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頼朝、上陸の地へ~房総ドライブ

2022-02-07 | おでかけ
おはようございます。
本日も房総半島へドライブの話です。
どうぞ、おつきあいくださいませ。




大泉洋さん演ずる源頼朝は石橋山の合戦で大敗北。
ラストは北条宗時(片岡愛之助さん)が命を奪われ、
涙、涙・・・ますます目が離せなくなっております。


(アクアラインを使い、千葉・木更津へ)


先週の房総へのドライブは、城ポチ(「ニッポン城めぐり」)と、
歴史さんぽ、源頼朝一行の足取りをたどることが、
目的でした。

まずは、南房総市竜島。
源頼朝の上陸を記念する、石碑がありました。




永井路子『相模のもののふたちー中世史を歩くー』
(有隣新書)によると・・・

ーー伊豆で旗揚げした頼朝は、石橋山の合戦に敗れると、
土肥実平にかくまわれて真鶴半島に逃れ、海路房総半島をめざした。
三浦一族も緒戦に平家に組した畠山一族と戦って敗れると房総半島に逃れる。

そこで千葉氏はじめ関東の武士団に迎えられて、
一気に勢力を挽回して鎌倉入りするーー10頁

永井氏は、この動きを「海に突き出た三つの半島を眺めると、
彼らの連係プレー」が「自然に納得できる」と、言います。



今まで、なぜ、わざわざ海に出て、
房総半島まで出かけたんだろう?と、
ちょっと不思議に思っていました。

「関東の武士団」と源氏との歴史的な関係性もありましょうが・・・

それを置いても、実際に海を見ると、
本当に「自然に納得できる」のです。
真鶴、三浦、房総は近い。


『鎌倉殿の13人』SP」で紹介された名字のエピソードも書かれている)


近代以前は、水運が重視されいましたし・・・
ましてや陸地は平家方がウヨウヨしていますし・・・
頼朝の行動が、ストンと納得できました。



そうはいっても・・・
当時のこと、お粗末な船で、相模湾を横断するのです・・・

山城ガールむつみ先生が、おっしゃっていました。
「先に着いていた北条一行は、頼朝の船が見えたとき、
どんな想いだったんだろうって考えますね」と。

向かう方も、迎える方も、小さな船の陰が見えたとき、
どれほど安堵したことか・・・

こうして海を眺めていると、
1000年もの時の流れを越えられそうでした。


(正面が城ヶ島や三浦半島)


このあと、もう少し、房総で源頼朝の足跡をたどってきました。
また、おつきあいいただけると、嬉しいです。

本日もおつきあいいただき、どうもありがとうございました。


📚参考・引用📚
永井路子『相模のもののふたちー中世史を歩くー』(有隣新書)

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