goo blog サービス終了のお知らせ 

旧・毎日がブエノス・ディアス!

タニィのアルゼンチン、ウルグアイを中心とした日々ラテンな話題をつづっています。

Musica Para Chicos / Nin~os (こども向けの音楽)その2

2007年07月30日 | アルゼンチン
アルゼンチンのフォルクローレというジャンルでは
特に子ども向けCDは多く発売されています。

またコンサートも。

それから忘れてならないのは、「ピニョンヒーホ」と
お隣りウルグアイ出身のスーパースター、ルベン・ラダによる
「ラダ・パラ・ニーニョス」

http://astore.amazon.com/despatriados-20/detail/B000267Z82/105-3663236-9742801


アルゼンチン、デザイン3

2007年07月30日 | アルゼンチン
●JDN/デザインリポート
「アルゼンチンでは これ、まだ使えます!」(2006.03-現在まで連載中)
http://www.japandesign.ne.jp/HTM/REPORT/argentine_k/
  「アルゼンチンでは これ、まだ使えます!」というのは私も
しょっちゅう感じてました。日本じゃモノ捨てるけど…あっちでは
捨てられない。欲しい人探さなきゃ勿体ない。


JDN/デザインリポート
「ボリビア共和国 ラテンデザイン日記」(2005.08-2006.02の連載)
http://www.japandesign.ne.jp/HTM/REPORT/bolivia/

アルゼンチン、デザイン2

2007年07月29日 | アルゼンチン
アルゼンチン、デザイナー
・・・で検索したら面白いサイトを見つけました、その2です。


●JDN/デザインリポート
“アルゼンチン 地球の反対側にあるデザイン”(2004.04-07.の4連載)

  vol.1 
懐かしいレコレータ・デザイン・センター。ここも寂れたり復活したりと栄枯盛衰な場所。
Hard Rock Cafeはまだこの建物内にあるのね。

  vol.2 
まるで宇宙船のような国立図書館、毎日眺めていても飽きない。浮いてるみたいで。
古いけど古さを感じさせないし、緑にも不思議に調和する違和感有りでしっくりくる建物。

  vol.3 
El Ateneo書店は実に立派な劇場再利用の好例ですが、ラバージェ地区あたりに行くと
昔栄華を極めた豪華劇場跡が安服陳列のガレリアになってたり…と美しくリユースされて
ない悲しい例も結構あります。昔リッチだったアルゼンチンの遺品。
  
  vol.4 
個人的に一番読み応えを感じた。
去年招聘したリリアナ・エレーロのサポートメンバーのパーカッショニストであり、
今をときめくアカ・セカ・トリオのマリアーノ・カンテーロが演奏で参加した
「デ・ラ・グアルダ」の”ビージャビージャ”
(2003年頃N.Y.でヒット、東京でも数ヶ月間公演するなど世界中を回ったガビー・ケルペル
パフォーマンス集団)
・・・について、2004年現在と古い情報ですが紹介されてます。
リリアナ・ビターレのライブやアートを見に行ったレコレータ文化センターとアルゼンチンの結婚式
・披露宴の話題、カフェ文化を交えての説明も。
(McCafeも前からあったよね?カフェにうるさいアルゼンチンだから味もそこそこ旨いカフェでした)

アルゼンチンのパーティ(フィエスタ)についてはタニィも「快適日常音楽vol.5ブエノスアイレス」
CDのコラムに書きましたが大人も子どもも実に夜更かし大好きだし、子どもでさえ、
大人顔負け一人前にダンスや音楽、おしゃべりを楽しむ姿勢は見上げたものです。
レコレータ文化センターにはマテ茶の自動販売機にマテ・リストも売ってたんだよねぇ~。

アルゼンチン、デザイン1

2007年07月29日 | アルゼンチン
アルゼンチン、デザイナー
・・・で検索したら面白いサイトを見つけました。

BAFWEEK07
(Buenos Aires Fashion Week 2007)

今年3月に開催終了しているイベントでしたが、サイトのリンクに
ブエノスアイレスでお馴染みのブランドもいくつかあります。
特にコートなど皮革製品得意なブランドはアルゼンチンらしくって、懐かしい。




Cafe Globe ブラジル人気ブランドの意外な活動
アルゼンチンのホォアナ・デ・アルコ

ちなみにホォアナ・デ・アルコはブラジル出店してないし、ブラジルで人気、と
いうわけでないのですが(サイトの分類上ブラジルになってる、哀)
マリアナと私の頭のツーショットが!
当日の様子、弊サイトの写真と見比べてみても面白いかも?

Musica Para Chicos / Nin~os (こども向けの音楽)その1

2007年07月28日 | アルゼンチン
フアナ・モリーナも影響を受けたと公言するマリア・エレナ・ウォルシュ
Maria Elena Walsh
などアルゼンチン音楽では以前から大人も子供も
楽しめる良質の音楽が広く愛されてきたのですが、近年こういった大人も
楽しめる『こども向けの音楽』ジャンルがさらなる充実ぶりを見せています。

こどもを過度に「こども扱い」や「甘やかし」したりせず、小さな時から
それなりに自立心を持たせる本物志向なヨーロッパ移民的発想なのかもしれません。

日本では夏休みが始まったばかりだけど、地球の真裏、アルゼンチンでは今が冬休みの真っ最中。

夏休みは、庶民であってもこぞって長期のバケーションに行くけれど、冬は自宅近郊や近場でまったり
過ごす家庭も多いようです。
ブエノス市内では子供も楽しめるイベントが開催されたりしてそんな子供たちを楽しませてくれます。

ちなみに、アルゼンチンでは「8月第2日曜日 segundo domingo de agosto」が『こどもの日 Día del Niño』
なのです。
在ア時代日本庭園ボラ活動中はこの時期、折紙や切紙など手作業で小さな贈り物regalitosをせっせ、せっせ
とたくさん作り、来場者に配ることに明け暮れました...(遠い目)



…もとい音楽のお話。

在ア時代にタンゴ歌手のフリア・センコ Julia Zenko(vol.1)やロサリオ一派のロック歌手J.C.バグリエット(vol.2)も
関わった子供向けのタンゴCD、その名も『Tango para chicos(子供向けのタンゴ)』
Revista Planetario (子供向けのフリーマガジン)に紹介され話題となりました。
※詳細は『カフェ・デ・パンチート』●#043 子供とタンゴ:グラシエラ・ペッセ●にあります。
(ブエノスアイレスでは小学校の授業にタンゴを組み込んでいるのは驚き。)





日本だと「タンゴ=官能=哀愁=大人の音楽」ですが。。。


2005、2006年と連続来日し、いまや大人気のブラジル音楽を実践するアルゼンチン人シンガーソングライターの
ベト・カレッティが参加する『Los Musiqueros(ロス・ムシケーロス)』も今までに4枚のアルバムを発表するなど
人気があります。
特に作曲面でもベトの高い音楽性が存分に発揮された3、4枚めCDは子供だけのものにしておくのは勿体ないかも?
アルバムのクレイ粘土人形のジャケットも素敵です。
※詳細は『カフェ・デ・パンチート』●#057 ベト・カレッティの隠れ名作~ロス・ムシケーロスのアルバム●で紹介。






最近、子どもさんのいる在ア友人に教えてもらったのはMariana Baggio マリアナ・バッジオ『Barcos y Mariposas』(2002)
この手の音楽ジャンルには程遠い?と思っていたパブロ・パス Pablo Paz やフアン・クルス・ウルキッサ Juan Cruz Urquiza
が参加しており、子供だましじゃない、かっこよさを備えた音楽性はパパ・ママの心をわしづかみ?かなぁ~?!
シリーズpart2の『Barcos y Mariposas 2』はネット上で歌詞閲覧&試聴可能、ぜひ聞いてみて。





そしてお隣りの国、ウルグアイのカーニバル音楽『ムルガ』(近年アルゼンチンでも再注目されている様子)を取り入れた
El MURGON DE LA ESQUINAも発見。
ネット視聴した感じではあまりムルガ色が強くないけれど、ムルガやカンドンベといったウルグアイの音楽が大好きなタニィ
としては、ひとつのムーブメントとしても興味深い。
前述のマリアナ・バッジオとも関連あるみたい。





Rock Para Chicos(子供向けロック)の『Re-Enchufaditos』も見つけました。
ロックは探せばもっとありそうで、いろいろでてきそう。


フォルクローレに関しては、いろいろたくさんあるので、、、とりあえずまた次回!

新しいオベリスコいじりアーティストを発見

2007年07月24日 | アルゼンチン
2006年6月28日の日記「インディーズ系映画放送en Bs.As.のお知らせ 」
テツオ・ルミエール Tetsuo Lumiereのオベリスコいじりについて書きましたが、
また別のタイプのオベリスコいじりをご紹介。





ゴンサロ・マサール Gonzalo Mazar


アルゼンチンという他民族国家ならではのミクスチャー音楽を追求するアーティスト

のソロ1st.CD『Veremo ベレモ』の自作イラストによるジャケット・デザインは

オベリスコの上に浮かぶ、フローティング・乳牛?!

樹木はなんとな~く、パロ・ボラッチョ Palo Borracho=和名「酔っ払いの木」の風貌。


Gonzalo Mazar公式サイトの、それぞれのアイテムをクリックしてみて!!!



乳牛=bio(バイオグラフィ)、

オベリスコ=letras(歌詞)、

樹木=MP3(MP3視聴可能)、ピヨピヨ言います♪ →でもMP3、タニィのPCでは聞けず。

雲=contact(コンタクト先)、スーパースーパー呼吸する雲

....



大人も子供も楽しめる音楽を追求しているらしく・・・

myspaceにUPされているへんちくりんなfotosにも、

彼の趣味趣向が凝縮されている気配。Myspaceでも音楽、ビデオが視聴可能。



ファンク、R&B、ボッサ、カンドンベ、タンゴそしてポップスに影響を受け、

1980年代より活動を開始し、メキシコのロック・バンド ママ・プルパ Mama Pulpaや、

Los TriciclosClosにキーボードで参加、1992年にはボカ Boca Juniorsと並び人気の

サッカーチームであるリーベル・プレート・スタジアム Estudio River Platoでのポール・

マッカートニー Paul McCartneyや、ロクセット Roxette、 Bolshoi(ボリショイサーカス?バレエ?)

のオープング・アクトを務めたという彼。

その後、TV番組や劇場、マクドナルドやFM局のCMでの音楽担当を経験し、

満を持しての2005年アルバム発表!


彼の音楽はこれからどこへ向かうのやら。。。

参考:
Despatriados

Arte Fusión

マファルダ♪Mafalda!!!

2007年07月22日 | アルゼンチン
とっってもとってもウレシイ話題!

●アルゼンチンコミュで発見!
マファルダの日本語版がとうとう発行されました。




「(クラリン紙から)
作者Quinoの75歳を祝って、日本でもマファルダの日本語版が初めて出版されるようになった。
イタリア語版がベースだが、原本と異なる所はオリジナルのスペイン語版から翻訳された。
初版は3000部で値段は1600円。出版社はElephantPublishing 」

去年末のFigaro Japonアルゼンチン特集にもマファルダは紹介されたし、↓効果あったかな?


アルゼンチン特有のペイントでマファルダ達が描かれたトラック    エビータとマファルダはアルゼンチンの顔!



●マファルダは私がスペイン語を勉強したブエノスアイレス大学の外国人向けスペイン語コース
のテキストにもたびたび登場していました。
 スペインに住んだことのある友人はマファルダを「スペインの漫画よ!」と言って譲らなかったけど、
アルゼンチン原産です!!!

mixiにはマファルダの作者QUINO(キーノ)のコミュも有ります。
キーノはとても有名な漫画家さんです。




●以下で日本版マファルダの取扱い有。絵本っぽいです。

  Amazon.co.jp

  オンライン書店ビーケーワン

  紀伊国屋ブックウェブ


●「南米のピーナッツ」と呼ばれているマファルダmafaldaは2004年に40周年を迎え、
30カ国以上で翻訳されているそうです。
日本の皆さんも一度南米アルゼンチンから世界中の子供たちに愛されるマファルダ、
手にとってみて下さい。
(スヌーピーは出てこないけどネ)

...日本語で「マファルダ」て書かれた表紙がウレシイような恥ずかしいような...
私も早くゲットしなくては!!!

表紙のマファルダは怖い顔ですが、ふだんはこんな可愛い子なんですよ!



マファルダのキャラグッズも日本で出たらいいなぁ...♪

参考:過去の日記より
東京・神楽坂うれしい発見! 2005年09月14日

風刺や冗談も駆使するパロディ音楽劇場

2007年07月21日 | アルゼンチン



異色アルゼンチン音楽としてはずせないものがあります。

LES LUTHIERS(レ・リュチエ)という男性5人組。

はっきり言って日本人には細かい風刺や冗談(スペイン語では
これらを総称しChiste=チステと呼ぶ)はスペイン語理解力
が必要なのですが、
彼らの劇場パフォーマンス的な創作楽器を駆使した演奏姿は
音楽ファンにも楽しめると思います。

今年でちょうど結成40周年を迎える活動歴が示すとおり
アルゼンチンでの人気は相当なもので、大人から子どもまで大人気。

レコード、CD、DVDも多数発売されており、その昔日本でも
LPが出たこともあります。

余談ですが、某ボランティアでブエノスアイレス日本庭園にて活動
していた時のこと、初めてExpo. LUTHIERSという創作楽器エキスポ
を開催したら恐ろしいほどの来場者となり、庭園ホールは入場制限
するほどになりました。ガラクタみたいな手づくり楽器から本格仕様
の楽器までアルゼンチン人は音楽と楽器に対する興味と関心は相当な
もの、レ・リュチエの影響によるところも大きいのかな?と思いました。

ちなみに来場者はほとんどが普通の一般人と子供たち。
日本でだったら、なかなかこうは行かないのでは?と思ったり。
無料コンサートも多いお国柄で庶民が普通に音楽を楽しめる国なのです。

日本語の詳細は旅でご覧になった栗本斉さんの日記で読むことが可能。

Les Luthiers online(公式サイト)

Youtubeの動画

現地CDショップでは新譜CDやDVDは等身大看板が入り口に置かれるほど
大人気です。
さしずめ、昔のドリフターズ的なのかなぁ???

Coiffeur コワフール 「No Es ノ・エス(・・・ではなく)」

2007年07月21日 | アルゼンチン
現在はスペイン在住ながら、ウルグアイのテイストあふれる音楽でラテン・ポップス界
をリードし続けるホルヘ・ドレクスレル Jorge Drexler

タニィが在ア時代から絶賛する大好きなアーティストです。
(最近のホルヘはちょっと元気がなく、怪我で公演を休止したりと冴えない様子が
ちょっと心配)

→ このときは元気そう?アルゼンチンでの2007年公演



2005年に公開のチェ・ゲバラの若き日を描いた映画「モーターサイクル・ダイアリーズ」
で彼は主題歌「Al otro lado del ri'o」を手がけ、ラテンアメリカ音楽界初のオスカーを受賞
して以降、彼に続けと勢いある若手アーティストの台頭が目覚しいナ、と個人的に感じています。



  その中で奇抜なジャケットが目立ったCoiffeur(コワフール)の2nd.CD「No Es」。


   


詳細はLatina 7月号のディスコガイドに掲載されてますが、それ以外の情報を。

 Coiffeur(コワフール)は男性シンガーソングライターで、本名ギジェルモ・アロンソ、
Bs.As.州Moron出身でギター片手に歌う姿はまさに現代のパジャドール(吟遊詩人)。

最近のアルゼンチンのこの手のアーティストに多い傾向ですが公式サイトやCDジャケット
なども凝りに凝っていてとても、芸術的センスにも富んだ人という印象。

2007年6月にBs.As.のTrastiendaで開催されたNuevos Aires Folk07では初日出演
を果たし(ラスト日はフアナ・モリーナ)、その他今話題のアーティストとの共演や交流も多い。

公式サイト
魚をかたどったジャケのデザインそのままの美しいサイト。
アートに興味ある方にもぜひ見てもらいたい♪
(鳥っぽいジャケですが実は魚!)
TOPにビデオクリップ。ir a la webでEnter、
Pastillaというリンク集に交流アーティストの名前が。


●CDレーベル
Estamos Felices
こちらもアートあふれるサイトです。


COIFFEUR PRESENTA NUEVO DISCO
Ciudad.comのニュース記事。Coiffeurのインタビューとサン・マルティン公園での弾き語り
の様子がビデオで楽しめる。
ある意味レア。


※最新の活動については以下サイトにも告知あり。
http://www.treneshaciaafuera.com.ar/agenda/

FELIZ DIA DEL AMIGO!!!

2007年07月21日 | アルゼンチン
FELIZ DIA DEL AMIGO PARA TODOS!!!
(みなさん、友達の日おめでとう!!!)

うっかりしてました。
7月20日は毎年恒例、アルゼンチンの友達の日。
アルゼンチンの友人に言われてみて気づいた...汗!

日本が「海の日」フィックスで7月20日が祝日だった頃は
忘れたことがなかったんですが、最近はどうも...

これからもどうぞ、友達でひとつよろしくお願いしま~す...

参考サイト:
アルゼンチン共和国サンタ・フェ州の州都ロサリオにほど近い、
マキシモ・パスという街の公式サイト。


このサイトの
DÍA DEL AMIGO, feliz día a todos los Paceños -20 Jul 2007
にあるように、1969年7月20日に人類が月面着陸を果たした
ことから、、、というのがこの日が友達の日になった由来の一端
だそうです。(去年か一昨年の日記に書いたと思うけど忘れた~)

ま、そういうことです。

Muy feliz!!!

火星人はいかが?

2007年07月19日 | アルゼンチン
この日記以前消えてしまったのでリベンジ再投稿。

-------------

世界同時多発テロが発生した2001年末、アルゼンチンは経済破綻しました。
預金封鎖という囲い込みが起こり、国民の怒りは頂点!
銀行が焼かれたり、デモで民衆が警官と衝突したり、と一気に不満爆発!でした。

その当時の人々、特に若者たちのすさんだ気持ちや経済の状況などをアニメーション
でシニカルに描いた映画作品があります。



映画『火星人メルカーノ』(UPLINK 2002)

歴史を描く時、良い歴史の記録は比較的残りやすいのですが、負の歴史については、
なかなか皆目を伏せたがったり、意外と残っていないものです。
そんなことから、このアニメで痛烈に風刺した若者の視点というのは貴重でなおかつ
分かりやすくて良いなと思っています。

注意:中にかなりグロい(グロテスク)なシーンが描かれています。
結構グロい...ので人によっては嫌悪感を感じるかも。

なんと太っ腹なことに『火星人メルカーノ』がYahoo.動画にて無料配信中!!!

アルゼンチンに火星人!? ブラックユーモア満載の新感覚SFアニメ

タニィは過去の日記(2005年05月14日)でも紹介していますが、結構マイナーな作品と
思っていただけに、Yahoo!動画で取り上げられるとはすごく意外です。

音楽担当はアルゼンチンのエレクトリック音楽シーンで活躍、2004年~ロック界の
スーパースター、グスターボ・セラティのバンドでキーボード奏者として参加もしている
レアンドロ・フレスコ Leandro Fresco


Luz Sin Calor

映画にとてもぴったりはまった彼のパタゴニア育ち的、音楽感性が堪能できます。

メルカーノのキャラや色使いも結構好きです。
どことなく、アルゼンチン音響派と呼ばれているF.カブサッキフアナ・モリーナ
PV的アニメーション音楽作品「アニマドス・ムシカレス」(DVD有り)に感性が似てる
気がします。

ぜひチェックしてみてください。


「火星人メルカーノ」DVD (UPLINK)







Goooooooooooooooooolllll!!!!

2007年07月13日 | アルゼンチン

夏のバーゲンでゲットした'07アルゼンチン代表ユニフォームわん。



南米サッカーリーグ戦、アルゼンチンVSメキシコ終了直後、
友人からメールが!

---------
HOLA!お久しぶり。

たった今、copa americaの試合が終わってアルゼンチンが勝ったところです。

外は花火が上がってます

今度の日曜日にはブラジルとの決勝、さぁ、どうなるでしょうねぇ

聞いたと思いますが、この前の月曜日9de Julioには90年ぶりにブエノス、
で雪が降りました
ちょこっとですが、薄っすらと積もりました。
町中が休日だったこともあって、なんだか盛り上がってました

最近、物価が異常に上がったり、この寒いのにガスと電気が不足とかで
ガスの供給が減って不満と不安ムードいっぱいだったので
少しでも明るい話題が必要なんだなって思います
なんとしてもブラジル戦に勝ってほしいものです

では、サッカーで叫んだ私でした

--------------

寒くても、冬でも、サッカー勝ったら打ち上げ花火!!!です。

TVでメッシやサビオラの素晴らしいシュートに感動、やはり上手いわ!

とアルゼンチンチームを改めて評価したのでした。

ブエノスアイレス、約90年ぶりの雪

2007年07月10日 | アルゼンチン
アルゼンチンは「Di'a de la Independencia 独立記念日」の7月9日、
ブエノスアイレス郊外で40数年ぶりに雪が降ったそうです。
もちろんパタゴニアやバリローチェなどは寒い地域なので毎年雪が見られますが
ブエノスアイレス郊外(Gran Buenos Airesといった地域)で雪が降るのは珍しく
ロサリオや首都圏では寒さによる死者も出たそうです。

続報:ブエノスアイレス市でも約90年ぶりに雪が降ったそうです。
交通網にも影響が出ている様子。
(以下TerraのTelamニュースより:防備録的に転載しています。)

gooニュース
南米で寒波、3人が死亡=ブエノスアイレスでは89年ぶりの雪(写真有り)

いや~、地球の裏側を見つめていると改めていつも実感するのが『地球全体、異常気象ですね~』ということ。
日本の気候の険しさ、厳しさもだんだんと大陸的になっています…それにつれて国民性も?!

Buenos Aires, 9 de julio de 2007 - 11:42 hs.
Última actualización 12:30

Frío polar
Nieve en gran parte del país
La ola de frío polar generada en la Patagonia golpea en gran parte del país, especialmente en el oeste y el centro del territorio nacional. Ciudades como Pergamino, Córdoba y La Rioja amanecieron nevadas. Muertos en Rosario y Capital Federal.


La Rioja amaneció completamente nevada.(Télam)
Intensas nevadas se registraban esta mañana en grandes sectores del centro y oeste del país y en la cordillera andina, hay rutas cortadas y varios micros de larga distancia que van hacia el oeste permanecen varados en la terminal cordobesa de Río Cuarto a la espera de mejores condiciones meteorológicas.

Un vocero del Servicio Meteorológico Nacional (SMN) dijo a Télam que "esta mañana se están produciendo intensas nevadas en el oeste de la provincia de Buenos Aires y en las provincias de Córdoba, San Luis y Mendoza".

"Ciudades como Pergamino, Laboulage, Río Cuarto, Córdoba Capital, y varias localidades puntanas y mendocinas amanecieron totalmente blancas con una espesa capa de nieve", agregó. El fenómeno de frío y nieve, ya previsto en el alerta meteorológico vigente para toda el área cordillerana, se origina en una masa de aire polar ingresada desde hace tres días por la Patagonia.
En tanto, en Río Cuarto, provincia de Córdoba, más de 500 pasajeros de micros partidos ayer desde Retiro permanecían varados en la terminal a la espera de una mejora en las condiciones meteorológicas.

Gonzálo Fernández, uno de los pasajeros que tenía como destino la ciudad de San Juan dijo a Télam que "la ciudad de Río Cuarto esta mañana está completamente blanca, hay una capa de más de 10 centímetros de nieve en las calles y los choferes decidieron esperar en la terminal a que mejore el tiempo".

"La ruta ya se había vuelto patinosa y era mucha la nieve que estaba cayendo", agregó. Fernández afirmó que "son más de 500 los pasajeros que pasaron la noche en la terminal de Río Cuarto" por esta situación y estimó que su viaje que debía culminar hoy a las 7 en la ciudad de San
Juan "con mucha suerte y buen tiempo" finalizará "a la medianoche".

Muertes en Rosario y Capital Federal

Hasta el momento, se informó de dos muertes por causa de la ola de frío polar. Una de ellas se registró en la Capital Federal y otra en la ciudad santafesina de Rosario.

En el primer caso, se trata de un indigente aún no identificado cuyo cuerpo fue encontrado entre cartones en la esquina de Chacabuco e Independencia, en el barrio de San Telmo. No había rastros de violencia.

El segundo caso fue el quinto en Rosario por causa de las bajas temperaturas. También se trataba de un indigente, no identificado aún, y fue encontrado en la zona sur de la ciudad, en las inmediaciones de Avenida Alvear y 27 de Febrero.

Télam

------------
Buenos Aires, 9 de julio de 2007 - 15:50 hs.
Última actualización 20:58

También en Capital
Nevó en Capital y Buenos Aires después de casi 90 años
Es por la ola polar que cubre gran parte del país. La Capital y gran parte de la provincia se cubrieron de blanco. Las bajas temperaturas se mantendrán unos días. Recomendaciones para circular.

Frente a la Catedral, pero porteña, una mujer desafía la nieve.(Télam)
Miles de porteños y bonaerenses tuvieron un 9 de julio especial e histórico por una nevada leve pero persistente que cayó sobre la ciudad de Buenos Aires y gran parte del conurbano, en un fenómeno que no ocurría desde 1918, lo que llevó a los habitantes del área metropolitana a salir con todo tipo de cámaras para eternizar la llegada del inusual fenómeno, que también sorprendió a los meteorólogos.

Después de la caída de aguanieve o nevisca durante la mañana, a partir de las 14 el fenómeno comenzó a intensificarse en la ciudad de Buenos Aires hasta derivar en copos de nieve, que al llegar al suelo se deshacían, porque todavía la superficie no estaba los suficientemente fría para conservarlos.

En comunas del gran Buenos Aires, como Ituzaingó o Ezeiza, la incipiente nevada comenzó a acumularse en las copas de los árboles y en los automóviles, lo mismo que en barrios linderos de la ciudad de Buenos Aires.

Jorge Leis, del Servicio Meteorológico Nacional, dijo a Télam que "el fenómeno se originó en la irrupción de aire polar en los niveles medios de la atmósfera y a la baja temperatura existente en la superficie, lo que impidió que los copos de disolvieran al acercarse a la tierra". Esta situación, precisó, "se prolongará hasta la madrugada del martes y es posible que comience a acumularse nieve hacia la noche, cuando la temperatura comience a descender aún más".

Leis puntualizó que este "miércoles y jueves se esperan temperaturas mínimas de cero grado pero la irrupción del aire polar sólo durará hasta las seis de la madrugada del martes aproximadamente, por lo que no está previsto que ocurran nevadas mañana".

"Las temperaturas más frías estan por venir en los próximos días, debido a la acción de los vientos y la humedad, pero los copos de nieve caerán sólo hasta esta madrugada", aseguró el meteorólogo. Los porteños y bonaerenses, al notar que el aguanieve se transformaba en copos, comenzaron a salir a las calles abrigados con gorros y bufandas para sacarase fotografías.

En Villa Devoto decenas de vecinos ocuparon las esquinas y el tránsito se interrumpía en varias avenidas de ese barrio, donde los mismos automovilistas paraban sus vehículos y hacían sonar sus bocinas para festejar.

En Lomas de Zamora, decenas de personas celebraron en las calles, algunos con tablas de snowboard y sus perros San Bernardo y siberianos, mientras los jóvenes sacaban fotografías con sus celulares En el gran Buenos Aires, cayó nieve en Quilmes, Avellaneda, La Matanza, Lomas de Zamora, Ituzaingó, Ezeiza, Tigre, Pilar, Escobar y en La Plata, entre otras comunas, donde se podía ver los copos acumulados en los árboles, las calles y los techos de automóviles.

En la ciudad de Buenos Aires, la temperatura más baja fue de 1,4 grados y una sensación térmica de 3 grados bajo cero en horas de la mañana, mientras que en algunas zonas del conurbano la acción del viento originó temperaturas más bajas.

Este fenómeno se repitió en el norte de la provincia de Buenos Aires, como en Pergamino, donde muchos habitantes salieron a las calles para intentar armar muñecos de nieve, y en Baradero, Junín, Zárate y San Nicolás.

La nevada más intensa que cayó sobre Buenos Aires se registró en junio de 1918, cuando se acumuló en las calles y en las copas de los árboles, y en 1928 y 1967 hubo fenómenos similares, pero en forma de aguanieve o nevisca.

En esa época, Buenos Aires no vivía el fenómeno actual que los meteorólogos llaman "isla de calor", por el cual la creciente urbanización hace que la temperatura terrestre se eleva e impide la acumulación de nieve.

Leis destacó que "es frecuente la irrupción de aire polar en los niveles medios de la atmósfera, sólo que los copos al llegar a la superficie se disuelven".

En el centro y oeste del país

Intensas nevadas se registraban esta mañana en grandes sectores del centro y oeste del país y en la cordillera andina, hay rutas cortadas y varios micros de larga distancia que van hacia el oeste permanecen varados en la terminal cordobesa de Río Cuarto a la espera de mejores condiciones meteorológicas.

Un vocero del Servicio Meteorológico Nacional (SMN) dijo a Télam que "esta mañana se están produciendo intensas nevadas en el oeste de la provincia de Buenos Aires y en las provincias de Córdoba, San Luis y Mendoza".

"Ciudades como Pergamino, Laboulage, Río Cuarto, Córdoba Capital, y varias localidades puntanas y mendocinas amanecieron totalmente blancas con una espesa capa de nieve", agregó.

El fenómeno de frío y nieve, ya previsto en el alerta meteorológico vigente para toda el área cordillerana, se origina en una masa de aire polar ingresada desde hace tres días por la Patagonia.

En tanto, en Río Cuarto, provincia de Córdoba, más de 500 pasajeros de micros partidos ayer desde Retiro permanecían varados en la terminal a la espera de una mejora en las condiciones meteorológicas.

Gonzálo Fernández, uno de los pasajeros que tenía como destino la ciudad de San Juan dijo a Télam que "la ciudad de Río Cuarto esta mañana está completamente blanca, hay una capa de más de 10 centímetros de nieve en las calles y los choferes decidieron esperar en la terminal a que mejore el tiempo".

"La ruta ya se había vuelto patinosa y era mucha la nieve que estaba cayendo", agregó.

Fernández afirmó que "son más de 500 los pasajeros que pasaron la noche en la terminal de Río Cuarto" por esta situación y estimó que su viaje que debía culminar hoy a las 7 en la ciudad de San Juan "con mucha suerte y buen tiempo" finalizará "a la medianoche".

Télam

クラウディアをよろしく♪

2007年07月09日 | アルゼンチン
元THE BOOMの宮沢和史氏が率いる新バンド、GANGA ZUMBA(ガンガ・ズンバ)

  THE BOOMの宮沢和史をボーカルに、高野寛、マルコス・スザーノなど、国籍も言語も
 音楽的バックグラウンドも異なる個性派ミュージシャンたち9人によるバンド。海外でも
 積極的に活動を行ない、2005年はヨーロッパ、中南米10カ国をツアー。
 さまざまな要素がミクスチャーされたオリジナルの音楽、グルーヴは各国で高い評価 
 を得ている。


このメンバーに日系アルゼンチン人の大城クラウディアがいる。


  

在ア時代に奉公した職場Jardin Japones(日本庭園)や友人の職場、OKIREN(沖縄連合会)...といった会場で定期的にコンサート・イベントを開催していたが、そこでさっちゃんこと大城クラウディアは、他のメンバーたちとJINSHU(人種)やSEDAI(世代)などの沖縄ポップス系バンドのボーカルとして歌っていた。

なにせ歌がずば抜けて上手く、ラテンの世界において可憐な日本人らしさをもつ彼女は、当時から存在感を放っていた。
のど自慢や歌コンテストで上位に名を連ねるのも常連、日本語も完璧で、「日本でデビューしたらいいのにねぇ」なんて話題の女性だった彼女。

そして2002年、巨漢のアルゼンチン人気俳優・歌手のアルフレド・カセーレスがひょんなことから日本食レストランで聞いた、宮沢和史氏の「島唄」に魅せられ、「SHIMAUTA」をアルゼンチンにてリリース。
2002年はW杯日韓共同開催の時期で、アルゼンチン人のカセーレスが全歌詞を日本語で歌い、話題となったのだけど、このメンバーにクラウディアらが参加している。

「SHIMAUTA」のPVでは映像の後半、草原でクラウディアが清々しくカチャーシーを踊るシーンを見ることが出来、またメンバーの三線演奏も見られる。
またカセーレスらメンバーが青い地球をバックに歌ったり熱帯魚が飛び交ったり、オタクっぽいアニメな映像の不思議キャラが登場したり...と、日本人からは「?なイメージ」映像も。
『アルゼンチンから最も遠い「不思議の国・日本」の島の歌』...のイメージってこんな感じ?

日本=アニメ・漫画・オタク、のイメージはアルゼンチンでも10年くらい前には既に認識されてて、コミックショップとかもあったのを思い出した。
日本語を勉強するアルゼンチン人たちもアニメや漫画がきっかけ...という人が多い。


カセーレスはこの『SHIMAUTA 島唄』ヒットがきっかけで、はるばる日本から宮沢和史が来ア、ブエノスアイレス市内にある前述(タニィ元職場の)日本庭園で、デュエット・コサートを開催した。
そのとき日本庭園は足の踏み場もないほど現地っ子たちであふれかえっていた。

さらに年末にはアルフレッド・カセーレスはNHKの紅白歌合戦にも出場。
恐らく、アルゼンチン人では初出場だったんだろうナァ。。。衛星放送で現地アルゼンチンでもNHKが見られるようになってて、まじめなカセーレスはあの時ちょっと緊張し過ぎ?力入り過ぎ?の歌いぶりがかわいそうなくらいだったが...


...もとい、そんな日本-アルゼンチン友好の影の協力者、クラウディア。
最近彼女がソロ・アルバムを制作したそう。自身のルーツである沖縄民謡の修行をして、歌唱力にさらに磨きをかけ、これからの活躍が楽しみ。。。

大城クラウディアのMy Spaceで彼女の歌が2曲試聴出来る。

GANGA ZUMBAの My Space / 公式サイト


8月~は、GANGA ZUMBAのコンサート活動も開始!
全国の会場で彼女の姿を見ることが出来るし、夏の各フェスティバルにも出演し、大忙しだ。



★GANGA ZUMBA LIVE TOUR 2007

 8月21日(火) オルガホール(岡山)
 8月24日(金) 新潟LOTS(新潟)
 8月28日(火) イムズホール(福岡)
 8月30日(木) 高知BAY5 SQUARE(高知)
 9月2日(日) SHIBUYA-AX(東京)
 9月5日(水) 広島CLUB QUATTRO(広島)
 9月6日(木) ダイアモンドホール(名古屋)
 9月8日(土) なんばHatch(大阪)



★FESTIVALES Y EVENTOS

 -MEET THE WORLD BEAT 2007
 7月22日(日)万国博記念公園もみじ川芝生広場

 -サッポロ・シティ・ジャズ
 GANGA ZUMBA in White Rock supported by SOUND CREW OTARU
 8月2日(木) Music Tent WHITE ROCK(中島公園)

 -SUMMER SONIC 07
 8月11日 東京・千葉マリンスタジアム&幕張メッセ
 8月12日 大阪・舞州サマーソニック大阪特設会場

 -インターナショナルサマーフェスタ“九州バイラ007”
 8月19日(日) 長崎鼻リゾートキャンプ場(大分県豊後高田市)

 -JA KYOSAI Presents RADIO BERRY ベリテンライブ2007 Special
 9月16日(日) 井頭公園・運動広場(栃木県真岡市)


コンサートに行かれたら、大城クラウディアに声をかけてみてください♪

チャランゴの魔術師のプロフィールみっけ!

2007年07月05日 | アルゼンチン
結局演奏を聴くことも、ご本人にお会いするチャンスも
逃してしまって、7月3日に日本を発ってしまったはずの

チャランゴの魔術師さんルイス・ベラスケス氏のプロフィール
を今頃見つけました。

実は、同じくフォルクローレ演奏家ルイス・カルロス・セベリッチ氏
(日本在住、ロス・トレス・アミーゴスの)からご連絡頂き、6月末
のルイス・ベラスケス氏引率ツアー(鼓奏者との共演『和と亜のコラボ』
コンサート)のお手伝いをする?という話があったのですが、あまり
にも中途半端な遠方で一晩家をあける必要もあり、それは困ると今回は
パスしました。

残念。

ルイス・カルロス・セベリッチ氏&ルイス・ベラスケス氏経歴:

四川料理レストランのイベント案内より転載。
他に詳しい経歴掲載資料がないので防備録的に転載させて頂きます。)


●ルイス・カルロス・セベリッチ (ヴォーカル・ギター)

 南米ボリビア、バージェグランデ生まれ。
 
 69年、グループロス・ライカスを結成。
アルゼンチンを拠点に活動。
爆発的人気を呼び、LP9枚をリリース、うち3枚を日本ビクターから発売。

 79年、アルゼンチンタンゴの巨匠、
オズバド・プグリエーセ楽団と共演。ツアー活動で日本を縦断。
ロスアンジェルシ、ニューヨークなどアメリカ各地でも公演し、
この年、ゴールドディスク賞を受賞。

 83年ロス・ライカスから独立活動の場を日本に移し、
日本初のフォルクローレグループ「カンタティ」を結成。
日本でのフォルクローレ演奏家の誕生に大きな影響を与える。

 その後、現在のロス・トレス・アミーゴスのリーダーとして
演奏活動を開始。数々の名曲を作詞、作曲、演奏。
CD4枚をリリース。日本全国でのコンサート、ライブの他
学校コンサート等で本物のフォルクローレを紹介している。

 05年7月には新潟県見附市において、
震災復興支援チャリティーコンサートを行い、被災者の皆さんに
大好評を得る。
最近ではNHK BSふれあいホールで八代亜紀さんと共演している他、
スペイン語講座にもたびたび出演。

 ソロとしてもTV、ラジオ、CMに数多く出演。
また、日本音楽集団の委嘱により、
尺八と琴のために「プヤ・ライムンディ」を作曲。
その才能は高く評価される。
歌唱においてもサッカーキリンカップ、日本代表対ボリビア代表の試合で
6万5千人を前に祖国の国歌を独唱したのをはじめ、
コスタリカ、ホンジュラスとの親善試合においても両国の国歌を独唱。



●ルイス・ベラスケス (チャランゴ奏者)

 1975年アルゼンチン・フフイ生まれ。
 
 ボリビア人の祖父の影響で、6歳からチャランゴを始め、
めきめきとその才能をのばした。

 現在は、アルゼンチンで最も注目されている若手チャランゴ奏者である。
その華麗な奏法は、
「チャランゴの ”魔術師 ”」と呼ばれ、絶賛されている。

 1998年アリエル・ラミレス作曲・指揮「ミサ・クリオージャ」公演のため、
クワルテート・デ・ロス・アンデスの一員として来日。
東京赤坂サントリーホールにて、皇太子ご夫妻ご臨席のもと、演奏。

 2007年第1回ラテンアメリカの子供達のためのチャリティー
「セナ・デ・アモール、ボリビアの夕べ」に出演のため再来日。
明治記念館にて、常陸宮ご夫妻ご臨席のもと、歌手布施明、
ロス・トレス・アミーゴスらと共演。

 また、一流ミュージシャンの海外ツアーにも数多く参加し、
アメリカ、メキシコ、ウルグアイ、イスラエル、スペイン、オーストリア、
フランス、スイスなど各国でも活躍している。

 アメリカツアーにおいては、
ニューヨークのカーネギーホールにて演奏。
 
 ヨーロッパツアーにおいては、ロンドンBBC放送出演の他、テノール歌手の
プラシド・ドミンゴとも共演し、好評を博す。