東方のあかり

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韓国のバス王、許明会。

2019-01-17 10:52:58 | 韓国物

年のはじめに縁起のよい文章で。

韓国のバス王と言われる許明会(ホ・ミョンフェ)さんのことをご紹介したい。

許明会さんは、1931年生まれで今年89歳のおじいさんだ。
2000年にMBCという放送局で放映した「成功時代」というドキュメンタリー番組が
最近また再放送されそれを偶然見てこれはすごいと思ったことが書こうと思った動機である。

1961年に大学4年生だった彼は「お金を稼ぐのに大学の卒業証書は必要なし」と考え、4年時に退学。
京畿旅客(ギョンギ・ヨゲク)というバス路線を運営する会社に入社する。
はじめはバスの配車を担当。
入社早々から午前4時出勤、午後11時半退社という日常。
入社当時から「20年後にはこの会社の社長になる」という決意をもって仕事をした。
すべての仕事が自分の仕事に見えた。
トイレ掃除からバスの整備・修理にいたるまで、
本業であるバスの配車(どのバスをどの時間帯に配車するかなど)の仕事は勿論のこと、
その他会社内で生じる仕事は全て自分の仕事と捉え積極的に仕事した。
あるとき、バスの修理担当の技師を手伝っていると、
バスの運転手から何の理由もなく「なんだこいつ、配車担当がなんでこんな夜遅くまで
バスの修理などを手伝っているのか、早く帰れ」と頭を強く叩かれるということもあった。
肉体的な厳しさよりこうした精神的なもののほうがよっぽど堪えがたかったが、
20年後の自分の夢を思ってなんとかがまんするのだった。
こういう情熱は当然会社の上層部にも伝わることとなり、
入社6か月にして30余台を保有するスンインドン営業所の所長、
4年目で部長昇進、さらに2年後の1967年にはじめてバスを所有する者となった。
バス路線を運営する会社というのは、会社の中のバスは所有者が別にいて、
さらに運転手が別にいるというシステムになっていた。
バスは高価だから簡単にオーナーにはなれない。
許明会氏は6年目にしてゼロから出発しバスのオーナーになったわけである。
1970年にはバスを13台所有する中堅のオーナーになっていた。
71年に、30余台を保有するヂョンノ(鐘路)・ウィジョンブ(議政府)間を走る路線の社長から
「会社を買わないか」と提案があった。この路線は花形路線なのになんでオレなんかに売ろうとするのか、
ギモンに思って路線バスに乗ってみた。客は常に満員だったが、問題は途中の峠の坂道だった。
ここでバスがエンコしてしまうのだった。原因は過酷運転に加えて整備不良および修理ミスだった。
許明会氏は修理のことなど何も知らないで会社に入ったけれど、
毎日修理を手伝う過程でほとんどが見えるようになっていたため
そんな原因もすぐにわかったのだった。
整備さえきちんとやり、過酷運転さえしなければなんとかやれそうだ、
そう判断した彼はこの会社を買い取ることを決める。
その後すぐバス料金が35ウォンから40ウォンへ値上がりするなど、
許明会氏にとっては追い風となってくれた。
78年、京畿旅客の株主総会が招集された。召集したのは許明会氏。
株主が集まっているところへ許明会氏が最後に登場し、
「わたくしがこの会社の株の55%を所有しています。明日からわたくしが会社の社長になります」と宣言した。
並み居る株主たちから殴る蹴るの暴力をうけたけれど、ほぼ無抵抗でやるがままにさせておいて
自分は実質だけを取った。20年後に社長になるという夢を2年短縮して晴れて社長になった許明会氏。
さっそく京畿旅客の大改造に取り掛かる。
経営のポイントは次の5つのキーワード。
その1.決済書類の簡潔化。
 決済書類を社員が手に持って課長、部長、常務などとハンコをもらって動く過程をなくし、
 社長みずからが社員のところに行って決済書類にハンコを押す。つまり社長が社長室にふんぞり返っている
 のではなくハンコをもって社員のほうへ行く。
その2.社員の福祉優先。
 社員は家族という思想の実践だ。運転手に対する給料を奥さんに直接あげるのだ。給料をもらうと必ず
 男たちは酒を飲んで花札などのばくちをするのが一般的だった。これを防ぐ方策としてやった方法である。
 食堂は健康なものを無料で食べれるようにし、クリーニング部門なども会社の中に作ってやった。
その3.工場と直接取引。
 バスの所有台数を増やすことによって、大量注文が可能となり、部品やタイヤなどを工場と直接に取引できるようにし、
 大幅な経費節減を図る。
その4.安全運転と顧客重視。
 営業所に香水を常備し、運転手は常に香水をふってからバスに乗るようにした。お客がいちばん先に触れるのが
 運転手。汗くさいにおいよりは涼しげの香水の香りのほうがいいに決まっている。
 またこれがおもしろいところだが、36歳以下は採用せず。血気盛んなためすぐ喧嘩をしたり事故ったりしやすいという理由。
 独身者もまた運転手として採用せず。チョンガーは責任感が弱いと。結婚していても家をもってない人もだめ。
 いい年をして家もないようでは人間としてどっか欠けたところがあるから。容姿も大切にした。
 たとえばヤーさん風の人は不採用だった。運転手には運転手としての風貌があると許明会氏は考えている。
その5.透徹した職業倫理。
 社長室には冷房も暖房もない。小さな机がちょこんとあるだけ。殺風景そのもの。自分からハンコをもらいに
 下に下りていくわけだから何もいらないのだという。
 また社長の車は中古車。修理に修理を重ねた年季ものだ。車の底が抜けそうになるまで使っていたと
 前の社長付き運転手は証言する。社長のこのようなマインドは社員たちにはすぐに伝わる。
 社長が一番苦労し働いているという認識が全社員にあるため、社長の指示や会社の方針は社員には100%受け入れられる。
 労使紛糾は一度もなかったという。

ここまでが2000年度の番組の内容である。
一つ書き忘れたことがあった。入社から2000年までの40年間で休んだのはたったの13日だけ。
77年に父親の葬式で5日。79年母親の葬式で5日。86年に白内障の手術のため3日。
公休日も入れて欠勤したのは締めてこの13日だけ。
鬼のような会社人間だが、仕事が楽しいからなんの苦もないという。
ワークアズライフそのものの人生だ。ワークライフバランスなどくそくらえなのである。

2000年のドキュメンタリー放送当時、
会社が所有するバスは合計2000台であったが、2017年にはなんと5100台となり、関連会社は合計15個にまで。
市内バスを皮切りに市外バス、広域バス、空港バス、高速バスから観光バスまで運営する、
韓国一のバス会社となっている。
さらに大学をはじめとして高校、中学なども相当数所有するなど教育分野でも大活躍だ。

一兵卒から叩き上げ韓国一のバス会社のCEOとなった許明会氏。
4年ほど前に夫人に先立たれたが、今は息子の経営を補佐する立場でやりながら元気に日々を謳歌している。
こんな会社で働いている人たちは、さぞ幸せなことだろう。
許明会さんには娘が3人、息子が1人いて、その長女がわが妻と大学の同級生である。
長女が大学生のころ、(許明会さんがちょうど2年前倒して京畿旅客の社長となったころだけど、)
彼女は非常に質素で、全然目立たなかったということだ。
この長女のことや父親の許明会さんについては前から妻から聞いていたのだけれど、
再放送の番組を見てわたし自身が本当に感動し、今回のメルマガを書くことと相成った。
こういう化け物みたいな人が韓国にはときどきいる。

 

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