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多摩川から~読書と歴史のことなど

2021-12-11 | おでかけ
おはようございます。
夫と多摩川を眺めてまいりましたので、
どうぞ、聞いてやって下さいませ。


(東京側・多摩川浅間神社から神奈川県・武蔵小杉のタワマン街を見る。
ちょうど東横線が走っている。電車は数分おきに通るけれどw)


多摩川は、神奈川と東京都の都県境。
通勤で、毎日のように眺めていますが、
多摩川駅あたりからの景色は格別です。

とりわけ、駅前の多摩川台公園は、桜や紫陽花、睡蓮が咲き・・・
花好きの母を連れて、何度か散歩をしています。



(公園内の「調布浄水場跡」)


園内の案内板によると・・・

多摩川は山梨県塩山市(現甲州市)の笠取山を発し、
東京都西南部を経て、神奈川と東京都の境を流れ、
羽田で東京湾に注ぎます。

流域面積1240㎡、流路延長138㎞の一級河川です。




1984(昭和59)年には、市民による投票で
「多摩川八景」も選ばれました。

「多摩川台公園」も、そのひとつです。

舌状台地の上にある丘陵で、ご覧のように見晴らしがききます。
城好きとしては、「舌状台地」イコール「山城」を連想するのですが・・・
知る限り、ここに山城が築かれたという話は聞きません。

かわりに、古代の古墳が、いくつもありました。
当時は、もっと見張らしもきいたはずですから
豪族が眠るにふさわしい土地だったのでしょう。



(多摩川台公園古墳展示室。古墳の実物大レプリカは必見!
無料なのも嬉しい)


さて「多摩川八景」の中に、「玉川上水」がありました。
玉川上水と言えば、太宰治。
桜桃忌です。


(古墳群)


偶然なのですが・・・

この前日に、辻まこと「多摩川探検隊」を読みました。

辻まことは、甘粕事件で殺害された伊藤野枝とダダイスト辻潤との息子。
二歳の時、母・野枝は、やがて一緒に殺害される大杉栄に
走ってしまうのですが・・・

「多摩川探検隊」は、まことが小学校5年の時、多摩川の源を探しに
友達と二人で歩いた、夏休みの想い出です。



不思議なもので・・・

わたしが、この数日前に読んでいたのが、森まゆみ『聖子』(亜紀書房)。
わたしの世代で「聖子」といえば「松田」ですがw

こちらは林聖子さん。
文壇バーとして知られる「風紋」を60年にわたり切り盛りされた
御年九〇歳を越える女性です。


(武蔵野自然林)


この方は、太宰治の短編「メリイクリスマス」のモデルになりました。
(作中で亡くなったとされる母上は、太宰よりも長生きですが)

アナキストの画家・林倭衛(ハヤシ シズエ)の娘だったことから、
先の辻まこととはも、幼い頃から、交流があったのだとか・・・

・・・玉川上水の太宰治、辻まことの「多摩川探検隊」。
何やら、ピタッと、つながりました。



(右手のタワマンが二子玉川)


ちなみに、まこと少年は、二子玉川あたりから出発し、
三日間をかけたものの、笠取山には、たどり着けず、
目的地から80㎞も離れた、八王子から電車で帰ってきています。

目的こそ遂げられなったにせよ、
「巡査」が泊めてくれたり、神社で野宿をしたり・・・
今では考えられない「冒険」です。

略歴から計算するに、この夏休みが終わると、関東大震災発生、
そして、甘粕事件で、母・野枝が殺害されることになります。
その意味でも、少年にとって忘れられない夏だったのかもしれません。



そうそう・・・

少女時代から、林聖子さんは太宰治に可愛がられ
その縁で新潮社に就職、玉川上水で遺体と向き合っているそうです。
(長く第1発見者とされていたけれど、ご本人が『聖子』で否定)



ここ数日、わたしは多摩川ワードに囲まれていたので・・・
ついに、多摩川を眺めに出かけたのでありましたw

高台から見下ろす多摩川は・・・
電車から、わずかに眺めるよりも
ずっと大きくて、ゆったりした流れでした。

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本日も、おつきあいいただき、どうもありがとうございました。

参考:
●森まゆみ『聖子』 亜紀書房
●辻まこと「多摩川探検隊」『幼かりし日々』(「筑摩文学の森」所収)
 山川菊栄のエッセイが読みたくて本を借りたら、これも載っていて感激♪

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