野山の香り

高尾山や近くの野山に自然に咲く花が
好きです。

私の宝もの

2011-08-31 13:53:21 | その他

東京都山岳連盟とのお付き合いも落着いた頃、長年自治会の「歩く会」で一緒に歩いてきた
気心の知れた仲間の人14人を集めて平成12年1月、小さな山のグループを発足しました。年齢は全ての人が高々年の人ばかりです。

勿論主人がリーダーとなり、パソコンを全くやらない主人に代わって私がアシスタント的なところは引き受けました。二人で歩いてきた大雪山の山や北アルプスの山々の経験などを元にしました。
会の名前は「山草ウォーク」としました。
年間計画は毎年1月に作成し、その時点で其々の家庭の事情も考えて各月の催行日も決めてありました。

毎月の山行が終わると参加者名、行き先、日時などをノートに書きとめておき、12月には
「1年の記録」としてパソコンを使ってファイルに纏めておきました。そのファイルを見ると
一目瞭然に何時何処へ誰と行ったかとか、感情も含めて記録してあります。
このファイルが8年分揃っています。

気に入った場所へは8年間のうち、2度も3度も行った場所もあります。
立山・八方尾根・尾瀬なども季節を変えて行ってます。

会員の年齢差が20年くらいあったので、行った先で2とうりのコースを設定し、登山組と
ハイキング組に分けて皆が参加できるようにしました。
立山や八方尾根などはマイクロバスを貸しきって出かけたので、平日の地元から混雑もなく
行くことが出来ました。

8年間には色々な場所へ出かけて行き、沢山の高山植物や素晴らしい景色も眺めてきました。私の大好きな穂高連峰へは4回も行っています。
その中でも一番気に入ってる所は
日本一の山岳紅葉と言われる涸沢カールです。

モルゲンロードに染まった朝の涸沢カール

 

 

屏風のコルへ行く途中に見た涸沢カール

屏風のコルから眺めた涸沢カール

屏風のコルから眺めた槍ヶ岳 ( 槍ヶ岳と北岳へは山草ウォークの合間をみて二人で登り     ました)

涸沢カールは高い処から眺めるとお椀の底のようになっています。
昔の氷河の流れた所です。

この時は8人で出かけました。平成17年10月5日~8日までの3泊4日の行程です。
3日目には全員で標高3000mにある穂高岳山荘まで登り、その後は山荘に留まる人、
涸沢岳に登る人、奥穂高岳山頂へ登る人と3通りに別れました。
私は当然3190mの奥穂高岳山頂へ登りました。

奥穂高岳山頂       右側のベージュ色の洋服を着ているのが私です。

その前々年登った夏の北穂高岳も印象に強く残っています。

この時の涸沢カールは雨が降っていて景色もよくありませんでしたが、翌日にはどうにか
お天気も持ち直して北穂高岳の山頂までいかれました。

北穂高岳登山中にみた前穂北尾根のゴジラの背です。一番右の高い山が
前穂高岳山頂です。登山中雷鳥も姿を見せてくれました。

北穂高山頂直下にある滝谷です。目もくらむほどの切り立った断崖が深く切り込んでいました。

主人は歩く会・元の会社の山岳会・ロッククライミング・山草ウォークと忙しい毎日でした。公認リーダーの資格を持っていたので何時も安全登山には気を使っていました。
お陰で小さな事故も起こさずやってこられました


足を悪くしていた主人の足は益々ひどくなってきて痛み止めの薬も効果がなくなってきて
しまい、9年目に入った平成20年3月、全員が集まっての食事会を最後に解散しました。

その後右ひざに人工関節を入れるという大きな手術をして、東京都から身体障害者手帳も
貰うこととなってしまいました。
山草ウォークのリーダーとして8年3ヶ月間一生懸命私達を引っ張ってきてくれました。
解散するのはとても残念でしたが年齢と共に仕方のないことです。

今でも当時の人達が集まると「あの時代は楽しかったねー」と話に出ますが
私にとっても仲間の人達と、思い出の沢山詰まった8年間分のファイルは
大切な宝ものです。

 

 

コメント (18)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする