忘れて語り合った。

 

まもなくハト時計が静かに0時の時を告げた。

ジェフはふっと我に返り、見つめていた美智子から目を離すと、

思い切るように・・・

 

  「ごちそうさまでした・・・  

   どうもありがとう  おやすみなさい」

 

そう言うと心残りな気持ちを抑え、部屋へ引き上げていった。

 

美智子は急に取り残されたような、寂しい気持ちに襲われた。

それでも何とかギリギリのところで理性を保っていた。

 

時計は深夜2時をまわった。

美智子は眠れなかった。

   ・・・この心の思いは何なの?・・・

悶々とし、何度も寝返りをうちながら、ずっとジェフの事を考えていた。

やがて意を決したかのようにベットから起き上がると、心の赴くままに

動いていた。

 

  「入ってもよろしいですか?」

 

美智子はそっとジェフのいる離れの部屋の戸を開けた・・・

ジェフはベットの上に座っていた。

 

  「michikoさん  貴方をずっと待っていました・・・」

 

美智子はそのまま倒れるように、ジェフの胸の中に飛び込んでいった。 

 

 

次の日の昼過ぎ・・・

二人は森の中にある勝尾寺・二階堂の前にある大きなケヤキの木陰で、

ベンチから遠望する奈良の山々を眺めつつ、手を取り合っていた。

肌に心地いい涼しい風が吹き抜けていく・・・

そして共に過ごした昨夜の余韻に浸っていた。

美智子はジェフの肩に顔を乗せながら、まるで天国にいるかのような

幸せ気分に酔いしれていた。

 

今日は日本の寺院建築をジェフに見てもらおうと来たものの、その後 

駅前から西江寺をたずねた時も、二人とも異次元の世界に入ったかの

ように見つめあい、つなぐ手のぬくもりに魅せられていた。

 

  「そうだわ 今晩のデイナーは美味しい神戸ビーフのステーキに

   しましょう・・・」

二人で駅近の高級スーパーで買い物をした。

共に二人の世界に浸っていて周りが見渡せなかったが・・・

店の外に出ると、大勢の人であふれていた。

 

  「あれ? 今日は何があるのかしら?

   そうだわ  今日は <箕面まつり> のパレードがある日だったわね」

 

やがて10数台のハーレーダビットソンが爆音を響かせて先導し、次いで

箕面市長はじめ偉い人々がつづくと、カラーガード隊、青少年吹奏楽団、

ダンス、仮装、フロート・・・とつづく

   ・・・何年か前までは一家で見に来ていたものだわ・・・

美智子はふっとそう思ったものの、すぐにジェフの手を握り、すぐに夢の

世界に戻った。

横では地元箕面FM局タッキー816のリポーターが実況生中継している。

 

 

ジェフはこんなにも美味しいステーキを食べるのは初めてで感激した。

灯したキャンドルを囲み、ワインを傾け、ブランデーを楽しんだ。

 

美智子がバックグラウンドミュージックに選曲したCDは

  チャイコフスキーの弦楽セレナーデ~2

ヨハンシュトラウスが賞賛した ”ワルツにフランスの香水をかけたよう”

と称される美しい円舞曲が優雅に流れる・・・

二人は自然と手を取り合い踊り始めた・・・ が、いつしかチークダンスに

代わっていった。

曲が終わってもそのまま抱き合っていたけれど・・・ やがてジェフが選曲

した曲が流れはじめた・・・

   チャイコフスキーの <眠れぬ森の美女> 

二人は再び手を取り合いながら、この曲の内容をかみ締めていた。

  <魔女の呪いにより100年間 眠り続けた王女オーロラは、希望と

   いう名の王子デジーレの口づけによって眠りから覚め、やがて二人は

   結ばれる・・・> というもの。

 

やがて王子は王女に熱い口づけを捧げた。

 

語り、睦合いながら、やがて美智子は生まれて初めて感じる官能的な

世界へと入っていった。

 

  oh・・・ que  c`est  merveillenx!  oh!!  jef,  mon  jef

   (ああ・・・ なんてすてきなの!   ああ わたしの jef)

  je  vous  aime,  jef

   (愛してるわ jef)

 

  je  t`aime   je  t`aime   je  t'aime   michiko

   (michiko 愛してます  愛してます・・・)

 

  ah・・・ comme  je  suis  heurerse

   (ああ・・・ わたしは なんて 幸せなのかしら・・・)

 

 

うっすらと東の空が白みかけてきた・・・

  「このままずっと二人でいたいわ・・・ もう7月のパリー祭は終わったの

   かしら?  貴方と一緒に懐かしのパリに行きたい・・・」

美智子はいつしか、自分の感情を抑えられない気持ちを抱いていた。

そしてジェフもまた、そんな美智子の気持ちを喜んで受け入れていた。

 

モーニングコーヒーを入れているとき、突然夫から mail が入った。

  「昼ごろ帰るから、駅まで迎え頼むで  ほなな」

美智子は現実の世界に決別するかのように、再び心を固めた。

二人は早くもこれからの生活や、将来のプランを立て始め、その準備話し

も始めていた。

  「きっと上手くいきます  michikoさん 愛しています」

  「私も愛しているわ  jef]

 

美智子はこのまま家を出るつもりで、手早く小さなバックにパスポートや

通帳、カードなど必要最小限の物をつめこんだ。

   ・・・必要なものは後で買えばいいわ・・・

 

11時になり、二人は意を決したように家を後にした。

  「一昨日の今頃・・・ 私は一人で箕面の森の中のカフェでお茶を飲んで

   いたわ・・・ それが今、愛する貴方とここにいるわ・・・ とっても

   不思議な気分よ・・・ でも本当に幸せで夢のようだわ・・・」

 

箕面駅に近づいた。

  夫はいつも石橋駅に着いたら電話があるはず・・・

二人はもうすぐ始まる別れの儀式と、新しい人生の始まりに緊張と共に

心地いい興奮を覚えていた。

 

やがて美智子のケイタイがなった・・・

  「今、石橋や  あと10分で着くわ  ほなな・・・」

夫のいつものぶっきらぼうな言い方ですぐ切れた。

 

  「いよいよだわ・・・」

  「michikoさん しっかり話してくださいね  愛しています」

  「私は大丈夫よ  別れを告げた後、箕面駅のホームで待っています

   からね・・・」

二人は短いキスを交わすと、ジェフは車から下り、荷物を降ろして銀行前の

信号下に立った。

ここから駅前がよくみえる・・・ そして、これから始まる人生の一大事に

備えた。

美智子は少し先にある駅前ロータリーへ車を移した。

そして夫に告げる別れの文言を反復していた。

 

賑やかだった <箕面まつり> がいつの間にか終わり、昨日のパレードの

後片付けをしている人々を眺めていた。

 

やがて電車が到着し、人の流れの中に3人の姿があった。

疲れた顔をし、3人ともだらしの無い格好でワンボックスカーの後ろに

乗り込んできた。

 

次男が開口一番・・・ 

  「ああ疲れた! 腹減ったわ オカン! 暑いわ オレ昼飯 レーメン

   にしてや  レーうどんでもええわ  それに焼きそばつけて・・・」

  「お前なんや その組み合わせ 炭水化物ばっかやないか  オレは

   いつものステークフリットと冷たいマメスープに冷奴やな・・・」

  「兄貴の組み合わせもムリがあるで・・・ ハハハハ」

人一倍汗かきの夫は・・・

  「やっぱ大阪は暑いな  死にそうやわ  早よ帰って冷たいシャワー

   浴びて、冷ビールに枝豆、冷トマトに・・・ そんで昼寝やな  

   ワシは家が一番の天国やわ・・・」

  「オトン帽子飛ばされてな・・・ ホンマ ドジやで・・・ 

   そやオトン 服破ったとちゃうの?」

  「そやそや 忘れてたわ カーサン すまんが、これ縫うて、そんで

   洗うて、そんでアイロンかけといてんか 明日また着たいねん

   しかし ようさん蚊にかまれたな かゆうてたまらんわ

   あんまり 寝られへんかって眠とうてかなわんわ・・・」

それぞれが好きな事を一気に言い終わると、靴下や下着を脱ぎ始めた

ところで美智子はキレた。

 ビックリするような大声で・・・

 

  「あなたたち!  いい加減にしなさい!  その匂い?  こんな所で

   靴下脱がないで!  お風呂入ってないの?  汚いでしょ

   もういい加減にしてよ  それにアレコレいっぺんに食べるもの

   言わないでよね  食べたかったら自分で作りなさい  私、貴方達の

   家政婦じゃないのよ  それに汚い言葉遣いはやめて!

   オトン オトンって何よ  お父さんをオットットみたいな言い方しないで!

   それにオカン オカンって、私をヤカンみたいに呼ばないで!

   何ですかその言葉遣いは・・・ お父さんもいっしょになってなんですか!」

 

  「それ面白いやん  オットットやて  ヤカンやて  ハハハハ」

 

3人が後ろでバカにしたように大笑いしだしたので、美智子は益々怒り

心頭になり、一気に現実モードに戻り、次々と怒り言葉が口をついてでた。

 

  「ハイハイ  オカアサマ  ゴメンナサイ  それより暑いわな

   オカンの頭も相当熱そうやけど、早よう 車だして~な・・・」

 

美智子は子供らに催促され、無意識のうちにアクセルを踏んだ。

車はロータリーを回り、銀行前の赤信号で停車した。

 

ジェフは先ほどから、車内で美智子が激しく言っている様子を、食い入る

ように見つめていた。

しかし・・・ なぜか車がそのまま動き出した・・・?

やがて目の前の信号前に車が停まった。

美智子は我を忘れたかのように、現実の世界からジェフを見つめた。

 

その顔をみたジェフは全てを察知したかのように、悲しい顔をしてリュックを

担ぎ歩き出した・・・

 

その時、美智子はフッと我に返り、歩き出したジェフの後姿をみて・・・ 

    「待って・・・」 

そのまま車を置き、ジェフの元へ飛び出そうとドアの取っ手に手をかけた

時だった。

後ろで寝ていた息子が・・・

 

  「オカン  何が待ってやねん! 信号なんか待ってくれへんやん

   青やで・・・ 早よ行かな、後ろつかえてるで・・・」

 

再び現実の世界に引き戻された美智子は、無意識のうちにまたアクセルを

踏んだ・・・

 

バックミラーから見ると・・・

下を向きながら、大きなリュックを担ぎ、重い足取りで箕面駅に向かう

ジェフの姿がみえた。

 

後ろの座席にはだらしない格好をした夫が、もうイビキをかき、

口を開けたトドのような寝姿があった。

 

箕面の森から  ケケケケケ・・・ ケケケケ・・・  と

ヒグラシの甲高い鳴き声が響いた。

 

3日間の真夏の蜃気楼が静かに消えていった。

  

                    adieu

je  ne  vous  oublierai  jamais

 

 

(fin)

 

2013-7-18  作 

 


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ブルーグラス懐古店  (1)

2015-05-19 | *みのおの森の小さな物語(創作短編)

みのおの森の小さな物語 (創作ものがたり) 

 

 

ブルーグラス懐古店  (1)

 

 

そぼ降る小雨の中、桜井駅近くの路地を入った所にその店はあった。

蔦の絡まるレンガ造りの古い館だ。

玄関口には年代物のカントリーランプが灯り、その下には鉄製の

アーリーアメリカンタイプの傘立てが置かれていた。

  

  ・・・やっと見つけたよ・・・ こんな所にあったのか・・・

 

有田 豊彦はもう小一時間ほど周辺をウロウロと探し回っていたので

正直ホッとした。

  「近くに朝から晩までブルーグラス音楽だけをかけているという小さな

   喫茶店がある・・・」 と小耳に挟んでいた。

  「今日は雨だし、ちょっと探しに出かけてみるか・・・」 と 豊彦は

傘をさして家から歩いてきたのだった。

 

箕面自由学園の校門前を通りかかると、チェアーリーデイング部が

<7年連続 日本一> になったとかで、その大きな大横幕が

雨に濡れながらはためいていた。 

 それに今朝の新聞には地元 府立箕面高校ダンス部が

何やらアメリカでの世界大会に優勝したとか書いてあったな・・・ と

少しわけもなく元気を貰ったような気がしていたが、初めての店探しには

少々疲れた。

 

豊彦は口ヒゲについた雨滴を右手で拭いた・・・ 

ヒゲは退職後、中近東へ旅行に行く前に、息子から 

「日本人は幼顔だからヒゲでも生やして行けよ」 と言われ

伸ばして出かけたものの、帰国後も元来の無精者でそのままに

しているだけだった。

 

カントリースタイルの木の扉を開け、豊彦はそっと伺うように店に入った。

いきなり軽快なパンジョーのリズムが聞こえてくる・・・

    うん Rocky  top    かな?

 

  「いらっしゃい!」

カウンターの中からアゴヒゲを生やし、カーボーイハットをかぶった

マスターらしき人が声をかけた。

 客は一人・・・ 

カウンター前に小柄でメガネをかけた同年輩の男が一人いる

だけだった。

 

豊彦は二つしかない四人掛けのテーブルに腰を下ろし、店内を見渡した。

10数坪の狭い店内だが、壁から天井までカントリースタイルのポスターや

歌手の写真が所狭しと貼ってある。

そして所々にブルーグラスを奏でる楽器が置かれている。

五弦バンジョー、フラットマンドリン、ヴァイオリン(フィドル)、リゾネットギター

(ドブロ)、ウッドベース、などなど・・・

 

   「レーコー 一つ!」

   「はい!」

 

梅雨の季節に入り、少し蒸し蒸ししていて暑い日だ・・・

豊彦はこの場所を探し回って汗ばんでいた体を冷やすため、出された

冷たいコーヒーを一気に飲み干しノドを潤した。

東京じゃ レーコー では全く通じなかったな・・・ アイスコーヒーと言う

まで 「何ですか それは?」 って何度も聞かれた事を思い出して

クスッと笑った。

マスターはカウンター客と何やら昔話しをしているらしい・・・

 

アップテンポの曲が次々と流れ、豊彦は体が勝手に動きだすかのように

そのリズムに酔った・・・ 久しぶりにワクワクする気分に浸っていた。

 

   「お客さん  よかったらこっちへ来て座りませんか」

 

突然 マスターが声を掛けてきた。

豊彦は言われるままに腰を上げ、カウンター席に移った。

   「ようこそ! ここは初めてのお客さんですね  

    私はマスターのビルです

    こちらは私の友人のマサさんです。」

   「ボクは有田です。 どうぞよろしく!」

   「有田さんはブルーグラスがお好きなんですか?」

カウンターに並んだお客のマサさんが、親しげに話しかけてきた。

どこかで見たような顔をしている・・・

 

   「ええ まあ・・・ と言ってもまだ3年ほど前からの事でして・・・」

   「そうなんですか  どんなきっかけだったんですか?}

   「それが・・・」 と、豊彦は訪ねられるままにそのきっかけを

話し始めた。

 

  「いつもの山歩きの帰り道、箕面駅前の商店街を歩いていると・・・

   街頭スピーカーからいつも流れている音楽に うん? と立ち止まり

   ましてね  どこかで聞いたような懐かしい曲?

   それが ふっと思い出しましてね  もう50年も前の昔々の古い話し

   なんですが、若き学生時代に一回だけ聞いたことのあるメロデーで、

   それが印象的でずっと心に残っていたんですよ  でもそれっきりで

   どこの誰のどんなジャンルの曲かさえ分からないままでした

   それをその時に急に思い出したんですよ あの時の歌だ! ってね

 

   後で知ったんですがね  その商店街ではいつも地元のFM局の

   番組を流しているとのこと・・・ それで <みのおFM・タッキー816>

   局と言うのを知りました 

   でも何で七面鳥なのかと思っていたら、箕面の瀧のタッキーかも? 

   と言われましたよ・・・」

 

二人とも笑って豊彦の話を聞いている。

  「それで駅前の観光案内所に置いてあった<みのおFM>の番組表を

   もらって見て見ると、これが毎日やっているブルーグラスという音楽番組

   だと知りました  

   それで早速 翌朝から聞くようになり、特にDJの藤井 崇志さんの

   番組は素人の私にも分かりやすく、もうすぐファンになりましたよ」 と

一気にいきさつを話した。

 

   「藤井さんは何人もの世界的ブルーグラスアーチストを日本に招聘され

   た方で、ご自分でも演奏されるし、それは詳しい方ですよ」 と

マスターが言う。

   「それに 日本広しと言えども、毎日 ブルーグラス音楽を流している

   FM局はこの<みのおFM>しかないよね 」 と

マサさんが言う。

 

  「ああ ここに今年の番組表があるよ・・・ 何年か前よりこれでも3割以上

   時間が減ったようだけどね・・・

   

   <みのおFM・タッキー816局>

     ・ ブルーグラス ランブル

       (月)~(金)     毎朝 6時~ 55分間

       (土)  (日)         6時~ 116分間

 

     ・ ブルーグラス タイム  (DJ 藤井 崇志)

        (土)         10時30分~ 30分間

                    19時   ~ 30分間

        (日)         18時30分 ~ 30分間

 

 

   「ところでその50年前に聞いたという曲は何ていうんです?」

  「それは学生バンドが面白く歌っていた ”ヨーカンいかがです!” 

 

   「ハハハ  ハハハ よく分かりますよ  私も好きですよ 

   ところでそれをどこで最初に耳にされたんですか?」 と

マスターが問う。

 

豊彦は再び昔話しを続けた。 

  「あれは確か、新入生歓迎音楽会とかで、いろんな大学の新入生が

  集まり、中ノ島の中央公会堂で開かれた時の事だと思います」

   「ああ そう言えばオレ達も行ったような・・・?」 と

マサさんがマスターに言うと、マスターの思い出すかのように頷いている。

 

  「ところで有田さんは何年生まれですか?」

   「私は1945年です」

  「ああ 私らと同じ年代ですね  実はブルーグラスも同じ1945年に

   ケンタッキーで生まれた音楽でしてね・・・ 日本では1960年代から

   はやったんで、ちょうど私らの学生時代にあったんですね」

 

マスターが話を続ける・・・

  「元々はね アメリカのケンタッキー テネシー ノースキャロライナや 

   バージニアなどのいわゆるアパラチア地方に入植したアイルランド系、

   スコットランド系移民の伝承音楽をベースにしたものなんですよ

   それを1945年にビルモンローがブルーグラスボーイズを結成し、

   アール&スクラッグズなどが加わって発展してきたアコーステック音楽の

   ジャンルなんですよ」

   「そう言われてもボクにはよく分からないんですがね・・・」 と

豊彦は頭をかいた。

 

  「ブルーグラスとはビルモンローの故郷の地名にちなんで付けられた名で

   ブルーグラススタイルの音楽をそう呼ぶようになったんです

   日本では箱根や滋賀で毎年大きなイベントもありますよ

   この近くだと <宝塚ブルーグラス フェステイバル>が1972年から

   毎年8月の第一土曜を含む週末に、宝塚近郊の山の中で開かれて

   いるので、一度行ってみて下さい。 すごい熱気ですよ

   これはアメリカ・インデイアナ州で1967年以来続いている

   <ビルモンロー記念ビーン・ブロッサム ブルーグラスフェステイバル>

   に次いで、世界で2番目に古い歴史をもっているんですよ

   私もこれらの大会にはいつも参加して演奏していますから、是非一度

   いらしてください・・・」

 

豊彦はマスターのそんな話を心弾ませながら聞いていたが・・・

  「そう言えば先日・・・5月18日だったか  いつもの山歩きからの帰りに

   箕面の教学の森のキャンプ場に下りてきたら、森の中から懐かしい

   メロデーが聞こえてきたんですよ 

   それでどこかと探してみると、野外活動センターの館に沢山の人たちが

   いてビックリで・・・ 入り口に <稲葉 和裕ブルーグラスキャンプ> と

   看板があって、多くのプレーヤーもいて大いに盛り上がっていました」

 

  「ああ あそこに私もいたんですよ  偶然ですね!

   夜はみんな隣接する一泊600円とかの森のコテージに集まってね

   遅くまで仲間と楽しみました・・・ 来年はご一緒にいかがです?」

 

外は雨が本降りとなり、窓辺の木々の葉を激しく打ち始めた。

こんな日は、好きな音楽に浸りながら、初めて出会う人ながら、

趣味や感性の合う人たちとお喋りできることが、何より至福のひと時だ。

そしてその時はまだ、さらに大きな至福のひと時が待っているとは

想像がつかなかった。

 

 

(2) へ続く・・・

 

 


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ブルーグラス懐古店  (2)

2015-05-19 | *みのおの森の小さな物語(創作短編)

 

ブルーグラス懐古店  (2)

 

 

外は相変わらず雨が降り続いている・・・

豊彦はエスプレッソを一杯追加注文しつつ、もう少しこの店で浸って

いたかった。

  「ボクは学生の頃、ザ・ナターシャセブンの高石ともや や 諸口あきら

   のコンサートなんかよく行きましたよ」 

   「懐かしい名前だね・・・ 彼らも一時ブルーグラスをやってましたよ」 と

マスターが言う。 

 

するとマサさんが続けた・・・

  「あの頃、アメリカの音楽は何でも新鮮だったよね。 自由の香りが

   したり、未来が開けるように希望に満ち溢れていた感じだったよ

   フォークソングもブームだったしな・・・ オレはPPMやジョーンバエズ

   なんかよく聴いたり歌ったな~

   日本じゃ 森山 良子 なんかがデビューした頃だな・・・

   それに梅田やなんばの歌声喫茶なんかで、みんなでよく合唱したな~

   まだ若かった 浜村 淳 なんかもいたわ・・・

   学生運動も盛んで、オレはたまにデモなんか参加して発散したり、

   あの頃 世界一周無銭旅行なんかはやってて、オレも友達と計画した

   もんだわ・・・」  マスターも豊彦も同じだ! とうなずいた。

 

マスターが続けた・・・

  「私なんか田舎から大阪へ出てきて、最初は見るもの聴くもの 全てが

   感激と感動で珍しく大変でしたよ ハハハ しかし 一年もすると

   あれほど嫌だった牧歌的な故郷が恋しくなってきてね・・・ 

   郷愁というかね  その頃 夢見るアメリカの広大な田舎の風景や

   音楽に憧れてね・・・

   そのカントリーソングのリズム感にはまったもんですよ」

 

  「マスターは女の子追いかけてアメリカまで行ってしまったんだからね」

とマサさんが付け加えた。

 

  「ハハハ  ハハハ  あれは私の人生の転換点だったな

   日本に留学していたアメリカの女の子に一目ぼれしてね・・・

   その彼女が帰国するって言うんで、そのままついて行っちゃったん

   ですよ・・・ それが偶然にもケンタッキーのブルーグラスの街でね

   それから皿洗いのバイトしながら、よくライブにいったもんです

   やがてどうしても楽器がやりたくなり、中古のバンジョーを手に入れて

   必死で覚えたもんです  そしていろいろあってブルーグラスのプロに

   なって全米を回りましたよ  いい時代でした・・・」

 

  「そうでしたか・・・それはそうと、その追いかけていった女の子とは

   どうなったんですか?」  と豊彦が問う。

   「ああ あっさりと振られましたよ  ハハハ・・・」

  「それで いつ日本に帰ってきたんですか?」

   「50歳になる少し前かな  やっぱり年になると日本が恋しくてね

    この箕面の街は小さいけれど、落ち着いてていい所ですよ

    この桜井に小さな店を手に入れ、こうして好きな音楽だけを流して

    いるというわけですよ  実は帰国後に偶然 石橋のライブバーで

    このマサさんと再会しましてね・・・ 30年ぶりだったかな?」

 

マサさんが続ける・・・  

  「こいつは突然アメリカへ行ってしまうし、オレは同じ2年のとき、急に

   田舎の親父が倒れ、すぐに飛んで帰ったまま戻らなかったんですわ

   家が旅館やってて、一人息子なんで仕方なかったんやな・・・

   実は友達と計画してた日本縦断歩き旅とか、さっきの世界一周とか

   いろんな夢が全て消えてしもうてガッカリでしたわ・・・

   結局 家の旅館は潰れ、一家で大阪へ出てきて、今は近くの会社で

   働いてます・・・ と言っても後半年で退職なんでね

   時々 こうして昔を懐かしみここに来てますねん・・・」

 

豊彦も続ける・・・

  「皆さんの話を聞いてると、まるで自分の事のようです

   ボクは貧乏学生で、三食の食事、下宿代、授業料や本代など自分で

   稼がないかんかったんで、昼夜問わずバイトに明け暮れてました

   でも、何とかギリギリで卒業してサラリーマンになり、養子に行って

   結婚し、義父の会社を継いで60歳で息子に渡しました

   今は楽隠居させてもらいながら、箕面の山歩きを楽しんでます

   しかし、学生時代の遣り残し症候群とでも言うのか? 欲が消えずに

   しょちゅう夢を抱いては妻に怒られてます・・・ ハハハ 」

 

お互い3人の様子が分かり合えた頃だった・・・

  「そうだ もう昼も近いことですから、何か作りましょう  有田さんも

   一緒に食べていってください  ご馳走しますから・・・」

マスターはそう言いながら厨房に入っていった。

 

  「マスターのチャーハンは絶品なんですよ  昔、大学の前にあった中華

   食堂の味と同じでね  帰りによく仲間と食べました  大盛りをね

   私らの青春の味なんですわ  マスターが帰国してからまだ開いていた

   懐かしのその店の老店主に頼んで、何とかその味を教えてもらった

   ようですよ・・・」 とマサさんがエピソードを話す。

 

やがて美味しそうな大盛りのチャーハンがでてきた。

  「この玉子スープもついてたんですわ  相性バツグンでね」 と

マサさんが匂いをかぎながらうっとりするので皆で笑った。

 

  「さあ さあ 有田さんも食べてください  その前にちょっとだけ私らの

   懐かしい儀式? をさせてください  お客さんの前ですいませんが  

   ・・・ ハハハハ 」

  「昔、仲間らとよくそうやって唱えてから食べてたんで、二人になると

   いつも習慣みたいになってね・・・ ハハハハ」

二人が笑いながら何かを言おうとした時だった・・・

 

出されたチャーハンと玉子スープを見つめながら、静かに二人の話を

聞いていた豊彦が突然立ち上がった。

そして、マスターとマサさんの顔を交互にしみじみと見つめていたかと思うと、

おもむろにチャーハンを頭上に持ち上げた・・・

目には涙があふれ、むせび泣くように大きな声を張り上げた。

 

   「真っ赤な太陽!  ボクらのハリマ王!」

 

マスターとマサさんはビックリした・・・

 

  「なんで? 

   なぜ? その言葉を知っているんですか?

                 なぜ・・・? 

    まさか? まさかお前は  そうか トヨか?

    そうだったんだ  本当か? 

          奇跡だ!  知らなかったな・・・」

 

昔の親友3人は、手を取り合って50年ぶりの奇跡の再会を喜び合った。

 

店内には、今朝の みのおFM <ブルーグラス ランブル> から

あの想い出の (~ ヨーカンいかがですか ~) が流れてきた。

 

 Bill  monroe  &  Bluegrass  boy's

    「y'all  come]

 

雨の上がった窓辺のツタに太陽の光が当たり、雨の水滴をキラリ! と

輝かせた。

 

 

(完)

 

 

 


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森で人生の一休み  (1)

2015-05-07 | *みのおの森の小さな物語(創作短編)

みのおの森の小さな物語 (創作) NO-18

 

森で人生の一休み  (1)

 

 

 

 「 辞令! 

   浜崎 啓介  4月1日より大阪業務センター 

                     第4業務室勤務を命じる。」

 

3月下旬のこと、啓介は突然 箕面・船場にある本社の専務室に呼ばれた。

 「何かあったのかな?」

当然、仕事上の指示かと思い専務室のドアをノックした。

 

入室するや否や突然に専務は激しい口調で啓介を罵り始めた。

 「ちょっと待ってください! 一体何の話ですか?」

啓介の問いにも全く耳をかさず、一方的な叱責がしばらく続いた。

 

その内容は全くの濡れ衣で自分の担当外のこと、まして責任など論外の

話だった。

 「何かおかしい?」

考える暇もなく、専務は啓介に有無を言わせずおもむろにあの辞令が

読み上げられたのだった。

 「何かの間違いだ? 夢か?」

 

それは事実上の退職勧奨追い出し部屋行きのことだった。

 「まさか? なんでこのオレが? そんなバカなことがあってたまるか」

啓介は心の中で怒り、叫びながら、呆然と専務室をでた。

 

啓介の勤務するレストランチャーン グッドスター社は同族会社で、

創業者夫婦が会長、副会長、その長男がボンクラ社長、専務の娘婿が

実質上の権限を持ち、次男が副社長、長女が常務、以下親族郎党が

全ての役員を占めていたが、なぜか3男・三郎だけは冷遇されていて

箕面業務センター勤務だった。

 しかも いつも3男は役員らから叱責ばかりされて能無し扱いにされて

いたが、人一倍勉強熱心で謙虚、それに物腰も柔らかく誠実な人柄は、

仕入先や社員から最も信頼されている不思議な存在だった。 

 啓介も15歳で入社した時から、時々声をかけられ気にかけてもらい、

どれだけ励まされてきたか分からなかった。

 それだけに専務室を呆然としながらでた啓介は、その事をその3男・三郎に

相談しようと考えたが・・・ やめた。 

同族で実力者の専務の辞令をひっくり返す事など、到底不可能な事は

分かっていた。

 

啓介は47歳になった。 箕面の中学校をでてすぐに、この外食産業の

会社に入った。 

そしてこの企業内学校にて仕事を覚えながら、通信制の高卒資格を得ていた。

啓介ら企業内学校で育った若い力は、その後の高度成長にのって

全国各地の現場責任者や店長として活躍していた。

そしてバブル景気にも支えられ、正社員1500人、店のパート、アルバイト

を含めると9000人を越える大きな会社に成長していた。

 

啓介の最初の勤務地は東京・六本木の東京研修センターに併設された

地域一番店だった。 そこで食材の調達、調理、キッチンからホール、

接客サービス、経理から店舗運営に至るまで、みっちり6年間働きながら

学んだ。

そして22歳の春、渋谷に出来た新店の副店長となった。

 

その頃の事だ・・・

ある日、賑やかな女性4人連れのお客様が来店され、啓介が席を

ご案内したときだった。

 「あれ!  もしかして・・・?」

 「あっ  貴方は・・・」

と、双方ピンとくるものがあった。

 

それは啓介が箕面の中学2年の時のことだった。

運動会で借り物競争があり、それは走ってランダムに紙切れをとり、

そこに書かれている内容のものを借りてゴールを目指すというものだった。

 「よーい ドン!」  

で啓介が取った紙には・・・

   (女性の手を借りてゴールすること・・・)  

 「まさか! 今日はオレのおかんは仕事で来てないし・・・どないしょ?」

ウロウロしていた時、目の前で友人らと笑い転げている女の子がいた。

この子なら頼めるかな?  と思い、切羽詰って紙切れを見せて頼んだ。

 「いいわよ!」  

と あっさり了解してくれ、手をつないで一緒にゴールした。

結果は2位だったが、それ以上に啓介は初めて女の子と手をつないで

走ったことが嬉しくて、恥ずかしくて顔を赤らめた。

 

あれから箕面のCDショップで偶然出会って立ち話をしたけど、どうやら

隣町の中1の子で、あの日 従兄弟の運動会に遊びに来ていたとの

ことだった。  

あれ以来の二人の出会いだった。

彼女は友達らと東京デズニーランドへ遊びに来ての帰りとのこと。

すっかり美しい女性になり、啓介の心を一瞬にして捉えてしまった。

啓介はみんなが食事を終えた後で、その子とメールを交換し、お互いに

偶然の再会を喜んだ。 

 

 それから半年後、二人は遠距離恋愛を実らせスピード結婚したのだ。

啓介22歳、新妻の恵子21歳  若い二人の幸せの秋だった。

あれからもう25年が経ち、二人は今年銀婚式を迎えていた。

長男は23歳となり、長女22歳、次女も今年で20歳となり、各々が仕事を

もち、家を離れ自立したばかりだった。

今年からは夫婦二人暮らし・・・ 少し寂しいながらも昔に戻ったような

気分で生活を始めたところだった。

 

 啓介は今まで自分の順調な仕事に誇りを持ち、自分の人生が豊かで

幸せに満ちたものであることに満足していた。

それに今 取り組んでいるのは会社の次期主力店舗の業態開発であり、

啓介が中心となってその大型企画を進めている最中だ。

 「それなのになぜ?  何があったというのだ?」

 

 あのリーマンショックや円高、株安、その他国内外の外的要因もあり

、更には食の多様化、時代ニーズの変化、他業種からの参入などで

既存の外食産業は厳しい経営に陥っているのは事実だ。

だからこそ我が社も起死回生を図らねば・・・ と頑張ってやってきたのに.

 

啓介は半ば夢遊病者のようにフラつきながら家路についた。

しかし、妻には言えなかった。

自分でさえまだ信じられなかったからだが・・・

 

 

4月1日 啓介は重い足を引きづりながら、箕面・船場の業務センター

第4業務室の戸を開けた。 

そこにはすでに10数人の社員がいたが、かつて先輩が言っていたように

全員がうつろな目をし、手持ち無沙汰な様子でウロウロとしていた。

 「なぜオレがここにいるんだ・・・ なぜなんだ・・・?」

啓介は怒りと絶望感で呟き続けた。

 

 結局あれから二ヶ月足らずで啓介は会社を辞めざるを得なかった。

どう頑張ってみたところで、この部署で先を見通すことなど出来なかった。

 「すぐに次の職場をみつけるさ~ それから妻に伝えても遅くはないし~」

啓介は自分にそう言い聞かせていた。

 

7年前、40歳になった時に、啓介は箕面・彩都の新しい街に3LDKの

マンションを買っていた。 初めて手にする自分と家族の城に満足していた。

しかし、まだローンの返済はこれからだ。 

あの頃は、定年前には無理なく完済できる予定だったのに・・・

 

 「まあ 何とかなるさ~」

半分は不安ながらも、まだこの時は気楽に考えていた。

啓介は退職した次の日から、毎日ハローワークに通った。

求人誌も手当たり次第に見ては履歴書を書き、次々と応募した。

しかし、60余件ほど応募したが、面接にこぎつけたのはうち3件だけ。

それも3件とも数分で 「うちでは難しいですね」 とか、「ちょっと無理かな」

そして 「不採用・・・」 と言われた。

啓介は焦った・・・腹も立った。 

 「このやりきれなさは何なんだろう?」

 

それから二ヶ月ほど、同じような状態が繰り返された。

 すぐに次の職を見つけるさ! との目論見はあえなく挫折し、余りにも

厳しい現実の社会に打ちのめされた。

それまでのプライドはズタズタに引き裂かれてしまった。

 「しかし・・・何とかせねば・・・」

毎朝、啓介は自分に鞭打ち、妻に見送られながら会社に行くふりをして

定時に家を出ていた。

 

 

啓介が倒れたのは、その一ヶ月後だった。

いつも通り二人で朝食後、出かける支度をして玄関に出た所で急に

崩れるようにして倒れた。 

恵子がビックリして 「すぐ救急車を・・・」 と言う言葉を制し 

 「ちょっと待ってくれ! 大丈夫だ! 少し休んだら出かける・・・」

と、ひとまずベットで横になった。

 

恵子は最近夫の状態がおかしいと感じていたが、

 「ちょっと今忙しいからだ! 大丈夫だから・・・」

と言う夫の言葉を信じ、何かあればちゃんと話してくれるだろう・・・と

わざと平然と日常生活を過ごしていたのだが・・・

 「何か会社であったのかしら・・・?」

 

昼前、落ち着いたところで恵子は嫌がる夫を連れ、近くの内科へ診て

もらいに出かけた。

先生は症状、状態を診た後・・・

 「すぐに今から紹介状を書きますから、別の先生に診てもらって下さい」 

と 言われた。

 「えっ 一体何なんだろうか  何かおかしいわ?」

恵子は少しふらつく啓介を車に乗せると、紹介された箕面市内の心療内科

へ向かった。

 

診察後、先生から・・・

 「・・・うつ病ですね。 当面この薬を飲んで体を休ませてください。

  しばらく仕事は休まれて安静にして過ごしてください・・・何か変化が

  あったらすぐに知らせてください・・・」 

恵子はうつ病という名前は知っていても、いつも他人事だった。

 「まさか主人が・・・なぜなんだろう? 何があったの?」

 

帰宅しすぐに貰った薬を飲んでベットに入った啓介は、それから二日ニ晩

眠り続けた。

心配になった恵子は、途中何度か起こして水を飲ませたり、トイレに立たせ

たりしたものの、啓介は昏々と眠り続けた。

 

三日目の朝、恵子が起きる前に啓介はもう目を覚ましていた。

 「ああ~ よお寝たな~ 腹へったわ・・・」

 

啓介は妻の作る朝食を次々と食べながら、それまでの強固な防波堤が

一気に崩れるかのように、たまり溜まった事実の山を妻へ話し始めた。

 退職した事、ハローワークに通い応募した先から次々と断られた事、

プライドも人間性も否定され辛かった事、あがいてもがいて苦しかった事、

 「もうオレはダメ人間だ  社会では受け入れられないクズ人間なんだ

  もう生きる望みも無くなってしまった・・・」

そして、何度かビルの屋上を見上げていたり、電車の踏み切りで佇んで

いたりしたこと・・・ などを素直に妻に話した。

 

黙って全てを聞いていた恵子は、涙をポロポロ流しながら静かに

立ち上がると、座っている啓介をそっと抱きしめた。

 

 

(2) へつづく・・・

 


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森で人生の一休み  (2)

2015-05-07 | *みのおの森の小さな物語(創作短編)

 

森で人生の一休み  (2)

 

 

 

恵子は夫を静かに抱きしめながら二人で涙を流した。

 

 「けいちゃん 辛かったのね・・・ ごめんね! 

  私 気がついてあげられなくてね  

  でももういいのよ 貴方の今までの仕事ぶりは私が一番良く知っているわ

  子供たちもみんなしっかりと自立したじゃない・・・ 私は幸せよ

  みんな貴方のお陰なのよ  本当に感謝しているわ  だから今は

  ゆっくり休んでね  これは神様からのきっと贈り物だわ  

  きっとうまくいくわよ  私はいつまでも貴方と一緒よ  いいわね

  さあ 笑って 笑って!  私ね けいちゃんの笑顔が大好きなのよ

  昔、渋谷の店で貴方を見たとき、誰よりも素敵な笑顔で接客していた

  けいちゃんに一目ぼれしたんだからね・・・

  それに私ね  実はヘソクリ上手なのよ  貴方に黙ってたけどたっぷり

  あるの  だから一年や二年収入がなくても私ヘッチャラなのよ・・・」

 

啓介はやっと笑いながら、もっと早く妻へ全てを話すべきだったと思った。

 

 「そうだわ  次の日曜日 子供たちも呼んで、昔 2 3度行った

  箕面の滝へ一緒に出かけてみない?  

  森の中を歩くのも気持ちいいんじゃないかしら・・・」

恵子は人の力より、今 大自然の力が必要だと直感したからだった。

子供たちには電話で父親の失業とうつのこと、今の状況を詳しく正直に

話し、それもあって・・・ と 一緒に箕面の滝行きを誘った。

 

日曜日の朝、三人の子供たちはそれぞれ少し心配顔をしながら

集まってきた。

しかし、表面はみんな明るくし20数年ぶりに家族5人揃って箕面駅前に

向かった。

啓介は全く気が進まなかったが、妻や子供たちに心配かけたことと、

今まで仕事ばかりで家族みんなが揃って遊びに行くことなど無かったので

渋々ながら腰をあげていた。

 

真夏の太陽が照りつける暑い日だが、瀧道から一歩森の木陰に入ると

予想外に涼しかった。

賑やかなセミの大合唱に負けじと大声で喋り、カジカ蛙の鳴き声をみんなで

真似てみたり、つるしま橋から箕面川に下り、裸足になって川遊びをしたり、

緑の森の中で恵子が作ったお弁当を広げ、昔話に花を咲かせたりした。

 

丁度、瀧安寺前広場では 「箕面の森の音楽会」 が開かれていて、

みんなで手拍子をしながら音楽を楽しんだ。

夕暮れになると、箕面川渓流に飛び交うホタルを追ったりして一日 家族

五人が楽しい一時を過ごした。

 

 「今日 来てよかったね  お父さんの笑顔を久しぶりに見たわ」

家族が一つになれたような心地よさをみんなが感じていた。

そして啓介と恵子の新しい二人の人生がスタートした。

 

 

啓介は家族揃って歩いた瀧道の光景を思い出しながら、

少なからず感動を覚えていた。

 「箕面の山や森を一人で歩いてみたいな~」

その気持ちを恵子に素直に伝えた。

 「それはいいわね  私美味しいお弁当を作ってあげるわ  貴方の

  好きなコーヒーもポットに入れてあげるわ・・・」

 

数日後、啓介は恵子が渡してくれたランチボックスを手に、

初めて箕面の山への一人歩きに出かけた。

本当は恵子も心配で一緒について行きたかったけど、事前に相談した

心療内科の医師からは・・・

 「それはいいことですよ  大自然に接する事は大切です  うつの改善に

  効果的との臨床結果もちゃんとでていますから、ぜひどんどん行かせて

  あげて下さい・・・」 と言われていた。

 それでも心配は尽きなかった。

 「一人で大丈夫かしら?」

 

啓介は恵子に箕面・外院の交差点まで車で送ってもらった。

事前に恵子は箕面の山をよく歩いている友達から、山の地図とコースを

教えてもらっていたので助かった。

 

啓介が歩いて外院の山里に入ると、すぐにのどかな田園風景が

広がっていた。

なぜか初めての山歩きなのに、今までに無いワクワク感を覚えていた。

もう何十年とこんな穏やかな風景を見たことがなかった・・・ と言うより

仕事、仕事で心も目も見て見えなかったのだろう。

 

水田には青々とした稲が育ち、畑では家庭菜園のご夫婦連れが野菜の

手入れをしている・・・ ナス、キュウリ、カボチャ、トマト、トウモロコシ・・・

いろんな作物が夏の太陽をいっぱいに浴び、元気に育っている。

生き生きとしたその実りに啓介は目を輝かせ、しばし佇みながら

そんな懐かしい田園風景を楽しんだ。

 「みんな 生きているんだな・・・」

 

外院の山里から細い山道に入った。

すぐに穏やかな登りが続く・・・ 体力がないのか? すぐに息切れる。

しかし、その都度一休みしながら深呼吸して見上げると、今まで見たことの

ないような深い緑豊かな森が広がっている・・・

そこに一筋の木漏れ日が差込み幻想的な光景が生まれ、野鳥が

飛び交いさえずっている。 

風が吹くと枝が揺れ、葉が舞い、まるで森が自分を歓迎してくれているかの

ような感動を覚える。

啓介は一歩一歩山道を踏みしめながら、大自然の営みに感動しつつ、

なぜか涙が零れ落ちた。

 

やがて丸太を組み合わせた素朴なベンチが見えてきたので一休みにした。

汗いっぱいの額をタオルで拭いながら・・・

 「この爽快感はなんなんだ?」 と、初めて歩く森の風景に感動していた。

 

水を飲みながら足元を見ると、子供の頃に図鑑で見たような昆虫が

ノシノシという感じで歩いている。

目の前を黒い大きなアゲハ蝶が飛んでいった・・・

前方の松の枯れ木のてっぺんから姿は見えないが ホーホーケキョ~ と

鶯の鳴き声が森に響いた・・・ すごい声量に感激する。

横にはピンクの見慣れない花が風に揺れている・・・ 

 「きれいだな~」

 

ボンヤリと遠くを眺めていると・・・ 何か動くものが・・・?

 「あっ あれはモノレールでは?」

いつも啓介が彩都の駅から千里中央まで通勤で乗っていた電車が

走っているのが見える・・・

 「と 言うことは、この左方が自宅マンションか?」

啓介は自分の位置関係を知り、住む家の窓からいつも見ていた山を

今自分が歩いている事に感激していた。

 

(彩都は9年前に街開きした新しい街で、箕面市と茨木市にまたがる

743ha、予定人口5万人、大阪大学・箕面キャンパスや粟生間谷住宅地に

隣接し、住宅以外に生命科学、医療、製薬などの研究施設と関連企業も

進出している国際文化公園都市だ。)

 

啓介はゆっくり腰をあげ再び山道を登った。

やがて二ヶ所目の丸太ベンチが見えてきたのでお昼にした。

啓介は妻が朝作ってくれたランチボックスを広げた。

 

 「ピクニックに来たみたいだ・・・ ハラ減ったな! おっ 美味そうだ」

好物の卵焼きとサツマイモ、マメなどと可愛いおにぎりが4個入っている。

啓介にとってこんな空気のいい森の中で、しかも自然の感動や感激を

味わった後での食事は、最高に心癒された。

 

しばらくすると食べている頭上で急に鳥がさえずり始めた。

 ツーツーピー  ツーツーピー

啓介は生まれて初めて身近で聞く野鳥の鳴き声に聞き入った。

 「いいもんだな~ そうだ!」

食べていた芋の端切れを手のひらに載せて上に掲げてみた・・・

すると何と! 二羽の野鳥がやってきてその一羽が啓介の手に乗り

その芋を口にくわえて飛び立った・・・ 

 「あっ 落とした」

それを拾ってまた手のひらに乗せているとまたやってきて親指にとまった・・・

 「すごい すごい!」

啓介は親指に野鳥の足のつめを感じながら、その感激にうろたえた。

次は上手く口にくわえ森に飛んでいった・・・その後をもう一羽が

飛んでいった。 

 「あれは恋人かな? 夫婦かな?」

今頃二羽で仲良くあの芋をついばんでいると思うと笑みがこぼれた。

 「こんなフレンドリーな野鳥に出会えるなんて・・・」

啓介はしばし自然の営みに感動し動けなかった。

 (家に帰って子供の図鑑で調べてみたらそれは ヤマガラ だった)

 

我に返りランチボックスを片付けていると、下からメッセージカードが出て

きた・・・ 妻からだ・・・

 「けいちゃん 何十年ぶりかで貴方にラヴレターを書きます。 

  少し恥ずかしいわね。 でも私が貴方をずっと愛していること、子供達も

  貴方が大好きな事を伝えたかったの・・・

  貴方が仕事をしなくとも、何もしなくても、どんな格好でいようとも、

  貴方がいてくれるだけで、私も子供達も幸せなのよ。

  そして家族はみんな希望を持って生活できるの。

  貴方は一人じゃないのよ。 3本の矢の話があるじゃない・・・

  一本では折れてしまうけど、私たちには5本の矢があるのよ。

  絶対に束ねたら折れることはないわ。

  だから安心してゆっくりと山歩きを楽しんでね。

  そんな貴方を見ているだけで、私は幸せなのよ。

  いつまでも愛しているわ・・・    恵子   」

 

啓介の目から涙があふれ止まらなかった。

その日 帰宅した啓介は、照れながらも妻のラヴレターが嬉しかった事を

素直に伝え感謝すると、一日森の中であった出来事を一気に話し続けた。

 「けいちゃんの目が生き生きしているわ これなら大丈夫だわ・・・」

恵子は心底安堵した。

 

やがて啓介は息子や娘が買ってくれた山歩き用の靴、ウエアー、ストック

にリュック、万歩計などを身に着け、毎日のように箕面の山々へ

出かけていった。

恵子はその都度、あの心療内科の先生にその日の状況を連絡し、相談して

いたが、先生は・・・

 「~どんどん行かせてあげてください。 自然の力は人間の知識や

  知恵など人知をはるかに超えた最高の治癒力をもっています。

  薬などと違い副作用もなく安心ですからね・・・」 と応援してくれた。

 

啓介のお気に入りは、箕面の山々から大パノラマの広がる大阪平野を

眺めながら、妻の作ってくれたランチボックスを開くことだった。

特に教学の森の <あおぞら展望所> は、その名の通り、木を切り開いた

だけの何もない所だが、ここからの180度見渡せる眺望はすごかった。

お天気のいい日には、西は神戸、西宮、その先の淡路島、四国の島影も

見える。 大阪湾の波間に大型タンカーの姿が見えるし、その先の関空島、

その先の和歌山の方までも見えるのだ。 南には林立する大都市・大阪の

高層ビル群がみえ、東にかけては奈良の山々、金剛山、生駒山 そして

京都の山並みまで一望できる。

 

啓介の生まれ育った箕面の家、学校、遊んだところ、勤めた会社、関係した

店舗や仕事先、それに妻と出会った中学校の校庭から家族との思い出の

場所なども上からみえる・・・ 

すぐ先にみえる大阪国際空港の滑走路から一機の大型旅客機が

飛び立っていった。

 

ここから下を眺めていると、自分の過ごした人生の大半の場所を見下ろす

ことができ、走馬灯のようにその一つ一つがよみがえってくる。

天上からみれば、こんな小さな狭い街であくせくしながら悩み、苦しんで

きたのか~ と最近の自分を省みていた。

 

ランチボックスにはいつも妻・恵子からの温かいラブレターが入って

いて、啓介はそれを涙を流しながら読んだ。

そして、いつしか心の底からじわじわと湧き出る活力を感じていた。

 こうして啓介は、箕面の山々を歩きながら妻に励まされ、大自然からの

感動や感激を味わい、いろいろと人生のパラダイムの転換を体験し、

心身ともに元気を取り戻していった。

 

 

季節はいつしか夏から秋、そして初冬に移っていた。

啓介はこの半年ほどの山歩きですっかり顔つきが変わり、健康的で柔和、

穏やかな顔に変わっていた。

話し方も、いつもせわしなかったがゆっくりと、力強い自信のある話し方に

変わっていた。

行動もバタバタとした動きから、いつしか静かで落ち着きのある動きへと

変わっていた。

あの切迫感、威圧感、焦燥感といったものや、油ギラギラの闘争心も

消えていた。

 

恵子は久しぶりに啓介を連れ、あの心療内科を訪ねた。

 「この分なら余り無理をしない程度に、ゆっくりと求職活動を

  再開されても問題ないでしょう・・・ それにしてもすごいですね」 

と 医師はその短期間での変わりように驚いていた。

 

啓介は半年ぶりにハローワークを訪れた。

 

 

(3)へつづく・・・


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森で人生の一休み  (3)

2015-05-07 | *みのおの森の小さな物語(創作短編)

 

森で人生の一休み  (3)

 

 

 

半年ぶりにハローワークを訪れた啓介は、それから一ヶ月ほどの間に

3社の紹介を受け、面接に望んだ。

 

AP社では、200人以上の応募者があり、午前中のペーバーテストで70人に

絞られた。 それは英語や数学、理科系の問題から一般常識など幅広く、

啓介は習った事も聞いた事もない言葉や問題に戸惑った。

しかし、それでも何とか70番目のどん尻で一次試験をパスした。

 

昼からの試験は論文形式だった。

 「自分が今最も熱中している事は何か? 

        その意義と問題点について述べよ」

啓介は迷うことなく、この半年間過ごしてきた箕面の山歩きと、自然から

受けた感動や感激、それにより自分の人生観が変わった事、それを

これからの実生活で活かしていくことの意義や問題点について、2時間の

制限時間以内に存分に書き綴った。

 

3日後、電話で 「2次試験にパスしたので、次の役員面接に・・・」 との

通知があった。

 

当日、AP社の会議室に座ったのは、二次試験にパスしたという7人だけで

啓介は少しビックリした。

居並ぶ面接役員の前で、社長から啓介に言われたのは・・・

 「仕事以外のことで、これだけ理路整然と自分の気持ちを素直に

  書いたのは貴方一人でした。 とても意欲的で感動的でした。

  全員の心に響くものがありました」 と、笑いながらのコメントがあった。

 

啓介の応募したAP社は、今まで自分の働いてきた会社とは縁のない

IT関連だったが、その豊富な資金力を使い経営の多角化を図り、

外食産業への進出を考えているからとのことで応募したのだった。

 

二次面接は仕事に対する姿勢、専門職の世界観など多岐にわたった。

しかし啓介はあの時の経験が役に立った。

それはグッドスター社に入社して10年目に、アメリカのコーネル大学で

開かれた外食産業の研修プログラムに会社から派遣され、半年間

デンバーで過ごした事があった。 

この大学には日本にないホテル・レストラン学部があり、世界中から

若い人たちが研修に訪れていた。

啓介は主に外食産業の新業態開発を勉強し、時間を見つけてはアメリカの

急成長店舗を巡り、自分なりの研究もしていた。

だからこそ、本社で今までの国内店舗での経験を携え、新たな使命感を

もって、会社の新事業企画に全力をそそいでいたのに・・・それなのに。

でも、もうそんな悔しさも徐々に薄らいでいたが、この面接に活かす事が

できた。

 

 

役員面接が終わった翌日、AP社から 「採用内定」 の連絡があった。

実はこの日、他のB社、C社からも内定通知があり、啓介は妻と共に

手を取り合って喜んだ。

そして啓介は妻と相談し、あの社長コメントが嬉しかった事と、何かピンと

くるものがあってAP社にお世話になる事を決めた。

 

ほんの半年前、あの暑い日に汗だくで何十社も訪問し、連日不採用通知を

受け取り、もう生きていくのさえ嫌になり、息たえだえになっていた

あの日々を思うと、夢のような隔世の感があった。

 

啓介はAP社に正式に採用され、本社・新規事業開発部門で外食事業担当

となった。  直属の上司は社長だった。

自分より若い社長だが、即断即決型で次々と新企画を軌道に乗せていった。

 

そして一年後、ある案件が入ってきた。

会議室でその名前を聞いて啓介は驚きのあまりのけぞった。

かつて自分が30年間働いてきたグッドスター社だった。

社長はM&Aを実施し、買収するかどうかの検討チームに啓介を

加えた。

 

次の週、AP社の社長と検討チームはグッドスター社を初めて訪問した。

啓介にとって、2年ぶりに訪れる本社ビルは懐かしくもあり、複雑な思いに

かられた。

案内された社長応接室に入るのは初めてだった。

 

グッドスター社は巨額の債務超過に陥り、もはや銀行からも見放され、

外部からの資金導入以外に生き残る道はなかった。

グットスター社全役員12名が居並ぶ中、AP社側4名が対峙した。

名刺交換をしたとき、2年ぶりに会うあの専務は 「まさか お前!?」 と

啓介を睨みつけた。

 

交渉が始まった。

先ずグッドスター社を代表し専務から、いかにこの会社が素晴らしい

会社かと延々と説明があった後、身勝手極まりない条件を提示してきた。

 

AP社の事前資料にはグッドスター社が傾いた原因の一つに、新規事業の

大失敗があった。

当時 啓介が担当していた業態開発部門の後任に、業界では名の知れた

他社の大物を破格の高給でスカウトし就けていた。

あの専務が啓介を突然 理不尽な理由をつけて退社に追い込んだ事情が

それで分かった。

しかし、そのスカウトした大物は次々と失敗を繰り返し、巨額の損失を

出していた。 

そしてそれは専務の仕組んだ新規事業計画が大失敗に終わった結末

だった。

 

初交渉から日を重ね、4回目のM&A交渉の前だった。

事前に啓介は社長から・・・

 「グッドスター社のいろんな問題点を精査し、思い切った経営改善策を

  作成するように・・・ 全責任は私が負うから、それを次の交渉で具体的に  

  示すように・・・」 

との指示を受けた。

 

啓介は中学校をでて15歳で入社し、45歳で退職するまで30年間下積みを

重ね、裏の裏まで知り尽くした前会社の経営体質、同族人事、システム上の

欠陥、仕入体制、店舗サービス、人材の育成など156もの改善策を詳細に

まとめ上げた。 

 

 当日、啓介は居並ぶ12人のグッドスター社経営陣を前に、一つ一つを

詳細に説明し、問題点を鋭く指摘し、大胆な改善策を次々と提示した。

それらの事柄全てが的確な指摘であり、全役員がグーの根もでなかった。

そして最後に啓介は強い口調で付け加えた。 

役員ではないがあの三郎氏(3男)を残し、

 「同族役職員の引退勧告、経営陣全員の退陣を求める」

とし、経営の抜本的刷新を求めた。

 

最後のその言葉を聞いた経営陣全員が青ざめた。

 「まさか そこまで・・・」

特に専務は真っ赤な顔をし、大声で怒りをあらわにした。

喧々諤々の怒り声があがり、その撤回要求があがった。

 

しばらくしてAP社の社長が静かに立ち上がった。

 「ただ今 弊社 浜崎 啓介が述べ伝えた事を100% 受け入れられない

  限り、当社は本日を持って貴社とのM&A交渉を打ち切ります」

と告げた。

 

ここで交渉を打ち切られるとグッドスター社の倒産は必至だ。

更に全役員は株主から個人的にも損害賠償請求で告訴される可能性が

高い。 そうすれば大きな借金まで個人的に背負わねばならなくなるのだ。

 

 一週間後、AP社がクッドスター社に示した条件はそのまま100%

受諾され、М&Aが正式に成立した。

しかも、当初 AP社が用意していた買収額の三分の一の額で買収が

完了したのだった。

 

 

啓介はその後、AP社の外食事業部門の責任者となり、買収した

グッドスター社を含め、子会社化した数社の社長を兼務する事になった。

 「グッドスター社の実務は副社長に就けたあの三郎氏に任せておけば

  大丈夫だ・・・」

 

日曜日・・・

あの教学の森の <あおぞら展望所> には、啓介と恵子の姿があった。

二人並んで座り、目の前に広がる大阪平野を眺めていた。

 

恵子が朝作ったランチボックスを広げると・・・

 「これは美味そうだな・・・」

啓介は早速好物の玉子焼きとサツマイモを両手につまみ口に運んだ。

恵子は啓介の肩に頭をのせ、遠くにキラキラ輝く大阪湾を眺めながら・・・

 「また私 けいちゃんにラヴレター書こうかしら? 

  それとももういらない?」 

と 笑いながら啓介の顔を見た。

 

頭上を二羽のヤマガラが仲良く飛んでいった。

 

 

 

(完)

 

 

 

 

 


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少年と傷ついた小鳥

2015-04-23 | *みのおの森の小さな物語(創作短編)

みのおの森の小さな物語 (創作) NO-3

 

 少年と傷ついた小鳥

 

 

 箕面駅近くの山麓に開業する獣医の中里 隼人は、一匹の柴犬に

予防接種をしていた。

嫌がる犬は大きな声で吠え立てていたので、それに気を取られ、

カウンターに一人の少年とお父さんが立っているのが分からなかった。

 

少年の両手の中には、ぐったりした小鳥が一羽・・・

  「箕面の昆虫館の裏山で見つけたので・・・ ちょっと診てもらいたいん

   ですが・・・」 と お父さん。

昨日の季節外れの大嵐で巣から落ちて傷ついたのかもしれない・・・?

 隼人は獣医師でも小鳥は専門外で大学で学んだ一般常識しか持ち合わ

せてなかったが、とにかくレントゲンを撮り傷の状態を調べてみた。

 

 どうやらフショ(足)の部分が折れ、翼角と上尾筒、初列雨覆(上の翼)も

傷つき満身創痍といった感じだ。

  ・・・あと数時間ぐらいしか持たないだろう・・・ と診断し、隼人は

お父さんに ・・・足が折れているし、翼もだいぶ痛んでいるので・・・ と 

細かく説明したうえで、今はかろうじて息をしているけどもう長くは無いことを

伝えた。 それにとうてい家で手当てする状態ではないので・・・

  「私のほうで引き取りましょうか?」  と伝えている時だった。  

隣にいた少年が急にお父さんの服を激しく引張りながら猛烈に首を振り

  「 う~ う~ う~ 」 と 言いだした。

お父さんは子供の剣幕に押されてか・・・ 

  「よしよしお前の気持ちは分かったから 

   先生にどうしたら治るのかもう一度聞いてみるからな・・・」

と、言いながら隼人に懇願するような目をしたので、 隼人も

  それなら・・・ とまた診察室に戻り、昔の鳥の本を引っ張り出したり、

友人の鳥に詳しい獣医師に聞いてみたりしと。

そしてとにかく急いで応急手当を施し、当面できるだけの治療は

全部やってみた。  丁度 空いていた靴箱があったので、そこにボロ布を

布団代わりに敷いて小鳥を そ~ と 寝かせた。 

 隼人は父子を前にし、養生上の注意事項や水や餌のやり方など、一応の

飼いかた等を教たが、明日まで命が持つとは思えなかった。

 

  「よっちゃん!  よかったな・・・」 と、お父さんは手渡された靴箱の中で

横になっている小鳥を心配顔に覗き込む子供に見せながら がんばれ! と

精一杯の声をかけ、深々とお礼を言われて出て行かれた。

 その後姿を見たとき・・・ 隼人は激しい衝撃をうけた!

 

その子は松葉杖をつき、片足が包帯で巻かれていた・・・

  「オレは何んと言う対応をしてしまったのだろうか・・・

   足が折れてるからもう長くは無い・・・ なんて・・・

   何とむごい事を言ってしまったんだ」

 

 隼人が最初に二人を見た時は、二人ともすでにカウンターの前に立って

いたので分からなかったのだが・・・

それに両手の中の小鳥に目がいってて、子供の姿をよく見ていなかった。

 隼人はドアが閉まり出て行った二人によっぽど走っていって謝ろうと

思ったができなかった。

お父さんの服を引っ張って、猛烈に首を振っていた理由がやっと

分かった・・・

  「決して治療を諦めてないで・・・」 と 自分の体とあわせ必死に言って

いたことが分かり,安易に診断した自分を責め続けた。

 

 

 それから一週間がたって、同じ夕暮れ時 何と二人がまたやってきた。

二人の顔が少し明るいので、まだ小鳥は生きている・・・ と 隼人は

嬉しくなった。

 診察するとしっかり目を開けているし、前とはまるで違う いい状態で

推移している事が分かる。

  ・・・予断を許せないが、ひょっとするともう少し生き延びるかもしれない・・・

 

 隼人が診ている間 心配そうに覗いていたお父さんが話している。

  「・・・息子はあの日から自分のベットの横にあの靴箱を置いて、

   四六時中 心配そうに覗いては声をかけてます。 夜も余り寝てない

   ようで逆に私はそちらの方が心配になるぐらいです。 でも お陰で

   ここ数日は少しずつ回復しているような気がして、あれだけ沈んでいた

   息子の顔もすこし明るくなってきました・・・」 と。

  「良かった・・・」 まだ喜ぶのは早いが、それでも隼人の心が少し

救われた。

 隼人がそう思いながら よっちゃんに話しかけると・・・?

よっちゃんは言葉を発せず、お父さんと手話へ会話しているではないか・・・

隼人はまた違う衝撃を受け、天を仰いだ。

  ・・・片足が不自由なだけでも大変なのに、言葉が自由に交わせない

    なんて・・・

   言葉の交わせないこの小鳥と同じではないか・・・ 

   だからあんなにも・・・

隼人はもう言葉にならず、心の中は涙でいっぱいになってしまった。

 

 よっちゃんとお父さんはそれから同じ曜日の同じ夕暮れに、少しづつ元気を

取り戻している小鳥とともに隼人の獣医院へやってきた。

 

 5週目になった時、奇跡が現実になった・・・ 

   ・・・もう大丈夫だ!・・・  

小さな鳥かごに入れてもらった小鳥は、よっちゃんに向かってさえずるように

なるまでに元気になってきた。

  ・・・後もう少しだ  がんばれ! ・・・ 

 よっちゃんは小鳥の名前を ” ピヨ ” と、紙に書いて隼人に嬉しそうに

見せた。

 

 やがてピヨは、よっちゃんのあふれる愛情をたっぷりともらって、とうとう

元気に回復した。

それはまさに奇跡のようだった。

 隼人は開業して今まで、動物や生き物たちから喜びも悲しみも

いっぱい貰ってきたが、こんなに嬉しく感動的なことはなかった。

  「それにいろんな心の勉強をさせて頂いた・・・」 と 自分の心の未熟さを

思い知らされ、それは自分の惰性化していた診察にも心引き締めて、

新たな出発ともなった。

 

 あれから隼人は自分の対応のまずさや非礼を、二人に心からお詫びを

したが、二人とも ・・・そんなこと・・・ と 笑って許してくれていた。

 

 隼人は最近 よっちゃんともお父さんとの手話を通じて会話している。 

  「・・・もうすぐボク一人で養護学校へ入るんだ・・・

   もっと元気になったらピヨは、あの拾った箕面昆虫館の裏山の森に

   放してあげるんだよ・・・ ちょっと淋しいけどピヨのことを、ピヨの

   お父さんやお母さんがきっと待っているからね・・・」 と。

なんと 心優しいよっちゃんなのだろうか。

 お父さんはが・・・

  「・・・私の仕事の休みのとき、息子を連れてよく箕面の森をあちこち

   歩いているんですよ・・・ 自然の中で触れ合う事が大好きな息子は

   この日をいつも心待ちしているようなんです。 

   この前も森の樹木に耳を当てて・・・ 聞こえないだろうに・・・ 

   なぜか息子には枝や葉が水を吸い上げる音が聞こえるらしいんですよ」

隼人は不思議に聞いていたが ・・・きっと本当なのだろうな・・・・ と

感じた。

  ・・・よっちゃんはきっと森の精を、心の中で聴いているのだろうな・・・

 

幾重にもハンデイを持ちながら心優しくて明るく,正義感にも溢れ、

人一倍の温かい心をもっている少年・・・

 もうすぐ元気になったピヨは、箕面の森へ再び羽ばたいていくことだろう・・・

そのとき少年もまた、大きく大人へと向かって旅立つ日となるだろう。

 

 隼人は診察室の窓を開け、裏の箕面の森に向かって両手を広げ、

思い切り深呼吸をしながら 大自然の素晴らしさに ”ありがとう・・・” と

つぶやいた。

 

 

(完)

 

 

 

 


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<愛の花束>

2015-04-03 | *みのおの森の小さな物語(創作短編)

みのおの森の小さな物語 (創作)

NO-2作

 

  愛の花束  

 

 

それは11月の終わり頃の事でした。

 

5時ともなるとすっかりあたりが暗くなり、箕面の森のホテルレストランの

テーブルにもキャンドルの明かりが灯り、それは温かい雰囲気に

包まれるのでした。

  この落ち着いた広く開いたレストランの窓辺から、東方に高槻、茨木方面

南方には大都市 大阪の百万ドルの夜景が、そして西方に西宮、神戸方面

まで見渡せる視界180度のそれは素晴らしい眺めが堪能できる所です。

ゆったいとした20卓ほどのテーブルには、季節のきれいなお花が

いつも一輪さりげなく活けてあります。

 支配人の坂元 譲 は、いつものように一卓づつ丁寧に卓上を点検した後、

レストランの入り口扉を開いた。

 

 坂元 譲 がこの山上のホテルレストランに勤めるようになって12年が

経っていた。 それは専門学校を卒業してすぐにこの店に就職し、

見習いウエーターからスタートしていろんな部署の経験を経、

半年前に認められこの店の支配人となったばかりなので、毎日緊張の

連続だった。

 

 18時、窓辺の特等席をご予約されていた最初のお客様がおみえに

なりました。

若い男性のお客様で、胸にはきれいな花束を抱いておられます。

ご予約はお二人でしたので、ウエイターは2つのウオーターカップを持って

席に伺いました。

 

  「ご予約はお二人でよろしかったでしょうか?」  

   「 はい、そうです! 」

 

と、男性は言われました。

 

そしてまもなく、最も評判の高いフランス料理のフルコースを2つご注文され、

さわやかなお味のする赤ワインも注文されました。

  男性の前の席にはあのお持ちになった花束が丁寧に置かれ、

キャンドルの灯りがより美しく花々を照らしています

めずらしく澄み切った大阪の夜空にに100万ドルの夜景が美しく、

まるで宝石の輝きのようにキラキラと瞬いています。 

 丁度、空のラッシュアワーなのか? 伊丹空港への着陸待機の飛行機が

南方の金剛山付近から明るいヘッドライトをつけて、3機も連なるように

飛んでいるのが目にとまり、山上からの眺めは壮観です。

 

やがてこのホテルレストランも徐々に予約席が埋まっていきます。

ご夫婦で、恋人どうしで、お友達と、家族で・・・ と、それぞれ楽しい

デイナータイムが過ぎていきます。

 坂元はなじみのお客様にご挨拶をしたり、サービスに落ち度が無いように

万全の目配り心配りをしています。

 

 やがてあの男性の前にもワインと前菜が運ばれてきました。

お連れのお客様がまだなようなので、担当のウエイターもどうしようか? と

迷っていました。 

  「お連れのお客様がまだなようですが、お料理はどうさせていただき

   ましょうか?」  と、坂元がそれを伺いにお席に出向いたとき・・・

男性は我に帰ったように恐縮されて・・・

 

  「うっかりすみまん・・・ どうぞ二人に料理を運んでください。 

   ワインも二人にお願いします・・・」  と。

  「かしこまりました・・・」

 

   何か事情がおありなのだろう・・・ と、下がった支配人は

フロアーマネージャーに厨房に、担当ウエイターにそれぞれ指示を

だしました。 

 

 やがて2つのグラスに赤いワインが注がれると、男性は前の花束の

前にあるグラスに、ご自分のグラスを合わせて乾杯のしぐさをされ、

何かを語りかけておられます・・・

 

 やがてスープが・・・

 

 メインデッシュのお肉料理が、お魚料理が運ばれ・・・ 

 

 そしてとうとうデザートとなりました・・・ 

 

 ウエイターが配膳するたびに、男性は自分の空き皿と共に、空席の料理も

一緒に下げてもらっていました。

 

 厨房に手のつけられていない料理がもどってくるので、料理長は

首を傾げています・・・

   お気に召さなかったのかな?  と、何度も味見をしてそのわけを

探ろうと試みたものの理由がわからず、途方にくれたり・・・

そのうち心の中では怒りさえ出てきました。

シェフにとって一所懸命に作った自分の料理が、全く手もつけられずに戻って

くるほど悲しい事はありません。

 

 この一部始終を見ていた坂元は、コーヒーサービスが終わったところで

男性に声をかけました。

 

  「お料理のお味の方はいかがでしたでしょうか?  

   お気に召していただけましたでしょうか? 

   ところでお連れ様はいかがなさいましたか・・・?

   失礼ですがよろしかったらお話いただけませんか・・・」  と。

 

このようなプライベートな事をお客様にお聞きするのは、初めてのこと

でしたが自然と言葉に出てしまいました。

 

 

 男性は支配人の言葉に恐縮しながらも、静かに語り始めました・・・

 

 「実はこの花束は私の妻なのです。  

  私たちは今日、3回目の結婚記念日です。  

  昨年の今日は、ここで二人で楽しく過ごしました・・・。  

  今日は天国にいる妻と来ました・・・ 」  

 

 そこまで言うと男性の目から涙が頬をつたい、しばし声が出ずに

窓の外に目を向けておられましたが・・・

やがて花束の妻に語りかけるように、再び話を続けられました。

 

 「半年前、妻は急性のガンで天国へ召されました・・・。

  あっという間の出来事でした。

  なぜ神様は私から愛する妻をこんなにも早く召されたのか・・・

  天を恨みました。

  今でもまだ信じられないほどです。

  どうか夢であって欲しい・・・

 

   朝起きるといつもこの現実に打ちのめされてしまいます。

  でも、やがてこんな事をしていては天国から見ている妻に心配させる

  ばかりだ・・・ と思うようになりました。  

   最近は妻がいつも心の中にいて私を励ましてくれるようで、

  少しづつですが立ち直ってきました。

   そして今日の3回目の結婚記念日には、どうしても二人で祝いたくて、

  去年と同じ席を予約したのです。

  

   ここは去年、二人して幸せの嬉し涙を流したところなのです。

  二人が交際していた3年間は、よくこの箕面の森を歩きました。 

   春は新緑の滝道から、花いっぱいの勝尾寺まで歩き、途中見た

  満開のエドヒガン桜はとても見事でしたし・・・

   夏は地獄谷の近くで「修行の古場」というんでしょうか?  

  その上の滝道に丁度休憩場があるところ・・・ あの谷川の水辺で

  裸足になって二人で将来の事をよく話しました。 

   秋には紅葉ですが、人ごみを避けて教学の森や静かな落合谷などを

  歩きました。  清水谷では渓流の水を飲んでいる鹿に始めて出会えて、

  二人とも感激でした。 

   冬になると彼女は温かいスープをポットにいれて持ってきてくれました。

  それを静かな寒い森の中で二人で頂くんです・・・ あったかい~! と。

    本当に幸せでした・・・

 

   そんなとき、あれはこもれびの森でしたか・・・

  目の前の木の枝に二羽の小鳥がやってきて・・・ なんと、くちばしを

  くっつけてキス? をしているんですよ・・・

  こっちの方が顔を赤らめたりして・・・

  そんな幸せをいつもこの森の中から与えてもらいました。 

  彼女がお猿さんと握手している写真もあるんですよ・・・ 」  と。

 

 

坂元は店の支配人という立場を離れ、そんなお二人の幸せだったお話を

静かにうなずきながら伺いました。

 

しばらくして男性は続けて・・・

 

 「いま妻は天国でこう言っているはずです・・・ 

    ”今日は本当においしいお料理をご馳走様でした。  

    とても美味しくてみんなきれいに残さず頂きましたよ。  

    ダイエットどうしようかしら?”  

  なんて言って、きっと笑っていますよ・・・ よく言ってましたから・・・

   お店のシェフの方には本当に失礼をいたしましたが、妻は本当に

     美味しく頂きました・・・ と言っていると思いますので、

  どうかお許しください。 

   お陰さまで二人とも美味しいお料理を堪能し、楽しい一時を過ごす事が

  できました・・・

  本当にありがとうございました・・・ 」  と。

 

 

 話を聞いていた坂元も、担当のウエイターも涙をいっぱいためて

聞いていました。 

  素晴らしいご夫婦愛です。 

後でその話を支配人から聞いたシェフは、厨房の端に行って大粒の涙を

流していました。

  天国の奥さまに、そんなに美味しかった~ と、言っていただき・・・ 

  光栄です・・・ と。

 

 

  静かで穏やかな夜です・・・

真っ暗な森のなかで、夜の海に浮かぶ船上レストランのように、

その場所だけが煌々と光り輝いています・・・

そして、夜空を見上げると・・・

そこには・・・

ひときわ輝くきれいな星がひとつ・・・  

一人の男性の上に瞬き、温かい光を放っていました。

 

 

箕面の森が静かに深けていきます・・・

 
 

(完)

 

 

 

 


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NO-7 <森の白い子犬> (1)

2015-03-02 | *みのおの森の小さな物語(創作短編)

 

みのおの森の小さな物語 (創作)

 

 NO-7作 (1)~(3) 

 森の白い子犬  (1)

 

 

新緑の季節となり、箕面の森に若葉が溢れる頃

春の <みのおの森のお話し会> が開かれました。

 幹事の佐々木 恵子は集まった10数人のメンバーを前に、

刷り上ったばかりの小冊子を手渡しています。

 このお話し会は箕面の森の散策を趣味とする恵子が、

元々同好の人たちと森の中での情報交換を目的にしていたもので

季節に一回ほど集まりお喋りを楽しんでいて、それは

いつしか20数人の集いとなりました。

 

 やがて年に一度 箕面の森の中でいろいろな出来事話しの

中から感動したり、印象に残ったりした事や、それらのエッセー

詩や俳句なども含め、それらをまとめて一冊の小冊子に

することになったのです。

 今年は5回目となり、その中で最初のページを飾ったのが

久保 美咲さんの語った <森の白い子犬> でした。

 

 

  <森の白い子犬>     

                       久保 美咲

 

 私は幼い頃から父母に連れられ、よく野山を歩いたことから、社会人に

なっても、時々友達とハイキングに行ったりして山歩きを楽しんでいました。

 

 彼と初めて出会ったのも、そんなハイキング仲間と共に

箕面ビジターセンターのもみじ広場で開かれたバーベキューパーテイが

きっかけでした。

彼も友達に連れられて初めて来たようで、お互い紹介された時から何か

 ピン! とくるものを感じていました。

私は  "明るくて気持ちの良い青年だわ・・・"  と、最初から好印象でした。

その後 彼のほうから誘ってくれて、いつしか仲間達とは別に二人で山歩きを

するようになりました。

彼は子供の頃から山歩きが大好きだったとかで、私の好きな自然観察など

にもよく付き合って教えてくれました。

 

 

それから2年後の5月、私たちは多くの友人達の祝福を受けて結婚式を

挙げました。

そして後日、ハイキング仲間達があの思い出の、初出会いの

もみじ広場>を予約してくれて、バーベキューパーテイをし

祝ってくれました・・・ それはそれは楽しい一時でした。

みんなお腹いっぱいでしばし休憩していると・・・

横を流れる箕面川の清流に、新緑のもみじの葉が映り・・・ サラ サラ~ と

流れる水面が太陽に反射してキラキラと輝き・・・  まるで宝石が流れている

ような美しさでした。

うっとりと見とれている時、一人の友達が静かに指さした岩の上に、尾の長い

鳥 サンコウチョウがいるではありませんか・・・  

目元が鮮やかな水色でお腹は白,尾にかけては黒毛でしたがそれは綺麗で

優雅な姿でした。

また、カワセミが川の魚にねらいを定め じ~ として枝の上から川面を

にらんで狩をしている姿もあって まさに自然満喫の世界でした。

 

 一年後、長男の 葉留樹(はるき) が誕生しました。

私たちはヨチヨチ歩きのはるちゃんを連れて、思い出の箕面の山野を

よく歩きました。

はるちゃんは夫の背負いラックに後ろ向きに乗り、後ろを歩く私の顔を見な

がら キャ キャ・・・  と とっても喜んでいます。

森の中を きょろ きょろして、何に興味があるのか? 

いつも楽しそうでした。

山を登る時も下る時も 夫はよく  ”よいしょ!” と、掛け声をかける

癖があり、そのリズムがいいのか?  はるちゃんはそれを聞くと、

いつも夫の背中で ケラ ケラ とよく笑うのでした。

 

ある日、天上ケ岳でお弁当を広げていると、子連れのおさるさんがやって

きて・・・ それを見た はるちゃんは哺乳瓶を片手に・・・

それをお猿さんにあげようとしたのか トコ トコ と近づいていった時は

さすがに私もあわて追いかけましたが・・・

はるちゃんはおさるさんが大好きでしたから、一緒に遊びたかったので

しょう。

 

はるちゃんは幼い頃から、野や山の花が大好きで、よく背負いラックの

上からも花を見つけては指をさし・・・ 「 は な・・」 と言ってました。

森の中で鳥を見つけると 「チュン チュン・・! と、ゆびさしています。

無垢な幼い子供は親の影響をこんなにもすぐに受けるんだな・・・ と、夫は

言っていましたが、本当にはるちゃんは親に似て自然が大好きのようでした。

 

夏のある日、夫が終日仕事でいなかったので、はるちゃんと二人で

箕面の森にでかけ、瀧道を下り姫岩のある川辺で遊んでいた時、

石の下にいたサワガニを はるちゃんが見つけて・・・ 

初めてみる動くサワガニに興味津々!

それが面白かったのか、それから川辺も大好きになり、しばらくは服が

ぼとぼとになるまで川遊びをするので、着替えを何組も持っていったほどで

した。

 

秋になると 森の広場(Expo‘90 みのお記念の森)に三人で

出かけました。

よちよち歩きのはるちゃんは 「男同士で遊ぶか・・・」 と言う夫と

ボール遊びをしています。

鬼ごっこをしたり・・・ 二人で キャー キャーいいながら楽しそうです。

私はもうすぐ来る寒い冬に備え、はるちゃんの襟巻きを編みながら・・・・

  幸せ・・・ と

なんども 小さく言葉に出してかみしめていました。

それはそれは ” 幸せで楽しい日々 ” でした。

 

やがて秋の紅葉が過ぎ、寒い冬がやってきました。

森は落葉がさかんになり、鳥達が木の枝から飛び立つたびに 

木の葉のシャワーのように枯葉が舞い落ち、 あっという間に森が

明るくなりました。

 

冷たい北風が吹いても はるちゃんは野山にいました。

し~ん とした森の中で一休みしている時、リスを見つけたのは はるちゃん

でした。

雪の日に <教学の森> で野ウサギを見つけ、指さしたのも

はるちゃんでした。

冬の森にはたくさんの小鳥達がいますが はるちゃんは私たちより

見つけるのが早いのです。

春を待つ木々の芽はまだ固いのですが、でも 山つつじのつぼみの先が

早くも明るい緑色になってきて・・・

それを はるちゃんに見せながら・・・ 

 「もうすぐね ここからきれいな おはながさいてくるのよ・・・」 と、

教えてあげると  ”ウン!”  と嬉しそうにうなずいています・・・

 

4月初めから中旬になれば、森はヤマツツジで一気に華やかになります。

 「今度ここに来る時は満開の頃にしようか・・・ 

  はるちゃんがヤマツツジを忘れないうちにね・・・」 と、 夫。 

 「そうね!  もうすぐだね・・・ またお弁当を持って三人でこようね・・・」

 

そしてその時、それが 三人で森を散策する最後の日になろうとは・・・・

まさかまさか夢にも思わないことでした。 

 

                

(2) へ続く・・・ 

 


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NO-7 <森の白い子犬> (2)

2015-03-02 | *みのおの森の小さな物語(創作短編)

 

森の白い子犬  (2) 

 

 

それはある日 突然にやってきました・・・

 

あの ヤマツツジが蕾を大きくふくらませ、もうすぐ花開く頃でした。 

私は家の近くの公園で、はるちゃんと遊びながら近所の人と談笑して

いました。

小学生のおにいちゃんたちがボール遊びをしていて、はるちゃんも一緒に

遊びたがっていましたが入れてもらえず、後ろで見ていたようです。

はるちゃんはボール遊びが大好きなので、きっと一緒にやりたかったので

しょう・・・

 

その時 おにいちゃんの投げたボールが道路に飛び出していって・・・

それをみた はるちゃんは自分がとってあげようと思ったのか トコトコと

歩いて道路に飛び出していったようです  

 

  キキキ~ン・・・  ガン ガン!  キー キー

 

ものすごい音がして顔を向けたそのとき、はるちゃんの体が宙に

舞い上がっていました。

そのバイクの急ブレーキの音は悪魔の叫びでした。

 

 

救急病院で・・・ 

はるちゃんは静かに天国へ召されていきました。

 

  はるちゃん! はるちゃん!

 

いくら叫び続けても、はるちゃんは目を開けてくれませんでした・・・

   ・・・なんで?  なんでこんな事に

                はるちゃん 目を開けて・・・

どんなに泣き、どんなに はるちゃんの体を揺り動かして叫んでも応えてくれ

ません。

きっと夢、 きっと夢に違いないわ・・・

そんなこと・・・ きっと夢よ・・・ そうあって欲しい・・・。

 

ヨーロッパに出張中だった夫にはすぐ知らされ、急遽仕事をキャンセルして

飛行機に飛び乗ってもらったけど、遠隔地だったので病院に着くまでの

22時間・・・   

  それは私一人で・・・  どんなに悲しくて心細く辛かったか・・・

やっと着いた夫は変わり果てた はるちゃんを抱きしめておいおいと

泣き崩れ・・・  

 二人とも食事も睡眠も勿論、水さえ飲めずに・・・

この自分達の命と引き換えに どうか神様 はるちゃんを 生き返らせて

ください・・・ と 叫びつづけましたが・・・・ 

小さな はるちゃんの手を握りしめたまま私は いつしか気を失ってしまい

ました。

 

 

何ヶ月も二人で泣き明かしました。

今にでもはるちゃんが トコトコと歩いてくるようで、耳をすませて聞き耳を

立てていましたが・・・

しばらくは、はるちゃんの部屋に入るのが恐かった・・・

本当にいないんじゃないかって・・・? 

それを確認するのが恐かったのです。

でも、ひょっとしたらベビーベットでまだ寝てるんじゃないの・・? と 

そ~ と、扉を開けてみたり・・・

その度にいつも現実に打ちのめされて,涙が溢れるばかりでした。

 

 

どのぐらいの月日が経ったのでしょうか・・・?

ある日、夫が ぽつり・・・ と、 箕面の森を歩いてみないか・・・?  って!

季節は変わって、また変わって秋になっていました。

  「はるちゃんの思い出の詰まった山なんて・・・ いやだわ 嫌よ! 」 

でも・・・反面、はるちゃんの面影を探してみたい・・・

迷った末に 二人で久しぶりに外出する事にしました。

夫ははるちゃんをいつも背負っていたラックを、後ろの席に置いていました。

 

<Expo‘90 みのお記念の森> に車を置き、森の芝生広場まで

歩きました。

二人で手をつないでも、いつも真中にいるはずの はるちゃんがいない・・・

二人とも自然と涙がこぼれます・・・ 重い、重い足取りです。

かつて3人で遊んだ森は、なぜか雰囲気が違っていました。

<花の谷>を歩き・・・ 季節の森を歩きながら二人とも思いは一つだけでした。

   ・・・はるちゃん・・・ 

 

いつしか一回りして、芝生広場のベンチに座ったところは昨秋のこと・・・

夫とはるちゃんがボール遊びをしている姿を見ながら編物をしていて・・・

幸せに浸っていたところでした。

それを思い出すともう いてもたってもおれずボロボロ涙が溢れ・・・

とうとう大声をあげて泣き叫びました。

長い間二人は ぼ~ として、うつろな目で遠い空を眺めていました。

持ってきたお昼のお弁当も全く手をつけていませんでした。

 

そんな時です・・・   

前の 花壇と花壇の間から 小さな白い子犬 が、こっちを向いているでは

ありませんか・・・ 

 

  「可愛いわね!・・・ 」

  「そうだね・・・」

 

可愛い目をしてる・・・

二人してその姿やしぐさを眺めていました。

誰か散歩中に首輪を外してもらって、自由になって喜んでいるのかな・・・

(そのとき首輪をしていない事には気が付きませんでした。)

 

どのぐらい二人でその子犬を見ていたでしょう・・・

  飼い主はどうしたのかな?  

  迷ったのかな? 

  それにしても誰もいないのにね・・・

夫は思い出したように、ベンチの周りで遊んでいる子犬に持ってきた

お弁当の中からウインナー一つを取り出して芝生の上に置いてやりました。

最初は首をひねっていた子犬は、そのうち・・・ なにかな? と 食べ始め

ました。

 

食べ終わりぺロリと舌を出したのを見てまたあげてみました。

   お腹がすいているのか?  

それから次から次へと出すものをみんなきれい

に食べるのでした。

そして美味しかったのか・・・ お腹がいっぱいになると安心したかのように

二人の足元にきて尾を振り,首を傾げたりして遊ぶようになりました。

私は思わずそんな子犬を抱っこして膝の上に置きました。

以外におとなしくしていて・・・

そのうちあくびをしてうつらうつらと眠り始めたのです。

  「可愛いね・・・」

二人で交互に頭や体をなでながら・・・

それは少し前までこうしてはるちゃんを抱っこして、代わる代わるに頭を

なでていたのに・・・ と思い出したら また涙が溢れてきました。

 

夕暮れになりました。

 ・・・飼い主さんいないのかな・・・  

         このまま抱いて家に帰りたい・・・

ふっとそんな思いがよぎりました・・・ 夫も同じ気持ちのようでした。

歩き出した私たちの後ろを、白い子犬はトコトコついてきます。

私たちは管理事務所が閉まっているので 入り口にメモを残し、もし飼い主

が現れたら私たちが預かっていますから・・・ と、住所と電話番号を書いて

きました。 

 それから我が家の てんてこ舞いが始まったのでした。

 

 

後ろをトコトコついてきた白い子犬は、とうとう私の腕に抱かれて、

車の中に連れて入る事になりました。

車内では膝の上でおとなしくして座っていたのですが、家に到着するや否や

あっという間に家の中を走り回って大変・・・ 

  そのうちアレレ・・・ たいへん! 

あっちで・・・こっちで・・・おしっこするの・・・

  ちょっとまって・・・ これ! これ! 

  あ~ あ・・・ あっ! まって! だめ、だめよ・・・ そんなところで・・・! 

そのうちテーブルの下で小さいのにしっかりしたウンチ・・・

  もうたいへん! 

二人でてんてこ舞い・・・

はるちゃんのおもちゃが気に入ったらしく、引っ掻き回して遊び始めた

のでした・・・

 

今朝、出かける前のあの静かな悲しみの家とこれが同じ所か? と

思うぐらいに、一匹の小さな子犬にテンヤワンヤの二人でした。

とにかく二人とも犬を飼うのは全く初めてなのでどうしていいのか

分からない?

  餌は何を与えたらいいの? 

  何処で寝かせたらいいの・・・?

  首輪って要るんじゃない?  

走り回る白い子犬をやっと捕まえて・・・

嬉しいのか興奮して子犬は少しもじ~としていないけれど、

やっと車に乗せて夫とケンネルショップを探して出かけました。

そしてそれが私たちの人生の転換期になろうとは、その時思っても

みませんでした。

 

 

(3) へつづく・・・

 

 


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