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空に問う。

空に問うても果てがない

今さらの逃げ恥

2017-04-20 14:38:42 | 日記
逃げるは恥だが役に立つ。

馴染みはない諺だと思っていたけど、ハンガリーの諺なんですね。

『自分の戦う場所を選べ』って意味なんですって。自分の土俵で、自分の得意分野で勝負しろってことなんだって・・・。

なんだか、逃げるのが恥だが役に立つって意味とは違うよね。程遠い。

まあ逃げずに戦うと、おいらみたいなひどい目に合うけど、責任者でなければとっとと逃げてたよ笑。自分のことだけ考えて自己欺瞞で生きるなんてこと普通は出来ないよね。それりに責任もあったわけだし。それを放棄して生きることって誰にも出来なんじゃないのかなぁ・・・。

東北の震災の後、身勝手な自己主張型の人間が増えたけど、特に不満があったわけでもない。

いつかは絶対に無くなる仕事(職場)だと入社してからもずっと思っていて、気が付いたら16年経っていて、自分が社会的に古い人間になるほどの時間が経過していたってことかなぁ。ずっとパワハラに晒されてきたし、嫌がらせばかり受けていた。

まあ「地獄」を受け入れて生きていたんだよね。その地獄に慣れ過ぎたせいで、ふと無職になって素の自分に戻ったら、自身や自尊心がなくなっていたわけで。

拾ってもらった恩義だけで、地獄の環境を乗り越えていたのかなぁ。心削って今でも何もない。

その後の展開は全然思ってもみないことだったから、逃げなかったこと痛烈に後悔したわけだけど、自分の得意分野で戦うっていう分野がおそろしくない人生だったから・・・いじけるしか出来なかったのかなぁ・・。

国家資格持ってても応用がきく資格ではないしね。バカみたいな勲章かなぁ。

まあ未だにドラマの「逃げ恥」のどこがすごく面白かったのかは分からないし、逃げ恥ダンスのどこがいいのかもわからない。星野源の魅力がわからない。時代や感性がズレたのかなぁ・・・。

そんなこなんで、”ここまで運が悪いのは、いつか大どんでん返しで、ものすごい幸運に恵まれるから”ってありもしない幻想にしがみ付いてきた。それなりに努力したから資格も取ったんだけど、資格取るたびに売り上げが下がるって普通ないよね。販路は広がるのに、逆に狭まった感じになった。

普通は免許取れないからクビなんだけどね。

まあいくら努力しても結果が伴わない努力には何の意味もない。慰め程度にはなるかも知れないけど。

たぶん通常の人よりも何倍も努力しないといけない人生なんだろう。それでやっと人並み以下。この運の悪さは、自分に原因があるのか、それ以外の何か嫌なモノが元凶なのかは分からないけど、何がこうも人間のレベルを下げさせているのか見当もつかない。

だから、もういいかって死にたくなったんだよね・・・。死にたいというよりは消えたいって感じなのかなぁ・・・。

自分を消すことが出来れば・・・自分の存在をない者に出来れば・・・誰にも迷惑が掛からないなんて思っていた。

ダメな者同士を引き合わせる力。

バットなペアリングでどれくらい不幸にしたんだろう。意図したわけじゃ全然ないし、仮に寄せって忠告しても訊いて貰えなかったことすら、おいらに降りかかって来たしね。こんな訳の分からない人生って、本当にイヤなんだよね・・・。

誰の役にも立たないし、誰かが役に立つわけでもない。ダメな奴に目を掛けるから、そんな奴は薄情でいい加減で出世もしないから、いざと言う時に何の為にもならない笑。

だから何にもならないことのために、なんで自分を犠牲にしたのか、意味が分からない。

意味がない。

意味がない人生なんだ。運がいいとか悪いとか人にとやかく言われるよりも・・・。

意味がない。

生きるにしても死ぬにしても。

ノラ神主への憎しみも湧かない。あんな奴もうすぐ終わるだろうと高をくくって見逃してる。人を呪詛するような人間が許せない。でもその存在すら自分には葬り去る力もないわけで、負け犬がいつまでも力なくワンキャン騒いでるみたいだよね。

せめていつかこのバカにリベンジするくらいの意気地や気持ちがあれば、血眼になって食いしばって生きていけるんだろうけど、呪いと言ういわば不確定で証明できないモノだから、どこかで諦めてる自分もいるんだ。それじゃダメだよって思うけど、殺したいほどの憎しみも不確かな呪いでは殺意にもならない。

たぶん心の底で、呪いなんてものをいちばん否定していたのはおいらであって、肯定する理由ばかり求めていたような気がする。開運なんて信じてもないのに開運グッズを買って、安心を買うとか言いながら、神になど何の威厳も力も感じない癖に寄進と言う金を使うことで、帳尻を合わせようとしていた。

何にも信じられないんだ・・・。その言い訳に神にどれくらい、仏にどれくらい心底真摯に向き合ったとか言い訳してるだけ。

たぶんおいらにはおいらを殺そうとする力以外は働いていない訳で、死なないように生きるしか方法が無かったんだけど、どこかで”いない神”や”逆に持っていたから祟ってきた仏のようなもの”にたまたま偶然触発されて、運命なんてものを感じたんだと思う。バカなんだよね、たぶん。

ずっと本来関わるべきでなかった密教系の験者の障り・・・・ずっと受けていたんだと思う。

それ以外でもそれ以下でもなく、たぶん母がこの験者に関わったことで、我が家の不幸は密度を増し、具現化したんだと思う。

たぶん一言も言葉を交わすこともなく、ただ一度遠くで視線を感じた験者の生き霊みたいなものにずっとまとわり憑かれていて、その黒い護摩壇の炎みたいなものが、おいらの中に譲渡されたような気がする。

たんに業の深い人間の、その業の悪さや穢れを引き継がされたのかなぁ・・・。殺さない程度にいたぶって、人生を蹂躙してきた・・・。

おそらく神社の神とかそういう類いが触ったんじゃなくて、神社の神仏習合時代の仏みたいなモノに障られていたんだろうと思う。ダイレクトに・・・密教寺院に行くと気味が悪くて仕方ないしね。

だからまあ神道、神道した社へ行くと安心したのかなぁ。神でもあって仏でもあるモノがおいらを祟ってる気もするが、その由縁に関しては、その験者しか思い当たる節がないんだな・・・。

生死の境を彷徨ってるときに、験者の生き霊に偶然ばったり出会ってしまった・・・。たぶんアレが全部の引き金になったんだろう。

人生が傾くように悪くなるように選ばされてきた・・・んだ。

どういう理屈かは知らないけど、そのモノはおいらに死んでほしいと思ってる・・・。それはなんなんだろう。

逃げても逃げても追っかけてくる。

何回、心を殺せば気が済んだろう?

もし打ち勝ったしておいらに何が残るんだろう。得るものはあるんだろうか。

たぶん「無い」気がする。

たぶんもう死んでるはずなのに生きてるような魂を持ってる人間の抜け殻みたいなものになってしまったのかなぁ・・・・。

もう本気で”自分一人になりたい”

混ざってるモノを排除したい。

もう本当に力なんて要らない。

こんなもの一円の徳にもならない。

だって悪人も善人も病死も自死も殉死もぜんぶ同じ一つのところに行くのだから・・・・。

生前の行いなんて何の意味もないのだから・・・。

だから生を得てる内は幸福でなくてはいけないんだ。

ただ自由になって、幸福になりたいんだ・・・・。

どんなに運が悪い人生の持ち主だって、幸せになっていけない理由はない。たぶん幸せにならないように、してるだけなんだ。

おいらは絶対に幸福になる。

掴みとる。

そのために必要なもの・・・・絶対に手に入れる。

だから今は逃げない。

・・・・・何書いてるんだろう?ちょっとパラノイヤかな笑。





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