雪降る街 カムイラピットの楽園 こな雪 ぼた雪 あられ雪

けっぱれラピット、どろ亀さんに負けるな。ウサギとカメとの競走です。随想、旅行記、日記など、雪の降る街からのお便りです。

羊蹄山 三つの名水 京極の噴き出し水はうまい

2012-04-06 16:46:29 | 自然
俗に言う「ニセコ」には、札幌の多くの人が良く出向きます。我が家でも春・夏・秋を通してよく出かけますが、ニセコ行きはいつも楽しみです。冬は危険を伴うので車を走らせません。
北海道新聞がこのほど設定した「ほっかいどう100の道」設定で、ニセコ地域の「羊蹄山一周の道」もその一つになりました。羊蹄山を片手に眺めながらのドライブも満更ではありません。
ニセコに出向く理由の一つに、羊蹄山の地下水の噴き出し水があり、この水は冷たくなかなか美味しく、不純物が含まれていないので半年は長持ちし、車いっぱい水を持ち返る者もおります。この水を営業に使う人もおります。
名水の中で見事なのは、①「京極の噴き出し公園の水」で、この地は「北海道遺産」にも指定されています。
岩場の途中から多量の噴き出し水が流れ出ています。羊蹄山三つの名水の中で最大の水の量です。ただ難を言えば、水汲み場までは駐車場から離れているので、水を運ばないといけないことです。一度訪れて見るとやみつきになります。

今回は、ニセコの三名水(羊蹄山の三つの名みず)地を以下に紹介いたします。
羊蹄山三名水
 ① 京極の名水 京極の噴き出し公園の噴き出し水
 ② 真狩の名水 横内観光農園内にある「羊蹄山の湧水」
   駐車場のすぐそばに水汲み場があり、蛇口から水が汲めるので多くの人が来ています。この地下水を使用して豆腐屋があって、人気です。
 ③ ニセコ名水甘露水 昭和天皇の「甘露である」のお言葉から名付けられました。
   ここは羊蹄山の伏流水でなく、ニセコの山(ニセコアンヌプリ)からのものでしょう。前者二つの地で水を得る人が大半ですので、この水汲み場は混んでおりません。 




今年も桜咲くか 福田温泉(旧) 

2012-04-05 14:37:44 | 温泉
温泉マニアの人気の温泉であった「福田温泉」(通称)は、今は昔語りの懐かしい温泉となってしまいました。
北見市の温根湯温泉と塩別温泉(通称つるつる温泉)との間の山側の地に(滝の湯地区)あり、無加川支流シケレベッ川沿いにあって、小さな滝と眼の前に森(山)が迫り、秋の季節には紅葉の鑑賞に最高の温泉地でした。
湯は透明で肌につるつるの美肌温泉、飲料にも適した温泉水(アルカリ性単純温泉)で行く度に温泉水を汲んで帰り飲み水にしました。夏にはライダーもやってくるほどで、秋の季節は人が絶え間なく紅葉を鑑賞しながらの長湯のようでした。湯温もぬるま湯で、入浴は自然の中にすっぽり入った形でゆったりし、さらに入浴料は取りませんでしたので、なおさら人気が出たのでしょう。狭い湯船でしたが、今では珍しい混浴でした。
カムイラビット夫婦は春、夏、秋(冬は雪道で危険なので行けませんでした)と良く入らせてもらいました。愛すべき福田温泉も、多くの人に知られ出すと、河川の汚れにつながる問題も起き、残念なことに、留辺蘂町からの温泉の水の問題提議により、平成18年の春にこの温泉はすべての風呂を取り除き、姿が見られなくなってしまいました。
もともと、福田温泉は老朽化しなくなりましたが、全面がガラス張り(昔の窓枠の)の建物の中に大きな浴槽が設けられ、湯がこんこんと流れており、秘湯の地のかけ流しの天然温泉でした。カナヘビも、カラスアゲハチョウも地面に涌出る温泉地に沢山群れておりました。
しかし、福田家に都合が生じ、やむなく営林署に手放すことになったのです。その後、営林署のシケレペッ保養所も廃止となり、その湯が川に流れ出ていたのでした。そこで、小屋を造り風呂桶を同好の人により寄付され設置されて、再び露天風呂的温泉「福田温泉」として、皆に知られるようになったのです。一週間に一度の人などが集まり、綺麗に湯桶を洗い流し、こぎれいな温泉でした。
実は「福田温泉」はカムイラビットの姉(義兄)の温泉で、春・夏・秋と良く入らせてもらいました。古い温泉の時も良くここに来ました、庭を広く作っていて沢山の飼犬(7・8頭ほど)がいました。一時ポニー(馬)も飼っていて、温泉の管理と馬の世話、犬の世話で忙しい様でした。
ここに住まいだした時に家の回りに桜を植えたらしく、今では立派な6本の大きなヤマザクラに成長しています。5月の8日前後には、「ここに温泉があったのだよ」と満開に花をつける事でしょう。馬を飼っていた事が幸いし、馬糞の肥料で思いのほか大きな桜に成長しています。
姉に電話をしましたら、温泉の管理をしていた当時が忙しかったが一番良かったと懐がっていました。


清明 春が来る

2012-04-04 21:24:41 | 自然
4月4日は、二十四節気の「清明」(せいめい)の日です。
清明の日とは「万物が明るく清らかで生き生きと美しく、桜など草木の花も咲く頃」をさします。この日以降は万物に清明の気があふれて来る頃なのです。
北海道では本州の季節と大変ずれていますので、「清明」の言葉は使用(聞き)しません。例年の4月となれば、雪も解けて根雪が無くなる(札幌の根雪終日は4月3日です)はずですが、今年はまだストーブを焚いて(燃やして)います。
昨日、今日は日本列島に「突発性低気圧(メイストーム)」が発生して、雨が降り、午後からは雪に変わり、強風の吹くひどい気候となりました。全国でも死者4名、負傷者も450人以上、建物にも多くの被害を受けたと報じています。今年は例年にない寒冷気候で全国的に春が特に遅いのです。
琉球・沖縄では今日の日を「清明祭」と言って墓参りを行います。関東以西の本土ではソメイヨシノの花盛りが通念ですが、今年は寒冷の為にようやく桜の花が咲き始めたと報道されています。

※ 札幌・網走の根雪終日の平均日は 4月3日です。
  札幌で一番早い蒲公英の開花日は 1967年4月4日でした。 

高原湿原浮島 クマよけの鈴

2012-04-04 11:06:08 | 自然
「高層湿原」の代表的な場所に、オホーツク管内・滝上町の「浮島」(うきしま)があります。今から17年前だったかに、カムイラビット夫婦は浮島トンネルを通り、滝上町側に出た時に、前から関心のあった「浮島」に急に行って見ようという事になりました。右手の脇道の道路を車である程度進むと「浮島」へ行く為の4台ばかりが止まれる駐車場が確保されています。やれやれ近くに浮島があるものと思っていたのでしたが、浮島まではここから歩ってしばらくあるらしいのです。それにもまして「熊出没にご注意してください」の看板が立てられています。
突然行こうと云う事になったので、音の出るラジオも無い、太鼓も無い、クマ除けのの鈴も無い。ほかに人もいない。さてどうしたものかとしばし思案したのですが、せっかくここまで来たのだから、話声を大きく出しあって、「ここに人間がいるぞ」と分からせるしかないと、話声を立てて竹藪を切り開いた道を進みます。距離は結構あったと思うのですが、熊の出没におののきながらでしたので、短く、または長く感じたのでした。
進むと、目の前が急に開き「浮島湿原」が現れました。自然そのものの美しさに感動しました。板を敷いた遊歩道が長く完備されていて、散策するのも苦労しません。沢山の池があり、山あいなので風で波立たず鏡のような湖面です。回りのエゾ松の木が映り出され美しい景観です。ある大き目の池の中に木の生えた島が浮かんでいて、この中島が風によって向こう岸に行ったり、こちらに来たりするという看板があります。
いろいろな地に出向いているのですが、この「浮島」の景ほどの美しいものに出会ったことはありません。
しかし、その時に「クマ除けの鈴」を持っていなかったこと、恐ろしい思いをしたものだとつくづく思っています。あまりにも恐ろしかったので、その後何年にもなりますが、いまだに浮島には出向いておりません。
写真の撮影に熱中している中、向こうの霧の湿原の中からリン・リンとクマ除け鈴を鳴らしながら登山姿の一人の男の人がやって来ました。この時は何か天の助けがやってきたように思いほっとしたものでした。
こうした土地に行くためには、十分準備をして行かれることをおすすめします。

羅臼 千円拾いほうだい

2012-04-03 15:50:57 | 風土
根室管内羅臼町の夏は、千円拾い放題とはうらやましい話です。皆さんも大変関心を持たれたことでしょう。その話を今回は致しましょう。
その話は、カムイラビットの所属している研究会の中での事でした。懇親会の中で羅臼町から来ている人と話す機会を得ました。
話をしている中で、羅臼の自慢話がはじまります。ちょうど夏なので今はネコの手も借りたいほど忙しいのだといいます。
夏の浜に出ると羅臼昆布が拾えるそうで、昆布一枚(葉)が千円以上はするというのです。漁業権があり自由に拾ろえるわけではないので、行って拾うということにはならないのですが。一枚ぐらいは良いのではとその時思ったのでした。
千円もする昆布がふんだんに浜に流れ着き、拾える羅臼の土地が大変うらやましく思ったのです。
昆布を食することは、健康の源を得るその物ですので、私は昆布に大変関心があり、昆布はいつも欠かしません。高くても買ったりします。羅臼では千円もするものが拾えるというのは忘れることの出来ないは話だったのです。
昆布専門店で「羅臼昆布上品」の値段を見ると昆布一枚物が製品化され、高額の金額で売られています。美味しい昆布は食べ応えがあるというものです。
上品として知られる昆布は「羅臼昆布」の他に、稚内利尻島で採れる「利尻昆布」、南茅部(みなみかやべ)周辺で採れる「真昆布」などがよく知られています。北海道内で採れる昆布は全国の中で95.8%にあたると言いますので、本州すべての昆布を北海道が担っているということになります。

デパート 物産展は大賑わい

2012-04-03 09:02:31 | 
札幌の丸井今井デパートの新潟物産展、同三越デパートの長崎の物産展、この間は同東急デパートの長崎・沖縄の物産展へと続けて足を運びました。どの催し会場も多くの人(主に女性)で賑わっていました。なぜ賑わうのか自分なりに考えてみますと、なかなか行けない土地の物産が買えるというのが魅力なのだと思います。
いつも出向く時には「物産展であまり買わないで見るだけにしよう」とラビ妻と打ち合わせて行くのですが、物産展会場から出る時には、袋を両手に持ってしまっています。
人の心をつかむデパートでの物産展の魅力と、その誘いに集まった人たちの賑わい、いつでも試食・試飲できる店が物産展を賑わせる事につながっています。カムイラビットの家庭では二人とも心が優しいたちなのでタダ食い、タダ飲みが出来ずについつい買っているです。他の方も人につられておなじ心境で物を買うのかもしれません。
新聞によく書かれているのですが、東京のデパートで開く北海道物産展はいつも人気で、北海道の食材の魅力が人を集めているとしています。年2度の催しを年3回に開くなど企画を広げるようとしているデパートがあるとか。記事の説明は良く分かりますが、北海道から来ているということも理由の一つでしょうが、デパートの何々地方の物産展の名に魅力を感じている場合も多いように思います。そうはあっても、出店には魅力ある食材、品物が望まれます。
何々県の物産展のチラシが入れば我が家ではいそいそとまた出向く事でしょう。

さくら サクラ 桜  東京で開花宣言

2012-04-02 09:16:59 | 自然
4月2日に東京の桜の標本木が開花しました。開花宣言です。これは例年より5日ほど遅いと言います。
前にも書きましたが、北海道・札幌の開花は5月4日ごろと発表され、東京から1か月と3日あまりも遅い事になり、日本が南北に大変長い地だとよくわかります。
サクラは、「桜咲く」などと合格の喜びをあらわす様に、「日本の人たちに多くの力」を与えてくれています。三陸の地震で疲弊した人たちも、一本の桜が偶然に生き残り、開花したことで「復興の力」になったと報道されていました。「桜は新生の力」になっています。
先日、3月31日に、桜研究者・松前むの桜の育ての親と言われる浅利政俊(80)氏の「日本の桜・北海道の桜」と題した講演会に行きました。お話の中にも「サクラは生きる源」とあり、そのとおりだとつくづくうなづきました。
以前、札幌から「東北地方の花ツアー」に出向いたことがありましたが、本当に東北一帯がサクラで埋まっている感じでした。一時に多くの花が満開に咲き、サクラの花の短い寿命ですが、この桜を大事に育てている事に関心しました。東北地方で見た真っ盛りに咲いたサクラの素晴らしさが心を温めてくれています。「東北の花めぐりツアー」は是非とも皆様にお勧めです。
この旅行で、ただ残念であったのは、「角館のしだれ桜」がまた咲いていなかったことでした。角館の桜の咲いた時にもう一度訪れたいと思っています。


ワシントンのサクラ 送って100年

2012-04-01 11:37:03 | 草花
ワシントンのサクラを送って100年となります。
日本は日露戦争に米・英の資金援助により、かろうじて勝利します。日本では多くの戦死者を出しました、勝利にわきたち、全権大使の小村寿太郎の交渉に期待しました。南樺太など土地は確保できたものの、賠償金を得るまでにはなりませんでした。国民は小村に対し、いろいろと批難をあびせました。それでも日本勝利の陰にはアメリカの援助がたたありました。
勝利への感謝の心をアメリカに伝えようと考えられたのが、ワシントンに日本の花「サクラ」を送る企画でした。
はじめ、2000本のサクラの苗木を送りましたが、その苗木の中にわずかに虫が見つかり、アメリカに広がる事が懸念され、ある学者の猛反発で、すべてのサクラの苗木を切ってしまいました。このように、ただ単に苗を外国に送れないのです。
この事は日本の威信にかかわる事として、ワシントンに送れるサクラの研究がなされました。本格的になされます。送り手は当時の東京市長の尾崎行雄氏です。研究依頼先は東京大学教授の三好学(みよしまなぶ)博士でした。三好博士は当時荒川堤の里桜を研究しておられて、その中から12種の桜を選定しました。この苗木が送られました。
①染井吉野 ②白雪 ③有明 ④御者還 ⑤福禄寿 ⑥一葉 ⑦関山 ⑧普賢象 ⑨上香 ⑩滝香 ⑪御衣黄 ⑫駿河台匂 です。ヤマザクラの台木に各桜を接ぎ木して苗木を作ったのです。ワシントンの気候に適し、虫のないもの菌のない苗木だけを送りました。
本数は3200本の苗木です。日本の威信にかけた桜は無事成長し、今や「ワシントンのサクラ」として有名になりました。送られて今年で100年となります
ワシントンに送られた桜の研究者が三好学博士と関係あるとは、まったく知りませんでした。
余談になりますがカムイラビットの長男は三好学(みよしがく)といい、何かおもしろいつながりを感じています。