私の家から5分ほど歩いたところに急な階段があり、その階段を登りつめた所が
「絹の道」の出発点です
絹の道とは横浜が開港し鉄道が発達する
明治の中ごろまで、長野県や群馬県が主流で輸出ようの生糸が
多数運ばれたルートの一つです。
「絹の道」は1・5キロの道が市の史跡に指定されされています。
特に昔の面影を残す未舗装部分約1キロほど距離が文化庁選定の「歴史の道百選」
にえらばれました
道了堂は仙台から40年ほど前に引っ越しをしたころは廃屋が残って居て、ここで殺人事件が
起きたということで子供たちもあまり近寄らづでした。その後整備して大塚山の公園にな
りましたが今でも訪れる人は少ないです。







資料館・・・鑓水の豪商 柳下要右衛門の跡地に建てられた






馬の背中に荷物を括り付ける

庚申塔がありました
花もなく歩きにくい道を転びそうになりながら
帰ってきました。
ヒグラシの鳴き声が周りに響き渡っていました。
絹の道」を歩いていた人と馬も「もうすぐ宿に着く」と思いながら
先を急いでいたのでしようね。