morimamaハンドメイド倶楽部

昔の中央線廃線跡とトンネル群をたずねて

今日は近郊の史跡を訪ねながらのニュータウンウォーキングの日でした。

うす曇でしたが、風もなく歩くにはもってこいの日です。

実行委員として受付作業を済ませ、

70名近い参加者と共に出発です。

 

いつもの散歩コースを進んでいくと

未知行く人の目を楽しませてくれた「南京はぜ」が

ばっさりと枝を落とされていました。

 

小学校の校庭では低学年のサッカー大会が開催されていました。

イレブンより少ないナインです。可愛い。

 

明治の頃、この付近の山の所有権をめぐって外之原村の農民と

沓掛村の士族との間で裁判となった。

一審で敗れた農民が千葉県まで宗吾霊堂に勝訴祈願に出かけた。

大審院で勝利を勝ち取ることが出来た記念に建立したものとのこと。

佐倉宗吾郎とは、

江戸時代に悪政に苦しむ農民を救うため

将軍家綱に直訴して死刑になった庄屋。

墓標には、宗吾郎と共に処刑された4人の子供の戒名が

刻んであります。

 

 

 

住宅地から外れたところに、現在の県道と交わるように細い道が2本あります。

一番細い道、

これは江戸時代に作られた内津や美濃から名古屋街道へ出るためのもの。

いざという時には「関所」が作られたとのこと。

 

川沿いの道は、

大正7~10年に陸軍の大演習に備え、

古生層の岩盤をノミで削って開通させたとのこと。

 

隠れ山池です。

隠れ山と言う名は山が深く迷い込んだら出て来られないとか

里から山が隠れて見えなかったとか付いたといいます。

一説には、昔「落武者」が住んでいたとも言われているそう。

 

 

のどかな景色を楽しみながら、東海自然歩道に入りました。

玉野御嶽神社です。

春日井には御嶽神社がとても多くあるそうです。

 

とっても可愛い「狛犬」でした。

 

 

暖かな陽だまりで「ランチタイム」。

夫のシャツも「紅葉」色でした。

 

 

 

 

さぁ、メインイベントの廃線跡とトンネル群めぐりです。

大丈夫?と心配な手作りの木道階段です。

今日のNHKニュースでも放送されていました。

鉄橋跡には竹製の橋がボランティアの手で掛けられています。

1900年に開通し、複線電化により新ルートに変わるまでの

1900年まで使用されていました。 

茶席が設けられており、そこには巨大なもみじの木がありました。

廃線後40年の時間を実感できました。 

 

6号トンネルの上には樹齢130年の大エノキ。

 

 

 

この道も廃線跡です。

保存再生委員会の方々の整備作業のおかげです。 

 

帰り道、

玉野台団地の脇を通りかつての職場の若い人の家を思い出しました。

HATTA君です。

元気な顔を見て、「またね。」

 

更に、足を進めて農家の庭先で仕事をしていたおばあちゃんに

「柿を2,3個持ってくかね?」

「ありがとう。いただきます。」

枝ごと4本。

重たいので夫の友人MATINO宅玄関に1本置いて…

残りを自宅まで。

 とっても有意義な一日でした。


ご訪問ありがとうございました。

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