ども~ごぶさんしてまんにゃわ。
なんやかんやと野暮用が尽きまへんでね~
ここに書かなあかんこともいっぱいたまってんのやけど,
今日は短い時間でさらさら~と書ける話題にしませうかと‥
なんでかっちゅうと,脳を使いたくないんですわ
眠なるやろ‥
最近めっちゃよう寝てますねん。
晩メシ喰たら,コテン
ですわ。
まったく,28-ですわ。
ほんでねぇ,今日のネタはシュタイナーとほとんど何も関係ないんやけど,シュタイナーのカテゴリーに入れちゃおうかな,とちょっと思ったんやけど,やっぱり冥府魔道にしましたわ。
冥府魔道か第三の道か。その分かれ道。ってか。
でへへ‥(意味不明)
ほんまはシュタイナーネタ書きたいんやけどね,本を参照しながら書かなあかんもんやから,「シュタイナー寝た」になりますやん。
やん。‥
そんなわけで,とても身近な話題。ニートです。
この間の爆笑オンエアバトルのタイムマシーン3号は面白かったね。
お前,誰だよ!?
ニートだよっっ!!
ここのところの,あのまん丸い奴の,ヤサグレ具合が抜群でした。
久々に受けましたわ。
そんなわけでニートの話題。てだけでもないんです。
この間の日曜の朝,爽やかに目覚めたら,秋晴れの朝陽の中に『中央公論』のニート特集が置いてありましてね。何気なく読んでたんですわ。
この号が出たときも読んだはずなんやけど,今回もっぺん読んだら面白かったんですわ。
三浦展の『下流社会』をその間に読んだからやと思います。
最初に『中央公論』の三浦展と本間由紀子やっけ?(東大の研究者)の対談読んだときは,三浦のおっさんが言いたいことあんまりようわからんかって,何じゃこいつ,って思てたんです。
その後『下流社会』読んで,ああ,そういう風にまとめてみたかったのね,と分かったんです。
ほんでもっぺん『中央公論』読んでみたら,二人の話のズレ具合がよく分かって面白かった。
あと,社会学かなんかやってる研究者(東大大学院生)の,ニートとボボズっていう比較がおもろかった。
ボボズいうてもね,賢いサルちゃいまっせ。 あれはボノボやがな!
大リーグの選手ともちゃいまっせ。 あれはバリー・ボンズやがな!
糊ちゃいまっせ。 それは木工用ボンドやがな! ボだけやんけ!! ボケっ!
ボボズっちゅうのは,一見ニート,でも金持ち。っていう,スティーブ・ジョブズやビル・ゲイツのことやそうです。え~と,つまりニートと似たようなことばっかりやってたくせに,大金持ちになっちゃった,って人達ね。
こういう人達は,1950年代までのorganization man(組織人・会社人間)のカウンター・カルチャーとして,遊びの本質である創造性がうまく経済と結びついた例なんやそうです。68年以降に初めて出現したこれらの人種をボボズと言うんやて。
ちょいとここでオモロいな~と思たんは,日本で「組織人」て言うた場合,普通にサラリーマンとかちょっと大きい所に勤めてるような勤め人を指して今でも使うわけやけど,イギリスなどでは,働き方の概念としては50年代までの旧社会のモデルとして終わってる言葉なんやね。
ほいでもって,2000年代の現在の問題は,かつてのボボズを生み出したような創造性が,経済市場と結びつかず,ニートに陥ってしまうことなんやと。この社会学者は言うてはります。
つまり三浦展は『下流社会』で,唄
や踊り
(芸術活動)にのめり込む女性は下流になると書いてたわけやけど,それに対してこの研究者は,そういう創造性こそがかつてはボボズを生んだと指摘している。それが現代はニートに堕してしまうということが問題なんや,と。
なるほどねえ~と思いましたわ。
そしたら昨日読んでた新聞(昨日の新聞やないと思うで)に,ニートは世界の先進国共通の現象で,世界の若者の13%余がニートなんやと。
そういえば,極東ブログで紹介してたニューズウィークにも「世界にあふれる高学歴難民」と書いてたし,コメントのリンク先http://www.diplo.jp/articles06/0605.html もフランスの下層インテリについて書いてた。
このフランスの記事は,なかなか具体的でリアリティがありますわ。
特に,フランスの場合は,今年のデモもあったけど,こういう若者(いうても,30代~40代も含むけど)達が特定の政治派閥を支持して,社会運動や社会活動にのめり込む,ってとこが特徴的やね。
つまり,現代の社会で会社や組織を牛耳ってるのがまさに,1968年世代のおっさん達で,奴らは自分らが散々,革命だの自由だのと好き放題な運動してきたから,今の若者達が自由や社会革命やと訴えても「わしらがすでに通った道やんけ。けっ。」つって歯牙にもかけず,自分の思想を持たない,インテリやない使いやすい奴らばっかりを雇用するんやて。
ちょっと生意気な意見なんかを持ってる若者は,バイトか研修生どまりで,インテリ層ほどその率が高いから,低収入であらゆるバイトを掛け持ち,その合間に社会運動にのめり込む若者が多いんやそうや。
それでやねえ,最近の「社会起業家」という,流行りというか現象がありますけど,これはフランスの例から考えるとわかりやすいでんな。
日本やとなんか,ニートから社会起業家への間に広~く深~い溝が横たわっていて,そこに高~い壁までありそうな感じがするんやけど。
だってな,あのやる気のないヤサグレたタイムマシーン3号の
が,「世のため人のため」に起業をするなんて奇跡が,起きると思うかい?

そんなイメージがありますわな。
ニートとフランスの下層インテリを一緒にしたんなや,ちゅうのは思いますけどな。
ニートは働く「意志」もない人々,フランスのインテリ子さん達は意志は十分にあるけど,彼ら彼女らに相応しい職場が全く無い,って人々やからね。せやから自分らで自分らが満足して働ける社会を作ろうやんけ~,って,疲労しきった身体と時間を削りまくって,いそいそと社会活動に出掛けるんですわ。
けど,日本でニートって呼ばれる人達の中身も様々で,フランスのインテリ子さん達みたいなニートもおると思うんですわ。自分の能力とセンスに合致した職場が皆無やから,働く気力を失って家事手伝いにいそしんでる人達。
そういう奴らの中にも勘違いはおるけどね。能力の過信,過大評価,自己満足,身の程知らず,井の中の蛙。
せやけど,そうやない正直な人達も多いと思いますわ。
最近のオカルトブームは,その捌け口でもあると思いますわ。
そのほとんどが生温いぬるま湯のオカルトへ行ってしまうけどやね,
神秘学は「第三の道」と呼んでるように,資本主義でも共産主義でもない「第三の道」やったわけです。
ニートは超資本主義時代の現象やからね,共産主義もとっくに終わってしまったし,かつての資本主義も超資本主義へと変質してきてるわけやから,ここでまた第三の道が復活してくるのは,至極当然なわけですわ。
環境,福祉,精神,これらすべて第三の道が目指して来たものなわけですが,今の社会起業家たちも,皆めざしてるのはこれですな。
徐々に第三の道へとシフトしてるってことですかな。
せやけど,第三の道は「儲からん」。
これがネックやったわけです。
儲からんでもせめて親子三代が喰っていける程度にまで,社会起業家たちが本当にめざしているものと経済とを結びつけることができたら,それで世の中良くなりますんやろか?
それは断言はできまへんけど,結局のところ,残されてる道は第三の道しかない,ってことは明らかやと思いますねんけどな。
その足を常に引っ張ってきたのは,現実の社会なんですわ。
いつまでそれが続くのか分かりまへんけど,これまで述べてきた宇宙の進化からも分かるように,人間は徐々に進化していくものやから,わてら自身一人一人が,生きてるうちに,徐々に進化させて行くしかないと思いますねんけどな。
それが歴史なんですわ。
足を引っ張るものは「抵抗」であり「摩擦」であり,地球が月紀から進化してきた段階で宿命づけられてる,物質が持つ負の力なんですわ。
それに屈することは惰性であり,屈しないことが意志であり自我の力なんですわ。
弱い自我やと屈してまい,ぬるま湯のオカルティック・ニートに堕してしまいます。
わてらの時代(アトランティス紀以後)の地球人の使命は,自我を鍛えることで魂の自由を獲得することにありますんで,この現実の物質社会の修羅場でどれほど修行できるかにかかってるわけなんです。
せやから,センチメンタルな癒される雰囲気に浸ってても,全然,魂は進化しまへん。泥にまみれんとあかんのです。
そんなわけで,フランス人,がんばれよ~




て,思てますねん。

なんやかんやと野暮用が尽きまへんでね~
ここに書かなあかんこともいっぱいたまってんのやけど,
今日は短い時間でさらさら~と書ける話題にしませうかと‥
なんでかっちゅうと,脳を使いたくないんですわ

眠なるやろ‥

最近めっちゃよう寝てますねん。
晩メシ喰たら,コテン

まったく,28-ですわ。
ほんでねぇ,今日のネタはシュタイナーとほとんど何も関係ないんやけど,シュタイナーのカテゴリーに入れちゃおうかな,とちょっと思ったんやけど,やっぱり冥府魔道にしましたわ。
冥府魔道か第三の道か。その分かれ道。ってか。
でへへ‥(意味不明)

ほんまはシュタイナーネタ書きたいんやけどね,本を参照しながら書かなあかんもんやから,「シュタイナー寝た」になりますやん。
やん。‥

そんなわけで,とても身近な話題。ニートです。
この間の爆笑オンエアバトルのタイムマシーン3号は面白かったね。
お前,誰だよ!?


ここのところの,あのまん丸い奴の,ヤサグレ具合が抜群でした。
久々に受けましたわ。
そんなわけでニートの話題。てだけでもないんです。

この号が出たときも読んだはずなんやけど,今回もっぺん読んだら面白かったんですわ。
三浦展の『下流社会』をその間に読んだからやと思います。
最初に『中央公論』の三浦展と本間由紀子やっけ?(東大の研究者)の対談読んだときは,三浦のおっさんが言いたいことあんまりようわからんかって,何じゃこいつ,って思てたんです。
その後『下流社会』読んで,ああ,そういう風にまとめてみたかったのね,と分かったんです。
ほんでもっぺん『中央公論』読んでみたら,二人の話のズレ具合がよく分かって面白かった。
あと,社会学かなんかやってる研究者(東大大学院生)の,ニートとボボズっていう比較がおもろかった。
ボボズいうてもね,賢いサルちゃいまっせ。 あれはボノボやがな!

大リーグの選手ともちゃいまっせ。 あれはバリー・ボンズやがな!
糊ちゃいまっせ。 それは木工用ボンドやがな! ボだけやんけ!! ボケっ!

ボボズっちゅうのは,一見ニート,でも金持ち。っていう,スティーブ・ジョブズやビル・ゲイツのことやそうです。え~と,つまりニートと似たようなことばっかりやってたくせに,大金持ちになっちゃった,って人達ね。
こういう人達は,1950年代までのorganization man(組織人・会社人間)のカウンター・カルチャーとして,遊びの本質である創造性がうまく経済と結びついた例なんやそうです。68年以降に初めて出現したこれらの人種をボボズと言うんやて。
ちょいとここでオモロいな~と思たんは,日本で「組織人」て言うた場合,普通にサラリーマンとかちょっと大きい所に勤めてるような勤め人を指して今でも使うわけやけど,イギリスなどでは,働き方の概念としては50年代までの旧社会のモデルとして終わってる言葉なんやね。
ほいでもって,2000年代の現在の問題は,かつてのボボズを生み出したような創造性が,経済市場と結びつかず,ニートに陥ってしまうことなんやと。この社会学者は言うてはります。
つまり三浦展は『下流社会』で,唄


なるほどねえ~と思いましたわ。
そしたら昨日読んでた新聞(昨日の新聞やないと思うで)に,ニートは世界の先進国共通の現象で,世界の若者の13%余がニートなんやと。
そういえば,極東ブログで紹介してたニューズウィークにも「世界にあふれる高学歴難民」と書いてたし,コメントのリンク先http://www.diplo.jp/articles06/0605.html もフランスの下層インテリについて書いてた。
このフランスの記事は,なかなか具体的でリアリティがありますわ。
特に,フランスの場合は,今年のデモもあったけど,こういう若者(いうても,30代~40代も含むけど)達が特定の政治派閥を支持して,社会運動や社会活動にのめり込む,ってとこが特徴的やね。
つまり,現代の社会で会社や組織を牛耳ってるのがまさに,1968年世代のおっさん達で,奴らは自分らが散々,革命だの自由だのと好き放題な運動してきたから,今の若者達が自由や社会革命やと訴えても「わしらがすでに通った道やんけ。けっ。」つって歯牙にもかけず,自分の思想を持たない,インテリやない使いやすい奴らばっかりを雇用するんやて。
ちょっと生意気な意見なんかを持ってる若者は,バイトか研修生どまりで,インテリ層ほどその率が高いから,低収入であらゆるバイトを掛け持ち,その合間に社会運動にのめり込む若者が多いんやそうや。
それでやねえ,最近の「社会起業家」という,流行りというか現象がありますけど,これはフランスの例から考えるとわかりやすいでんな。
日本やとなんか,ニートから社会起業家への間に広~く深~い溝が横たわっていて,そこに高~い壁までありそうな感じがするんやけど。
だってな,あのやる気のないヤサグレたタイムマシーン3号の



そんなイメージがありますわな。
ニートとフランスの下層インテリを一緒にしたんなや,ちゅうのは思いますけどな。
ニートは働く「意志」もない人々,フランスのインテリ子さん達は意志は十分にあるけど,彼ら彼女らに相応しい職場が全く無い,って人々やからね。せやから自分らで自分らが満足して働ける社会を作ろうやんけ~,って,疲労しきった身体と時間を削りまくって,いそいそと社会活動に出掛けるんですわ。
けど,日本でニートって呼ばれる人達の中身も様々で,フランスのインテリ子さん達みたいなニートもおると思うんですわ。自分の能力とセンスに合致した職場が皆無やから,働く気力を失って家事手伝いにいそしんでる人達。
そういう奴らの中にも勘違いはおるけどね。能力の過信,過大評価,自己満足,身の程知らず,井の中の蛙。
せやけど,そうやない正直な人達も多いと思いますわ。
最近のオカルトブームは,その捌け口でもあると思いますわ。
そのほとんどが生温いぬるま湯のオカルトへ行ってしまうけどやね,

神秘学は「第三の道」と呼んでるように,資本主義でも共産主義でもない「第三の道」やったわけです。
ニートは超資本主義時代の現象やからね,共産主義もとっくに終わってしまったし,かつての資本主義も超資本主義へと変質してきてるわけやから,ここでまた第三の道が復活してくるのは,至極当然なわけですわ。
環境,福祉,精神,これらすべて第三の道が目指して来たものなわけですが,今の社会起業家たちも,皆めざしてるのはこれですな。
徐々に第三の道へとシフトしてるってことですかな。
せやけど,第三の道は「儲からん」。
これがネックやったわけです。
儲からんでもせめて親子三代が喰っていける程度にまで,社会起業家たちが本当にめざしているものと経済とを結びつけることができたら,それで世の中良くなりますんやろか?
それは断言はできまへんけど,結局のところ,残されてる道は第三の道しかない,ってことは明らかやと思いますねんけどな。
その足を常に引っ張ってきたのは,現実の社会なんですわ。
いつまでそれが続くのか分かりまへんけど,これまで述べてきた宇宙の進化からも分かるように,人間は徐々に進化していくものやから,わてら自身一人一人が,生きてるうちに,徐々に進化させて行くしかないと思いますねんけどな。
それが歴史なんですわ。
足を引っ張るものは「抵抗」であり「摩擦」であり,地球が月紀から進化してきた段階で宿命づけられてる,物質が持つ負の力なんですわ。
それに屈することは惰性であり,屈しないことが意志であり自我の力なんですわ。

弱い自我やと屈してまい,ぬるま湯のオカルティック・ニートに堕してしまいます。

わてらの時代(アトランティス紀以後)の地球人の使命は,自我を鍛えることで魂の自由を獲得することにありますんで,この現実の物質社会の修羅場でどれほど修行できるかにかかってるわけなんです。
せやから,センチメンタルな癒される雰囲気に浸ってても,全然,魂は進化しまへん。泥にまみれんとあかんのです。

そんなわけで,フランス人,がんばれよ~





て,思てますねん。