今日は複雑で言葉にならない想いを無視していろいろ乱暴に書いた。予言の一部は予見と言うやり方で感じたことだから嘘ではないけど。
ちゃんとしてないんだよね、自分が。あんまりにも愚かで情けなくて、なんか未来が向こうからネギしょってくるのを待ってる感じがして・・・。
仕事を断れなかったのは最終的に頼ろうとしていたんじゃなくて、その友達というか、友達の世話にはなりたくなかったからだ。もちろん制服が苦手なのは本当の事だし、実はネクタイを締めるのも苦手。首つってるような気持になるからで、よくもまあサラリーマンなんてやってこれたと自分でも思ってる。
たぶん世の中の人が可もなく不可もないことが苦手なんだ。
いちばん困っていた時があった。何もかも呪いのせいにするしかなかった時期があった。そういう無茶苦茶な時に手を貸して欲しかった。助けて欲しいなんて言えなかったから。
前の仕事好きだったけど、その友達はいつもおいらの前に現れては”いつ仕事辞めるん”と愉しそうに言っていた。人間には悲しいけど建前と本音があるし、好きだからって数字が付いてこない仕事なんかいずれ終わることも分かっていたけど・・・。もし発破をかけてくれたと思えたら、そう思えたら本当に良かったけど、悲しいくらい人の悪意が見えるおいらは、それを見逃さなかった。
同じように二十歳のころ、自分も愉しそうに友達に”いつ辞めるのか”って言ったことがある。でもきっとその言葉を口にしたら、もう友達でいられないことも分かっていた。
広島のそごうの休館のエレベーターで屋上に向かう途中、もう終わりにしたくって気持ちを伝えた・・・。
その時の友達の顔を覚えてる。おいらの方が悪いのに、向こうが叱られたような顔をしていた。ミートスパゲッティか何か食べて、同じバスの乗って帰ったかなぁ?向こうはたびたび心配して訪ねてくれたけど、おいらは居留守を使うようになっていた。何もなかったように友達でいることも出来たと思うけど、あんな叱られたような顔もう見たくなかった。相手に我慢を強いるほど強い人間じゃなかった。
ちょうど大失恋もしたのでW失恋だったかなぁ。でもおいらが辛い時に聴かせてくれた歌はいまでも聴いてる。
足を引っ張り合うことが友情の醍醐味ではあるかもしれないが、おいらは会うたびに愉しそうに辞意を勧める友達に叱られたような顔をしてみせた。でもおいらがちゃんと辞める決意をするまで何度も何度も伝えられた。
おいらは罪は憎んだけど、相手の不幸を願うことはしない。フェアではないけれど、おいらとおいらを呪った神主との違いは人懐っこさだったのかもしれない。おいらは周囲に壁を作り出すことが得意で相手を煙に巻く才能を持っている。そういう腹を見せない人間は懐かない犬ほど信用されないよね。
まあ結果的に相手の不幸を望まずに、自己責任で片付けようとして、自分の生い立ちまで遡って、自分を呪ってしまったけど。
別に友達に押されて会社を辞めた訳ではない。本当に愚劣なパワハラを受けた。ちゃんと訴えらば良かったけど狭い町である。おいらに非がなくても裁判を起こすような人間を信用してくれるような素晴らしい開けた故郷ではない。自分のためにと堪えたんだ。それがいつの間にか自分をダメにすることになったんだけど。
世の中は不公平だ。平等なことなどない。不条理で不可解だけど・・・。
お前の紹介だから受けたくない。
そう言って終わりにすれば良かった。
向こうは自分の家族があって、いっぱいいっぱいでそれでもおいらのために余地を残してくれていたんだ。でももう何の悩みも心から話せない自分もいる。
嫌いなんだろうね、きっとそいつの事。
嫌いな人間に甘えたくないよね。人間強度が下がると云うか、自分に負けた気がする。
そういう意味では果てしなく大人ではないか。
世界を知るのと、世間を知るのが違うように。
井の中の蛙のくせに、やたら空を見上げて首がバカになってる。
座右の銘なんだ。
井の中の蛙大海を知らず・・・されど空の深さを知る。
泣きそうでも我慢して前を向いていたら、それでいいと思っていた。
自分で自分を騙したつもりはないけど、おいらは空を見上げ続けたけど、ずっと目を瞑っていた。
深さを知るのが怖かった。
未来の自分はまだ笑ってる。
だから人は今日を生きている。
なんか申し訳がない。
こんなんで。
生きてることが。
相当憑かれてる。
疲れているか。
なんか言葉にすると消えそうな気がしたんだ。
ちゃんとしてないんだよね、自分が。あんまりにも愚かで情けなくて、なんか未来が向こうからネギしょってくるのを待ってる感じがして・・・。
仕事を断れなかったのは最終的に頼ろうとしていたんじゃなくて、その友達というか、友達の世話にはなりたくなかったからだ。もちろん制服が苦手なのは本当の事だし、実はネクタイを締めるのも苦手。首つってるような気持になるからで、よくもまあサラリーマンなんてやってこれたと自分でも思ってる。
たぶん世の中の人が可もなく不可もないことが苦手なんだ。
いちばん困っていた時があった。何もかも呪いのせいにするしかなかった時期があった。そういう無茶苦茶な時に手を貸して欲しかった。助けて欲しいなんて言えなかったから。
前の仕事好きだったけど、その友達はいつもおいらの前に現れては”いつ仕事辞めるん”と愉しそうに言っていた。人間には悲しいけど建前と本音があるし、好きだからって数字が付いてこない仕事なんかいずれ終わることも分かっていたけど・・・。もし発破をかけてくれたと思えたら、そう思えたら本当に良かったけど、悲しいくらい人の悪意が見えるおいらは、それを見逃さなかった。
同じように二十歳のころ、自分も愉しそうに友達に”いつ辞めるのか”って言ったことがある。でもきっとその言葉を口にしたら、もう友達でいられないことも分かっていた。
広島のそごうの休館のエレベーターで屋上に向かう途中、もう終わりにしたくって気持ちを伝えた・・・。
その時の友達の顔を覚えてる。おいらの方が悪いのに、向こうが叱られたような顔をしていた。ミートスパゲッティか何か食べて、同じバスの乗って帰ったかなぁ?向こうはたびたび心配して訪ねてくれたけど、おいらは居留守を使うようになっていた。何もなかったように友達でいることも出来たと思うけど、あんな叱られたような顔もう見たくなかった。相手に我慢を強いるほど強い人間じゃなかった。
ちょうど大失恋もしたのでW失恋だったかなぁ。でもおいらが辛い時に聴かせてくれた歌はいまでも聴いてる。
足を引っ張り合うことが友情の醍醐味ではあるかもしれないが、おいらは会うたびに愉しそうに辞意を勧める友達に叱られたような顔をしてみせた。でもおいらがちゃんと辞める決意をするまで何度も何度も伝えられた。
おいらは罪は憎んだけど、相手の不幸を願うことはしない。フェアではないけれど、おいらとおいらを呪った神主との違いは人懐っこさだったのかもしれない。おいらは周囲に壁を作り出すことが得意で相手を煙に巻く才能を持っている。そういう腹を見せない人間は懐かない犬ほど信用されないよね。
まあ結果的に相手の不幸を望まずに、自己責任で片付けようとして、自分の生い立ちまで遡って、自分を呪ってしまったけど。
別に友達に押されて会社を辞めた訳ではない。本当に愚劣なパワハラを受けた。ちゃんと訴えらば良かったけど狭い町である。おいらに非がなくても裁判を起こすような人間を信用してくれるような素晴らしい開けた故郷ではない。自分のためにと堪えたんだ。それがいつの間にか自分をダメにすることになったんだけど。
世の中は不公平だ。平等なことなどない。不条理で不可解だけど・・・。
お前の紹介だから受けたくない。
そう言って終わりにすれば良かった。
向こうは自分の家族があって、いっぱいいっぱいでそれでもおいらのために余地を残してくれていたんだ。でももう何の悩みも心から話せない自分もいる。
嫌いなんだろうね、きっとそいつの事。
嫌いな人間に甘えたくないよね。人間強度が下がると云うか、自分に負けた気がする。
そういう意味では果てしなく大人ではないか。
世界を知るのと、世間を知るのが違うように。
井の中の蛙のくせに、やたら空を見上げて首がバカになってる。
座右の銘なんだ。
井の中の蛙大海を知らず・・・されど空の深さを知る。
泣きそうでも我慢して前を向いていたら、それでいいと思っていた。
自分で自分を騙したつもりはないけど、おいらは空を見上げ続けたけど、ずっと目を瞑っていた。
深さを知るのが怖かった。
未来の自分はまだ笑ってる。
だから人は今日を生きている。
なんか申し訳がない。
こんなんで。
生きてることが。
相当憑かれてる。
疲れているか。
なんか言葉にすると消えそうな気がしたんだ。
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