空に問う。

空に問うても果てがない

15日

2017-08-15 12:19:33 | 日記
15日は終戦記念日・・・ホントの終戦は9月9日のポツダム宣言の日だったような・・・。

でも・・・1945年8月14日も空襲に襲われた町がある。埼玉県の熊谷市である。皮肉なものでたった1日の差で200名以上の方がなくなってる。

なんとなくだけど、原爆が投下された以降・・・なんとなく空襲はなくなったような気がしていた。本当に米軍はとことん日本の国土を蹂躙したんだと思う。

で、拉致問題を少し横において考えると、日本と北朝鮮は具体的なもめ事はない。今回の存立危機事態(仮想)にしても、単にアメリカと北朝鮮の衝突に巻き込まれてるだけに過ぎない。

まあ北朝鮮はせっかく韓国が情勢をまったく無視しても手を差し伸べたのだから答えるべきだったと思うけどなァ・・・。まあ朝鮮人の祖は現在の北朝鮮に分断された土地だから、あえて蔑視があるのかも知れないけど。

しかしこんな時でも、慰安婦像フィギュアが乗せたバスが韓国内で巡回してる。まあ女性の人権侵害を主張するなら一番に取り上げたいことなんだろうけど、そこまで抗議する必要があるんだろうか。慰安婦の被害者は国内でもさらし者にされて辛くはないんだろうか。

日本バッシングをしたいのもわかるけど、情勢を見ていたら、そういう流れがまずいとは思えないんだろうね。さすが恨の国としか言いようがない。北朝鮮は社会主義国家だから思想や偏見に偏りがあっても仕方ないと思うけど、韓国は民主主義の国家だと言えるんだろうか。まあ極右思想の持ち主が総理大臣である日本も変わりないけれど笑。

半島はいつだってやりたい放題だ。今日は”解放記念日”なんだよね、あちらサイドは。

んで、日本の終戦記念日の靖国参拝に抗議する日でもある。

でも基本的な疑問が沸き上がる。

天皇陛下の参拝は英霊さんらも望んでいるに違いないが、直接戦地に送り込んだ官僚さんらが参拝しても祟りたい気持ちでいっぱいになるんではないかと。特に極右化した今の政治家を心待ちにしていない気がするんだけど・・・・。

まあ神となればどうなってしまうのか、おいらには分からない。神性を伴うと総じて悪性も付加されてしまうからなァ・・・。

ただ「お国のために亡くなった方々を慰霊するのは日本人として当然」だという考え方はあまり好きではない。もしその慰霊施設が仏教系であるのならば「供養」がメインになるから訪れた気持ちもある。

しかしだ。

縁結びを願うなら縁結びで有名な神社へ参り、金運を授かるために金運にご利益がある神社へ参る。

靖国神社で何もお願いはしなくてもいいけれど「国家安泰」を願っても、それを叶えて貰うのが少し気後れしてしまう。何もせずに安らかに眠っていてほしいと願うから。

日本人はさぁ、分かっていても思わず神前に立つと何かを願わずにはいらない人種なんだと思うんだ。

おいらも言葉にはしないけど、思いだけは去来する。

今日の実験を北朝鮮が見送ったということは当分何もしないだろうと思うし、この日にアクションを起こさないということは日本に対する怒りから起こりえた事ではないんで、やっぱり対米政策なんだろう。

だから存立危機事態だとミサイル迎撃は辞めて欲しい・・・・。

例えば靖国神社で「和平」を望んでもそれはそれで願いなんだと思うから謝意だけを伝えればいいのかなぁ・・・。まあ隣国を理由にしたり、内政的にも賛否が問われないようにするためには内閣全員で参拝するのがいいんじゃないか。内政問題になりうるから外交上のカードに使われる。儀礼は儀礼なんだから、そこに隣国がケチをつける筋合いにはないと思うけどね。

しかし参拝を政治利用したのも政治家だし、政治家が参拝するのを英霊は望んでないと思うし・・・。千鳥ヶ淵のほうにだけ顔を出せばいいような気もする。

極右が愛国者の条件なら、おいらは愛国者でなくていいけど、条件に満たない善良な愛国者は大勢いる訳ですから、政治家は思想信条が同じでも極右の喜ぶことはしないでほしい。「こんな人たち」とは善良な市民のことだから。愛し方が違えど愛は愛なんだから。

終戦記念日ってやっぱり重たいな。

意図したり恣意的な意味合いを年々帯びてる気がする。









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