好い加減な日本人と日本社会

勝手に首相は国民の意思ではなく決まってしまう。大統領とは言わないけど首相を決める選挙を超党派で決める事が出来無いと。。

仕事納め

2009-12-29 09:57:45 | Weblog
お仕事有るうちは、この言葉が使えるが無い人にとっては辛い言葉になると思います。この言葉を辛い言葉として聞く人の割合が増えている。労働力が有るのか?無いのか?グローバル化が本当に正解なのか?民族意識として間違えを犯していないか?中国の労働力、ブラジルの労働力、各国の労働力は単に人件費の節約と企業として生き延びるだけではなく日本人に期待が持てない。仕事とは言葉が通じなくても機械操作やパソコン等が扱えれば資格や認可が無くても仕事をさせられる事が問題なのでは無いのでしょうか?昔はバリが出ていれば返品騒ぎ。商品に欠陥が有ればトコトン追求した消費者がいて技術や品質管理を求めていた。今ではクレーマー扱いされて文句は言えない時代になり商品も曖昧、買う側も曖昧で、昔のアメリカの商品みたいに味もへったくれも衛生や添加物等、関係無く食べさせられていて食文化は奈落に落ちていないだろうか?国の認識と誇りは食文化から始まると思っています。A級グルメとは何なの?何故、B級グルメなの?美味しくて日本の伝統食文化の象徴で昔から伝えられている食がA級グルメなのでしょうか?ラーメンに始まり生クリームに始まり良い物悪い物、改良すべき物は色々と有る事は理解できます。現代人の舌が古代人とは違う事も理解できます。私は昭和50年頃に食した添加物だらけかもしれないラーメンが一番美味しいと感じています。今のラーメンは口に合わない。何かマニュアル通りに出汁やスープやチャーシューやメンマも講釈は解るけど美味しいとは思えない。生クリームも昭和45年頃新潟で食べたイチゴクリームのコッペパンサンドが未だに日本一です。今のは日持ちさせる為にプラスチックやビニールぽい時が有る。上手さより日持ち、毎日商店街に歩いて買い物に行けなくて大型スーパーに一週間分の食材を大型ワゴン車で買い物に行く。この風景はアメリカに似ている。東京や大阪、名古屋は人口も多いから商店街が残る。環境を考えるなら各人がガソリンで買いに行かなくても歩きや若しくは持ってきてくれる三河屋さんの時代や行商が復旧するような社会に成らないと実現できないでしょう!それには人間同士の信頼やパソコン使っての間違えの是正等システム的に考えて構築することが重要なのである。たまに外食するからこそ、ご馳走で高くて美味しい家庭では出せない味を求め生きていて満足が出来ると思うんです。逆に社会主義のように極端に給食や弁当で煮炊きを集中して環境破壊を防ぐために各家庭料理を我慢するか国民の意識が無い限り餓鬼大将の25%削減の夢は実現出来ないと思います。今の政治家で、この様な意見を言っている人は居ますか?皆無でしょう!自分の事しか考えずに生きていて国の事、地域の事を民族を生き伸ばす事を何も考えていない。真剣に考えてみるべきです。不景気で家にこもることが多い来年の正月であれば地域の故里の伝統や食文化やお袋の味を次は誰が継承してくれるのか考える事が暇を潰す事に成ると思います。空を見上げて雪を見つめて考える事をしてみては如何でしょうか?日本国の事、大和民族の事、歴史も重要ですけど継承出来なければ終わると思います。
コメント
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