世界はボクらの手の中

”日々の気づき”をお届けします!!

「『観えている人の歯がゆさ』という課題」

2013年07月13日 07時00分00秒 | 気づき

おはようございます

mitsuzoです



優しくなぐさめても

成長なんかしません

転んだままじゃなくて

立ち上がるのよ
(根性全開)

謝謝・感謝の(謝謝一荘)

謝謝・言葉は(謝謝翻牌)

早めに投げよう
(リーズモドラドラそのあと)

風向き変わる?

見つけたユメ

探したユメ

遊びのなかで

指が踊れば(さーおいで)

熱烈歓迎(さーおいで)

感じてユメ

念じたユメ

かたちがあるよ

長方形

正方形

三角形のどれかだ


mitsuzo です。


※「アニメ 咲-Saki- ED曲:熱烈歓迎わんだーらんど 歌手:植田佳奈/小清水亜美/釘宮理恵/白石涼子/伊藤静」



さて、今日のテーマは「『観えている人の歯がゆさ』という課題」ですが、これは「気づき」を得た人らが、日常生活の中において、よくある「歯がゆさ」についてのお話。


「観えている人の歯がゆさ」とはどういうことでしょうか?


今回も「ガイドさん」に聞いてみました。


※というわけで、ここからは「ガイドさん(守護霊さん)のメッセージ」です。






「『観えている人の歯がゆさ』とは、それもまた『カルマ』であり『業』であり『記憶の再生』のひとつである」
 ̄ー ̄)


「とは言え……その『歯がゆさ』は、『気づき』を得ないと感じないものでもある」
 ̄ー ̄)


「ちなみに、『気づいていない人』でも、同じ種類の『歯がゆさ』を感じる人もいるが、『気づいている人』とのソレとは大きく異なる」
 ̄ー ̄)


「それは、『課題』として『自覚しているかどうか』で大きく分かれる」
 ̄ー ̄)


「『気づいている人』は、その『歯がゆさ』を何度も味わい感じつつも、これは『カルマ・業・記憶の再生』ということを理解しており、その上で『成長するため』にそこに踏みとどまることはない」
 ̄ー ̄)


「しかし、『気づいていない人』の場合は、そこで『自己嫌悪』に陥り、踏みとどまってしまい、最悪のケースでは『うつ』といった病気にまで発展するケースもある」
 ̄ー ̄)


「『気づいている人』は、病気にまで発展することはそうはない……が、体調が悪くなって『気が落ちる』と『飲み込まれる』こともある」
 ̄ー ̄)


「ただし、そこには『気づきの段階(レベル)』があり、各々で異なる」
 ̄ー ̄)


「わかりやすく言うと、『レベル1の気づきの人』と『レベル5の気づきの人』との違いのようなものであり、『レベル1の気づきの人』からすれば今言ったように『危うい部分』もあるが、『レベル5の気づきの人』からすれば、その『歯がゆさそのもの』を克服できているので問題とはならない……といった感じだ」
 ̄ー ̄)


「誤解しないで欲しいのは『どっちが偉い』だとか、『どっちが上』だとか、そういった意味での『レベル』ではないからな」
 ̄ー ̄)


「『レベル1』なら『レベル1』の……『レベル5』なら『レベル5』の……といったその時、その時の『課題』の違いでしかなく、それ以上でもそれ以下でもないのだ」
 ̄ー ̄)


「『人間という状態』にしか気づいていない以上、こういった話では、つい『優劣』を意識するだろうが、それはそれでしょうがないことなので、これ以上は自分で感じ理解するように」
 ̄ー ̄)


「さて、今度はその『気づいている人』で『歯がゆさ』を感じてしまう人……カンタンに言うと『レベル1の気づきの人たち』の『歯がゆさ』についてだが、これは、言い方を変えれば『"歯がゆさ"を感じることができている時点で、成長している』ということなのだ」
 ̄ー ̄)


「理由は、まず『気づいていない』と、その『歯がゆさ』が生まれないからだ」
 ̄ー ̄)


「こういう書き方をすると、『でも、さっきは"気づいていない人でも歯がゆさを感じる"といったのに矛盾していないか?』と感じる人もいるので、ここで具体例を挙げる」
 ̄ー ̄)


「例えば、『仕事をしていて部下があまりにも不慣れで見ててまどろっこしい』と感じたとする」
 ̄ー ̄)


「まず、そこでの『歯がゆさ』とは『部下の作業』を見ての『まどろっこしさ』という感情がソレとなる」
 ̄ー ̄)


「こういう状況はけっこう多くの人が感じたことがあるだろう……しかし、ここで『気づいている人』と『気づいていない人』での違いが出てくる」
 ̄ー ̄)


「『気づいていない人』であれば、その『まどろっこしさ』を感じると、それに対して『イライラ』という『怒り』の感情に対してそのまま飲みこまれ、人によっては『そのまま部下にその怒りをぶつける』人もいる」
 ̄ー ̄)


「『気づいている人』の場合、その『イライラ』という『怒り』の感情に対して、『今、自分は怒りの感情が生まれている』と気づく。そして、その後の対応は様々だが、『気づいていない人』と同じように『怒りをぶつける』者も出てくることはある」
 ̄ー ̄)


「しかし、どういう態度を取ろうとも『気づいている人』であれば、その後に『怒りの感情に振り回された自分』に対して『反省と次回への対策』をする」
 ̄ー ̄)


「『気づいていない人』の場合、その怒りの感情に飲まれたまま、その事について忘れてしまい、また、同じような状況のとき、同じ行動を繰り返す」
 ̄ー ̄)


「さらに、『気づいていない人』の場合、その後、自分のこの行動に対して『ショック』を受けると、そこで『反省と次回への対策』がなく、『反省』だけになり、そこに踏みとどまり、最悪の場合、『自己嫌悪』に陥り、それが『うつ』へのトリガーとなることもある」
 ̄ー ̄)


「要は、『気づいている人』と『気づいていない人』の大きな違いは、『その陥った状況を冷静に受け止め、受け入れられるか』というところにある」
 ̄ー ̄)


「さて……話を戻すが、『気づいている人』で『歯がゆさ』を感じる人は、それは『気づき』を得たために生じる『歯がゆさ』であるということを理解しないといけない」
 ̄ー ̄)


「故に、この『歯がゆさ』とは『観えてしまう』ために起こる作用のようなものなのだ」
 ̄ー ̄)


「『気づきを得る前』までは、日常生活の中で『スルー』していたものも、『気づきを得た後』は、ガンガン『目に入ってしまう状態』なのだ」
 ̄ー ̄)


「そして、それは『どうしてこうしないんだろう?』とか、『頼むからこうしてくれ!』というような感情が出てくる」
 ̄ー ̄)


「本人にとっては、それは『相手のために言っていること』という認識だと思うが、それは『気づいていない人』からすれば『押し付け』や『過干渉』でしかない」
 ̄ー ̄)


「本人からすれば、『このほうがラクだし、効率的だし……』といった感覚なので、これがまたそうカンタンに認識しずらい」
 ̄ー ̄)


「それが『観えている人の歯がゆさ』である」
 ̄ー ̄)


「わかりやすく言うと、『結果を理解しているお節介』だ」
 ̄ー ̄)


「ただの『お節介』であれば、それは単に『その人の中の常識の押し付け』に過ぎないが、『観えている人の歯がゆさ』である『結果を理解しているお節介』とは、文字通り、『結果が見えた上でのお節介』なので、まったくの別物である」
 ̄ー ̄)


「『結果が見えている』上で、相手の行動を『観ている』上での『歯がゆさ』なので、どうにかして『伝えたい』という『利他』の衝動に駆られる」
 ̄ー ̄)


「しかし、そこが何とも『巧妙』なところで、実は、その『利他の衝動』は、同時に『利己の衝動』を抱えている『諸刃の剣』でもあるのだ」
 ̄ー ̄)


「『結果が見えている』ために起きる『伝えたい』という『利他の衝動』で相手に干渉するとき、相手が『カンタンに受け入れ』ることができる人であればいいが、そうじゃないとき……つまり『相手が反発するとき』、その反応に対して『過剰に』反応してしまう」
 ̄ー ̄)


A:「これだと、こうだから、こうしたほうが良いよ」

B:「でも、こうだから、このほうが良いと思うんですけど?」

A:「いや、君はそう思うかもしれないけど、でも、実はこうこうで、こういうことだから、君は気づいていないかもしれないが、こうしたほうが結果的に良いから」

B:「いや~、でもボク的にはこのほうが良いと思うんですが……」


エンドレスww


「とまあこんな感じで、相手に対して『どんどんムキになっていく』傾向が高い」
 ̄ー ̄)


「もうこの時点で、この行為は『過干渉』であり、『利己の衝動』へと変化しているのだが、そこに『気づくかどうか』がレベルによって異なるというわけだ」
 ̄ー ̄)


「ちなみに、この場合『相手が納得いかないのなら、そのままにする』が正解」
 ̄ー ̄)


「理由は、この場面では、『お前が気づかせる状況』ではなく、『相手が自分自身で気づく状況』だからだ」
 ̄ー ̄)


「これが、『気づいている人』で最初の段階に起こる『観えている人の歯がゆさ』の正体だ」
 ̄ー ̄)


「以前にも言ったが、つまり……『来る者は拒まず 去る者は追わず』だ」
 ̄ー ̄)


「そうやって、何度も何度も繰り返し、『反省と次回への対策』をもって、一歩ずつ、あせらず、成長しなさい」
 ̄ー ̄)









以上






















ということで、今日はこの辺で。


世界が「幸福」に満ち溢れますように!





ではでは。


(*´∀`)ノ








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「『愛のある世界』とは?」

2013年07月11日 07時00分00秒 | 気づき

おはようございます

mitsuzoです



一秒一秒

過ぎゆくこの瞬間を

全部、全部

忘れたくないの

君がくれた勇気がほら輝いてる

いつか旅立つその日が来ても

変わらないよ

いとしいよ……

sweet my primrose……

あの日君と巡り逢えたから

たくさんの夢を見つけたんだ

泣きたい時でも

いつもそばにいてくれて

どうもありがとう

ノートに書いた秘密のページは

ずっと色褪せない言葉

今風のなか

そっと満ちてるよ

ねぇ 聞いて

君が「大好きだよ。」


mitsuzo です。


※「アニメ 恋と選挙とチョコレート ED曲:風のなかのプリムローズ 歌手:Ceui」



さて、今日のテーマは「『愛のある世界』とは?」ですが、今回も「守護霊さん(ガイドさん)のメッセージ」を紹介します。


「愛のある世界」とは、今の世界のことなのでしょうか?


それとも別の世界のことなのでしょうか?


今回は、この辺を「ガイドさん」に聞いてみました。


※というわけで、ここからは「ガイドさん(守護霊さん)のメッセージ」です。






「『愛のある世界』とは? とは、お前たちが生きているその世界のことを言う」
 ̄ー ̄)


「では、『本来の自分』である『ワンネスの世界』には『愛』があるのかどうか?」
 ̄ー ̄)


「答えは、『愛しかないし、もはや愛はない』だ」
 ̄ー ̄)


「わかるか? では、『愛がある』とはどういう状態を指すだろう?」
 ̄ー ̄)


「『愛がある』とは、『"愛"を認識することができる世界』のことをいう」
 ̄ー ̄)


「『"愛"を認識することができる世界』とは、『"愛"が必要とされている世界』のことをいう」
 ̄ー ̄)


「『"愛"が必要とされている世界』とは、『"愛"が不足している世界』のことをいう」
 ̄ー ̄)


「つまり……『愛が満たされていない世界』ということだ」
 ̄ー ̄)


「それは、おまえたちが生きているこの『三次元の世界』もそうであり、それ以外の『同じ成長段階の次元の世界も同じ』である」
 ̄ー ̄)


「そして、『本来の自分』である『ワンネスの世界』では、すでに『愛で満たされており、愛しかない』ので、もはや『愛が当たり前過ぎて認識できない』……故に『愛しかないし、もはや愛はない』となる」
 ̄ー ̄)


「その『愛』を『経験したいがため』にお前たちはそこにいるのだ」
 ̄ー ̄)


「『愛を知る』には『愛されない経験』が必要であり、『愛さない』ことができるのは『愛の足りないこの世界』でしかできない」
 ̄ー ̄)


「それがこの世界の素晴らしさである」
 ̄ー ̄)


「わたしたちは『愛を知り、愛に満たされる』ために生きているのだ」
 ̄ー ̄)






以上






















ということで、今日はこの辺で。


世界が「幸福」に満ち溢れますように!





ではでは。


(*´∀`)ノ








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「良い生き方とは?」

2013年07月09日 07時00分00秒 | 気づき

おはようございます

mitsuzoです



教室の窓辺で眺める

優しい夕暮れの空

振り向けば君が笑顔で

こっちを見てた

一緒に帰ろう

いつもの遠回りをしながら

まだ少し届かない指先が

ただ切なくて

あの日君と巡り逢えたから

たくさんの夢を見つけたんだ

泣きたい時でも

いつもそばにいてくれて

どうもありがとう

ノートに書いた秘密のページは

ずっと言えずにいた言葉

今風のなか

そっとささやくよ

ねぇ 聞いて

君が「大好きだよ。」


mitsuzo です。


※「アニメ 恋と選挙とチョコレート ED曲:風のなかのプリムローズ 歌手:Ceui」



さて、今日のテーマは「良い生き方とは?」ですが、今回は「守護霊さん(ガイドさん)のメッセージ」を紹介します。


「良い生き方」……とは、どういうことを言うのでしょうか?


「何が良いのか?」

「何をもって良いと判断するのか?」


今回は、この辺を「ガイドさん」に聞いてみました。


※というわけで、ここからは「ガイドさん(守護霊さん)のメッセージ」です。






「『良い生き方』とは、ズバリ……『お前が"こう生きたい!"と思う生き方』のことをいう」
 ̄ー ̄)


「では、お前は何をもって『良い生き方』だと感じる?」
 ̄ー ̄)


「『誰にでもやさしく、怒らない生き方』か?」
 ̄ー ̄)


「『やりたいことをやって、生活を豊かにする生き方』か?」
 ̄ー ̄)


「『自分よりも他人のことを優先して助ける生き方』か?」
 ̄ー ̄)


「それとも……」
 ̄ー ̄)


「『人を騙して、自分だけ良い思いをする生き方』か?」
 ̄ー ̄)


「『人を傷つけて、自分の欲望を満たす生き方』か?」
 ̄ー ̄)


「『人を苦しめることにより、自分を責め続ける生き方』か?」
 ̄ー ̄)


「今、挙げた中で『当てはまる生き方』がある人も、無い人もいるだろう」
 ̄ー ̄)


「それが『人間』だ」
 ̄ー ̄)


「『だって人間だもの……』だ」
 ̄ー ̄)


「ちなみに『前半の3つの生き方』は何となく『良い生き方っぽい』という風に感じたか?」
 ̄ー ̄)


「『後半の3つの生き方』は、『良い生き方とは程遠い』という風に感じたか?」
 ̄ー ̄)


「今、挙げた例は『わざと極端』にしたのだが、その理由は……『お前の立ち位置をわかりやすくするため』だ」
 ̄ー ̄)


「つまり、『良い生き方』という言葉を聞いて、想像した『良い生き方のイメージがどれか』により、お前の『現在の良い生き方』となる」
 ̄ー ̄)


「ちなみに、『この言葉を聞いてイメージしたもの』とは、『思考する以前の瞬間的にイメージしたもの』のことを言う」
 ̄ー ̄)


「『ひねくれた考え方』の人であれば、この『思考する以前の瞬間的にイメージしたもの』を認めたがらないのもいるだろう……が、別にそれで構わない」
 ̄ー ̄)


「『ひねくれて』考えようが考えまいが、どっちでも良いのだ。それが『良い生き方』なのだから」
 ̄ー ̄)


「『良い生き方』とは、『自分に対して良いと思う生き方』とか、『他人に対して良いと思う生き方』と捉えがちだが実はそうではない」
 ̄ー ̄)


「お前が『こう生きたい!』と思う生き方が『良い生き方』であり、その『結果』として、それが『自分にも他人にもプラスになる生き方』となったり、ならなかったりすることなのだ」
 ̄ー ̄)


「その上で(自覚した上で)、『良い生き方とは何か?』と考えなさい」
 ̄ー ̄)


「『自分勝手』に生きようが、『人にやさしく』して生きようが、結局は、その行動(原因)には、『結果』が生まれる」
 ̄ー ̄)


「そして、その『結果』がお前を『成長』させるのだ」
 ̄ー ̄)


「なので、『良い生き方』とは『自分を成長させるためのもの』と考えたほうが、結果的にはお前の『プラス』になるだろう」
 ̄ー ̄)


「ちなみに、『プラスになる』というのは、『自分にとって都合の良い結果を招く』とは違うからな。あくまでも『魂の成長として』……という意味だ。そこを履き違えないようにな」
 ̄ー ̄)






以上






















ということで、今日はこの辺で。


世界が「幸福」に満ち溢れますように!





ではでは。


(*´∀`)ノ








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「『非科学』が『科学』へと変わる日」

2013年07月07日 07時00分00秒 | 気づき

おはようございます

mitsuzoです



眩しい光が

背中を押すように

広がる

高くその手掲げ行こう

怯えてた昨日から

手放したはずの未来へ

連れ出して

君と君の中に強く光るもの

気付いたから

その手繋いで行こう

時がくればいつか変わる

なんてもう言わないよ

手放したはずの未来へ

もう一度

加速してく風にも

眼を閉じない

逸らさないように

まっすぐ見つめて

君と一緒に踏み出していく

踏み出していく


mitsuzo です。


※「アニメ 恋と選挙とチョコレート OP曲:シグナルグラフ 歌手:Annabel(anNina)」



さて、今日のテーマは「『非科学』が『科学』へと変わる日」ですが、今日「7月7日」は「七夕の日」ですね。


「織り姫」と「彦星」が「キャッキャ、ウフフの日」ですね。


1年の内、1回しか会えないので、楽しんで欲しいです。


さて。


今日のテーマである「『非科学』が『科学』へと変わる日」、つまり、今まで……、


「非科学だー」


と言われていたものが、「科学」として定義されることになっていくだろう……というお話なのですが、これは、ちょっと語弊があります。正確には……、


「『現代の科学』ではわからないことは『非科学』と定義して眼を背けておこう」


から、


「『現代の科学』で眼を向けて『解明されていない科学』の解明に挑戦しよう」


へと変化したということです。


そもそも「科学」というのは、「『謎』への探求・解明」だと思うのですが、それをあまりにも「ぶっ飛んだ『謎』」だと、人によっては「可能性」自体を否定します。


「可能性自体の否定」とは、つまり、単なる「その人たちだけの常識の範囲内の判断」ということです。


これでは、その「謎」に関しては「おざなり」になるでしょうし、実際、そうでした。


この「可能性自体の否定」をする人たちとは、おそらく「科学界の権力ある者たち」といった「既得権益を得る者たち」だと思われます。


例えば、「フリーエネルギー」といったものは、いろいろと可能性のある装置は開発されていますが、それも、ほとんど世に出てきません。


米国では、数年前にある企業が、「水だけで自動車を走らせる装置」を開発して、実際、何千キロも走らせることに成功しましたが、その開発者は殺されました。


原因は、たしか「会社立ち上げ」かなんかのパーティで、ワインに毒を盛られたというものだったと思います。


また、それから数年後に日本でも同じように「水だけで走る自動車」が開発され、その走らせている動画もYouTubeにアップされてましたが、その会社のサイトはしばらくして閉鎖されて、今ではどうなったのかはわかりません。


そんな感じで、「既得権益を得る者たち」がこの世にいる以上、「本当の科学の発展」は難しかった。


しかし、ここ最近、観た動画で「東大病院の救命医の部長」が「人は死なない」「魂は永遠なのです」といった内容の本を出版し、それが売れているということで、ワイドショーで取り上げてました。


この動画を観たとき、「これからは『非科学』と言われた分野が、いよいよ『科学』へと変わる日が来た」と感じたのです。


実際、その東大病院の方も、同じ事を言ってました。


これから、この世の中に「スピリチュアルが科学として扱われる日」が近づいている……そんな風に感じました。

















ということで、今日はこの辺で。


世界が「幸福」に満ち溢れますように!





ではでは。


(*´∀`)ノ








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「不思議なつながり またまた大きなシンクロニシティ」

2013年07月05日 07時00分00秒 | シンクロニシティ

おはようございます

mitsuzoです



手が届きそう

目の前で笑う君

触れられそうな距離にいても

強がってまた

閉じ込めてしまうけど

心 零れそうな想いは

もう見ないふり

涙でにじんだ

曇り空でも

もっと高い場所には

眩しい空 広がる

「かわる合図」

高くその手掲げ行こう

怯えてた昨日から

手放したはずの未来へ

連れ出して

君と君の中に強く光るもの

気付いたから

今まっすぐ見つめて

君と一緒に踏み出していく


mitsuzo です。


※「アニメ 恋と選挙とチョコレート OP曲:シグナルグラフ 歌手:Annabel(anNina)」



さて、今日のテーマは「不思議なつながり またまた大きなシンクロニシティ」ですが、その前に、今日紹介した冒頭のアニメ「恋と選挙とチョコレート」。


アニメ公開したのは、一年くらい前ですが、今までずっと視聴していませんでした。


理由は、「自分の趣味には合わなさそうだったから」


なぜ、そう思ったのか? それは……、


「ただの『萌えアニメで中身がない作品』と思ったから」


でした。


しかし……それは……、


「100%ボクの思い込み」


でした。


「すごくしっかりと話が作り込まれていて面白かった!」

「最初から最後まで観たら、ちゃんと『伏線』が張ってあったりと作品に引き込まれた!」


こんな感じでした。


大まかな内容としては、「高校の生徒会長選挙」のお話ですが、侮るなかれ、内容は実に「実際の政治家の選挙 顔負け」の「選挙戦」でした。


「賄賂」があったり、「造反」があったり、「妨害工作」があったり。


ちなみに、このアニメの高校の選挙は、「一つの巨大な高校施設」ということで候補者もいっぱい出るので、アメリカの「大統領選挙」のように「候補者を絞る予備選挙」から始まります。


などなど……中身がとても充実したアニメでした。


もちろん、それだけではなく、主人公とヒロインたちとの「恋愛」もあるのですが、そこも「単純な恋愛模様」ではなく、各々が抱えている悩みに苦しんだり、それが相手を傷つけたり、傷つけられたり……と、盛りだくさん!


しかも! しかも!


この作品……。


実は、「エロゲー」です。


元々は「PCエロゲーム」の作品が、こうして「アニメ化」と至ったという流れなのですが、これが「エロゲー」だったとは、最初は信じられませんでした。


それくらい、「内容がすばらしかった」ので。


とまあ、ここまでいろいろと「アニメ」のお話をしていたら、だいぶ、長々と書いてしまいましたね……すみません。


久しぶりの「ヒット!」だったもので。



というわけで、ここからは「スピリチュアル」の話へと戻します。


m(__)m






先日、ラジオを一緒にやっている友人と一緒にカフェを経営している「Cさん」とお話たとき、「まさかの接点」的なことがわかりました。


それは、ボクが大学生のときに「一番仲良くしていた友人」の一人で「Y君」というのがいたのですが、なんと!……「Cさん」がこの自分の友人の「Y君」と同じ学校で、同級生で、仲も良かったということがわかったのです。


これだけでも「ビックリ!」なのですが、実は、「Cさん」以外にも、この「Y君の知り合いだった」という人がいたのです。


それは……今からおよそ一年前の記事、


「2012年4月14日の記事 久しぶりの大きなシンクロニシティ 前編」


に収録されているのですが、この記事の中に出てくる方とボクには「共通の知り合いだった人がいた」ということがわかったのですが、その「共通の知り合い」の人が、今回、紹介した「Cさんとボクの共通の知り合い」と「同一人物」だったのです。


しかも、その彼……「Y君」は、


今から「10年前」に亡くなった方です。


まさか……このタイミングで……彼と「共通の知り合い」に出会うとは……しかも「二人」も。


ちなみに、この二人に出会うには、「スピリチュアルな体験」をして、「スピリチュアルの世界」に踏み入れることになったからです。


別の言い方をすれば、「スピリチュアルに目覚めなければ、出会うことはなかったであろう三人」です。


細かく言うと、ボクは二人とは会ってますが、二人はお互い会ったことはありません。


でも、一人には「Cさん」のカフェを紹介しましたし、その方の仕事場からも近いので、いづれ会うこともあるのかな~と思っています。


というわけで、そんな「Y君」という「不思議なつながり」で、ボクらは出会うこととなった……というお話でした。


















ということで、今日はこの辺で。


世界が「幸福」に満ち溢れますように!





ではでは。


(*´∀`)ノ








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