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毎昼毎夜夢心地

戦国繚乱

2009-10-23 | 読書系


目下、(個人的に)上杉景勝祭のため読んだ本。「戦国繚乱」。著・高橋直樹。文春文庫刊。

1588年、豊臣秀吉の九州征伐に巻き込まれて豊臣軍の黒田孝高(如水)・長政親子に滅ぼされてゆく、誇り高すぎた城井鎮房とその一族を描いた「城井氏一族の殉節」、1550年、若き大友義鎮(宗麟)の忠実な家臣が、義鎮の実父と継母、幼い弟を謀殺してあるじに家督を継がせるまでを描く「大友二階崩れ」、1578年、上杉景勝が義理の兄と彼に嫁いだ実の妹を<御館の乱>で死に追いやって上杉謙信の後継者となるまでを描いた「不識庵謙信の影」。戦国時代をまあまあ知っている者にとっては、まあまあ有名な(?)エピソードの三本立てである。もっとも、私が九州出身なので、城井鎮房の話と大友二階崩れは、けっこう有名なんじゃないかな…的に思っているだけで、全国レベルではそうじゃないかもしれない。どうなんだろう。

「城井氏一族の殉節」「大友二階崩れ」は、主人公たちにひしひしと迫ってくる破局の予感が、ギリシャ悲劇的な格調高さすら感じさせるような端正さでもって描かれて美しい。一方で、「不識庵謙信の影」ではナイーヴで不器用な青年が、兄殺し・妹殺しの果てに国主にふさわしい冷酷さを身につけてゆくまでを丹念に追っているのだけど、孤独な道を歩まざるをえなかったやさしい若者の心の襞が丁寧にえがかれているし、最後には胸がずきずきと痛むような読後感が残る。直江兼続ものの小説で「直江あっての上杉景勝」みたいな一面的な景勝像が多いことにちょっとガッカリさせられている向きとしては、大変面白く読める。(直江との険悪な関係も他では読めないし)
三作いずれも、クライマックスといえる場面は残酷な血の惨劇なのだけど、その描かれ方も陰影に富んでいて美しくさえある。私はなんとなく工藤栄一の映画「十三人の刺客」や岡本喜八の「侍」の結末部分を思い出した。モノクロの画面にとびちる黒い血糊の美しさとでもいったらいいのだろうか。やや様式美に近いかもしれないけども、そういう異様な美しさがこの中篇集からは感じられた。あの頃の役者・監督で、映画で見てみたいなぁ。(とりあえず城井鎮房は片岡千恵蔵だろうな。あと黒田孝高は伊藤雄之助)

この三つの物語に描かれた登場人物(黒田長政・大友宗麟・上杉景勝)の、「物語のその後」を、私たちはすでに史実として知っている。そのためだろうか、ここに描かれた事件が『彼らの行く末にいかに影響したのだろうか』という想像を巡らせることができるように、余韻を残しながら物語が終わっているところもいいなあと思えた。大友宗麟のその後の人生の波瀾万丈さはすさまじいし、上杉景勝は寡黙に徹して家臣に生涯一度しか笑顔を見せたことがなかった(*)…なんて伝説を残すことになるわけだけど、その理由がこの御館の乱にあったのかもと考えると、ちょっと心にくるものを感じたのだった。

(*)景勝については「昨日はお前んちで直江と酔っ払っちゃってゴメン。それにしても、お前んち狭いよね。狭すぎるよねアレ」みたいなフレンドリーな手紙を家臣に送ってるので、実像はそこそこ砕けた人だったんだろうとも思うし、無口で笑わないというのは対外的イメージ戦略だったのかもしれないけども(それはそれで巧妙だったかも)。

感動半減

2009-02-04 | 読書系
母が(メールで)送り込んできた刺客は姉だった…!
いやうちの姉も独り身なんだけど
私より先にこっちを片づけるべきなんじゃないかと思うんだけど

と、いきなりわかりにくくてすみません。
ふがいない私がいくら何を言ってもどうにもならないので、
母は戦法を変えて 姉を通して色々とプッシュしてくるように
なったんであります。

とまあそれはおいといて

今日 久しぶりに書店に寄ったら野生時代の2月号に
古処誠二の読み切り短編が載っているのに気がつきました。
ついつい読みふける(常に立ち読みで)

この人の小説は(とくに「ルール」以降の太平洋戦争ものは)
結末の1ページもしくは数行がとても印象的なのですけど、
今回もとても鮮やかでした。しびれた。ちょっと泣きそうになった。

同じように鮮やかな結末でしびれさせる作家として
私は高村薫を心の中でナンバーワンにしてるんですけど、
最近ではそれを古処誠二が抜きつつある。いいなぁ。

というわけで立ち読みにも関わらずしびれながら
反芻しながら帰宅したところ
刺客・姉からうっとうしいメールが届いており
感動あっという間に半減。まったくもう!

そろそろ英語

2008-11-20 | 読書系
ぼちぼち生きています。

新宿西口にブックファーストができたので喜んでいってきました。
品ぞろえもまずまず…というかずいぶんです。とくに雑誌は配置もいいし、
種類も多いし、とてもうれしい。
これで東口の紀伊国屋までわざわざ行かんでいい!ばんざい!

というわけで今日買ってしまった本というかCD。
オバマさんびいきではないけどあの演説テクはすごいと思うんだ。
とくに2004年の基調演説。


(全文収録ばかりではなく、部分収録も多いです)

うーんそういえば英会話スクールを辞めてからものすごく英語をさぼっている。
久しぶりにTOEIC受けて打ちのめされてみるか…
間違いなく200点ダウンだと思うんだ…だから受けたくないんだ…

とかいいながら、
明日の夜から八丈島にいってくるぜ!

ジェームズ・カルロス・ブレイク三昧

2008-10-21 | 読書系
   

 あなたがもし「ワイルド・バンチ」の最終局面で死地に臨むコワモテ野郎どもを愛してやまないのであれば、あの最後の瞬間にニヤリと笑うアーネスト・ボーグナインの顔つきが忘れられないのであれば、ジェイムズ・カルロス・ブレイクは、たぶんそんなあなたのために存在する作家である。

 日本で訳出されたのはこれまで三冊。「無頼の掟」「荒ぶる血」そして「掠奪の群れ」。なんともそそる邦題ではないか。登場するのは古きよき時代のアウトローばかり。殺し、掠奪し、美しい女を抱き、そしてまた殺し、自らの行為を愉快千万と大笑する連中である。
 似たような時代を描いた暗黒小説としてはジェイムズ・エルロイが有名だが、エルロイが描いたのがその時代に生きる犯罪者たちの陰画だとすれば、ブレイクが描くのはまさに陽画である。傍若無人な犯罪者たちが陽気に笑い、飲んだくれ、硝煙の匂いをふりまき、そして男同士の深い友情の絆をつむぐ。
 ストーリー自体はどの作品もシンプルである。おおむね、アウトローたちの友情と、うつくしい女たちの係わり合いと、破局の物語である。作品の大半は、彼らの放埓な生き様や仲間内でのじゃれ合い、女との熱い情交(いやほんと終始勃起し続けているような野郎どもである)を描いていて話はいっこうに進まない(ように見える)から、物語自体の深みを云々言うむきにはあまり面白くもなかろう。しかしタランティーノの最初で最後の傑作「レザボア・ドッグス」で、下品な猥談を延々と繰り広げる犯罪者たちのゆるんだ顔つきがおかしくてたまらなかった御仁には、このブレイクの描く男たちはまさに愛すべき存在に違いない。
 女たちも情熱的にいきいきと描かれる。ゆきずりの若い女が主人公にとっての運命の女として妖艶にかがやく「無頼の掟」と「荒ぶる血」。素人娘が惚れた男に寄り添い、男以上に貪欲に突き進み、犯罪者の情婦として君臨してゆく「掠奪の群れ」。男たちに振り回されているようでいて、最後にはしたたかに自分の生き残る道を選び取る彼女たちのその生命力に、男たちも、作者のブレイク自身も、ぞっこんほれ込んでいるように見える。
 しかしやっぱり、ブレイクの作品は、男の物語なのだ。誰も彼もが無法者にもかかわらず、一本これときめた筋、仲間の掟や絆は最後まで守りぬき、自分たちの美学を貫きとおす。惚れた女を救うため死地へと足を踏み入れてゆく仲間を見て、理由を聞かずに助太刀する男たち。仲間の窮地を知り、可愛い女が泣いてすがるのを振りほどいて、死出の道につく男。まさに男泣きの境地。胸に押し迫る熱いものを存分に感じて男たちの生き様にしびれるのが、ブレイクの作品の正しい鑑賞法かもしれない。

 ブレイクはどうもコーマック・マッカーシーが好きなようである(←推測だけどたぶん間違いない)。マッカーシーはとくに「すべての美しい馬」から始まる国境三部作で、アメリカン・ニューシネマの叙情の部分を思い出させるようなもの悲しく美しい筆致をみせているが、今のところブレイクが到達しているのは、面白いことに(マッカーシーをリスペクトしているはずなのだが)、その叙情以外の部分であるようだ。これがアウトローの生き様と死に様よ、とけれん味たっぷりに奏であげるブレイクの話術はマッカーシーにはまず考えられないし、マッカーシーの美しさを愛しながら、ほんのちょっとその雰囲気も出しながら、実際には別の方向に進んでいるところはご愛嬌だ。
 ブレイクの最新邦訳小説「掠奪の群れ」では、マッカーシー流に、セリフに「」がついていない。マッカーシーはそうすることによって常に静謐な空気感を物語全体にもたらしているが、ブレイクは逆に、破滅的なエンディングに向けて物語の勢いを加速する効果をもたらしているように感じられる。行き着くところは破滅にも関わらず、他の二作品と同じかそれ以上に感じられる昂揚感と爽快感は、この手法によるものが大きかったのではないだろうか。
 主人公である無頼漢の死に様と、いつの間にかマッカーシースタイルを自分流に消化している(と勝手に私が決め付けているだけなのだが)ブレイクに、天晴れお見事と拍手喝采をおくりたくなる爽快な幕切れだった。

甲越信戦録―戦国哀歌 川中島の戦い

2007-09-20 | 読書系

甲越信戦録―戦国哀歌川中島の戦い

二日目に行った長野市立博物館の、臨時土産物屋?で購入した本がこれ。お店番をしながらうちわを使っていたおじさんが「これ面白いよ!」と強力プッシュしてくれました。(おじさんが見せてくれた自前の本には蛍光ペンで何箇所も線が引いてあった)
無名の、川中島近郊に住んでいたと思われる知識人が執筆しただろうと言われる戦記もの、ということなのですが、武田よりでも上杉よりでもなく(心情的には、高潔だったと思われる謙信のほうに寄っているようにも思われます)、地元の人の視線で書かれているというところも大変に面白いですし、実際にその場所に行ってみた者にはたまらんものがあります。しかしそれだけでなく、合戦の様子の描写など、ほんと血沸き肉躍る興奮。

「右に切り伏せ、左に突き立て、ひとえに阿修羅王の荒れたように、眼は血走り眉は逆立ちて、摩利支天の再来もこのようであろうと自らを励まし、敵を踏み破り、必ず晴信を討ち取ろうと馬上をめがけて無体に割り込み、電光稲妻ただ一太刀と切りつける。晴信公は左の肩先鎧の袖を切って落とされ、義清はすかさずニの太刀を振り上げる。大将すでに危ういところに甲州兵久保田助之丞が飛び来たって、槍で義清の馬を突く。駒は嘶いて棒立ちとなって躍り上がると、義清は真っ逆様に落ちて気絶する。助之丞は義清とも知らず首を取ろうとするところに、遠目に見受けた額岩寺光氏は、すかさず火雷神の荒れたように飛び下り、助之丞が鎧の上帯を引っ掴み、
『己!大将の首取ろうとは大胆不敵の曲者め!』
と金剛力にて打ち付けると、助之丞の体は微塵に砕けて空しくなる」

ところでこの本を私に薦めてくれたおじさん、「私、村上義清がすきなんですけど」とわけわからんことを言うと、「出てくるよ!義清!」と力強く返事をしてくれました。確かに出てきたけどなんかカッコ悪い言われようだよこの本では… まあしょうがないけどな。