goo blog サービス終了のお知らせ 

お笑い神秘学

まじめに神秘学を学ぶためのノート

ニートとボボズと第三の道

2006-11-01 16:29:21 | 冥府魔道
ども~ごぶさんしてまんにゃわ。

なんやかんやと野暮用が尽きまへんでね~
ここに書かなあかんこともいっぱいたまってんのやけど,
今日は短い時間でさらさら~と書ける話題にしませうかと‥

なんでかっちゅうと,脳を使いたくないんですわ
眠なるやろ‥
最近めっちゃよう寝てますねん。
晩メシ喰たら,コテンですわ。
まったく,28-ですわ。

ほんでねぇ,今日のネタはシュタイナーとほとんど何も関係ないんやけど,シュタイナーのカテゴリーに入れちゃおうかな,とちょっと思ったんやけど,やっぱり冥府魔道にしましたわ。
冥府魔道か第三の道か。その分かれ道。ってか。
でへへ‥(意味不明)

ほんまはシュタイナーネタ書きたいんやけどね,本を参照しながら書かなあかんもんやから,「シュタイナー寝た」になりますやん。
やん。‥

そんなわけで,とても身近な話題。ニートです。
この間の爆笑オンエアバトルのタイムマシーン3号は面白かったね。
 お前,誰だよ!?
ニートだよっっ!!
ここのところの,あのまん丸い奴の,ヤサグレ具合が抜群でした。
久々に受けましたわ。

そんなわけでニートの話題。てだけでもないんです。
この間の日曜の朝,爽やかに目覚めたら,秋晴れの朝陽の中に『中央公論』のニート特集が置いてありましてね。何気なく読んでたんですわ。
この号が出たときも読んだはずなんやけど,今回もっぺん読んだら面白かったんですわ。
三浦展の『下流社会』をその間に読んだからやと思います。
最初に『中央公論』の三浦展と本間由紀子やっけ?(東大の研究者)の対談読んだときは,三浦のおっさんが言いたいことあんまりようわからんかって,何じゃこいつ,って思てたんです。
その後『下流社会』読んで,ああ,そういう風にまとめてみたかったのね,と分かったんです。
ほんでもっぺん『中央公論』読んでみたら,二人の話のズレ具合がよく分かって面白かった。
あと,社会学かなんかやってる研究者(東大大学院生)の,ニートとボボズっていう比較がおもろかった。
ボボズいうてもね,賢いサルちゃいまっせ。  あれはボノボやがな!
大リーグの選手ともちゃいまっせ。   あれはバリー・ボンズやがな!
糊ちゃいまっせ。 それは木工用ボンドやがな! ボだけやんけ!! ボケっ!

ボボズっちゅうのは,一見ニート,でも金持ち。っていう,スティーブ・ジョブズやビル・ゲイツのことやそうです。え~と,つまりニートと似たようなことばっかりやってたくせに,大金持ちになっちゃった,って人達ね。
こういう人達は,1950年代までのorganization man(組織人・会社人間)のカウンター・カルチャーとして,遊びの本質である創造性がうまく経済と結びついた例なんやそうです。68年以降に初めて出現したこれらの人種をボボズと言うんやて。
ちょいとここでオモロいな~と思たんは,日本で「組織人」て言うた場合,普通にサラリーマンとかちょっと大きい所に勤めてるような勤め人を指して今でも使うわけやけど,イギリスなどでは,働き方の概念としては50年代までの旧社会のモデルとして終わってる言葉なんやね。

ほいでもって,2000年代の現在の問題は,かつてのボボズを生み出したような創造性が,経済市場と結びつかず,ニートに陥ってしまうことなんやと。この社会学者は言うてはります。
つまり三浦展は『下流社会』で,唄や踊り(芸術活動)にのめり込む女性は下流になると書いてたわけやけど,それに対してこの研究者は,そういう創造性こそがかつてはボボズを生んだと指摘している。それが現代はニートに堕してしまうということが問題なんや,と。

なるほどねえ~と思いましたわ。
そしたら昨日読んでた新聞(昨日の新聞やないと思うで)に,ニートは世界の先進国共通の現象で,世界の若者の13%余がニートなんやと。
そういえば,極東ブログで紹介してたニューズウィークにも「世界にあふれる高学歴難民」と書いてたし,コメントのリンク先http://www.diplo.jp/articles06/0605.html もフランスの下層インテリについて書いてた。
このフランスの記事は,なかなか具体的でリアリティがありますわ。
特に,フランスの場合は,今年のデモもあったけど,こういう若者(いうても,30代~40代も含むけど)達が特定の政治派閥を支持して,社会運動や社会活動にのめり込む,ってとこが特徴的やね。
つまり,現代の社会で会社や組織を牛耳ってるのがまさに,1968年世代のおっさん達で,奴らは自分らが散々,革命だの自由だのと好き放題な運動してきたから,今の若者達が自由や社会革命やと訴えても「わしらがすでに通った道やんけ。けっ。」つって歯牙にもかけず,自分の思想を持たない,インテリやない使いやすい奴らばっかりを雇用するんやて。
ちょっと生意気な意見なんかを持ってる若者は,バイトか研修生どまりで,インテリ層ほどその率が高いから,低収入であらゆるバイトを掛け持ち,その合間に社会運動にのめり込む若者が多いんやそうや。

それでやねえ,最近の「社会起業家」という,流行りというか現象がありますけど,これはフランスの例から考えるとわかりやすいでんな。
日本やとなんか,ニートから社会起業家への間に広~く深~い溝が横たわっていて,そこに高~い壁までありそうな感じがするんやけど。
だってな,あのやる気のないヤサグレたタイムマシーン3号のが,「世のため人のため」に起業をするなんて奇跡が,起きると思うかい?

そんなイメージがありますわな。
ニートとフランスの下層インテリを一緒にしたんなや,ちゅうのは思いますけどな。
ニートは働く「意志」もない人々,フランスのインテリ子さん達は意志は十分にあるけど,彼ら彼女らに相応しい職場が全く無い,って人々やからね。せやから自分らで自分らが満足して働ける社会を作ろうやんけ~,って,疲労しきった身体と時間を削りまくって,いそいそと社会活動に出掛けるんですわ。
けど,日本でニートって呼ばれる人達の中身も様々で,フランスのインテリ子さん達みたいなニートもおると思うんですわ。自分の能力とセンスに合致した職場が皆無やから,働く気力を失って家事手伝いにいそしんでる人達。
そういう奴らの中にも勘違いはおるけどね。能力の過信,過大評価,自己満足,身の程知らず,井の中の蛙。
せやけど,そうやない正直な人達も多いと思いますわ。

最近のオカルトブームは,その捌け口でもあると思いますわ。
そのほとんどが生温いぬるま湯のオカルトへ行ってしまうけどやね,
神秘学は「第三の道」と呼んでるように,資本主義でも共産主義でもない「第三の道」やったわけです。
ニートは超資本主義時代の現象やからね,共産主義もとっくに終わってしまったし,かつての資本主義も超資本主義へと変質してきてるわけやから,ここでまた第三の道が復活してくるのは,至極当然なわけですわ。
環境,福祉,精神,これらすべて第三の道が目指して来たものなわけですが,今の社会起業家たちも,皆めざしてるのはこれですな。
徐々に第三の道へとシフトしてるってことですかな。
せやけど,第三の道は「儲からん」。
これがネックやったわけです。
儲からんでもせめて親子三代が喰っていける程度にまで,社会起業家たちが本当にめざしているものと経済とを結びつけることができたら,それで世の中良くなりますんやろか?
それは断言はできまへんけど,結局のところ,残されてる道は第三の道しかない,ってことは明らかやと思いますねんけどな。

その足を常に引っ張ってきたのは,現実の社会なんですわ。
いつまでそれが続くのか分かりまへんけど,これまで述べてきた宇宙の進化からも分かるように,人間は徐々に進化していくものやから,わてら自身一人一人が,生きてるうちに,徐々に進化させて行くしかないと思いますねんけどな。
それが歴史なんですわ。
足を引っ張るものは「抵抗」であり「摩擦」であり,地球が月紀から進化してきた段階で宿命づけられてる,物質が持つ負の力なんですわ。
それに屈することは惰性であり,屈しないことが意志であり自我の力なんですわ。
弱い自我やと屈してまい,ぬるま湯のオカルティック・ニートに堕してしまいます。
わてらの時代(アトランティス紀以後)の地球人の使命は,自我を鍛えることで魂の自由を獲得することにありますんで,この現実の物質社会の修羅場でどれほど修行できるかにかかってるわけなんです。
せやから,センチメンタルな癒される雰囲気に浸ってても,全然,魂は進化しまへん。泥にまみれんとあかんのです。

そんなわけで,フランス人,がんばれよ~
て,思てますねん。

アウトサイダー

2006-09-05 17:15:46 | 冥府魔道
あーこわこわ
こわいから連続投稿。

アウトサイダーは別に「冥府魔道」とちゃいますけどね,まあしとしとぴっちゃんはアウトサイダーやったし,えっか。ちゅうことでね。
カテゴリーに「ね黒の未婚」一個しか記事が無かったらめっさ怖いやろ。
ほんで,このアウトサイダーの話も,コリン・ウィルソンの「ね黒も未婚」の本の中にあったんやけども。

黒いサイダーちゃいまっせ。 そら,コーラやないか!

コリン・ウィルソンの「アウトサイダー」って本ありますやろ。デビュー作かな。
スプライトとファンタと三ツ矢サイダーを比較して,仲間はずれはどれや?っちゅう本。
ちゃう。
ちゃうちゃう

「アウトサイダーとは,現実世界を堪えがたいと思うロマン主義者のことだ。わたしは『アウトサイダー』で,-中略-ドストエフスキー,ヴァン・ゴッホ,ニーチェ,グルジェフといった人物に専念したーこういった人びとはすべて,人間存在のつまらなさや無益さについて,何かできるはずだということをにおわせている。幻想文学の作家といえば,現実に背を向けて,現実が消えることを願っているにすぎない。その結果,トルストイやドストエフスキーのようなモラル面での偉大さに達することはない。-後略-」
「わたしは現代文明を嫌悪する発作のようなものに襲われながら,ロンドンじゅうを歩きまわったものだ。しかしこの態度が否定的なものーほとんど自殺にいたりかねないものーであることを意識していた。そして二十三歳で『アウトサイダー』を執筆しはじめたころには,問題がいかにして守勢に立つのをやめるか,つまり古い価値観を保とうとするのではなく,いかにして新しい価値観をつくりだすかであると,はっきりわかっていた。」
「(人間の無益な性質に対してたいていの人達と受けとめ方が違う理由の)答えは,人類の少数ー正確にはおよそ5パーセントーが,目的を求めてやまない強い生得の欲求をもっていることであるように思える。これは『支配的5パーセント』として知られ,同じ数字が動物の集団にもあてはまるようだ。どうしてそうなるのかは,誰にもわからない。おそらくラブクラフトなら,純粋に生物学的なものだと言うことだろう。種が生きながらえるためには日々の生活に必要とされるものの彼方に突き進む心理的動因を,一部のものが備えていなければならないのだ。さもなくば,ある程度の満足と安定に達すると,速やかに堕落してしまう。事実,歴史をふりかえれば,贅沢な暮らしができるようになると,国家が『弱体化』することがわかる。しかしそうした国家もしばしば偉大な文明を生み出しつづける。これは『支配的5パーセント』が満足することを知らない心理的動因を備えているからなのだ。繰り返すが,そういう人びとは目的を求めてやまない生来の強い欲求を備えている。
 彼らが生活環境によって目的を奪われると,挫折感にさいなまれて自殺するというのは,奇妙な結果である。これが『アウトサイダー』の基本的な物語なのだ。彼らは目的を見いだすまで,自殺しかねない鬱状態に苦しみ,発狂寸前であるかもしれない。そして目的感は奇妙な形をとることもある。たとえばクウェイカー教の創始者ジョージ・フォックスは,「血にまみれたリッチフィールドの町に災いあれ」と叫びながら町を歩いたし(現代ならただちに一番近くの精神病院に収容されるだろう),アラビアのロレンスは第一次大戦後に変名をつかって英国空軍の一兵卒になった。
 注意していただきたいが,わたしは支配的5パーセントが挫折した天才であると主張しているわけではない。愚かにも支配力をふるうことで暴漢になるかもしれない。不誠実なために,詐欺師になるかもしれない。性欲過剰なあまり,色情狂やニンフォマニアになるかもしれない。組合の職場委員,特務曹長,ポップ・シンガー,活躍する実業家のすべてが,この支配的5パーセントに属する。無益感にうちひしがれて破滅した少数の『アウトサイダー』について,興味深い本が著わせるだろう。-後略」

長々と引用したのはですな~,わてもアウトサイダーやからですねん。
ちなみに,神秘学もアウトサイダーですねん。ニーチェの自由の哲学と同じ,ロマン主義の産物やからね

ね黒の未婚

2006-09-05 16:28:33 | 冥府魔道
ほんまねぇ~,怖いんでっせ。
何が,って,これでんがな。「ね黒の未婚」。
もう,タイトルだけで怖そうでっしゃろ。
いややね~ん,怖いの。こわいの嫌いやね~ん。
根黒の未婚でググろうと思ったらサファリ落ちるしね,
いや~呪いやー,祟りやー,キャーキャー
って,思いますねん。

カテゴリーも,しとしとぴっちゃんしとぴっちゃん。し~と~ぴっちゃん。作りましたけどね。
ほんまは作りたくないんですわ。
子連れ狼は好きですけどね。
神秘学と悪魔学は別々のものですねんわ。
悪魔こわいね~ん

せやけど,なんで怖いくせに書いてるかっちゅうとやね,
まだ全部読んでないんですよ「ね黒の未婚」。
でもあまりに怖いからね,ここに書いて悪魔祓いしようかと。
っちゅうわけやないんですけど,怖いの一人で持っててもよけ怖いや~ん
せやから,お裾分け。

結局ね,「ね黒の未婚」て何やねん,ちゅうのが,「ね黒の未婚」の本読んでもなかなかわからへんのどす。
半分以上読んで,ようやく分かってきたんやけどね。
でも,わてが説明するよりもwikiの引用の方が短くてすみそうやから,そうするわ。
---
ネクロノミコン(Necronomicon)は、怪奇作家ハワード・フィリップス・ラヴクラフトの一連の作品に登場する架空の書物である。ラブクラフトが創造したクトゥルフ神話の中で重要なアイテムとして登場し、クトゥルフ神話を書きついだ他の作家たちも自作の中に登場させ、この書物の遍歴を追加している。
---
ちなみに,
---
クトゥルフ神話(クトゥルフしんわ、Cthulhu Mythos)は、ハワード・フィリップス・ラヴクラフトの描いた小説世界をもとに、後の多くの作家たちによって作り上げられた架空の神話体系。クトゥルー神話、ク・リトル・リトル神話とも表記される。邪神の名前である「Cthulhu」は、本来人間には発音不能な音を表記したものであり、クトゥルフやクトゥルーなどはあくまで便宜上の読みである、とされる。ラヴクラフトから彼の遺著管理者に指名されたロバート・バーロウによると、ラヴクラフト自身はKoot-u-lewと発音していたそうである。
太古に地球を支配していたが現在は地上から姿を消している、強大な力を持つ恐るべき異形のものども(旧支配者)が現代に蘇るというモチーフを主体とする。中でも、旧支配者の一柱であり、彼らの司祭役を務めているともされる、太平洋の底で眠っているという、タコやイカに似た頭部を持つ軟体動物を巨人にしたようなクトゥルフは有名である。
---

ちゅうこっちゃねんけど,これが実は架空の書やない,ちゅうのがコリン・ウィルソンたちの説なわけや。
---
1973年には、アウルズウィック・プレスが贋作と明言した上で『アル・アジフ』を出版。これは全ページをアラビア風文字(?)の無意味な羅列で埋め尽くしただけのもので、コレクターズアイテム以上のものではなかった。
1993年、ジョージ・ヘイが、ジョン・ディー版からの翻訳というふれこみで『魔道書ネクロノミコン』を出版。序文をコリン・ウィルソンが書いている。この本には、実存しているジョン・ディーの暗号文書をコンピュータ解析によって解読したというものが載せられている。その内容は「驚くべき事に」ジョン・ディーの時代より数百年後に描かれたラヴクラフトのクトゥルー神話の内容と合致している。この「解読結果」が、作者や関係者のネクロノミコンに対する所見と、「解読」に至るまでの経緯などと共に、「ネクロノミコン断章」と銘打たれて収められている。
それまでに出版された『ネクロノミコン』に不満を感じていたドナルド・タイスンは、2004年に『ネクロノミコン アルハザードの放浪』を出版。ラヴクラフトが作中において『ネクロノミコン』からの引用として記述した文章を全て盛り込み、より設定に忠実な再現を試みている。
---

もちろん,わてとしては「ね黒の未婚」がラブクラフト創作の架空の書物やったら面白くもなんともないわけで,あくまで西洋の「竹内文書」と思てるねんけど,そうやとしたら「ね黒の未婚」に書かれた宇宙の超古代は,神秘学の言う超古代とは別物でちょっと怖すぎるねん。
「ね黒の未婚」の内容がブラヴァツキーの「秘密の教義」に似てるらしいねんけど,それはう~んどうなんやろう,って思てるねんけどな。