my daily life

日常なことも、非日常なことも・・・

「時効警察」第3回

2006年01月29日 | Weblog
今回のタイトルは「百万人に無視されても、一人振り向いてくれれば人はしあわせ・・・じゃない?」
(回が進むにつれてだんだん長くなってる?)
しかも今回は土曜日の0:45から。毎回放映時間も違うんだよなあ。

内容もだんだんと訳わかんなくなってきてるような気もしますが、それがなんだか心地いい。

人であれ、花であれ、駅売店の新聞の差込であれ、
「百万人に無視されても、一人振り向いてくれれば人はしあわせ・・・じゃない?」
振り向いてくれたと思ったんだよねぇ。
「結婚は誤解から始まる」・・・うん、だから結婚したんだよねぇ。

自分でも何書いてるかわかんなくなってきたな・・・

しかし婚姻届に自分の名前書いちゃう三日月しずか(麻生久美子)、かわいい~。
でもって、霧山(オダギリジョー)、鈍感なんだけどね・・・
だけど私もどっちかと言うと霧山のように鈍感な人間の部類だからな~

しっかしドラマよりもHPの方が力入ってるような・・・気のせい?いや、絶対!

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「氷壁」第3回

2006年01月28日 | Weblog
裁判突入。

「俺はそんな重いものを背負って登れない」
でも、結果的に、背負ってしまった・・・
「下山」は、文字通り俗な人間の世界に下りることになってしまった。

山のためだけに、自分のためだけに、ただソロにこだわり続けた奥寺の気持ちが少し分かるような気がします。

でも、一人であると言うことと、孤独であると言うことは、決定的に違うんですよね。彼を応援してくれる人はたくさんいるのです・・・

奥寺側弁護士「そのカラビナは、新品ですよね。北沢さんが複数回使用してして、それをK2に持っていったのと同じ状況でテストしなくては意味が無いのではありませんか・・・?」

それど同じで、あのような極限状態にあった人間が、何を思い、どれを選択肢として選び、どう行動したのか、それを他人がどうこう言える権利はあるのか・・・

第2回目の時のセリフ、「判断するのは、現場にいる北沢と奥寺です!」が思い起こされます。

そして、奥寺の前に現れたヤシロの社長夫人、美那子。
誰もが心を揺さぶられてしまう、そんな女性っているのか分かりませんが、奥寺もまた北沢と同じように愛してしまうのかな・・・?

天涯孤独で、自分と山しか見つめてこなかった人間が、守るべきものを抱え、戸惑う奥寺を、玉木宏がとーーーーっても好演してると思います。
連ドラ初主演だし、NHKはいわば大抜擢をしたわけですが、すごいと思いますねー。

ところで、冬山の映像が非常に美しいのですが、ロケはNZということで、どこまでがK2なのかなあと思い、NHKにたずねたら、「K2の映像につきましてはCGを使用して別に撮影したものととりまぜて使っておりますが、登山中の映像は、ニュージーランド・マウントクック周辺の山々と、クイーンズランド近郊にて撮影させていただきました。」と丁寧にコメントいただきました。

とにかく、冬山の美しさには圧倒されます、それが人間に命を懸けさせるほどの魅力なんでしょうか・・・

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雪深い温泉

2006年01月28日 | Weblog


今日、日帰り温泉に行ってきました。
はじめは大石田町の「あったまりランド深堀」を目指したんですが…
あまりの雪深さに看板見えなくて、どうも通りすぎてしまったらしく、断念。
結局舟形町の「若あゆ温泉」に行ってきました。
(写真…モニュメントは立っている鮎)

若あゆ温泉はかなり久しぶりに行きましたが、やっぱり温泉はいいですね。
特に露天風呂は、雪景色のなか、頭が冷たくてクリアな感じで、すっきりします。
が、調子に乗ってたら、のぼせやすいのと、体力の無さがたたり、ちょっとフラフラしてきて…
すぐに上がって、水分補給してしばらくぼーっとしてました。
あんなに頭がガンガンしたのは初めてだな。
友達はサウナに行きましたが、私は到底無理でした…挑戦したかったんだけどね。

しかしホント雪深い。吹雪になったらホワイトアウトだね。
新庄の積雪量もすごかったな。
コンビニも、あのでかい看板がないと存在すらわかんない。

だけど最上地方の除雪技術はさすがだなあ。

ところで今日は土曜日…「氷壁」と「時効警察」見なくちゃ・・・



いわさきちひろと国語の教科書

2006年01月26日 | Weblog
いわさきちひろの絵、大好きなんです。
と言うのも、小学校の国語の教科書の表紙は、いわさきちひろでしたから。
子ども心ながら、それが当然と感じてました。

学生のころ、東京の美術館にも行ったくらいです。
今春、山形美術館にも展覧会が開催されるとのことで、とっても楽しみにしてます。
数年前にも開催されたんですが、絵葉書をたくさん買いました。

なんともいえないあの透明感と、子ども、もしくは母子の絵。
その中に、暖かさがありますよね。

国語は好きだったんで、教科書に載ってた文章も結構覚えてますよ。

きつねの窓
はまひるがおと小さな海
ろくべえ待ってろよ
ふき子の父
サロマ湖の謎
かわいそうな象
ごんぎつね
川とノリオ
ひとつの花
母さんの木・・・

大体最後の文章は戦争の話なんですよね。

私は「きつねの窓」が好きでしたね。小学校4年くらいのときかな。

きつねが、命を救ってくれた恩返しにと、
紫色に手を染めてくれるんです。
それで、両の手で三角形をつくってそこをのぞくと、
お母さんの顔や、初恋の人の顔が見える。
つまり、彼にとって今会いたい人の顔が出てくるんですよ。
これはいい・・・と思って、
彼は自宅に帰るんですが、
いつもの習慣で、外出から帰ったあとに、手を洗ってしまうんですね。
かなしいかな、それからは何度手をかざしても、もう見えない・・・という話。
とっても切なくて、けれども大好きでした。
作者は誰だったかな・・・

国語の教科書は、忘れられない思い出です。
手元には一冊も残ってないけれど。

Faith

2006年01月25日 | Weblog
フジテレビドラマ「アンフェア」の主題歌(エンディングに流れてる曲)、最高にいいですね。
1回聴いてだけでブルブルきました。

歌ってるのは伊藤由奈、タイトルは「Faith」。

そう、映画「NANA」でトラネスのボーカル、レイラ役の彼女です。
私は映画見てないですが、曲だけを純粋に比較すると、
ブラストの「GLAMOROUS SKY」よりはトラネスの「ENDLESS STORY」の方が
良いと思ってます・・・前者はね、どうしてもラルクの曲にしか聞こえんのです。(hydeが作曲してるんだから当然と言えばそうなんだけど)
レイラに関しては、よく見つけてきたなあ~って感じで聴いてたんですが。

今度の曲には参りました。最初から最後までが、切ない。
これ聴くためにドラマ見てるようなものです。早く全部聴きたい。

しかし、シングルリリースは3月1日・・・って、遅すぎない?

LIGHT MY FIRE

2006年01月24日 | Weblog
例えば、色んなことがあって、もう疲れたなあ、と思うとき。
焦って、不安で、自己嫌悪にさいなまれて、その悪循環で・・・
自分自身が霧の中に迷い込んでしまったとき。

どうしたらいいんだろう、って思いますよね。
どうもがいても、苦しんでも、だめなときってあるんですね。

でも、立ち止まって考えて、気づくときがあるんですよ。
焦って、何かを変えようとか、その前にね。
特効薬は無い。何かが、誰かがこの状況を一気に解決してくれるわけではない。
結局は自分しか、いない。
それは、割り切りかもしれない。諦めかもしれない。決断かもしれない。

そう思えたとき、霧が少し晴れてくるというか。
余計なこと考えずに、素直に、シンプルに生きてみよう。
我慢とか、変なプライドとか、嫌なことは一切流して、もっと楽に生きてみようと。
孤独だと感じるかもしれませんね。孤独でもいいんじゃないでしょうか?

応援してくれる人やものは、たくさんあります。
でもそれはあくまでも応援です。
サポーターは声枯らして応援しても、サッカーするのは選手だよね。

T.M.Revolutionの曲に「LIGHT MY FIRE」と言う曲があります。
主語はありませんが、命令文ではなくて、
この文章の主語はI(自分)じゃないかな。
自分で灯すしかない。

そしたら、また一歩先に進むことができる、そんな気がします。

「時効警察」第2回

2006年01月22日 | Weblog
やっと見れた!初回は見逃しましたからね~。

初回タイトル「事件の時効には、おいしいご飯の湯気が似合うと言っても過言では無いのだ」につづき、2回目も「偶然も極まれば必然になると言っても過言ではないのだ!」(今度はびっくりマークつき)の長いタイトル。

でも、面白いですねー・・・「くだらなさ」にハマる、この感覚。
「トリック」と同じ放映時間だし、それっぽいんだろうなと思ったら、やっぱりそのノリでした。

中身は、時効管理課所属の霧島(オダギリジョー)が、時効になった事件を全くの自分の趣味で探求し、犯人に自白させ、「誰にも言いませんよカード」に認印を押し、去っていく。事件は時効ですからね。
しっかし、ああいう役柄も格好も合いますね、彼は。
ファンとしてはうれしい限りです。

ドラマ中の「忘れ物は、普段自分がとらない行動をとったときに起こることが多い」ってのは当たりですね。こういうときに限って・・・って言うの、多いモンね。ミスとかも。

だから、犯罪の捜査では、「容疑者(被疑者)は、何故普段どおりに行動しなかったか?」を探ると、糸口が出てきたりしますよねー。

ドラマエンディングで流れる曲は「雨」。森高千里のカバーでCEYRENという歌手が歌っています。

ところで、私の住む山形では、このドラマ、金曜23:15~ではなく土曜の24:30~から始まります。
分かりやすく言えばですね、日曜日の放映と言っても過言ではないのだよ!
だから、番組冒頭に現れる23:15の鳩時計は、私にとっては、何にも意味が無いのです、テレ朝さん。

・・・土曜の夜は忙しいんです。だって、「氷壁」も見なくちゃならないですから、ハイ。

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「氷壁」第2回

2006年01月22日 | Weblog
「K2は、非情な山だ。」
死んでしまいました、北沢。

今後は、プロジェクトの「失敗」の原因がどこにあるのか、それを様々な角度で描いていくのかなあと想像しますが・・・

天候不良が予測されながら無理に決行したことか。
現場での判断者が複数いたことか。
アクシデントがありながら、撤退のタイミングを逃したことか。
ザイルを切れなかった奥寺か。
ヤシロの軽量カラビナか。
北沢の操作ミスか。
北沢を見捨てられなかった奥寺か。
邪念を捨てられなかった北沢か。
そもそも、営利を追求する企業「ヤシロ」と登山家を結ぶザイルは、最初から無かったのか・・・

非情な山を目前に、人間は非情になりきれない。


仕事、同僚、現場、そしてアウトサイダー(芥川賞作家に思う)

2006年01月18日 | Weblog
ウチでは地元の山形新聞を取ってますが、本日の「この人」欄に第134回芥川賞に決まった絲山(いとやま)秋子さんの記事が載ってました。

「仕事をしている男性や女性が共感してくれるだろうという確信を持って書きました」
受賞作品は、「沖で待つ」。
メーカー勤務の女性総合職が主人公。初任地の福岡で苦楽をともにした男性が転勤後しばらくして亡くなり、主人公は男性との約束どおり彼の単身赴任先の家に侵入、PCに残った秘密の記録を消す。同期の微妙な関係が切なくほろ苦く語られている。
「会社の同僚や同期って、普通の友達とは違う特別な存在。私も仕事仲間に育てられました。」自身の経験を基にした作品だけに、仕事を通じての哀歓が等身大に描かれている。「午前3時まで働いていた。以前からそのころの話を題材にしたいと思っていたけれど、リアルに書くのは難しかった」
主人公が語る「現場」という言葉に愛着と自負がにじむ。「自己実現や達成感は現場単位で得られるものでしたから」
・・・早稲田大学卒業後、メーカーに就職し福岡などに赴任。1998年に躁鬱病を発症、小説を書き始めたのは入院中「生きるベクトルを探していたとき」だ。
アウトサイダーを照らし出す作品が多い。「はじき出された人の目から見ると、社会のありようがよく分かる」・・・東京都出身。39歳。
(山形新聞朝刊2006年1月18日より)


なんか、わかるなあと思いました。
やっぱり、同期や同僚というのはちょっと普通の友達とは違いますよね。
そして、その現場にいた人間しか分からない、苦楽をともにした人間にしか理解し合えないこともある。友人、恋人、夫や妻と言った家族とは、どうしても共有できない。すべてを言葉では説明できないからだ・・・

私も、同僚がいたから、今までなんとかやってこれたと思ったこと、何度もあります。
社会に出て働くことの意味はいろいろあると思いますが、そういう人間関係を築けられたならば、それだけでも意味あると思います。

また、私がすごいと思ったのは「躁鬱病」を発症して、ここまできたということ。
おそらく絲山さんが就職したのはバブルに沸いた時代、そして男女雇用機会均等法が施行されたころだと思う。
午前3時までの仕事が当たり前・・・そんななかで、この人は、どんなふうに考え、生きてきたのだろうか?そして、病気を発症してアウトサイダーとなったときの、もがき、苦しみ。
でも、「生きるベクトルを探し」、それを文字通り「糧」として、結実させた。

正直、すごいと思う。と同時に、とてもうれしい。
自分が弱くなれば、人の痛みもより分かるようになる。
社会からいわばはじき出されて、だからこそわかることもある。
そして、自分の人生と向き合うこと。

この作品、ぜひ読んでみたいと思いました。

なお、小説は書籍としては出版はされておらず、「文学界」9月号に掲載されているとのことです。

厄払い

2006年01月17日 | Weblog
昨日は、とある神社に厄払いに行ってきました。

と言うのも、昨年はあまりにも良くないことが続いたため、
なんなんだろうなあ・・・?などとついつい考えてしまい。

あ、ひょっとして、これが「厄」か・・・?(気づき:昨年8月時点)

私、昨年「本厄」だったんですね。で、今年が「後厄」。
基本的に、神頼みとか嫌いなんですよ。

でもね、今はわかるんです。

先日の「相田みつを美術館」のところにも書きましたが、
「どうもがいてもだめなとき、手を合わせることしかできないとき」が今現在であって、
それが祈りであると。
仏像の顔は、だからあんなに穏やかなんだと。
もう、私にはもう祈ることしか残されてなくて、むしろようやくここにたどり着いたのだと。

まずは健康を取り戻すこと・・・
食欲がなく、食べる量もめっきり減り、数か月で4キロ減。
ジーンズのウエストはガボガボで、サイズが合わないです。
食べることって本当に大事なんですよね。

わたしは、そんな「基本的なこと」からはじめようと思います。
でも焦りません。どんなわたしでもわたし。「そのままでいい」と思うから。

そういえば、ビートルズも言ってました。
WHEN I FOUND MYSELF IN TIMES OF TROUBLE
MOTHER MARY COMES TO ME
SPEAKING WORDS OF WISDAM, LET IT BE.

昔から聞いている曲なのに、今頃気づくなんて、ほんっとに、バカだね(T T)