今日は7月7日、七夕ですね。
さっきはお日さま出てたのですが
また曇ってきました。
そして暑いです。
これからいっそう暑くなってくるだろうから
エアコン作動させて
本格的な夏に備えてます。
さて今日は七夕なのですが
昨晩読んだ本がちょっとだけ(ほんっと少しだけですが)
たまたま七夕っぽかったので
書いときます。
最近、やたらと私の中のヒトが本を読みたがって困ります。(笑)
視力も落ちてるし、眠いので
寝る前の読書は減らそうと思っていたのに
なぜか反比例で読み漁ってます・・・。
で、昨日読んだ本(といっても別の本も読んでいたのですが)はこちら。
ひさびさに文学部っぽい感じの本です。(笑)
折口信夫さんの「万葉集に現れた古代信仰ーーーたまの問題ーーー」なる本です。
ちなみにkindleで無料だったので。
万葉集における古代信仰についてのお話。
そうなると幅広くなるので
今回は「たま」に限ったお話です。
「玉といへば、光かがやく美しい装飾具としての、
鉱石の類をお考へになるでせう。
又、万葉集で「玉何」と修飾の言葉としてついてゐるのは、その美しさを
賛美した言葉だ、とお考へになるでせうが、
多くの場合、それは昔からの学者の間違ひの伝承です。」
この文を読んだときに、???と思いました。
なぜならすでに私の中で「たま=魂」とインプットされてあったので
いまさら感があったんですね。
なので初めから「魂」についての本、というつもりでこの本を開いたのです。
なのでこの本はいわゆる装飾具の「玉」ではなくそれにまつわる「魂」のお話なのです。
ということで強引ですが
今日は七夕なので宇宙っぽい、天の川っぽい
私のたからもの(たくさんありすぎ)の鉱石です♪
何の石かわかりますか?
原石です。磨き原石。
サイドがちょうど天の川っぽいかも。
はじめに↑を撮影したのですが
実は裏っかわのほうが夜空っぽい・・・。
今日は七夕だったので昨日からこの石を紹介しようと思ってました。
図らずも夜に読んだ本と内容が少し重なりました。
きれいでしょう?
ラピスラズリ、瑠璃です。
見てるだけで癒やされます。
ということで閑話休題。
話を元に戻します。
さて万葉集に出てくる「たま」ということばを考えるときに
古代人の信仰とも深い関わりがあるということを知っておいてください、ということです。
「日本人は霊魂をたまといひ、たましひはその作用をいふのです。
そしてまた、その霊魂の入るべきものをも、たまといふ同じことばで表してゐたのです。」
たま=霊魂
たましい=霊魂の作用
そして霊魂が入るべきものも「たま」
ということなのですね。
ところで霊魂の作用って何???
人を生かしてる、ってことなのでしょうか???
ということでヒトの体に入る前に
霊魂はいろいろな物質に入り込むらしいのですが
その代表的なものが「石」だそうです。
これは日本人のアニミズムとも関係あるかもしれませんね。
確かに「石」が神さまの依り代になってる場合もありますよね。
装身具の「玉」=霊魂の貯蔵庫としての「玉」でもあったということなのです。
霊的な力を自由に発動させることがこの「玉」によってできてた、という信仰があったというわけなのですね。
で、「みすまる」ってなんだろう?って思って調べてみたら
こんな風に「弟棚機」という歌がでてきて
みごと本日の七夕の話題とあいなりました。(笑)
ちなみにこの歌の詳細はこちらに詳しく書かれてあります。
ま、なんやかんやで結局「たま」の究極の収納場所は
ほかならぬ人間の肉体なのですが。
ほかにもいろいろと書かれてありましたが
私がいちばん気になったのは柿本人麻呂の歌と
大伴坂上郎女の歌です。
「たま」=魂というのをあてはめて考えないと
わからない歌なのです。
詳細はぜひ本を読んでみてください。(笑)
kindleだと無料なので。
大伴坂上郎女の歌をざっと説明すると(結局説明するんかい!)
こんな感じです。
坂上郎女の歌
*玉主に玉はさづけて、かつがつも 枕と我は、いざ二人ねむ(六五二)*
これは自分の娘を嫁にやった母の気持ちを詠んだ歌です。
ポイントは「かつがつ」ということば。
このことばがあるだけで
二人で寝るという条件を完全には備えてないことがわかります。
完全に二人で寝ているわけではない(娘がお嫁にいっちゃって)けれど
とりあえず二人で寝ている、ということなんですね。
字面だけ追うと枕と私で二人、となりますね。
でもそれだと二人というにはおかしい。
枕は人でないんで。
ところが冒頭に「玉主に玉はさづけて」とあります。
「たまの本来の持ち主にたまを授けた、保管せらるべきところにかへった」というのが
この「玉主に玉はさづけて」の意味なのです。
これが「かつがつ」ということばに深みを与えているのです。
どういうことなのか?
それは枕元に「玉」を置いておくのはそこにその人の「魂」がある、ということなのです。
枕元に魂の宿る玉をおくことによって
枕が「一人」分となるのです。
なので枕元に魂ならぬ玉があることで「ヒト」となっているわけなんですね。
分身ってことでしょうか。
つまり「枕辺に玉を置くまじつくがあつたことを、考へに入れて解かなければ、
此等の歌はわからないのです。」
※まじつく=マジック
「そこで行きづまる事は、枕にはいってくる霊魂と、
人間が生きてゐる上にもつてゐなければならぬ霊魂とは、
同じものかどうか、といふ事です。
此までは、別のものと考へてゐました。」
「併し、枕のたまと人間の霊魂とは、深い関係にあるらしい事が、
前の歌々を見ると考へられて来ます。
さうなると、この点はまだ、私にも疑問として残ることになるのです。」
結論。
「とにかく、かういふ風に、神の霊・人の霊・旅行中の霊魂と、
霊魂を考へて行けば、いろんな古代の信仰問題が訣つてくると思ひます。」
(※訣つて=わかって)
ということで万葉集の「たま」と「霊魂」のお話でした。
ラストの郎女の歌の話、ビックリしましたね。
実は私、毎晩枕元に「たま」を置いて寝てるんです・・・。←カミングアウト
知らないうちに古代人の信仰を抱えていたんですね。(笑)
以前にも少し記事にしたかと思いますがアズライト。
何かメッセージがあれば受け取りやすいように・・・と思って
いっしょに寝てるんです。
(そういえば最近、メッセージは特にないな・・・。
メッセージくれ、とも特にお願いしてないし。
そもそも爆睡。)
とりあえずかわいいんでいっしょに寝てるんですが。←まさしく生きもの
まさかの古代人とシンクロしていたとは。
ということで七夕にちなんだ(いや、七夕感、ほとんどなかったよね・・・)お話です。
本の感想なのか、石の話なのか・・・。
ということでまた晴れ間が少し見えてきました。←ひきこもりだから?
今日は暑くなりそうですが
熱中症に気を付けて本日も一日がんばりましょう!
よい一日を♪
山陰の大雨も気になりますね。
どうか甚大な被害がでませんように・・・。
さっきはお日さま出てたのですが
また曇ってきました。
そして暑いです。
これからいっそう暑くなってくるだろうから
エアコン作動させて
本格的な夏に備えてます。
さて今日は七夕なのですが
昨晩読んだ本がちょっとだけ(ほんっと少しだけですが)
たまたま七夕っぽかったので
書いときます。
最近、やたらと私の中のヒトが本を読みたがって困ります。(笑)
視力も落ちてるし、眠いので
寝る前の読書は減らそうと思っていたのに
なぜか反比例で読み漁ってます・・・。
で、昨日読んだ本(といっても別の本も読んでいたのですが)はこちら。
ひさびさに文学部っぽい感じの本です。(笑)
折口信夫さんの「万葉集に現れた古代信仰ーーーたまの問題ーーー」なる本です。
ちなみにkindleで無料だったので。
万葉集における古代信仰についてのお話。
そうなると幅広くなるので
今回は「たま」に限ったお話です。
「玉といへば、光かがやく美しい装飾具としての、
鉱石の類をお考へになるでせう。
又、万葉集で「玉何」と修飾の言葉としてついてゐるのは、その美しさを
賛美した言葉だ、とお考へになるでせうが、
多くの場合、それは昔からの学者の間違ひの伝承です。」
この文を読んだときに、???と思いました。
なぜならすでに私の中で「たま=魂」とインプットされてあったので
いまさら感があったんですね。
なので初めから「魂」についての本、というつもりでこの本を開いたのです。
なのでこの本はいわゆる装飾具の「玉」ではなくそれにまつわる「魂」のお話なのです。
ということで強引ですが
今日は七夕なので宇宙っぽい、天の川っぽい
私のたからもの(たくさんありすぎ)の鉱石です♪
何の石かわかりますか?
原石です。磨き原石。
サイドがちょうど天の川っぽいかも。
はじめに↑を撮影したのですが
実は裏っかわのほうが夜空っぽい・・・。
今日は七夕だったので昨日からこの石を紹介しようと思ってました。
図らずも夜に読んだ本と内容が少し重なりました。
きれいでしょう?
ラピスラズリ、瑠璃です。
見てるだけで癒やされます。
ということで閑話休題。
話を元に戻します。
さて万葉集に出てくる「たま」ということばを考えるときに
古代人の信仰とも深い関わりがあるということを知っておいてください、ということです。
「日本人は霊魂をたまといひ、たましひはその作用をいふのです。
そしてまた、その霊魂の入るべきものをも、たまといふ同じことばで表してゐたのです。」
たま=霊魂
たましい=霊魂の作用
そして霊魂が入るべきものも「たま」
ということなのですね。
ところで霊魂の作用って何???
人を生かしてる、ってことなのでしょうか???
ということでヒトの体に入る前に
霊魂はいろいろな物質に入り込むらしいのですが
その代表的なものが「石」だそうです。
これは日本人のアニミズムとも関係あるかもしれませんね。
確かに「石」が神さまの依り代になってる場合もありますよね。
装身具の「玉」=霊魂の貯蔵庫としての「玉」でもあったということなのです。
霊的な力を自由に発動させることがこの「玉」によってできてた、という信仰があったというわけなのですね。
で、「みすまる」ってなんだろう?って思って調べてみたら
こんな風に「弟棚機」という歌がでてきて
みごと本日の七夕の話題とあいなりました。(笑)
ちなみにこの歌の詳細はこちらに詳しく書かれてあります。
ま、なんやかんやで結局「たま」の究極の収納場所は
ほかならぬ人間の肉体なのですが。
ほかにもいろいろと書かれてありましたが
私がいちばん気になったのは柿本人麻呂の歌と
大伴坂上郎女の歌です。
「たま」=魂というのをあてはめて考えないと
わからない歌なのです。
詳細はぜひ本を読んでみてください。(笑)
kindleだと無料なので。
大伴坂上郎女の歌をざっと説明すると(結局説明するんかい!)
こんな感じです。
坂上郎女の歌
*玉主に玉はさづけて、かつがつも 枕と我は、いざ二人ねむ(六五二)*
これは自分の娘を嫁にやった母の気持ちを詠んだ歌です。
ポイントは「かつがつ」ということば。
このことばがあるだけで
二人で寝るという条件を完全には備えてないことがわかります。
完全に二人で寝ているわけではない(娘がお嫁にいっちゃって)けれど
とりあえず二人で寝ている、ということなんですね。
字面だけ追うと枕と私で二人、となりますね。
でもそれだと二人というにはおかしい。
枕は人でないんで。
ところが冒頭に「玉主に玉はさづけて」とあります。
「たまの本来の持ち主にたまを授けた、保管せらるべきところにかへった」というのが
この「玉主に玉はさづけて」の意味なのです。
これが「かつがつ」ということばに深みを与えているのです。
どういうことなのか?
それは枕元に「玉」を置いておくのはそこにその人の「魂」がある、ということなのです。
枕元に魂の宿る玉をおくことによって
枕が「一人」分となるのです。
なので枕元に魂ならぬ玉があることで「ヒト」となっているわけなんですね。
分身ってことでしょうか。
つまり「枕辺に玉を置くまじつくがあつたことを、考へに入れて解かなければ、
此等の歌はわからないのです。」
※まじつく=マジック
「そこで行きづまる事は、枕にはいってくる霊魂と、
人間が生きてゐる上にもつてゐなければならぬ霊魂とは、
同じものかどうか、といふ事です。
此までは、別のものと考へてゐました。」
「併し、枕のたまと人間の霊魂とは、深い関係にあるらしい事が、
前の歌々を見ると考へられて来ます。
さうなると、この点はまだ、私にも疑問として残ることになるのです。」
結論。
「とにかく、かういふ風に、神の霊・人の霊・旅行中の霊魂と、
霊魂を考へて行けば、いろんな古代の信仰問題が訣つてくると思ひます。」
(※訣つて=わかって)
ということで万葉集の「たま」と「霊魂」のお話でした。
ラストの郎女の歌の話、ビックリしましたね。
実は私、毎晩枕元に「たま」を置いて寝てるんです・・・。←カミングアウト
知らないうちに古代人の信仰を抱えていたんですね。(笑)
以前にも少し記事にしたかと思いますがアズライト。
何かメッセージがあれば受け取りやすいように・・・と思って
いっしょに寝てるんです。
(そういえば最近、メッセージは特にないな・・・。
メッセージくれ、とも特にお願いしてないし。
そもそも爆睡。)
とりあえずかわいいんでいっしょに寝てるんですが。←まさしく生きもの
まさかの古代人とシンクロしていたとは。
ということで七夕にちなんだ(いや、七夕感、ほとんどなかったよね・・・)お話です。
本の感想なのか、石の話なのか・・・。
ということでまた晴れ間が少し見えてきました。←ひきこもりだから?
今日は暑くなりそうですが
熱中症に気を付けて本日も一日がんばりましょう!
よい一日を♪
山陰の大雨も気になりますね。
どうか甚大な被害がでませんように・・・。
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