おはようございます
mitsuzoです
優しくなぐさめても
成長なんかしません
転んだままじゃなくて
立ち上がるのよ
(根性全開)
謝謝・感謝の(謝謝一荘)
謝謝・言葉は(謝謝翻牌)
早めに投げよう
(リーズモドラドラそのあと)
風向き変わる?
見つけたユメ
探したユメ
遊びのなかで
指が踊れば(さーおいで)
熱烈歓迎(さーおいで)
感じてユメ
念じたユメ
かたちがあるよ
長方形
正方形
三角形のどれかだ
mitsuzo です。
※「アニメ 咲-Saki- ED曲:熱烈歓迎わんだーらんど 歌手:植田佳奈/小清水亜美/釘宮理恵/白石涼子/伊藤静」
さて、今日のテーマは「『観えている人の歯がゆさ』という課題」ですが、これは「気づき」を得た人らが、日常生活の中において、よくある「歯がゆさ」についてのお話。
「観えている人の歯がゆさ」とはどういうことでしょうか?
今回も「ガイドさん」に聞いてみました。
※というわけで、ここからは「ガイドさん(守護霊さん)のメッセージ」です。
「『観えている人の歯がゆさ』とは、それもまた『カルマ』であり『業』であり『記憶の再生』のひとつである」
 ̄ー ̄)
「とは言え……その『歯がゆさ』は、『気づき』を得ないと感じないものでもある」
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「ちなみに、『気づいていない人』でも、同じ種類の『歯がゆさ』を感じる人もいるが、『気づいている人』とのソレとは大きく異なる」
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「それは、『課題』として『自覚しているかどうか』で大きく分かれる」
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「『気づいている人』は、その『歯がゆさ』を何度も味わい感じつつも、これは『カルマ・業・記憶の再生』ということを理解しており、その上で『成長するため』にそこに踏みとどまることはない」
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「しかし、『気づいていない人』の場合は、そこで『自己嫌悪』に陥り、踏みとどまってしまい、最悪のケースでは『うつ』といった病気にまで発展するケースもある」
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「『気づいている人』は、病気にまで発展することはそうはない……が、体調が悪くなって『気が落ちる』と『飲み込まれる』こともある」
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「ただし、そこには『気づきの段階(レベル)』があり、各々で異なる」
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「わかりやすく言うと、『レベル1の気づきの人』と『レベル5の気づきの人』との違いのようなものであり、『レベル1の気づきの人』からすれば今言ったように『危うい部分』もあるが、『レベル5の気づきの人』からすれば、その『歯がゆさそのもの』を克服できているので問題とはならない……といった感じだ」
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「誤解しないで欲しいのは『どっちが偉い』だとか、『どっちが上』だとか、そういった意味での『レベル』ではないからな」
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「『レベル1』なら『レベル1』の……『レベル5』なら『レベル5』の……といったその時、その時の『課題』の違いでしかなく、それ以上でもそれ以下でもないのだ」
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「『人間という状態』にしか気づいていない以上、こういった話では、つい『優劣』を意識するだろうが、それはそれでしょうがないことなので、これ以上は自分で感じ理解するように」
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「さて、今度はその『気づいている人』で『歯がゆさ』を感じてしまう人……カンタンに言うと『レベル1の気づきの人たち』の『歯がゆさ』についてだが、これは、言い方を変えれば『"歯がゆさ"を感じることができている時点で、成長している』ということなのだ」
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「理由は、まず『気づいていない』と、その『歯がゆさ』が生まれないからだ」
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「こういう書き方をすると、『でも、さっきは"気づいていない人でも歯がゆさを感じる"といったのに矛盾していないか?』と感じる人もいるので、ここで具体例を挙げる」
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「例えば、『仕事をしていて部下があまりにも不慣れで見ててまどろっこしい』と感じたとする」
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「まず、そこでの『歯がゆさ』とは『部下の作業』を見ての『まどろっこしさ』という感情がソレとなる」
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「こういう状況はけっこう多くの人が感じたことがあるだろう……しかし、ここで『気づいている人』と『気づいていない人』での違いが出てくる」
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「『気づいていない人』であれば、その『まどろっこしさ』を感じると、それに対して『イライラ』という『怒り』の感情に対してそのまま飲みこまれ、人によっては『そのまま部下にその怒りをぶつける』人もいる」
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「『気づいている人』の場合、その『イライラ』という『怒り』の感情に対して、『今、自分は怒りの感情が生まれている』と気づく。そして、その後の対応は様々だが、『気づいていない人』と同じように『怒りをぶつける』者も出てくることはある」
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「しかし、どういう態度を取ろうとも『気づいている人』であれば、その後に『怒りの感情に振り回された自分』に対して『反省と次回への対策』をする」
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「『気づいていない人』の場合、その怒りの感情に飲まれたまま、その事について忘れてしまい、また、同じような状況のとき、同じ行動を繰り返す」
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「さらに、『気づいていない人』の場合、その後、自分のこの行動に対して『ショック』を受けると、そこで『反省と次回への対策』がなく、『反省』だけになり、そこに踏みとどまり、最悪の場合、『自己嫌悪』に陥り、それが『うつ』へのトリガーとなることもある」
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「要は、『気づいている人』と『気づいていない人』の大きな違いは、『その陥った状況を冷静に受け止め、受け入れられるか』というところにある」
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「さて……話を戻すが、『気づいている人』で『歯がゆさ』を感じる人は、それは『気づき』を得たために生じる『歯がゆさ』であるということを理解しないといけない」
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「故に、この『歯がゆさ』とは『観えてしまう』ために起こる作用のようなものなのだ」
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「『気づきを得る前』までは、日常生活の中で『スルー』していたものも、『気づきを得た後』は、ガンガン『目に入ってしまう状態』なのだ」
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「そして、それは『どうしてこうしないんだろう?』とか、『頼むからこうしてくれ!』というような感情が出てくる」
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「本人にとっては、それは『相手のために言っていること』という認識だと思うが、それは『気づいていない人』からすれば『押し付け』や『過干渉』でしかない」
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「本人からすれば、『このほうがラクだし、効率的だし……』といった感覚なので、これがまたそうカンタンに認識しずらい」
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「それが『観えている人の歯がゆさ』である」
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「わかりやすく言うと、『結果を理解しているお節介』だ」
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「ただの『お節介』であれば、それは単に『その人の中の常識の押し付け』に過ぎないが、『観えている人の歯がゆさ』である『結果を理解しているお節介』とは、文字通り、『結果が見えた上でのお節介』なので、まったくの別物である」
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「『結果が見えている』上で、相手の行動を『観ている』上での『歯がゆさ』なので、どうにかして『伝えたい』という『利他』の衝動に駆られる」
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「しかし、そこが何とも『巧妙』なところで、実は、その『利他の衝動』は、同時に『利己の衝動』を抱えている『諸刃の剣』でもあるのだ」
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「『結果が見えている』ために起きる『伝えたい』という『利他の衝動』で相手に干渉するとき、相手が『カンタンに受け入れ』ることができる人であればいいが、そうじゃないとき……つまり『相手が反発するとき』、その反応に対して『過剰に』反応してしまう」
 ̄ー ̄)
A:「これだと、こうだから、こうしたほうが良いよ」
B:「でも、こうだから、このほうが良いと思うんですけど?」
A:「いや、君はそう思うかもしれないけど、でも、実はこうこうで、こういうことだから、君は気づいていないかもしれないが、こうしたほうが結果的に良いから」
B:「いや~、でもボク的にはこのほうが良いと思うんですが……」
エンドレスww
「とまあこんな感じで、相手に対して『どんどんムキになっていく』傾向が高い」
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「もうこの時点で、この行為は『過干渉』であり、『利己の衝動』へと変化しているのだが、そこに『気づくかどうか』がレベルによって異なるというわけだ」
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「ちなみに、この場合『相手が納得いかないのなら、そのままにする』が正解」
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「理由は、この場面では、『お前が気づかせる状況』ではなく、『相手が自分自身で気づく状況』だからだ」
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「これが、『気づいている人』で最初の段階に起こる『観えている人の歯がゆさ』の正体だ」
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「以前にも言ったが、つまり……『来る者は拒まず 去る者は追わず』だ」
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「そうやって、何度も何度も繰り返し、『反省と次回への対策』をもって、一歩ずつ、あせらず、成長しなさい」
 ̄ー ̄)
以上
ということで、今日はこの辺で。
世界が「幸福」に満ち溢れますように!
ではでは。
(*´∀`)ノ
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