【ことば】新型出生前診断
妊婦の採血だけで胎児の染色体異常の有無を高い精度で判別できる検査。国内では今年4月から、日本産科婦人科学会の指針に基づき、臨床研究として実施されている。従来の羊水検査などより早い妊娠10週前後から検査でき、流産や感染症の危険性がない。診断を受けられる妊婦は、超音波検査などで染色体異常の可能性がある▽染色体異常のある子を過去に妊娠▽高齢妊娠(出産時35歳以上)--に限定されている。
◇解説 選択の背景、議論必要
現在の新型出生前診断は、全国の大学病院などで臨床研究として実施され、その費用約20万円は自己負担となっている。診断を受ける夫婦は比較的高収入で、事前に自分たちで診断について調べるなどして、「陽性の場合は出産をあきらめる」と決めたうえで実施施設を訪れる例も多いという。
臨床研究の実施グループが、今回の解析で陽性の症例が出た施設へアンケートしたところ、陽性が確定した症例の3~4割ではカウンセリングに小児科医も同席したが、「産む選択を迫られる気がする」などの理由で、小児科医の同席を拒否するケースもあったという。強い意志を持って検査を受ける人が相当数いることが現在の特徴と言える。
中絶の背景に、障害を持つ子を産み育てることに不安を抱いたり、障害を持つ人と身近に接する機会が少なかったりする社会のあり方がある。新型出生前診断を受ける夫婦だけの問題でなく、社会で議論を深めることが必要だ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131122-00000007-mai-soci
●-●-●
2013年04月01日01:00
生活板用語集
カテゴリ運営
onihimechanonihimechan
Comment(0)
2013年7月19日更新
◆鬼女
┗既婚女性
◆気団
┗既婚男性
◆毒男
┗独身男性
◆毒女
┗独身女性
◆毒親
┗子供の悪影響にしかならない親
◆小梨
┗子供なし
◆ボッシー
┗母子家庭
◆プリン
┗不倫
◆泥
┗泥棒、盗み
◆放置後
┗放置された子供
◆凸
┗突撃
◆24(つーほー)
┗通報
◆ファビョる
┗我を忘れて怒る、取り乱して怒る
◆ ウト/舅
┗夫の父親
◆トメ/姑
┗夫の母親
◆コウト/小舅 コトメ/小姑
┗夫の兄弟、姉妹
◆エネ(Enemy)
┗敵
◆CO(カットアウト)
┗交友関係を断ち切る
◆FO(フェードアウト)
┗交友関係を徐々に減らす
◆ゲスパー
┗ゲス+エスパー=下衆の勘ぐり
◆ぶんぶん台、ぶんぶん室
┗分娩台、分娩室のこと。
http://onihimechan.com/archives/28598212.html
●-●-●
続々・転ばぬ先のExcelワザ これだけは覚えておきたいExcelテクニックまとめPart3
http://news.livedoor.com/article/detail/8195817/ (10/27 ITライフハックより)
Wordで強調したい文字の上に「・・・」(傍点)を付ける方法【知っ得!虎の巻】
http://news.infoseek.co.jp/article/itlifehack_8099406 (10/28 ITライフハックより)
「興味を引かれるような地図を外国人が貼っていくスレ」海外の反応
http://blog.livedoor.jp/drazuli/archives/6862556.html (10/13 暇は無味無臭の劇薬 より)
続々・転ばぬ先のWordワザ これだけは覚えておきたいWordテクニックまとめ
http://news.infoseek.co.jp/article/itlifehack_8124184 (11/03 ITライフハックより)
知らないと損? Gmailアドレス1つで SNSアカウントをいくつでも取る方法
http://news.livedoor.com/article/detail/8173025/ (10/19 TABROIDより)
●-●-●
韓国 ベトナム戦争での「ライダイハン」を史実から消去画策
2013.11.13 07:00 NEWSポストセブン
国際情報誌『SAPIO』が12月号で『韓国が背負う「嘘の代償」』と題する大特集を行なっている。ここでは、なにかと日本を批判するものの、あまりにも根拠が薄いような主張をする彼の国のあり方に疑問を投げかけている。
旧日本軍による「慰安婦強制連行」を捏造した韓国は、もともと売春婦であるはずの慰安婦を「SexSlave」として国際社会に浸透させた。その傍らで、ベトナム戦争(1960~75年)に参戦した韓国軍による現地婦女子への性的暴虐は史実から消し去ろうとしている。
2000年6月27日、韓国・ソウルの『ハンギョレ新聞』本社が2000人を超える迷彩服姿のデモ隊に包囲された。社屋に侵入したデモ隊の一部は暴徒化し、同社幹部らを監禁、暴行を加え、オフィスや地下駐車場の車を破壊した。デモ隊は「大韓民国枯葉剤後遺症戦友会」のメンバー、つまり退役ベトナム参戦軍人である。
発端は、同社発行の週刊誌『ハンギョレ21』(1999年5月6日号)に掲載されたベトナムにおける韓国軍の民間人虐殺特集だった。「通信員」として記事を書いたのは、当時、ベトナム留学中だった大学院生の具スジョン氏。ベトナム当局から虐殺の資料を入手し、徹底した現地取材と生存者へのインタビューを重ね、韓国軍による無差別殺戮の実態を白日の下に晒したのである。記事は、ベトナム中部のビンディン省の村々で起きた凄惨な虐殺事件を生々しく伝えている。
〈1966年1月23日から2月26日までの1か月間、猛虎部隊3個小隊、2個保安大隊、3個民間自衛隊によってこの地域だけで計1200人の住民が虐殺され、その中には1人残らず皆殺しにされた家族が8世帯もあった。(中略)生存者の証言を元に韓国軍の民間人虐殺方式を整理してみると、いくつかの共通したパターンが見られた。
●子供たちの頭や首を切り落とし、手足を切断して火に投げ込む
●住民をトンネルに追い詰め毒ガスで窒息死させる
●女性たちを次々に強姦したあと殺害
●妊婦の腹から胎児が飛び出すまで軍靴で踏みつける〉。
韓国史のタブーに踏み込んだこの特集を皮切りに、同誌は韓国軍の戦争犯罪を糾弾する「ベトナムキャンペーン」を継続的に展開。冒頭の事件はそれに猛反発する退役軍人の凶行だった。
しかし、ベトナム戦を経験した退役軍人の中には当時の非人道的行為を悔いる者もいた。元韓国海兵隊員の金栄萬氏は、『戦争の記憶 記憶の戦争─韓国人のベトナム戦争』(金賢娥著・三元社刊)でこう証言している。
「越南に到着して、私が聞いた話は、『強姦をしたら必ず殺せ、殺さなかったら面倒が起きる、子供もベトコンだからみな殺さねばならない』といったものでした」
韓国は1964年から73年まで延べ32万人を南ベトナムに派兵。ダナンに海兵隊第2旅団(青龍部隊)、クイニョンに首都ソウル防衛師団(猛虎部隊)、ニンホアに第9師団(白馬部隊)が駐屯した。白馬部隊の連隊長には後に大統領となった全斗煥、猛虎部隊の大隊長には盧泰愚が就いていた。
前出・具氏の調査によると、韓国軍によるベトナム民間人の虐殺被害者は少なくとも9000人以上と見られている。村人65人が犠牲になったビンディン省・タイビン村では、韓国兵士に輪姦された女性が焼き殺される惨たらしい事件も起きている。そうした史実は国際的には知られているが、韓国の教科書にはもちろん載っていない。
かわりに日本の軍隊が、慰安婦として若い朝鮮人女性を無理矢理連れ去ったという証拠のない話が大々的に書かれている。
韓国兵によるレイプなどでベトナム女性との間に生まれた子供は「ライダイハン」と呼ばれた。ベトナム語で「ライ」は混血、「ダイハン(大韓)」は韓国を意味する蔑称だ。韓国『釜山日報』によると、現在、ベトナムにいるライダイハンは最大3万人と推計される(諸説あり、数千人とする指摘もある)。
その多くは戦争終結後、ベトナムに流入した韓国人ビジネスマンと現地女性の間に生まれた子供と言われているが、韓国兵のレイプにより生まれたライダイハンが少なからずいるのは事実だ。レイプされた被害者数はその何百倍、何千倍にも及ぶ可能性がある。
今年8月、韓国国防部の報道官は、米・ニュースサイト「グローバル・ポスト」の取材に「韓国軍が組織的に民間人を虐殺することは不可能。わが軍隊は厳しい規律と命令系統の下で任務を遂行しており、ベトナム人女性の性的搾取もまったくない」と答えたが、それを証明する調査も史料も示さなかった。ここでも日本に対する態度と自国のやり方に大きな乖離がある。
http://www.news-postseven.com/archives/20131113_226234.html
●-●-●
奥山真司
2013年10月22日 21:25
英・仏・蘭がカリブ諸国から奴隷制について謝罪と賠償を要求される
今日の横浜北部は朝から曇りでしたが、雨はまったく降りませんでした。けっこう過ごしやすい一日でしたね。
さて、昨日Twitterで紹介した、奴隷制への旧宗主国側への謝罪・賠償金請求に関する最近の動きの話題を。
ここで勘違いしてはいけないんですが、イギリスは賠償金は払っているのは事実。しかしそれは制度を廃止したために損をした奴隷のオーナーたちに対して支払われたもの。
イギリスもフランスもオランダも、賠償・謝罪はしないわけで。
===
カリブ諸国は奴隷制の被害について賠償金を計算中
By スティーブン・キャッスル
●ウイリアム・ヘイグ英外相は2008年に出版した自伝の中で奴隷解放のために戦ったある人物に触れつつ、人間を取引する行為というのは擁護しようのない野蛮行為であり、「徹頭徹尾、カネ目当ての残虐で非人道的なものである」と述べている。
●その奴隷経済を支えたカリブの14ヶ国は、ヘイグ氏にたいしてその言葉に見合った通りのことを行うように求めている。
●二百年間続いたこの非人道的な感覚によって、この14ヶ国は自分たちが受けたと信じている被害の目録を作成することを計画しており、その後にイギリス、フランス、そしてオランダという元帝国たちから謝罪と賠償を求めようとしている。
●それを実行するために、彼らは今年にイギリスが1950年代に統治下のケニヤ人にたいして行った拷問にたいする賠償を勝ち取った、ロンドンの弁護士たちを雇入れている。
●イギリスは1807年に奴隷貿易を違法化したが、その遺産は残っている。2006年にトニー・ブレア首相(当時)は奴隷貿易にたいして「深い悲しみ」を表明している。オランダの厚生大臣も7月に同じような声明を発表している。
●イギリスはすでに奴隷貿易の賠償金を支払ったことがある。しかし支払ったのは奴隷のオーナーたちにたいしてであり、その犠牲者たちではない。
●イギリスは大西洋間で300万人以上の奴隷を運搬しており、そのインパクトは莫大なものだった。歴史家たちの推測によれば、ビクトリア朝時代にイギリスの富裕層の五分の一から六分の一は奴隷貿易から何かしらの利益を得ていたという。
●ところがはるか昔に死んでしまっているリーダーや将軍たちの行ったそれらの行為にたいする謝罪――ましてや賠償――というのは、世界中でも微妙な問題となっている。トルコはオスマン帝国時代のアルメニア人の大量死にたいする責任については拒否しているし、それを「虐殺」と呼ぶことなどは(フランス議会はそう呼んでいるが)言語道断だ。
●ビシー政権下のユダヤ人にたいする犯罪にたいして、ジャック・シラク大統領(当時)が謝罪したのは1995年であったし、現在のオランド大統領も去年になって元植民地であるアルジェリアへの扱いが「苛烈で不公平であった」と認めている。しかし彼は謝罪をするには至っていない。
●彼の前任者であるサルコジ大統領は、2010年にハイチへの支援と債務の解消を申し出ており、同時に「植民地化の傷」についても認めている。
●1997年にはイギリスでブレア首相が1840年代の「ポテト飢饉」について「今日でも痛みを感じる問題だ」と述べているが、「痛みを感じる」ということは公式な謝罪とは違うのだ。
●たしかにそのようなコメントでは、1970年にワルシャワのゲットーでひざまずいたウィリー・ブラント元首相や、ナチスの犯罪について賠償金を払った、戦後のドイツほどまでのことは触れられないのだ。
●カリブ諸国側の議論では、彼らの酷い過去が今日まで引き続き彼らをおびやかしている、ということになる。今年の七月にアンティグア・バームーダーのボールドウィン・スペンサー首相は「われわれがいまでも直面している資源開発の困難の原因は、われわれが奴隷制と植民地化された時に蓄積することができなかったという歴史的な過去にあるんです」と主張している。
●彼によれば、賠償金は奴隷制と人種差別によって受けた被害に直接支払われるようなものでなければいけないという。
●ロンドンの法律会社でカリブ諸国に雇われたレイ・デイ社の顧問であるマーティン・ディ氏は、裁判の手続きは来年にハーグの国際司法裁判所で始まる可能性があると言っている。
●「カリブ諸国とアフリカ西部で起こったことはあまりにも酷いことであるとわれわれは感じております。なので国際司法裁判所に提訴すれば勝訴の可能性はあると思いました。実際のところ、ある階層の人間をまとめて服従させるということはとんでもないことですからね」とはデイ氏の弁。
●そのカリブ諸国の何ヶ国は、すでに受けた被害についての調査を開始しており、それらは奪われた教育・経済の機会や食事や健康問題まで含まれるという。
●もちろん「数世紀前の悪行まで追求するのは意味がなく、カリブ諸国は経済開発支援という形で賠償金を受け取っている」と指摘する声もある。
●法的な面でも厳しいものがある。たしかに英米の企業は過去の奴隷制とのつながりについて謝罪しているが、19世紀のアフリカ系アメリカ人の奴隷の子孫たちによる賠償金獲得への試みはほとんど成功していない。そして成功したケニア人のマウマウ族の反乱にたいしてイギリスが行った拷問にたいする賠償のケースでも、奴隷制の被害者が裁判所に姿を表したわけではなかったのだ。
●しかもこのケースでさえ、当初は数々の元植民地から謝罪を申し込まれることを恐れた英政府から疑問の声が発せられ、ヘイグ外相が賠償を行うと発表した時も、「これは先例になるようなものではない」と主張しているのだ。
●英議会はたしかに1807年に大西洋での奴隷貿易の禁止を制定しているのだが、それが効力を発揮するにはかなりの年数がかかっており、1833年に英議会は奴隷の元オーナーたちにたいして2000万ポンドを賠償金として支払っている。ロンドン大学のユニバーシティー・カレッジのニック・ドレーバー氏によれば、これはその当時の国家予算の4割にものぼり、これは現在の210億ドル(20兆円)にもなるという。
●ドレーバー氏の調査によれば、この賠償金を受け取ったのは作家のグラハム・グリーンやジョージ・オーウェルの先祖たちや、現在のキャメロン首相の遠い親戚だという。
●ところが現在の犠牲者の子孫たちにたいする賠償金の支払いの可能性はかなり低い。ケンブリッジ大学の国際法の専門家であるオキーフィー氏によれば「この提訴が身を結ぶという可能性はほぼゼロに近い。これは国際法の中でもたんなる幻想だろう」と言っている。
●彼はオランダとイギリスはすでに国際司法裁判所の権限を認めているが、イギリスの場合は1974年以前の出来事に関しては関知しないとしている。
●オキーフィー氏は「賠償金というのは、国際的にそれが行われた時に違法であると認められた時に支払い義務が発生します。そして奴隷制と奴隷貿易は当時は国際的に違法だったわけではないので、それを行っていた帝国たちもそのように認識していませんでした」と述べている。
●カリブ諸国側の弁護師たちもそれをわかっており、せめて望めるのは公式・外交を通じた圧力によって達成される示談だと暗示している。「われわれの主張は、最終的には歴史的な主張が政治的に解決されるべきだということです。まあそれでも国際司法裁判所でかなりよい主張はできると考えておりますが」とはデイ氏の弁。
●ヘイグ大臣自身の考えも、この難しい事実を表現している。彼はイギリスで最も有名な奴隷制廃止論者であったウィリアム・ウィルバーフォースの伝記の中のエピソードを引用しているのだが、これは1783年に起こった、飲水のなくなった奴隷船から船長が貨物の損失の保険金を獲得するために、133人もの奴隷を海に落としたというものだ。
●2007年はこの奴隷貿易廃止から200周年だったのだが、ヘイグ氏はこのような時代の「男女や子供の売買が、この国のために法にのっとって莫大な規模で行われ、それが利益を上げる商業活動になった」ということに遺憾の意を持つと述べている。
●ところが外相としてのヘイグ氏は賠償金の支払いに反対している。英外務省はイギリスが「奴隷制を非難」しており、現在も存在しているところにはその撲滅を働きかけるとしているが、「われわれは賠償金がその解決法であるとは考えていない」と声明で述べている。
===
これは左右にかかわらず、日本にとっても関心の高い話題かと。
http://blogos.com/article/72166/
●-●-●
国際人のための日本古代史(43)「京都の水害」と「秦氏の恨み」
フォーサイト 10月11日(金)12時43分配信
2013年9月、台風18号の影響で、京都を代表する観光地、嵐山一帯が被害を受けた。また、宇治川も増水し、下流の一部が浸水した。
ニュースに頻繁に取りあげられた嵐山の中之島公園の惨状を見ながら思い浮かべていたのは、古代豪族・秦氏のことだ。
あの中之島とやや上流の葛野大堰(かどのおおい)を造ったのは秦氏で、川の流れをふたつに分け、支流を造り出し、灌漑用水に用いたのだ。このため農地は広がり、土地は豊かになった。秦氏は、京都の生みの親といっても過言ではない。平安京の土地を所有し開墾していたのは秦氏だった。
秦氏は朝鮮半島東南部の新羅からやってきた渡来系豪族で「秦の始皇帝の末裔」を自称していた。興味深いことに、嵐山一帯の秦氏の遺構が秦の時代の都江堰(とこうえん、四川省)とそっくりだという指摘がある。
秦氏の祖が何らかの理由で中国から亡命し、朝鮮半島に留まった後日本列島にやってきた可能性は、否定できない。
■巨大な水運ジャンクション
今回の京都の災難は、京都の原初の姿が、亡霊のように現れたような事件だった。すでに忘れ去られてしまった「京都の成り立ち」が、水害によって、姿を現したのだ。
たとえば宇治川下流域はかつては巨椋池(おぐらいけ)で、戦前まで巨大な湿地帯だった。
平安京遷都の理由のひとつに「水運の利便性」が挙げられるが、具体的には、巨椋池が巨大なジャンクションになっていたことが大きな意味を持っていた。宇治川、木津川、鴨川、桂川の水がこの池に集まり、淀川に下っていった。
古代の水運は、想像以上に発達していた。琵琶湖から木材などを宇治川に流していたことははっきりわかっているし、木津川からも、大量の物資が流れ着いていたはずだ。そして、淀川を下れば、瀬戸内海に通じている。川を遡るときは、馬で船を引いた。巨椋池に集積された荷は、方々に散っていったことだろう。ここに、平安京の大きな利点が隠されていたのだ。
ただし周辺は水害に苦しめられたようで、豊臣秀吉が治水事業を始め、次第に干拓が進み、近代に至ると東西4キロ、南北3キロの規模に縮小した。そして昭和16年(1941)に、ほぼ姿を消したのだった。ただし、昭和28年(1953)に宇治川が決壊し、一面が水浸しとなり、この時は「太古の巨椋池の姿が高台からくっきりみえた」という。
■「祇園祭」は疫病を鎮めるため
巨椋池の北側のやや高台に位置する平安京も「水害の常習地帯」だった。鴨川が溢れれば、右岸域(西側)は水浸しになった。近代に至ってもよく溢れた。昭和10年(1935)の鴨川の大洪水では、京都市内で83名の死傷者を出している(桂川、天神川など他河川の洪水も含める)。その後河川改修が進み、ようやく安心して暮らせる街になった。
権力をほしいままにした白河法皇でさえ、双六のサイコロと山法師(比叡山の僧兵)と賀茂河(鴨川)の水だけは、意のままにならないと嘆いたほどだ。
四条通の東の突き当たりに八坂神社(京都市東山区)が鎮座し、夏になれば祇園祭で賑わうが、祭神は雷雨や災厄をもたらす疫神(えきじん)、荒御霊(あらみたま)として崇められた。これは祟る神で、それはなぜかといえば、この一帯から西側が水害の頻発する地域だったからだ。洪水ともなれば、疫病が蔓延した。
祇園祭はもとは「祇園御霊会」と呼ばれ、貞観11年(869)に流行った疫病を鎮めるためにはじめられたと伝わる。要するに、疫神を歌舞音曲でなだめすかす祭りである。
■「百済系」vs.「新羅系」
古代人は災厄を神の怒り、御霊の祟りとみなした。だから水害を繰り返す平安京の土地に原因を探っただろう。思い当たる節はあった。それが「秦氏の恨み」だ。
秦氏は渡来系ゆえ高級官僚への道を閉ざされていたが、都が平城京から山城(京都)に移されることになって、台頭の糸口を掴んだ。ところが、長岡京(平安京の前身)造営中の延暦4年(785)、造都の責任者を務めていた藤原種継(ふじわらのたねつぐ)が暗殺されて、秦氏も没落していく。犯行に荷担していたのではなく、藤原種継は秦氏から生まれた貴重な「ミウチ」だったのだ。
長岡京の土地を提供した秦氏は、権力者・藤原氏と姻戚関係を結び、一族繁栄の基礎固めを目論んだ矢先だった。そこで、頼みの種継が殺されてしまった。
事件の詳細は割愛するが、藤原四家の内紛に巻き込まれ、「秦はずし」の陰謀に屈したのである。
筆者は藤原氏を百済系とみなす。百済系遺民は新羅系渡来人を敵視していたから、秦氏の台頭は許せなかったのだろう。藤原氏は、長岡京、平安京の土地を秦氏から吸い上げ骨までしゃぶった上で、蹴落としたのだろう。秦氏の末裔たちが「祟る鬼」を自称していくのは、深い恨みゆえだ。
平安京で高笑いをしていた藤原氏であったが、洪水や疫病の蔓延を目の当たりにするたびに、「よもや秦氏の怨霊か」と、震え上がったにちがいない。
平安京の災害と祟りの恐怖は、雅な貴族社会の背後に隠れた、闇だったのである。
作家・関裕二
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20131011-0001000...
●-●-●
広瀬隆雄
2013年11月05日 00:45
15分でわかるイスラム教
イスラム教は現在のサウジアラビア(当時は、そう呼ばれていませんでした)で生まれた、比較的歴史の浅い宗教です。でも世界の人口の20%に相当する12億人がイスラム教を信じており、キリスト教に次ぐ大きな宗教です。
イスラム教の開祖はムハンマド(AD570年~632年)です。ムハンマドが生きていた頃のアラビア半島はベドウィンと呼ばれる遊牧民が砂漠をさすらうライフスタイルが普通でした。そこではオアシスの貴重な水を巡って争いが起きるなど、緊張に次ぐ緊張の暮らしが普通です。
このため人々は部族単位で生活し、戦闘し、信仰しました。それぞれの部族は、樹木やその他の自然物を各々選び、信仰の対象として拝んだのです。
メッカにあるカーバ(四角い建屋)は天から降ってきた石を祭っているといわれています。これはひょっとすると隕石かも知れません。アブラハムがカーバを建立したとも言われています。
さて、カーバの中では争い事をしてはいけないという合意が、全ての部族、土着宗教の間でありました。これはイスラム教がおこるよりも、もっと前に出来あがった約束事です。そこでは武器を使えないし、争い事はできないので、自然に商売の場として理想的な環境になりました。市場(いちば)が成立したのは、ある意味で当然だと言えます。人々は香料、穀類、家畜、織物などを交換しました。メッカはお遍路さんビジネスが転じて、砂漠の中で、世界の物品が集まる一大集積地になったのです。
ムハンマドは聡明だったので、25歳の若さで商人として大成功を収めます。その取引先のおかみさん、ハディージャはムハンマドの商才に感服し、押しかけ女房になります。確か彼女の方がずいぶん年上だったはずです。彼女はムハンマドのビジネス面での師匠であり、なおかつ商売を広げる上での運転資金の出し手にもなりました。
ムハンマドは商人として世界の貿易商と幅広いコンタクトがあったので、キリスト教徒やユダヤ教徒の信仰にも詳しかったです。言い換えれば、ムハンマドは、すばらしい外交官であり、ネゴシエーターだったのです。
ムハンマドは商売上のもめごとの調停者として随一の評判を取り、人々はムハンマドの叡智に依存するようになります。例えば、カーバの神聖な石が、すってんころりんと転がり落ちてしまったことがありました。誰がもとの場所に石を戻すか(=それは名誉ある仕事です)で、4人の部族長が争いを始めてしまいました。そのとき、ムハンマドは「絨毯の上にその石を置こう。そして四隅をそれぞれの部族長が持つことで、全員で石をカーバに戻そう」と提案します。このエピソードからもムハンマドが現実的な解決法を見いだせる、柔軟な頭の持ち主だったことがわかります。
こうしてムハンマドは次第に皆からアル・アミン(信頼できる男)と呼ばれるようになります。
ある日、ムハンマドがメッカの近郊の洞窟で寝ていたら、天使が降りて来て「メッセージを繰り返せ」と告げました。そのメッセージは詩のような形態を取っていて、内容的には「ひとつの神しか居ない」という意味でした。
それまでメッカには部族の数に応じて何十という神様が拝められていたわけですから、「ひとつの神しか居ない」というメッセージは、かなり居心地の悪い発言です。逆に言えばこれまで繰り返されてきた「おれっちの神様」の優位性を巡る部族間の争いも終焉することを意味します。
ムハンマドが持ってきた、天使からのお告げの、もうひとつの大事な要素は、社会的平等ということです。当時メッカは市場が栄えたおかげでリッチ層が輩出されていました。中東で最も貧富の差の激しい場所になっていたと言い直しても良いでしょう。
ところがムハンマドのもたらしたメッセージは、「皮膚の色、人種は関係ない。豊か、貧しいも関係ない」という、極めて普遍的なメッセージだったのです。貧乏人の救済というイメージが強かった点は、特に注目されます。それは口承文化であり、神の言葉はコーランという写本に後日まとめられました。コーランには倫理規定や社会規範も含まれています。そして、あくまでも口承のストーリーで神の存在がほのめかされるべきであり、偶像が大事なのではないという事が強調されます。
ちょっと話は脱線しますが、コーランは文字の美しさというものをとても大事にします。日本語的な言い方をすれば「書道」です。シリア系アラブ人の血を引くスティーブ・ジョブズが書道にとてもこだわったのは、だから偶然でもなんでもありません。
さて、話をムハンマドに戻すと、ムハンマドのもたらした天使の言葉は、メッカの商人にとって、ちょっと都合の悪い点もあります。色々な神様を祭るメッカの、お遍路さんビジネスが脅かされてしまうと彼らは考えたわけです。
そこで「モーゼは奇跡をおこした。イエス・キリストも奇跡をおこした。でもムハンマドには奇跡が無い。おまえは何故、奇跡を起こせないのだ?」と批判したわけです。
ムハンマドはメッカを追われ、仕方なくメディナに移ります。その後、メッカの商人たちがメディナに攻め込み、ムハンマドの一派を根絶しようと試みます。メディナはこれを跳ね返し、逆にメッカへ攻め込みました。メッカを陥落させたムハンマドは、殺戮をせず、メッカの人々を許しました。これは、それまでの慣習とはぜんぜん違います。ただ、カーバにある他の宗教の偶像は全て破壊されました。なぜならイスラム教は偶像崇拝を禁じているからです。
こうして622年がイスラム暦初年となり、わずか50年でローマ帝国より大きい範囲にイスラム教の信仰が広がりました。このように急激にイスラム教が広まった背景として「改宗しなければ死を」ということをイスラム教が要求したからだと考える人が居ますが、それは正しい歴史の理解ではありません。だいいち、そんなに沢山の人を殺すことは、物理的に無理です。
実際のところ、改宗がどんどん進んだ本当の理由は、その前に存在した宗教に、人々がトコトン愛想を尽かしていたからです。イスラム教普及のもう一つの理由は、行政システムの導入を主張しなかった点だと思います。
またキリスト教、ユダヤ教は、同じ「ピープル・オブ・ザ・ブックス」として容認されました。従って、イスラム教か、ユダヤ教か? というような二者択一を迫る考え方は、ムハンマドの時代には無かったのです。その証に現在も存在するシリアのダマスカスの大モスクは、もともと教会でした。キリスト教徒が日曜日に礼拝を上げ、イスラム教徒は金曜日に祈りをささげるというカタチで二つの宗教が建物をシェアすることは、当り前だったのです。のちにイスラム教徒がキリスト教徒からその建物を購入し、タイルで装飾したわけです。
なお中世ヨーロッパがDark Ages(暗黒時代)と呼ばれる、愚かで粗野な暗い時代に入ってゆく中で、イスラム文明は、そのような文明の後退を経験しませんでした。たとえばチュニジアでは世界最初の上水道が考案されたし、アラビア数字は現在でも世界の数学のスタンダードとして使用されていますし、ヘレニズム文化をイスラムに翻訳する作業が現在のイラクで進められ、バクダッドは世界の教養の都になったのです。また伝染病に関する研究は黒死病がはびこった欧州より遥かに進んでいました。
我々がハイテク・トレーディングなどの局面で使うアルゴリズムという言葉は、バクダッドの数学者、アルゴリズミーから来ていることは、金融関係者なら常識です。
イスラム世界が叡智や文化の面で、駄目になってしまったのは、もっとずっと最近の事なのです。そしてそのひとつの原因はサウジアラビアのワッハービズム(一種の原理主義)に代表される極端な考え方をする一派が、石油の権益に目がくらんだアメリカの後ろ盾を得て、権力の座についたことにあります。
http://blogos.com/article/72973/
●-●-●
アゴラ
2013年11月04日 23:59
在日特権について - 生島 勘富
「在日特権を許さない市民の会」(在特会)の街宣活動や、それに対する作家の竹田恒泰氏がTV番組で行った発言が問題になったりしています。
それらについて、在日特権は本当に存在するのか?どんな問題があるのか考えてみたい。
■竹田氏の発言と謝罪
件の竹田氏が行ったTV番組の発言は、番組内で一応の謝罪はなされました(リンクの通り http://www.asahi.com/articles/OSK201311030014.html )。
謝罪の内容というのは、通名(通称名)を変えることで犯罪歴は消えることはない。しかし、通名を変えられると、警察や自治体の一部の人以外は経歴を辿ることは不可能。という意味のことを言いたかったが、あたかも、「完全に犯罪歴が消える」かのように受け取られかねない。と言うことで、本質的な部分についての謝罪も釈明もありません。
ご本人も「間違っていない」という認識のようです。
私もそう思う一人です。
そもそも論で、「在日特権」というのは明確に定義されたものではなく、所謂「在日(在日韓国・朝鮮人特別永住者)」を批判的に論じるときに使われます。
一般的に言われる在日特権の具体例は、ここに書かれているようなもので、この定義であれば確かに「特権」と呼べるでしょう。
■実際に犯罪は起きている
http://sankei.jp.msn.com/region/news/131101/stm1311012148...
「通称」悪用して端末不正売買 容疑の韓国人を逮捕 埼玉
外国人が日本で名乗る通称を悪用して携帯電話を不正売買したとして、埼玉県警組織犯罪対策課と大宮西署は1日、組織犯罪処罰法違反(隠匿)と詐欺容疑で、韓国籍の無職、文炳洙(ぶんへいしゅ)容疑者(通称・青山星心(しょうご))=別の同容疑で処分保留、さいたま市西区清河寺=を再逮捕した。通称を悪用した犯行を組織犯罪処罰法で立件するのは全国初という。
同課の調べでは、文容疑者は区役所で短期間に通称登録を何度も変更。新旧の通称を使い分け、平成22年10月以降、約160台のスマートフォンやタブレットなどの端末を購入、古物商へ転売したとみられる。
再逮捕容疑は8月7日、「青山星心」の通称で、さいたま市の家電量販店でスマートフォン2台を詐取。過去の通称だった「清永泰斗」を名乗り東京都内の古物商で転売し、約7万2千円を得たなどとしている。
同課によると、文容疑者は端末代を分割して月々の料金に上乗せする制度で端末を購入したが、支払いは一切せずそのまま転売。同課の調べに「料金を踏み倒す気はなかった」と犯意を否認する一方、売却で得た金は競馬などのギャンブルに使ったという。
頻繁に通称変更することを不審に思った区役所の届け出を受けて捜査したところ、犯行が発覚した。文容疑者は通称の違う複数の身分証を使い分け、売買を重ねていた。
現在でも、実際に犯罪に利用されています。
竹田氏が仰るとおり、何度も通名を変更することで、割賦購入の際の審査をすり抜け、転売も行えているわけです。竹田氏が言いたかったことは上記のような犯罪を指すと私は思いますし、3年間で160台を転売するのにいくつの通名を使い分けたのかは分かりませんが、区役所の担当者が不審に思うほどの回数、通名を変更していたのは紛れもない事実でしょう。
更に、この記事の問題は他にもあります。
恐らく「警察発表のまま」でしょう。
→ 独占スクープではなく、他紙の記者も知っているが報道してない。
再逮捕で始めて報道
→ 通名を使って転売しただけではニュースバリューはない。
1名の犯罪で「組織犯罪処罰法」の適用が可能なのか?
私には分かりません。
そういう特異な事情があったから、ニュースバリューを得たと取れるわけです。
竹田氏は「在日特権」について地上波で放送されることはほとんどない。と仰っていますが、この記事一つを見ても、「ニュースバリューがないほど起きている」または、「抗議が来るので報道できない」というのは、穿った見方とも言えないのでは?
更に穿った見方をすれば、この記事も非常に気を遣っているようにも読めます。
実際に
「通称を悪用した犯行を組織犯罪処罰法で立件するのは全国初という。」
というところを、「通称を悪用した犯行の立件が全国初」と誤読していた人が居ましたが、敢えて誤読を誘う書き方をしているのではないか?とすら思えます。
■もう在日(特別永住外国人)なんてなくした方が良い
在日特権の定義次第ですが、上の様な犯罪をし易いことを言うならば、在日特権は現実に存在するのです。それについて、報道されにくい(程度問題は微妙で立証は難しいですが)のも事実でしょう。
しかし、当たり前の話ですが、特権があったとしても、ほとんどの(在日の)人は利用することはありません。ほとんどの(在日の)人にとって、所謂在日特権なんて関係ないはずです。
それでも、現実問題として在日特有の犯罪があるのですから、それを憎む人が出ることは決しておかしいことではないのでは?それなのに、NPO法人などが、頑なに、強行に「在日特権などない!」と否定すると、反動として在特会のような馬鹿者も出てくるのも、自然の流れと言えるでしょう。
そんなくだらないことで、いつまでもいがみ合うのは馬鹿らしいのではないでしょうか。
解決策は、帰化を推進することではないでしょうか。
在日一世は既に現役を退いた世代です。もちろん、在日一世には抜き差しならない様々な問題があったでしょうが、もう、過去の話と言って良いでしょう。今更、どうにもできません。
現在から未来の話をするなら、子供は親を選ぶことはできませんから、二世以降は、本人が在日であることを選んだ訳でもなんでもない。本人にはどうすることもできなかった問題です。
更に、二世以降の在日の方が、韓国・朝鮮に帰って暮らすのが非常に難しいのは明らかでしょう。であるならば、日本に帰化することを検討して貰うべきでは?
具体的には、一定期間、特別永住者の帰化の手続きを大幅に簡略化することです。
在日の問題はどうしても貧困の問題が絡みますが、現在の帰化の要件は非常に厳しく膨大な書類を用意した上で、半年以上の期間が掛かります。素人が独自に資料を用意するのは非常に難しく、専門家に頼むことになりますが、費用は10数万~50万円近く掛かります。貧困問題が取りざたされる人にとって、これは大変高いハードルなのです。
(私がそうなら、半年、数十万円は諦めるに充分なハードルです)
特権があることは良くないですが、「特権は許さない」というだけではアンフェアです。
もちろん、自分のアイデンティティは朝鮮半島にある。日本人になることなんて嫌だ!と言う人もいるでしょう。であるならば、特別永住外国人(所謂在日)ではなく、普通の永住外国人(一般永住者)で問題ないはず。
いつまでも特別視するのも、これまた、おかしな話ではないでしょうか。
■観念的な差別を言ったら永久に解決しない
余談ですが、制度的な差別は1970~80年代にはほぼなくなりましたが、「観念的な差別が残っている!」と市民活動家や朝日新聞などを中心とした活動はなくなっていません。
逆に、その活動が「差別」がなくならない一つの理由です。
「観念的な差別」というのは、突き詰めれば「好き嫌い」の問題で、なくなることはないのです。
例えば、私は大阪で生まれ育ちました。それで東京で生まれ育った人からは、「大阪の人はズケズケと入って来る、がさつで嫌い」などと言われたりすることは一度や二度ではありません。当然、ムカッとしますし、ステレオタイプの知的でない決めつけと思いますが、現実問題、典型的な東京の人とは、典型的な大阪の人(私のことです)とは合いませんから、仕方のないことなのです。
それを公然と言われても、「差別」とは感じないのは、相手を対等だと思っているからです。
では、「在日の人は嫌い」はどうでしょう。
「そんな差別的なことは言えない」と感じてしまう人は、「在日の人は差別されるべき、一段下の人」と心の底で思っている証拠です。
「観念的な差別」つまり、好き嫌いはなくなりません。
それを「差別」と糾弾すると、在日の人達は、一段下の存在に置かれたままになります。
ステレオタイプで知的ではないですが、別に「在日の人は嫌い」と思ったって良い。それを「差別だ!」と言う人達が差別を作って、差別を固定化しているのです。
http://blogos.com/article/72962/